内側からみたチリ革命 (1979年) (詳細)
E.ブアスタイン(著), 土生 長穂(翻訳), 徳永 俊明(翻訳)
禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか (詳細)
八木 啓代(著)
「ラテン・アメリカについて知るきっかけになる本」「共産主義は解放か?抑圧か?」
ビクトル・ハラ終りなき歌 (1985年) (詳細)
ジョーン・ハラ(著), 矢沢 寛(翻訳)
サンチャゴに降る雨 (光文社文庫) (詳細)
大石 直紀(著)
Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media (詳細)
Edward S. Herman(著), Noam Chomsky(著)
メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書) (詳細)
ノーム チョムスキー(著), Noam Chomsky(原著), 鈴木 主税(翻訳)
「「華氏911」を見た後にいかがでしょう」「民主主義社会に生きるものとして一読すべき本」「名論文『メディア・コントロール』が邦訳された」「メディアによって隠された真実の探求。」「火星人の視線」
Antologia Musical (詳細)
Victor Jara(アーティスト)
「ビクトル・ハラのアンソロジー決定版」
Portrait in Jazz (詳細)
Bill Evans(アーティスト), Scott LaFaro(アーティスト)
「私のJAZZの始まり。」「老いた父をも惹きこんだ名盤」「クールなアタックとスリルに満ちたアドリブ」「聞き手を引き込む優しい演奏」「軽やかな枯葉もなかなかです」
紀元貳阡年(紙ジャケット仕様) (詳細)
ザ・フォーク・クルセダーズ(アーティスト)
「衝撃でした」
サディスティック・ミカ・バンド (詳細)
サディスティック・ミカ・バンド(アーティスト)
「カエラのファンも聴いてみて!」「特異点」「クリス・トーマスがぶっとんだ傑作」「遊び心」
戦争と平和 (詳細)
ザ・フォーク・クルセダーズ(アーティスト), PONZ(アーティスト), 時切俳人&カメレオンズ・スリー(アーティスト)
「十字軍よ戻っておいでよ」「加藤和彦作品の金字塔」「こういう今だから」「新しい!」「粋」
The Ballad of the Fallen (詳細)
Charlie Haden with Carla Bley(アーティスト)
「音楽家たち、その声」
Liberation Music Orchestra (詳細)
Charlie Haden(アーティスト)
「Hadenの描いた『ゲルニカ』」
ベル・エキセントリック(紙ジャケット仕様) (詳細)
加藤和彦(アーティスト), やすいかずみ(その他)
「☆待ってました・・・やっぱりいい」「やっと再発された。」「大事件の記憶」
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲) (詳細)
カザルス(パブロ)(アーティスト), バッハ(作曲)
「素朴であり、限りなく深い」「古き音の向こうから聞こえる命の鼓動」「一挺のチェロが歌いあげる音楽の、なんて豊かなんだろう。人類の遺産というべき名盤」「ただ、感謝」「至高の音楽」
Autobiography (Chesterton's Biographies) (詳細)
G. K. Chesterton(著)
優しいサヨクのための嬉遊曲 (新潮文庫) (詳細)
島田 雅彦(著)
「まさに「先駆けた」小説」「島田雅彦」「島田雅彦デビュー作。」「青春のあるべき姿」「まったりと読む」
死の商人 (新日本新書) (詳細)
岡倉 古志郎(著)
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音) (詳細)
グールド(グレン)(アーティスト), バッハ(作曲)
「賢者の回答、泣けるアリア!」「この曲のアクシスを変えた」「バッハの楽譜と対話しているピアノが安らぎを与えるアルバムです」「グールドのバッハ」「グールドがこのテンポで弾いた訳」
モーツァルト:ピアノソナタ集 (詳細)
グールド(グレン)(アーティスト), モーツァルト(作曲)
「我とともに唄え、モーツアルトを!」「グールドのお部屋に「お呼ばれ」する妄想」「「外界を知らない魂は考えることができない」by アリストテレス」「まさに「あいた口がふさがらない」」「買ってください」
Beethoven: Symphony No. 6; Leonore Overture No. 3 (詳細)
Ludwig van Beethoven(作曲), Georg Solti(指揮), Chicago Symphony Orchestra(オーケストラ)
ジャズ来るべきもの(+2) (詳細)
オーネット・コールマン(アーティスト), ドン・チェリー(演奏), チャーリー・ヘイデン(演奏), ビリー・ヒギンス(演奏)
「モダン・ジャズのイノベーターが放った鮮烈なメッセージ」「たった一曲でジャズを変えてしまった」「まともに美しい曲」
反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO! (集英社新書 420D) (集英社新書 420D) (詳細)
伊藤 千尋(著)
「知らなかった事実がいっぱい。」「今すぐ読むべき書」「眩しいぞ、ラテンアメリカ」「米追随の現状のままで大丈夫かを検証する」「「アメリカの世紀」の影で」
Science of Being and Art of Living: Transcendental Meditation (詳細)
Bevan Morris(はしがき), Maharishi Mahesh Yogi(著)
「あなたの知らない真理がここにあるかもしれない」
● チリ
● 鑑賞日記9
● Media & Public Opinion Control Reader's List
● いろいろ2
● 自分用メモ
● 教養力を高める本
● Avram Noam Chomsky, Ph.D. (1928-)
● 定番jazz
・「ラテン・アメリカについて知るきっかけになる本」
ビクトル・ハラというシンガー・ソングライターの生涯をとおして、ふだん我々に入ってくるラテン・アメリカについての報道は、ほんの一面しか伝えていないことに気付かせてくれる。共産主義・社会主義についてのイメージも日本とラテン・アメリカでは大きく異なることがわかる。ラテン・アメリカ各国の現場に飛び込み、多くの友人を持つ著者でなければ書けないことが沢山書いてある。この本をきっかけに、もっとラテン・アメリカのことが知りたくなった。ちなみにビクトル・ハラは政治プロパガンダ歌手では決してない。彼の音楽は歌詞を抜かしても、他にない魅力を持っていることを記しておきたい。
・「共産主義は解放か?抑圧か?」
著者のハラへの愛情が感じられますが、評者としては論があまりに共産主義思想を肯定しているように思います。あとがきにおいて共産主義は終わったという主張は貧者の前では説得力をもたないという主張をされていますが、今日の東西両ヨーロッパを比較すれば自ずからもう解答は出ていると考えます。またハラがチリで共産主義のため戦っているとき、同じ共産主義の名において東欧の、ソ連の芸術家が弾圧されていたという事実を見れは評者はハラを著者と同じように讃えることができません。むしろ軍政による弾圧が彼を浄化したとさえ思うのです。もし彼のその理想が実現したときも、彼は変わらずに民衆の友であったのだろうか、それとも東欧の左翼芸術家のように共産主義下の「宮廷歌手」に成りりはてただろうかと考えてしまうのです。
●メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
・「「華氏911」を見た後にいかがでしょう」
「華氏911」を見てアメリカの政治に興味を持った方におすすめです。チョムスキーはマイケルムーアが映像でやったことをずっと言葉でやり続けています。見て見ぬふりのできない彼はベトナム戦争から一貫してアメリカ政府の欺瞞を暴いてきました。本書ではアメリカ政府が標榜する民主主義がいかに怪しげなものかをわかりやすく説明し、彼らが一方的に吐き出す情報を鵜呑みにすることの危険を説いています。読む人の視野を広げ、考えることを促します。彼は自分の意見を主張するのではなく、何らかの汚い目的のために覆い隠されている情報を鋭い知性でもって世の中にさらけ出して、さあ見えないところでこういうことも起こっていますがどうですかと考えさせるのです。訳文も見事で読みやすく、情報が命の現代にはかなり身近な書物になりうると思います。
・「民主主義社会に生きるものとして一読すべき本」
高名な知識人であるノームチョムスキーが自国(アメリカ)の政策を通して現代の西側における民主主義を自身の視点で語っている。著書に出てくる事柄はアメリカ主体のもので、アメリカの民主主義の矛盾を暴いているが、日本も同様の政治体制を採用している点からすれば人事ではない。
本の後半に収められている対談での締めくくりに彼の放った一言が心に残った。「他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいてアメリカ人はなんてひどいことするんだといっているのは簡単です。日本の人たちが今しなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか」
150ページ程度の薄い本だが、その内容を理解すれば、大きな価値になる。もっとたくさんの事実を求めて色々な本を読みたくなるのではないだろうか。彼の狙いはそこかもしれないと思った。読み終えて、自分自身を振り返ったとき、自分は偽善者の仲間でないと言える人はいるだろうか?
・「名論文『メディア・コントロール』が邦訳された」
『メディア・コントロール』は、スポンサー・政府・メディア・知識人が一体となって、“民主主義社会”における世論の合意を捏造していく過程を豊富な事例にもとづいて論証している。このカラクリのなかで、判断を誤らないためにはどうすればよいか。 「正しい知識をもつこと」 「二重思考に陥らないこと」
「知的誠実さと行動する勇気をもつこと」チョムスキーは一貫してこのことを訴えている。彼独特のアイロニカルな論調ではあるが、最近のイラク戦争をめぐるデタラメに接した直後であるだけに、読後感はとても爽やかである。
・「メディアによって隠された真実の探求。」
チョムスキーは本書で、アメリカを中心とした世界主要各国のメディアを使った世論工作、組織的宣伝活動について、厳しい指摘を投げかけています。そこには、戦争やテロの真の姿が、これらの活動によって覆い隠されているという事実があるからです。一般の知識人は、知っていても決して表沙汰にはしないこれらの事実を、チョムスキーが公然と主張している様子からは、彼の真実を追い求める信念の強さを感じることが出来ます。
この本を読んでいて思い出すのは「勝者が歴史を作る。」という言葉です。多大な犠牲者を出す敗戦国のことではなく、戦争に勝った立場の国を中心として歴史は後世に残されていく。極端に言うと前者を悪玉、後者を善玉にしてしまい、その背景にある善玉にとって不都合な事柄は全て闇に葬りさられてしまうというこの言葉は、現在ではそのままアメリカに当てはめることが出来るのではないかと、この本を読んで思いました。
また、本書の最後にある作家辺見庸氏とのインタビューも非常に読み応えがあり、国際社会情勢に少しでも関心のある人にはぜひお勧めの一冊です。
・「火星人の視線」
「メディアと教育制度を完全に掌握していさえすれば、あとは学者がおとなしくしている限り、どんな説でも世間に流布させることができる」(「メディア・コントロール」より)
思想家としてのチョムスキーを知るための入門書というべき存在。わかりやすいし、読みやすい。
ふだんはあまり気づかなくても、少し考えてみれば「あれ、おかしくないか?」と思うことはたくさんある。当たり前だと思っている思考の枠から、少し抜け出してみる。自分で考えて、声を出す。チョムスキーが言いたいのは、そんなごくごく普通のことなのだと思う。
違う目線で世界を見ることは、これからの情報化社会ではますます必要になってくるだろう。「火星人の視点」で日本を、世界を見てみることの重要性が、この本では一貫して説かれている。
・「ビクトル・ハラのアンソロジー決定版」
このところビクトル・ハラについて尋ねられることが多く、その際にはこれを紹介することにしている。
まず、年代順(1960〜1973)に並べられているというのが魅力(オリジナル収録アルバムも記載されている)。例の70年の勝利の前と後とで音が変わっていることもわかるし、晩年(とはいっても40だけど)近くになると、米国の圧力とクーデターの脅威が強まる中、自己の内面を探るような曲調が増えるのも興味深い。
また、既存のフォルクローレとはかなり印象が違って、イギリスで言うなら(ハラ本人は怒るだろうけど)Donovan的な叙情的なメロが魅力的(特にDisc2のtrack5の美しさ!)。詞など理解できなくても、メロと音だけで勝負できる。72年には電気楽器も取り入れているが、そこには「文化侵略を侵略する」との意図も込められている。
曲名と解説はスペイン語だけど、恐れることはない。英語の単語の95パーセントは仏語あるいはラテン語からの借用語だから(英米人のフランスコンプレックスが根強い証拠)その知識をもとに辞書一冊で解読できる。
BGM:映画『サンチャゴに雨が降る』はどこへ行った?
・「私のJAZZの始まり。」
私がJAZZ好きになったきっかけのアルバムです(当時はLPでした)。正確にはこのアルバムの中の「Someday My Prince Will Come」。この1曲をFMで聞いたのが私のJAZZの始まりです。「いつか王子様が...」と訳されるこの曲はディズニーの白雪姫の中で使われる曲ですが、「JAZZになるとこんなになるんだ!」と感心したものでした。
その後多くのJAZZを聞きましたが、これほど感動した曲には巡り会っていません。「JAZZ黄金の年」1959年の録音です。表向きはやさしい聞きやすい演奏ですが、とても奥が深く、聞くたびに新しい発見があるのがいいですね。JAZZピアノ好きの方でもし聞いたことがないなら絶対に聞いておくべきです。その時は一度聞いただけで判断しないでください。
・「老いた父をも惹きこんだ名盤」
CDの内容はすでに皆さん書かれており、上乗せすることも削ることも全くないので、私のエピソードを。
私は中学生の時からジャズが好きでしたが、両親は全く興味がない様子でした。車で同乗しているときにJAZZのCDを流すとラジオに切り替えられることもしばしば。
そんな、私が父に車を貸したある日、帰宅した父はどこか上の空です。私が訊ねると恥ずかしそうに「おまえの車で流れてたCD、いいな」と言い出しました。私と父が音楽について話したはじめての会話です。それから父はJAZZを聞き始めました。
父はもう定年近くで、日ごろ音楽を聴くことも少ないのですが、そんな父の心をも揺さぶったこのアルバム。
ぜひとも皆様にも聞いていただきたいと思います。
・「クールなアタックとスリルに満ちたアドリブ」
数あるビル・エバンスの快演のなかでも、最もできのいいアルバムの一つだろう。ベースのスコット・ラファロという天才をパートナーに得て、これまでのピアノ+リズム隊というピアノ・トリオの枠組みから大きく逸脱し、3つの異なった楽器のインタープレイによって曲が展開するスリルはジャズの革命的な出来事といっていい。マイルスのモードやオーネット・コールマンのフリーといった楽想上の革命に比べ一見地味な変革だが、ブロックコード、シンプルトーンのドライブ感、リズムの激しさとどれをとっても過激で強烈なアッタク、霊感に満ちたエバンスのアドリブはその後のジャズピアノのスタイルを決定付けた洗練されたものであった。しかし、マッコイもチック・コリアもキースもやはりこの時期のエバンスの神がかった演奏には及ばない。中でも枯葉はぐいぐいと脳髄にクールかつ鋭く、熱く切り込んでくるピアノのタッチ、ベースの躍動的リズム、ドラムのセンシティブなリズムに圧倒されてしまう。ビル・エバンスのスタンダードはこのアルバムだ。
・「聞き手を引き込む優しい演奏」
彼の奏でる曲は、ガラス細工のような桜のようなある種のはかなさを感じます。 彼のような聞かせ方を弾き方をできる人は聞いたことがありません。 そしてスコット・ラファローとのセッションもこれで最後(この演奏の二週間後にスコット・ラファローは交通事故で亡くなりました)かと思うとよけいに思いいれが強くなります。
落ち込んだときや一人でちょっと寂しい時や、寝る前に落ち着きたいとき等に僕は聞いています。 このアルバムは僕の始めてのJAZZでしたが聞いたとき1回で引き込まれてファンになってしまいました。
クラシックのように肩肘を張らず、ロックのように畳み掛けることも無く、ポップスのように底抜けに明るくない、深く懐の広いJAZZの真の意味での芸術家“アーティスト”!の演奏が聴ける名盤だと思います。僕の拙い文章では伝えきれないので、興味を持った方は是非聞いてください
・「軽やかな枯葉もなかなかです」
枯葉といえば、曇り空で、せつない秋を感じさせる印象がありました。しかし本作のように、晴れた空に、軽やかな足取りで歩む枯葉もなかなかのものです。
枯葉だけでなく、ピアノトリオの楽しさ満載のCDです。これからジャズを聴きたい人にもお薦めだと思います。
・「衝撃でした」
なんとも、カルチャーショックを受けたグループの登場でした。幻のアルバムといっていいでしょう。
・「カエラのファンも聴いてみて!」
オリジナル発売は‘73年である。 「はっぴぃえんど」がアメリカのウエストコースト・サウンドに、日本語を乗せた最初のロックグル−プとして、名作「風街ろまん」の評価と共に日本ロック史に常に取り上げられるのだが、忘れてもらっては困るのが、このミカバンドのデヴューアルバムである。 音はもろブリティッシュ、ロンドンである。殆どの詞を作詞家の松山猛が書き、リーダーの加藤和彦が作曲しているが、「はっぴぃえんど」がわざと日本語のアクセントを無視して曲に乗せているのに対して、全くストレートに、詞の一字一句が音符にあっている。だから歌の内容(銀河をイメージした統一感のある詞)とヴォーカルが素直に心に入ってくる。 それに加えて特筆すべきはメンバーの演奏技術の高さだ。いくら音楽センス抜群の加藤でも、そのイメージを具体化するには強力なメンバーが必要だった。当時、殆ど無名だったメンバー(高橋ユキヒロ、20歳!)のその後の活躍を見るにつけ、加藤のメンバー・チョイスのセンスは先見の明があった。 ミカのキャッチーなボーカルと存在もこのバンドを象徴している。 サテンのスーツにフライングVのギター、グラム、ブギのリフ、ファンクなリズム・・・33年後の今聴いても、全く古さを感じさせない。2ndの「黒船」の高い評価はよく耳にするが、この1stの“センス”はもっと再評価されてもいい。「アロハ」のジャケットですぞ!
・「特異点」
忽然と姿を現した、名盤。どうしてこんなことが可能だったのか分からないが、同時期の海外のレコードと比べても違和感がない。日本の趣味人の粋を集めると、こんなことが可能になるのだ。その意味で加藤和彦はフィクサーとして、真に偉大であったと言わざるを得ない。 内容は多岐に渡る。ミッチェル・フルームが得意そうなゲート・ドラムは出て来る、結果的にレゲエとも違う不可思議なリズム、ギルバート・オサリヴァン的な旋律を奏でるシンセサイザー、ほとんどローリング・ストーンズなギター・リフなど。参加メンバーも多彩で、後の正式メンバーになる今井裕や何と小田和正も参加している。 当時東芝は半信半疑でリリースしたが、結果的に口伝で評判が海外にも及び、NME紙では「トランジスタで育った子供たちから、思いもよらぬ実験的な音が出てきた」と評された。この作品によってロンドンのミュージシャンの間にも噂が広まり、クリス・トーマスが動いた。それだけの力を持つ、時代を越えた作品。
・「クリス・トーマスがぶっとんだ傑作」
最初聴いたときは、「誰が歌ってるんだ?」と思った。まさか住宅会社のCMソング『家をつくるなら』をほのぼのと歌っている加藤和彦だとは想像だにできなかった。そのあまりのギャップの大きさに、誰もが「加藤が壊れた」と本気で思い、結果的に当時の日本ではほとんど相手にされなかった。このアルバムが日本で評価されるのは、イギリスで評判になってからである。要するにイギリスからの逆輸入という形だった。
このアルバムは、それだけ日本人離れしていたし、それだけ衝撃的な事件だった。クリス・トーマスは、このアルバムを聴いて次作『黒船』のプロデュースをオファーしてきた。つまり、この1stアルバムがなければ『黒船』もなかった(少なくとも全く別のものになっていたはず)。
BGM:映画『サンチャゴに雨が降る』はどこへ行った?
・「遊び心」
最初期の録音になるつのだひろのドラム&高中正義のちょっと前ノリのベースというコンビの「ダンス・ハ・スンダ」と「サイクリング・ブギ」の2曲に聴かれるストレートなノリのロック、そして正式に小原礼が参加、ドラムも高橋幸宏にチェンジ、これによってサウンドの核にR&Bテイストが加味されたスタイルに変化しているのが面白い。特に高橋幸宏のドラムがロジャー・ホーキンスを思わせる叩きっぷりを聴かせてくれる「怪傑シルバー・チャイルド」や「銀河列車」がそうした変化を端的に表していると思う。こうしたメンバーを一本の線に繋いでいるのが加藤和彦の遊び心、軟派に見えて芯がある、それでいながら脆さもあって、しかしながら良い意味で貪欲。
表面的には当然ポップスなのですが、実は今の日本人が失ってしまった気骨が存分に表現されている。面白い。
・「十字軍よ戻っておいでよ」
えんどう豆と環境保護運動家をもじり、行き過ぎた活動を皮肉ったグリーン・ピース添えのパロデー曲。
中年男性の悲哀をマンボのリズムに仕立てたカオリNo.5。このタイトル自身も多分モンロー愛用のシャネルの5番のもじりと思う。と言ってもこの意味が分かるのは40代後半以降かも。混ぜ合わさってめまいがする。それでもなおオッサン鼻つまみ。など北山氏の作詞はさすがです。ユーモアとパロデーとシリアスが混在する梁山泊なCD。
シリアスに平和の大切さを祈念し主張する曲の数々。平和ぼけの時代だからこそ平和の意義が問われるのだと思われます。新結成記念解散音楽会(これも彼らならではの人を喰ったタイトルですが)のCDとあわせて聞かれれば彼らの真骨頂が堪能できるはずです。
昨年の再結成の!お陰でアマゾンでしこたま彼らのCDを買い込み、CDプレーヤーまで新調してしまいましたから。堪能できる曲がきっとこのCDの中にあると確信します。かく言う私もその一人です。
・「加藤和彦作品の金字塔」
YMOの再結成版と印象がかなり似ている。昔の曲を演奏するだけの再結成ではなく「現在」というものに対しての明確な意思表示が感じられて、本気でやってることがよく分かる。加藤和彦に対してのきたやまおさむと坂崎幸之助の助力がまた絶品で役割分担が上手なされているので下手に個性がぶつかり合うことがなく聞いていて疲れない。シリアスな音楽も良いが、音楽でここまで楽しめるんだ、とおう証明でもある至極の作品集。文句なしの傑作。
・「こういう今だから」
4曲目「感謝」泣けます。私も感謝の元にいきたいと思います。3曲目「11月13日(雨ニモマケズ)」暗唱できるくらい聞きたい曲です。7曲目「ヨイトマケの唄」初めて全曲聞きました。この曲をつくった美輪明宏はすばらしい人だと思います。ふざけて、歌ってはいけない。
13曲目「花はどこへ行った」この歌がわかる人たちが(特に今日そして明日という日を決める大人達に)多からんことを。16曲目「平和について」自分にもし子供ができたら、胸に抱いて歌って聞かせてあげたい曲です。そして1曲目「芸術家、科学者、そして宗教家」今だからこそ知恵を合わせるべき。
このアルバムを聴いて、特に印象に残った歌についての私の感想です。
このアルバムに寄せる、ダライ・ラマ師のメッセージが心をうち!ます。
「私たちには、新しい社会のあり方を見つけだす義務があります。それは国や地域、あるいは個人の間の争いごとを解決するときに、戦争ではなく非暴力こそが、すべての人間どうしの関係に、すばらしい価値を持つという考えなのです。(以下略)」
学食とかでさりげなくこのアルバムが流れていたら、いいだろうなあ・・・
・「新しい!」
「何それ?フォークルなんて」と妻は言っていました・・・。でも、聞かせてみたら、「新しい!」と言って大喜び。こちらも、古くて、でも新しい音楽に大満足しました。
・「粋」
惜しまれつつ、2002年で解散してしまったフォークル。彼らに出会えたことはとっても大切な人生の宝。すべてが「粋」であり、またいつの日か「粋」に出会えることを願う。墓場にまで持って行くことをきめた1枚。
・「音楽家たち、その声」
~本作は、反戦思想を背景にインパルスに1969年に吹き込まれた“Liberation Music~~ Orchestra”の続編にあたり、第一作から10年以上の時を経てECMに吹き込まれたものである。チャーリー・ヘイデンと志を同じくする手練れ達による、緊張感のあるアンサンブルと自由度の高い即興演奏の組み合わせという構成は前作と同じだが、枯れた味わいが前面に出ている分、奥行きが深まっている。そして、前作で感じられたのは、戦争に対する怒り、咆哮であった~~が、今作で感じられるのは、むしろ諦めや悲嘆の念、無力感である。しかし、現実に対して無力であるからといって彼らは歌うのをやめない。たとえ無力でも、音楽家にとって歌うことが残された唯一の手段である以上、歌わざるをえない、そういった覚悟の凄みが、この作品からは感じられる。ここに至って、この作品の反戦思想的な部分は消失し、音楽家たちの純粋~~な歌を我々は聞くことができると言えるだろう。即興演奏自体はフリー寄りのものが多いが、歌心のある演奏であり、また、それぞれの曲のテーマ部分も叙情的で美しいものが多いので、フリージャズが苦手な人にも是非聞いてもらいたい作品である。~
・「Hadenの描いた『ゲルニカ』」
Hadenのメッセージが込められた絵画的な音楽である。戦争、殺戮、人種差別、貧困、搾取といった世の中の脅威に打ちのめされ、ひしがれた市民の心情を、音楽的に表現する。このアルバムの契機になったスペインの市民戦争を題材にした音楽を聴いていると、ピカソの描いた『ゲルニカ』を思い起こすのだ。ムンクの『叫び』も同様にイメージする。
アルバム全体にノスタルジックで、哀しい雰囲気を持ち、心情をあらわす。バックにスペインの古い民謡が流れる。前面には、切り裂かれるような管楽器の鋭い響き。歴史の中で翻弄され、切り裂かれる思いの市民の心情を表すようで、胸に迫る。心に迫るアルバムである。
フリージャズ集団JCOAの人脈を活かして、人選が行われた。純粋にジャズの音楽としても素晴らしい内容で、音に魅かれる。だからメッセージ性が強くても、しつこくならない。心に迫る音楽を何回も聴きたいと思うくらいだ。発売当時(1969年)、圧倒的な支持を集めたというが、今でも価値は下がっていない。歴史に埋もれさせたくないアルバムだ。
・「☆待ってました・・・やっぱりいい」
今まで色々なサイトで探し続け再販の予定がないと諦めていた10年ほど前があっという間です。やっぱりいい!!24年前のサウンドとは思えないほどの繊細さ!!あの頃の時代に戻った気分にもなれるし今でも充分!!これを逃したら又、20年と思ったら即入手手続きに入っていました。再販してくれてありがとう・・・って気分です。
・「やっと再発された。」
高校時代夢中になって聞いたこの作品がとうとう再発された。過去にCD化された物も持っていたが、今回はLPのアートワーク再現と言うことで非常に嬉しい(ジャケットが変更になっていた「パパ・ヘミングウェイ」や「うたかたのオペラ」はなおさら)。本作品は、「ボレロ・カリフォルニア」まで続く金子國義作品のジャケットの最初のものでもある。内容もそれにふさわしく重厚で、時代がかっている音だが現在でも決して古くない。きっと、最初にリリースされてからこの20数年ずっとそうだったように、これからもずっと「過去でも未来でもない音」であり続けるのだろう。
・「大事件の記憶」
学生時代のある晩のこと、下宿先のジャズ狂の放蕩息子がノックもせずに小生の部屋に入ってきた。
ヤツは、呆然とした顔つきで「大変なことになっちまったぜ」とつぶやくと、一枚のLPレコードを小生の聖なる万年床に放り投げた。
「大変なことって、どういう意味だ?」と、そのLPレコードをターンテーブルに載せ、針を落とした。30分後、小生もつぶやいていた。
「大変なことになった...」
ビートたけしが「加藤和彦なんて、まだいたの?」との時代遅れ発言で大ハジ曝したのは、その一年後。
BGM:映画『サンチャゴに雨が降る』はどこへ行った?
・「素朴であり、限りなく深い」
カザルス:「(無伴奏チェロ)組曲はアカデミックな作品と考えられてきた。テクニック一辺倒の、機械的で温かみのないものだと。考えてごらんよ!広がりと詩情が一点の曇りもなく輝きあふれるあの曲が冷たいだなんて、だれがいえるだろう!あの作品はバッハの本質そのもので、バッハは音楽の本質そのものなのに。」(J.L.ウェッバー著「パブロ・カザルス 鳥の歌」、『バッハ』の項より抜粋)
カザルスによるこの曲の演奏は、心の芯の、そのまた芯にまで響き渡る、全人類必聴の超名演です。カザルスの奏でる、奥深いチェロの響きは、巷に溢れる耳触りの良い、聴き易い音楽を聴き慣れている耳には、ぎすぎすした重苦しい音色に聴こえるでしょう。ですが、それは当然というもの。本当の魂の音楽というものは、心の底からそれを欲する時にしか、その素晴らしさを味わうことが出来ないからです。
カザルスは、音楽家史上稀に見る高潔な人格をもつヒューマニストでした。暴力や戦争を心から憎み、人間の愛の可能性を強く信じていました。そんな彼の思想や人柄が反映されたこの演奏には、人間の心の中にある最も神聖な「なにか」に強く訴えかける力が満ち溢れています。仮に、世界中の全ての人がこの演奏を聴き感動したのなら、世界は、良い意味で、もっと違ったかたちになっていたことでしょう。あなたがこの演奏を聴いて感動した時はきっと、人間として、忘れてはいけない感覚―幼い頃、母親の腕に抱かれていた時のような、懐かしい、限りなく幸せだった時の気持ち―を思い出すはずです。
・「古き音の向こうから聞こえる命の鼓動」
チェロは人間の声の音に最も近いと言われる。そのため最も自然に人間の耳に入り、心地よく響く。しかし、その歴史はヴァイオリンよりも地味で古今東西のチェロの名曲と言えるものは多くはない。その中でバッハの無伴奏チェロ組曲は最高の曲である。この当時、近代的なチェロは存在せず、ヴィオラ・ダ・ガンバやバリトンと呼ばれる現在のチェロには到底及ばない楽器が用いられていた。そのため独奏楽器としてはほとんど用いられず、ただ合奏の低音部を担う程度の役割しか与えられていなかった。そのような時代にバッハが独奏チェロのための曲を作った事は彼のチェロへの関心とこの楽器の魅力に対する先見の明があったと言えるだろう。この組曲はヴァイオリンソナタのような厳格な形式に依らず標準的な古典組曲の形に則っているが、内容は深く、紛れもないバッハの音楽である。そしてカザルスのこの演奏は彼の最高傑作のみならず、人類最高の遺産である。20世紀という激動の時代に自らの信念を貫き、最高のチェリストのみならず、最大の人格を備えた芸術家であった彼は後世に多大な影響を与えた。そしてこの演奏からは彼の命の鼓動が聞こえてくる。彼はこの曲の自筆譜を若き頃古本屋で見つけ、熱心に研究したという。その努力があたかも立派な樹木が地の下の見えない所に深く根を張っているように、冒頭のプレリュードから肺腑をえぐられるように心に響いてくる。このような演奏を聴くと自分の愚かさを思い知らされるようである。今現在の日本で僅かのお金を出してこの録音を簡単に買う事ができる時代になったが、果たしてそれで良いのかと思ってしまう。命を懸けてこの曲に取り組んだカザルスの命の鼓動を聴く側が安直な態度では決していけないだろう。こちらも可能な限り全精力を傾けて聴き、ようやくそこから何か得る事があるだろう。古き音の向こうから聞こえる命の鼓動を魂で聴くことによって。
・「一挺のチェロが歌いあげる音楽の、なんて豊かなんだろう。人類の遺産というべき名盤」
樹齢千年を超える古木のたたずまいを見るような、どっしりとして雄勁な演奏。今から七十年以上も前の録音なんだけれど、一挺のチェロから繰り出されていく音の逞しさ、微塵も揺るがぬ気迫といった風韻に、心を揺さぶられましたね。「流石に、名盤として語り継がれてきただけのことはあるなあ」と、パブロ・カザルスが紡ぐチェロの音、バッハの楽の流れに、深々とした銘酒の味わいを感じました。
全6曲のなかでは、ハ長調の『第3番』と、ニ長調の『第6番』が、特によかったなあ。『第6番』の前奏曲やガヴォット1&2といった曲でのカザルスのチェロは、生き生きとしてダイナミック、おのずとにじみ出る風格と気品が漂っていて、本当に素晴らしかった!
バッハのこの曲を聴いてみる気になったのは、過日、文庫で読んだある話の中で、この曲が流れていたから。「優雅で、切なくて、そよ風とも嵐ともつかない曲。そんな気がしません?」なんて、登場人物がバッハのこの音楽のことを語っていましたっけ。伊坂幸太郎の『死神の精度』(文春文庫)。未読のかたは、ぜひ!
録音年月日は、次のとおり。■『第1番 ト長調』・・・・・・1938年6月2日■『第2番 ニ短調』『第3番 ハ長調』・・・・・・1936年11月25日■『第4番 変ホ長調』『第5番 ハ短調』・・・・・・1939年6月13〜16日■『第6番 ニ長調』・・・・・・1938年6月3日
・「ただ、感謝」
色々なチェロの音色を聴いて、私は結局、カザルスの音色に行き着いた。カザルスの奏でるチェロの音色には、「永遠と一日」を感じる。どこまでも心が、やすらいでゆく。
・「至高の音楽」
音の中に魂が融け込んでしまうような。そんな音楽/演奏は、あまりありません。目をつむれば、静かな森の木漏れ日の中にいるような感覚。心から好きな音楽/演奏は他にもありますが、何も考えたくない、何も感じたくない、何も聞きたくない、ただ休みたい、それほど疲れ切っているときに魂が受け付けることのできる、本当の疲れを癒してくれるのは、私にとって、カザルスのこの無伴奏組曲だけなのです。
・「まさに「先駆けた」小説」
僕はこの小説を「妄想恋愛小説」として読みました。最高ですね。読んでみようかどうか迷っている方は、「サヨク」という言葉がタイトルにもあるので、難しい小説なのかなと思って迷っているのだとしたら、それはぜんぜん違うのでぜひ読んで見てください。今の時代に読んでもまったく違和感のない小説だし、最高に面白く、笑えて、切ない恋愛小説です。しかも主人公の「妄想」度が高くてとてもキュートです。
この作品は島田さんのデビュー作です。この『優しいサヨクのための嬉遊曲』という小説の文体やプロットも含め、僕の勝手な意見ではあるけれど、今流行りつつある森見さんなどの「妄想恋愛小説」に繋がるものがあると思います。
本当に面白いです。マジで。
・「島田雅彦」
戦後生まれで現在生きながらえている日本人の作家で一番魅力的な人。小説もそうだけどひねくれた、(似非)マイノリティ、マゾでオナニスト、そして端整な顔立ちのちょっぴり知性派問題児島田雅彦自身魅力的。きっと死後、島田雅彦全集なるものがでて、島田雅彦論なるものが書かれるであろう。そういった作家、そのようなものを出される資質がある作家はもはやほとんどいないだろうけど。そんな島田雅彦のデビュー作。サヨク=左翼であるのだけれど、ちょっと屁理屈をこねたようなこの題名がこの青春文学小説と島田雅彦本人を的確に表しているような気がする。
・「島田雅彦デビュー作。」
島田雅彦デビュー作。サヨク活動にも、恋にも少し距離をおいてかかわる千鳥に、20年前の小説なのに、この時代にも通じる雰囲気を感じ、純粋に共感を覚える。
自分の行動を、はすに構えながら冷静に見つめる千鳥。千鳥の行動、描写のそこかしこにナイーブな心理描写が見られる。
実力作家のデビュー作だけに、さすがに光るものを感じる。
・「青春のあるべき姿」
島田雅彦のデビュー作。 僕が生まれる2年前に刊行された作品です。
タイトルに「サヨク」なんて言葉が入っているから難しい思想小説と思いきや、そんな小説とは180度異なる大学生が主人公の青春恋愛小説です。
83年に書かれた小説とは思えないほど新鮮で、面白く、新しい小説でした。
村上龍『69』にも通ずるものがあるんだけど、結局学生時代の男ってのは、いや、生涯を通してかもしれないが、「いかに女にもてるか」ってことを考え続ける。
『69』でバリケード封鎖するのも、『優しいサヨク〜』でサヨク活動に戸惑うのも、そんな思想やら政治やらよりも、大切な「女」がいるからだ。
これは間違いない。
そこらへんにのさばる「純愛小説」なんてものより、これらを描ける小説は、よっぽど「純愛」なのだ。男なんてそんな生き物なのだ。
島田雅彦はまだ2冊目だが、彼の文章は非常に心地よい。 音楽のようだ。テンポがあるし、軽やかで、美しい。
・「まったりと読む」
サヨクでも多弁じゃなくて、恋愛しても甘ったるくない。主人公の、「気がついたら超然としていた」みたいな態度がさりげなく現れてくるさまに好感。島田雅彦もこんな人だったのだろうかと安易に想像してみる。
・「賢者の回答、泣けるアリア!」
55年版が超爽快な超々名演なら、この81年版はグールドの人生最後の回答でしょう。第30変奏におけるどうしようもない気分の高揚感は他の誰からも得られません。そして、続く最後のアリアは心を掴んで離さない。人生の最後にして、始まりへと回帰するような、これ以上慈しむことなど考えられないような愛情すら感じさせる。私はいつもは55年版を聴きますが、”どうしても”というときは81年版を聴きます。どちらもグールドであり、どちらも正しい。グールドの演奏の聴ける時代に生まれてよかったと心から思える究極の演奏。
・「この曲のアクシスを変えた」
販売当初(20年以上昔)のインパクトは凄かった。当時バロック音楽は古楽演奏がメジャーになりだした頃で、世話になっておいて悪いが、イ・ムジチやミュンヒンガーやパイヤールなんかは、全部詰らなく思えてきた頃で、まして、「ピアノで弾くバッハなんか」っていう感じだった。石丸電気の2号館でクラシックの階へ足を運んだ時、耳にしたのがこの演奏。当時何処の誰かも知らないままにすかさず買った。で、やがてCDになってからも買い揃えた。繰り返し部分は省略されているが長大な全曲を、一気呵成に弾き込んで、聴き手に時間を忘れさせ、外に出て歩いても、かすかに頭の中で鳴り出す、という小林秀雄まがいの怪しい体験までしてしまった。幾種類ものチェンバロの演奏を聞いていた筈なのに、それらは、当分聞くことはなくなってしまった。本当の「古楽演奏」とは、グールドの演奏かもしれない。ところで、グールドは何度かこの曲を演奏しているが、55年の最初の録音より、この盤のインパクトは凄かった。というより、この盤が話題になってから、逆に「思い出された」感じ。この盤は55年盤よりポリフォニックな面がかなり強く出ている。凄まじいスピード感と音符の一音一音が浮かび上がるかのような両手の力は神業で、同曲のみならず、ほかの多くのピアノ演奏を、過去のものへと追いやった感じさえした。ほかにザルツブルク音楽祭のライブ盤があるが、それはこの演奏と、55年盤の中間のような気がする。
・「バッハの楽譜と対話しているピアノが安らぎを与えるアルバムです」
81年録音の、グールド2回目の「ゴールドベルク変奏曲」です。1回目の55年録音のアルバムでデビューし、当アルバム録音の翌年、50歳の若さで急死してしまったことは、何かの因縁でしょうか。当アルバムですが、まるで生き急ぐかのような急テンポの55年盤に比べると、バッハの楽譜を慈しみ、対話するようなテンポになっています。ただ、その1音1音がはっきりと聞こえる滑らかなピアノは、得もいわれぬ安らぎを感じさせてくれます。55年盤と比べ、どちらが良いと云々するよりは、両方を揃え、その時の気分で、盤を変えたい、「バッハ弾きグールド」による名演奏です。
・「グールドのバッハ」
グールドのバッハは何か違う。バッハの譜面にのって演奏しているというよりも、グールドのオリジナルに聞こえてくる。神がかり的名演と思います。小生が自分の世界に入り込んで集中したい時に聞く名盤です。
・「グールドがこのテンポで弾いた訳」
グレンのゴールドベルク変奏曲は新録音(1981年)が旧録音(1955年)に比べてテンポが遅く、それに文句をつけている人もいるようですが、グレン自身旧録音を気に入ってはいなかったようです。その訳は、グレンの興味は対位法(作曲法の一つ)にあり、それをシッカリ聴かせたいので新録音のテンポを遅くしたと、彼自身が語っています。自分が聴き比べると、やはり新録音の方が落ち着いて聴けるし、バッハの書いた音符の一つ一つをジックリ聴いている気持ちもします。新録音と旧録音の共通点として、グレンのピアノタッチがまったく同じ事が挙げられます。テクニックが衰えたわけではないのです。やはり、ゴールドベルク変奏曲のどちらをまず買えばいいかというと、新録音の方が断然お勧めです。グレンが辿り着いた新境地を堪能できます。
・「我とともに唄え、モーツアルトを!」
曲想がはっきりと聴き取れるって、他にはまず、ありえない。グールドがモーツアルトと対話して、俺のモーツアルトを聴き給え、と示した名盤。
グールドが辿りついた各曲の解釈と曲想が、彼の歌い、ハミング、鼻歌?でわかる。プロの演奏家も、心の中では歌ってるはず。隠す事なく伝えてしまったのがグールド。
音楽って楽しいでしょ、僕にはこう読み取れるんだよね、皆さんはどうだ?よかったら一緒に歌おうよ、気持ちいいんだよ。機会があれば君が掴み取ったモーツアルトも見せてもらうからね、とグールドが伝えているように思えてならない。
教科書のさらに先にあるモーツアルト、好き嫌いを言っていいのだけれど、好きになってくれる人が増えるとうれしい。
・「グールドのお部屋に「お呼ばれ」する妄想」
グールドはモーツァルトがあまり好きではない、とどこかで読みました。で、どう弾いているのかと思いきや…
K310の第一楽章。早い。K331の第一楽章。遅い。どちらも、ちょっと変わっているのですが、弾きたいように弾いてる感がとてもよいです。子供の頃、これらの曲を家でひとりで練習している時、飽きてくると、譜面通りには弾きたくなくなる瞬間があります。で、自分の好きなように、速く弾いたり、遅く弾いたりして遊んでいたことを思い出しました。
天衣無縫にグールドさんが勝手に弾きまくるモーツァルト。うなり声も手伝って、なんだかとてもプライベートな空気濃厚。お部屋によんでもらって、弾いているのをそのへんのソファで聴いているような、なんとも贅沢になれる1枚です。
・「「外界を知らない魂は考えることができない」by アリストテレス」
これは只の演奏ではありません。演奏の形を取った批評です。「俺だったらこうする」「この方がいいと思わないか?」というね。そうでなかったら、大嫌いな作曲家の大嫌いな作品を全曲録音しようなんて思わないでしょう。(ちなみに、嫌いな理由は「聴衆に媚びてるから」だそうです)
そもそも音楽を言葉で語ること自体がナンセンスなのですから、これは非常に真っ当なやり方です。ただ、普通の批評家はそれ程の演奏能力を持っておらず、普通の演奏家はそれ程の批評能力を持っていない、というだけのことです。つまり、やらない、のではなく、出来ないのです。
グールドは、人並み外れた演奏技能と高度な知的活動を兼ね備えているという点に於いて、非凡な存在なのです。
ですから、彼がスコア通りに演奏するかしないかなどということは、全く些末なことに過ぎません。重要なのは、スコア通りに演奏するにしても、ただそう指示されているからそうする、というだけなのか、それとも、自らあれこれ考察した上で、「成る程、スコア通りに演奏するのが最良だな」と納得した上でそうするのか、という点です。つまり、演奏家としてのみならず、人間としての主体性の問題なのです。
グールドは、間違っても「演奏マシン」に成り下がらないだけの主体的な批判精神を持った最高度の演奏家、言わば、真の意味での「現代人」の「音楽家」なのです。
そんなグールド相手に、好きだの嫌いだのと子供みたいなことばっかり言っててもしょうがないんです。私達が彼の作品を楽しむ、或いは楽しむことしかできないのは私達の勝手でしょうが、音楽そのものを情緒的な快楽としてだけでなく知的探求として捉えるセンスなしには、彼の演奏の神髄を味わうことは出来ないでしょう。グールドを聴く喜びは、発見の歓びなのです。
音楽を、でなく、音楽「で」思考しなければ!
・「まさに「あいた口がふさがらない」」
モーツァルトのピアノソナタというと、あの美しい旋律の穏やかな曲だぁ。と思っている人がかなりいると思いますが、そのイメージを初っ端からぶち壊してくれます。まず驚くのが8番。あの楽譜からこんな演奏が出てくるなんて!最初に聞いた時は、思いもかけない"奇襲"には正直びっくりしましたが、よく聴いてみると技術的に完璧な演奏だったり、なによりも音楽性に富んだすばらしい演奏だという事が分かると思います。ようするに魅力的なのです。この演奏はグールドにしかできないと思います。できることなら、全集を勧めたいですが、まずはモーツァルトの名曲がぎっしり詰まったこのCDで衝撃を実感してください。
・「買ってください」
モーツァルトがブームになって久しいですが、(アルファ波がでてるから)私はそれほどよいとは思わず過ごしてきました。バッハはやっぱり天才だ~とか、美しさではラヴェルか・・とか、単純だけどハイドンのピアノ曲も素晴らしいとか言ってきたのです。しかし!グールドのバッハを聴いて「弾き手によってこんなに違うのね」と知り、ではモーツァルトは?と思って、このCDも購入してみました。結果は・・・星5つです!!間違いありません。「クラシック嫌いでもグールドは聴く」と言われますが、このCDでもその力が発揮されています。誰もが子供の頃聴いた事がある名曲(ピアノの練習曲)、と簡単に通り過ぎないで下さい。特に最初に収められているの8番!の、1楽章と3楽章は…心臓に突き刺さる演奏です。1楽章は「そうそう!これぞグールド」とニヤリとさせられ、更に3楽章では奇抜さではなく、恐ろしい程のテクニック&それ故の表現力に泣かされます。モーツァルトのピアノ曲をお求めなら、ぜひ買ってください。とにかく聴いてみて下さい。私はグールドのお陰で25年ぶり位にピアノを再び弾き始めました。
・「モダン・ジャズのイノベーターが放った鮮烈なメッセージ」
ジャズを聴き始めた高校の頃、マイルスやアート・ブレイキー、コルトレーンというお決まりのアイドルにはまり、すごく気にはしつつも敬遠していたのがオーネット・コールマンであった。もちろん彼がモダン・ジャズの最大のイノベーターの一人であることは知っていたし、コルトレーンやドルフィーのフリーキーな演奏にも親しんでいたので、興味がないわけではなかった。最初に聞いたオーネットはそのドルフィーらとの文字通り「フリージャズ」というアルバムで、ジャクソン・ポロックらしき作品がジャケットに使用されていた点も、当時美術に進もうと決めていた僕にとって親近感を抱かせるものであった。しかし意外にも、アトランティックのこのデビュー作は聞く機会がないまま、ロンリーウーマンという名曲の存在ともども幻のアルバムとして心の隅にあり続けた。そして、おそらく30代半ばくらいに初めて聴いたとき、これがフリージャズの旗頭となったオーネットの問題作なのかと、少々驚かされた。新しさがないというのではなく、想像以上に美しく、やさしい音楽だと思った。そしてそこから発せられたフリー<無調>という概念の鮮烈さの意味が少しわかり、以前から漠然と思っていたフリージャズという概念に対する疑問が氷解したのであった。無調であるということが「でたらめ」ということではなく、既成のコード、リズム、メロディという要素の枠を新たな概念や規範によって再構成することという、いわば当然のことが実感できたのだ。美術にもいえることであるが、具象的な絵画しか絵だと思っていない人にとって抽象絵画が、でたらめに見えるように無調やモードでさえも、いやもっといえば通常のインプロビゼーションすら「わけがわからん」という精神の埒外に飛んでしまうのだろう。この音楽との出会いが、また一つ豊かな世界を知らせしめたのだ。オーネットに感謝したい。
・「たった一曲でジャズを変えてしまった」
このCDの1曲目「ロンリー・ウーマン」が何人の人の音楽観や人生を変えてしまったのでしょうか。譜面を超えたリズムやピッチのゆらぎ,合わないような合っているようなユニゾン,本当に奇妙で魅力的な曲です。ドン・チェリーらの「オールド・アンド・ニュー・ドリームス」,高柳昌行氏のソロ・アルバム,ジョン・ゾーン,大友良英氏らの再演を聴くにつけこの曲に対するミュージシャンたちの思い入れの強さを感じます。ほかの曲もメロディアスで小鳥が羽ばたくようであったり,小魚がはね回るようであったり,ジャズを超えて,「音楽」を聴く喜びを与えてくれます。
・「まともに美しい曲」
「まともな音楽じゃないか」というのが第一印象。過去、あまりにも多くの評判を目にしたため、異次元の音楽を期待していた。いわく「オーネットの革新性で、ニューヨークがひっくり返った」とか。「怖いもの聴きたさ」の最右翼だった。特に冒頭の「淋しい女」。一曲を通して聴けないのでは、とstopボタンを用意しながら聴いた。
シリアスな音楽である。シリアスな刑事ドラマやサスペンス映画の冒頭で流れてもおかしくない。音色がきれい。よく伸びる音で、楽器が響く。フリーク音やフニャフニャしたフレーズもない。リズムを無視しているように聞こえる時もあるが、そこで生まれる緊張感が好い。リズムを厳守する伝統的な様式からはズレるのかも知れないが、現代では革新性は感じない。自由に信じる音楽を演奏してるようで好感が持てる。メロディーも良く、何回も聴くCDとなったアルバム全体でも、淋しい女と同系統が半分。フリーク音が多少目立つ曲が半分。すごいのを期待するなら聴かない方が得か。でも好い音楽なので、お勧めします。
●反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO! (集英社新書 420D) (集英社新書 420D)
・「知らなかった事実がいっぱい。」
世の中では、アメリカは世界に民主主義を広める人権主義的な国家である、という事になっているようですが、実際はいかにアメリカは自分達の利益のために世界で軍事独裁政権を誕生させ、虐殺の仕方を教え、多くの国を貧困に陥れてきたか…、そのようなことがイヤというほど出てくる本です。また、多くのアメリカの国土はメキシコなどから戦争で奪い取ったものであること、ハワイも狡猾な手段で自分達の領土としたこと、フィリピンの植民地化の際にも多くの民間人を無差別に虐殺したこと。そんなことも全く知らなかった人も多いでしょう。企業や政府の利益と一体になって、ひたすら自分中心の論理で利益を貪り、主権を侵害し、何か自分達にとって不利益なことがあると、すぐさま政権転覆を企てる。なぜ、当時国際社会から非難を浴びなかったのか不思議になります。それは、情報統制、軍事政権やゲリラの裏での操縦法、世界に深く考えさせないレッテル貼りの技術、さまざまな物がありそうです。
ただ、それって言い方で随分違う話にもなんるんでないの?と思う部分がいくつかあるのも事実。著者のオピニオンが強く出すぎていて一面的だと思ったら、興味のあるところから他の本に当たっていくのが良いでしょう。ただ、著者の知識力、探偵の労力にも似たストーカー気味の情報の積み重ねは、必ず読者に多くの視点を与えることでしょう。実際はそこまで南米は反米化していない、という反論もありましょうが、そこら辺は冷静な揺り戻しの範囲内でしょう。そのようなことが起こるときは、むしろ表立ってではなく水面下で静かに起こっていくものです。気が付いてみれば、アメリカにすがっているのは日本だけ、という事にも…。しかし、日本はブラジル・アルゼンチン間以上の、難しい、冷静さに乏しいナショナリスティックな周辺国を抱えているので、連帯というのもなかなか絵が見えないのも事実…。どうしたら良いんですかね。
・「今すぐ読むべき書」
キューバ革命以来約50年。普通に考えれば、あの米国のお膝元で、よく国を維持してこれたと驚くべきだ。90年代以降は庇護者のソ連も無くなった。しかしキューバの政権が今も健在であること自体、この書に描かれている残虐な米国支配の歴史が真実であることを物語っている。メディアから発せられる嘘のイメージにだまされてはいけない。 狡猾な詐欺師は、説得する時はすぐにばれない、もっともらしい理屈をつける。マスコミが今も垂れ流す「改革」「規制緩和」の大合唱もその類だろう。 一方で共産党独裁で万事うまくいくというのも夢物語であった。 だから強欲によって支配しようとする者とは永遠に戦い、抑えつけなければならない。それは人間社会の宿命であり、中南米も日本も同じである。
・「眩しいぞ、ラテンアメリカ」
原油価格の高騰は産油国を勢いづかしている。中東にとんでもないスケールの大金持ちを生み出す一方で、ベネズエラのように極度の格差社会を生み出したアメリカの支配から抜け出し、人民食堂(最貧困地域に無料で食事を提供する施設)や医療施設の普及に拍車をかけるなどなど…私権と石油の関係を覆し、社会変革に当てる国々(ベネズエラ、ブラジル、ボリビア)の「美談」のフラグメントを、通史としてまた共時的構造として描きだす著作が現れた。この著作の刊行を心から喜びたい。
・「米追随の現状のままで大丈夫かを検証する」
近年になって、米に程近い中南米の国々で、反米左派政権が多数樹立している。 今までは米が、CIAや軍の力で植民地としてきた国々であったが、それに市民がNO!を突きつけたからだ。 本書は、米の傀儡たる政府軍に強制連行される子ども兵や、慰安婦代わりに狩られる女の子たちには触れていないが、内戦、インフレ、飢え、汚職など生活が脅かされ、長期間に亘って我慢の限度を超えていた人々、マッチポンプよろしく自分で火種を作り、または捏造して「リメンバー○○!」と、まるで正義を振りかざすかのように軍事介入を進めてきた、米の汚い手口が年表と共に本書では明らかにされる。 日本は、米発の情報を鵜呑みにし、“米の正義”にのっかりイラク・アフガンに兵を送っているが、それが正しい情報なのかを振り返り、米の本性を知る教科書として、いつか日本も必ず米に対しNO!の姿勢を示す為にも本書を薦めたい。
・「「アメリカの世紀」の影で」
中南米が今動いている。チャベスのベネズエラを筆頭に、続々と左派政権が誕生し、ラテンアメリカはまさに「反米大陸」となった観がある。これら諸国は今、相互に連携し、さらには欧州とはまた別の形で地域共同体の形成を模索しつつあるのである。しかしながらEUが「パクス・アメリカーナ」に代わる新たな地域秩序のあり方として脚光を集めている一方で、これら中南米の動きにはあまり焦点が当てられなかった。むしろチャベスの過激な言動をシニカルに描写し、あたかも狂信的な反米「ならず者国家」が続々と台頭してきているかのように報じられている。
●Science of Being and Art of Living: Transcendental Meditation
・「あなたの知らない真理がここにあるかもしれない」
TM運動の創始者、マハリシが直接語った内容を本にしています。
『超越瞑想入門』のもとになった本。日本語の訳もとても美しいですが、これはマハリシ自身の言葉を本にしてあるので、マハリシの言葉に直接触れてみたい人にはお勧めです。日本語版とあわせて読むことももちろん可能でしょう。
生きる技術と存在の科学というタイトルを裏切らない内容です。日常の生活のいろいろな側面をそれぞれの場面に合わせてなすべきことを説いています。何回読んでも得るところがある本です。最初の方は物理を学んだ事のある方、または興味がある方にとってかなり興味深い内容だと思います。
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