グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) (詳細)
スコット フィッツジェラルド(著), Francis Scott Fitzgerald(原著), 村上 春樹(翻訳), 村上春樹(著)
「内容よりも雰囲気を訳した作品」「傑作!」「最高の曲を、天才がアレンジした音楽」「素晴らしいかもしれない」「フィッツジェラルドの世界を破たんなく日本語で再構築してくれました、という印象」
ロング・グッドバイ (詳細)
レイモンド・チャンドラー(著), 村上 春樹(翻訳)
「やはり不朽の名作ですね!」「あとがきが最高かな」「評価は難しいです」「面白かったなぁ」「直訳に近い」
キャッチャー・イン・ザ・ライ (詳細)
J.D.サリンジャー(著), 村上 春樹(翻訳)
「旧訳と新訳の両方を読んで」「青春小説の傑作」「大人社会に疑問を持っている人へ」「アメリカ社会の幸福幻想に冷や水を浴びせる」「青年文学を超えて」
・「内容よりも雰囲気を訳した作品」
私は現在アメリカのロスアンゼルスの高校三年生ですが、此処では「グレート・ギャツビー」は必修科目です。高校三年の英文学のカリキュラムはアメリカ文学史。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、スタインベックと進んでいきますが、その中でも一番重点を置かれるのがこの「グレート・ギャツビー」。私が村上訳を読もうと思ったきっかけは、私の英語の先生が「日本で有名な作家のムラカミという人がギャツビーを訳したが、それはとてもいい訳だとウォールストリート・ジャーナルで読んだ。是非読んでみないか?」と進めてきたからです。
三島由紀夫を英語で読んでもいまいちなように、フィッツジェラルドを日本語で読むなんて!と最初はあまり乗り気ではありませんでしたが、「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」など他の村上さんの作品は愛読していたので、「まったくイメージが違ったとしても、『村上の作品』として読めばいいかな」と思って注文し、読んで見ることにしました。
原文でかなりの衝撃を受けた私ですが、この訳にはさらなる衝撃を受けたといわざるを得ません。訳が見事なのはもちろんですが、あらゆるギャツビー関連のエッセイを授業で読んだ上で、なんともいえない解釈の深さに驚きました。言語が違ってしまうと醸し出す雰囲気も当たり前のように変わるものですが、村上さんの描くギャツビーは、まさしく僕のイメージのギャツビー、いや、アメリカで学ぶフィッツジェラルドの描こうとしたギャツビーそのものなのです。
ただ単に、筋が通るように語句を並べて訳しているのではなく、フィッツジェラルドの原文に等しい「雰囲気」を作り出すように丁寧に言葉を選んでいるのが伝わってきます。もちろん数箇所は「ここは(作り出す雰囲気が)原文の通りじゃないな?」とか「あれ、此処は意味が隠れているはずなのにな?」と思うところもありますが、それ以外は「もしかしてフィッツジェラルドって日本語も書けたのかい?」と思わず唸ってしまうほどの出来です。
ヘミングウェイやカフカの和訳でよく見られるように、訳された作品には「内容」を重んじたものが多いです。つまり、同じストーリーは伝わるのですが、そこから感じられるイメージ、雰囲気、感情の揺らぎなどはなかなか伝わりません。和訳を読んでから原文を読んだり、その逆をしたりすると「あれ?このキャラクターってこんな風に思っていたんだ」と驚いてしまうことが多いです。
しかしこのギャツビー、全てのキャラクターが、原文と同じように考え、行動し、会話や動きからは原文と同じ雰囲気を作り出してくれます。これはもう、神業です。かなりのギャツビーファンとして、映画版も何バージョンか観ましたが、それよりもこちらのほうがより正しく、よりフィッツジェラルドらしいムードを作り上げてくれます。
原文を読んだことある方も、「いい作品と聞いていたけど、結局は訳だからなぁ……」と悩んでいる方にも、是非是非お勧めです。
唯一気になる点は、「Gatsby」は「ギャツビー」ではなくずっと「ギャッツビー」だと思っていたところですかね。人によって発音は違うみたいです。アメリカでは後者が主流。(笑
以上、文学ヲタによるレビューでしたっ。
・「傑作!」
語り部である"私"が、はじめてギャツビーを見かけるところ。夏の夜、海の入り江の向こう岸に向かってギャツビーが手を広げて震えている場面。"私"は、彼が見ている方向を見ても、一つの小さな緑色の光が見えるだけで他には何もなかったという下り。素晴らしく印象的で、ギャツビーの性格、そしてフィッツジェラルドという作家の本質を良く表していると思います。失ったものを取り返そうとする焦燥感。上辺だけの嘘。空虚な人間関係。無気力さ。悪。そして激しい恋心。そういった要素が浮かんでは消え、気怠く展開していくこの話を何回読んだのかな。Matthew J. Bruccoliが序文を付けたこの版では、何バージョンかある原稿の中から、フィッツジェラルド自身が最終原稿としてまとめたもの。つまり、彼自身原稿を何度も何度も書き直しているということであり、この本こそ彼の最終原稿であるという訳です。フィッツジェラルドの著作の中では、構成力と登場人物の性格づけという意味においても最高傑作かと思います。大推薦!
・「最高の曲を、天才がアレンジした音楽」
言わずと知れた、村上春樹さんによる翻訳の話題作です。村上さんは、これまでにも様々な海外小説(特にアメリカ小説)を翻訳なさって、紹介されていると言うことです。僕はハルキストといかないまでも、村上さんの小説は大好きで、沢山読んでいましたが、正直翻訳された小説は読まないできました。というのは、村上春樹はオリジナルの小説家であって、人の小説を訳すサブの仕事(翻訳者の皆様すみませんm(__)m)には向かないのではないか、村上春樹が訳せばどんな作品も村上節(?)になってしまい、原作を楽しむといった意味では、プロの翻訳家の方のものを読んだほうがいいのではないか、と勝手な独り決めをしていたからです。それでも今回「グレートギャツビー」を読むにあたって、村上訳を選んだのは、同じく村上訳で先行して話題となっていた「キャッチャーインザライ」の訳業より本作のほうが評価が高かったようだからです。(「キャッチャー…」は「これは原書とは違う、村上作品である」との評が目立ちました。)
・「素晴らしいかもしれない」
野崎訳の同書を読んで、なんとなくその素晴らしさをわずかに感じていました。でも、それがどういうことなのか分からない。フィッツジェラルドの来し方に触れるものであるということは間違いない。でも、そこに何があったのだろう?そう思って野崎訳を数回読んだものです。 そして、今回村上春樹訳の本書が出るということで期待して読みました。前々から、村上さんは「グレート・ギャツビー」を翻訳したいと色々な場で言ってましたし、「ノルウェイの森」にも出てきました。それを知っていたので、「いよいよ来たか」という感じでした。 読んだ感想としては野崎訳とは違うものでした。とにかく読みやすい。意外に古い作品なんだってことを再認識させてくれました。今まで、そう思わせなかったのは野崎孝という翻訳家の才能によるものでしょう。 ニック・キャラウェイの立ち位置、ジェイ・ギャツビーの悲哀、すべてが解けるように僕には感じられました。そういうことだったのか・・・と。 同時に野崎訳とのズレもあります。それは致し方ないことです。英語で書かれた文章を完璧に移し変えることなんて不可能なんです。しかも、時代も違う。それに耐えうる作品が名作として残るんですよ。 「グレート・ギャツビー」は劇的な感想は抱けないものだと思います。しかし、じわじわとくる印象があります。読者が経験することによって、「こういうことだったのか」という不思議なシンパシーめいたものを感じることの出来る作品だと思います。想像以上に深い作品だなと改めて思い知りました。 でも、この作品の本質というか、全体的な「これはこういうことだ!」という感想が抱けないんですよね。これは決して悪いことではありません。逆に可能性を感じるくらいです。それは作者、訳者の責任ではなく、読者の責任でしょう。 この作品をちゃんと理解できるようになりたいです。
・「フィッツジェラルドの世界を破たんなく日本語で再構築してくれました、という印象」
デイジーの従兄弟でありギャツビーとの仲を取り持つことになるニックというのは、村上春樹さんの小説の主人公のようでしたね。というか、もちろんニックのような男性を日本にもってきて書いたのが村上作品なのかもしれませんが。こんなところに、その感じが出ていると思います。
《人は誰しも自分のことを何かひとつくらいは美徳を備えた存在であると考えるものだ。そして僕の場合はこうだー世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ》(p.113)。《人間の同情心には限界がある。都市の明かりが背後に遠ざかるにつれ、彼らのあいだで交わされた壮絶なやりとりもだだん遠いものになっていったし、そのことで僕らは正直なところほっとしていた。三十歳ーそれが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。情熱を詰めた書類鞄は次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう》(p.247)。 ぼくの読み方が悪いのかもしれませんが、ほのめかしに終わっているウルフシャイムとギャツビーが手がけるううさんくさい仕事について、もう少し、ハッキリとわかるようだったらいいな、と思ったのが多少、不満に残りました。
・「やはり不朽の名作ですね!」
丁度少し前にペーパーバック版の英文を清水俊二訳の文庫本で参照しながら読んだのですが、有る部分がスパッとカットされてるのではなく、台詞や情景描写中の数語が端折って意訳されてる部分が多々ありました。そう言う意味で今回の村上春樹訳「ロング・グッドバイ」の登場は完全本としても大いに価値があると思います。清水訳の味わいも捨てがたいのですが、極端な意訳をせず丁寧に一語一語訳してあるだけに、村上訳の方がオリジナルの世界をストレートに感じさせてくれます。あの名台詞の数々も素敵です。
どちらかと言うと清水訳の方が意訳の幅が広い分、よりセンチメンタリズムを感じさせてくれる気がしないでもないですが、村上訳は、深々と地味にその辺りが胸に響いてくる感じですね。
いずれにせよ、この名作が新たな訳で読めるのは喜び以外の何物でもありません!
・「あとがきが最高かな」
私は村上春樹さんの本は読みません。いやエッセイくらいは読んだことがありますけど、そのレベルです。「長いお別れ」は好きで何度か読んでいて、好きがこうじて原書も買っています。それくらいファンなので今回村上さんの「ロング・グッドバイ」が出るのをを楽しみにしてしていて、発売当日に買って読みはじめて、気になるところは清水訳・原書と比べながら読みました。感想ですが、訳に関しては村上さんのほうが原文に則って訳していますし、言葉も新しいです。ただ、雰囲気としては、マーロウの、とくにラストのテリーとの会話で感じたのですが、心の揺れが、なぜかストレートに伝わって来ませんでした(たんに自分の読解力不足かもしれません)。もし、長いお別れを読んでいなかったら感動は薄かった気がします。文学者と映画の翻訳家のちがいでしょうか、少なくともラストの雰囲気は清水さんの訳のほうが日本人としては理解しやすいと思いました。ただ、巻末のあとがきは最高です。これを読むだけでもチャンドラー好きにはたまりません。そんなことで★5つです。
・「評価は難しいです」
村上チャンドラーの本書。これまで、清水訳「長いお別れ」を3回程読み直している自分としては、村上訳でどのように生まれ変わるのか、期待十分で本書に望んだ。でも読了後の感想は、比較は難しい、というものである。清水訳は誤訳や省略が多い、との噂が多々あったが、村上訳との明確な違いを感じることが出来なかった。それより村上訳のほうが、淡白な読み心地であった。これが正直な感想です。しかしながら本書はまさに「男の教科書」である為、読んだ年齢や重ねた年月で読了の感じ方が違うのは当たり前である。それは清水訳/村上訳の違いではなく、読み手である自分の居る立ち位置の違いなのである。まさに、男は男に生まれたからで無く、男になるのです。永遠の私の道しるべである本書。ただ読み方の選択肢が増えたということを素直に喜びたい。清水訳/村上訳とも、読み続けていくのであろう。
・「面白かったなぁ」
2007年は村上春樹が強い思い入れを持つ、ギャツビーとロング・グッドバイが刊行されて、とても楽しい時間がすごせました。村上春樹訳は、批判する人もいるし絶賛する人もいるけれど、僕にとっては心から楽しめる、素晴らしい翻訳でした。どちらも今回の翻訳を読んで、初めて本来の意味が理解できた部分が多かったです。何故なら、どちらの作品も会話部分が多く、しかも洒落た言い回しや、思わせぶり、皮肉、反語などの修辞技法の駆使が、人物の心理描写に奥行きを与え、生き生きとした作品に仕上がっているからです。清水訳を昔読んだときには、読み取れなかった部分がいくつもあって、ああ、なるほどと思いながら読み進めていくのは、本当に嬉しいことでした。とても長い作品ですが、多くの人にお勧めしたいです。
・「直訳に近い」
あくまで清水俊二訳との比較においてですが、原文に忠実な翻訳です。
とはいえ、紳士的過ぎると批判されていた清水マーロウ同様、「私は〜」ですし、雰囲気はあまり変わりません。
気になった文章が1つ3章のラストの1文(P.33):しかしそれはあくまで「あるいは」であり、どこまでいっても「あるいは」でしかない。」
意味が分かりづらいです。「あるいは」は原文の"possibly"の直訳なのですが、「もしも」ぐらいに意訳した方が日本語としては自然です。無論、村上氏は重々承知の上。氏の「原文に忠実に訳す」という強い意志を感じました。
後書き解説のフィッツジェラルドと絡めたチャンドラー論も読み応え有りです。
・「旧訳と新訳の両方を読んで」
旧訳と新訳の両方を読みました。私は村上春樹の作品が大好きで、村上氏がエッセイか何かでこの「ライ麦」に触れていたので、興味を持ち読みました。私は、最初に村上氏の翻訳を読んだのですが、読み始めの方が少し「ぼやっ」としているように感じられ、私的コールフィールドがなかなか確立してくれませんでした。そして、全体を通して、村上春樹作品が大好きな私には、これは村上春樹的世界のコールフィールドだと感じられました。
けれど、作品自体はとても素晴らしいもので、ある一定の年齢になると多くの人が感じるであろう、大人社会に対する「反抗」をとても絶妙に書き表してくれていて驚きました。
村上氏の翻訳を読んでみて、旧訳にも興味を持ち読みました。旧訳は、一度新訳を読んだためかもしれませんが、非常にテンポよく読むことができ、そしてそこには、私のイメージしていたコールフィールドがいました。
この作品は本当に素晴らしい作品です。これから読まれる方は、どちらか片方だけでなく、両方の訳を読んで、比べて、自分に合ったコールフィールドを見つけて欲しいです。
・「青春小説の傑作」
話の展開を一言で言えば、学校の偽善的な人間が嫌になった主人公が家に帰る話だが、今まで読んだ本のどの登場人物よりもホールデンは魅力的。半分大人で、半分こどもの彼が、大人のインチキな世界からこどもを守るライ麦畑の捕まえ役になりたいというところは何度読んでも微笑んでしまう。最後にホールデンが涙を流しながらメリーゴーランドに乗る妹を見守るシーンに限らず、所々で色んな解釈が可能なので、色々考えながら読むのも面白い。大まかに言えば、個人的にはホールデンのアイデンティティーの確立の話だと思う。
・「大人社会に疑問を持っている人へ」
JFK、J.レノンを暗殺した犯人がポケットに入れていたという、いわくつきの小説。 高校を退学させられた少年・ホールデンが、大人社会をラップ調で痛烈に批判する。この作品の特徴は、50‘S米国の汚い若者言葉が連発されているところであり、それが発刊当初、図書館に置いてもらえなかったという理由の一つである。ホールデンの将来の夢は、一面に広がるライ麦畑で、どこを走っているのかわからず崖から落ちそうになる子どもたちをつかまえる役―"the catcher in the rye"――になることだったが、このryeは、嘘の多い大人社会という意味で、lieと韻を踏んでいると考えられないだろうか。あてもなく街を彷徨い、嘘ばかりの大人社会に片足を踏み入れて、誰かにつかまえて欲しいと願ったのは、本当は彼自身だったかも知れない。 物語とは関係ないが、これは本として装丁が非常に良い。外国のペーパーバックサイズで、帯を外すと、ピカソの絵が出てくる。それは落書き風の、泣いているのか笑っているのかわからない表情の顔である。
・「アメリカ社会の幸福幻想に冷や水を浴びせる」
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・「青年文学を超えて」
この本は知的な青年の多くが経験するであろう疎外感を巧みに表現していて、特に最後に近い章では涙を誘う物語である。しかし、ただの青年文学として位置付けられるものでもない。ホールデン少年の感性は、大人になった我々に、今をよりよく変えようという力を与える。いつページを開いても、やさしい気持ちと希望を与えてくれるのである。
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