Kind of Blue (詳細)
Miles Davis(アーティスト), Wynton Kelly(アーティスト), Paul Chambers(アーティスト), Jimmy Cobb(アーティスト), Cannonball Adderley(アーティスト), John Coltrane(アーティスト), Bill Evans(アーティスト)
「JAZZの代名詞になってしまうといわれている、"Kind of Blue"」「マルチチャネルとステレオのSACDです。」「60年代モダン・ジャズへの布石と音楽の豊かさ」「恐ろしいまでの完成度」「何といっても、格好良さに尽きると思います」
Love Supreme (Dlx) (Dig) (詳細)
John Coltrane(アーティスト)
「歴史的名演、発掘される。絶対、買い!」
ラ・カモーラ:情熱的挑発の孤独 (詳細)
アストル・ピアソラ(アーティスト), ニュー・タンゴ・クインテット(演奏)
「最高!!」「★★★★★★★★★★★★★★★★」「ピアソラ入魂の一作!」「ピアソラの最高傑作」「震えと涙が止まらない」
「非常に良質なプログレ」
After Crying Show (詳細)
After Crying(アーティスト)
「重厚でクラシカルなシンフォ傑作」
YS(イプシロン・エッセ)+2 (詳細)
イル・バレット・ディ・ブロンゾ(アーティスト)
「痛快なダーク・シンフォニック・ロック」
子供達の国 (詳細)
イル・パエーゼ・デイ・バロッキ(アーティスト)
「夢の中をどこまでも歩いていく浮遊感」
マウロ・パガーニ~地中海の伝説(紙ジャケット仕様) (詳細)
マウロ・パガーニ(アーティスト)
「すばらしい。」「地中海音楽への回帰」
ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説 (詳細)
オジー・オズボーン(アーティスト)
「偉大なるシャロン・オズボーンの商魂に感謝!」「英雄は死なず」「不世出の名作」「血が騒ぐ!」「HM史に残る名盤!」
ザ・サイレント・コーナー・アンド・ジ・エンプティ・ステージ(紙ジャケット仕様) (詳細)
ピーター・ハミル(アーティスト)
「紙ジャケ」
帽子が笑う不気味に (詳細)
シド・バレット(アーティスト)
「感動の一言!!!」「聞けば聞くほど・・・」「気持ちいい」「対岸の火事の魅力」
Back in the World of Adventures (詳細)
The Flower Kings(アーティスト)
「ロック復活」
フィジカル・グラフィティ (詳細)
レッド・ツェッペリン(アーティスト)
「ZEP盤ソウル」「中期の傑作」「超絶ドラム」「充実の2枚組!」「サウンドがハマる」
The ConstruKction of Light (詳細)
King Crimson(アーティスト)
「偏執狂的ユニットの究極」「前進する古い記憶」「ただのヘヴィ・ロック。だけじゃないけど、大体それで当たってる。」
Sun Supreme (詳細)
IBIS(アーティスト)
「パワフル・プログレ」「英国風とイタリア風のブレンド」
オペレーション:マインドクライム (詳細)
クイーンズライチ(アーティスト)
「QUEENSRYCHEの出世作!HR/HM史上に残る名盤!!」「ベリー・ベスト・オブ・コンセプトアルバム-Ryosuke.S-」「もう、すきっ!」「ロック史上 稀にみる傑作コンセプトアルバム!」「最強のコンセプト・アルバム」
創造者 (詳細)
ホルヘ・ルイス ボルヘス(著), Jorge Luis Borges(原著), 鼓 直(翻訳)
「詩人ボルヘス」
砕かれた四月 (詳細)
イスマイル カダレ(著), Ismail KAdar´e(原著), 平岡 敦(翻訳)
告白と呪詛 (詳細)
シオラン(著), Cioran(著), 出口 裕弘(翻訳)
「最後の告白」「現代人の最強の指標」
虚数 (文学の冒険シリーズ) (詳細)
スタニスワフ レム(著), Stanislaw Lem(原著), 長谷見 一雄(翻訳), 西 成彦(翻訳), 沼野 充義(翻訳)
「知性の頂と人間の限界を描く、星5つではまったく足りない真の傑作」「クラコフの天才作家」「レムワールド」「ゼロ」
逃げてゆく愛 (新潮クレスト・ブックス) (詳細)
ベルンハルト シュリンク(著), Bernhard Schlink(原著), 松永 美穂(翻訳)
「愛の本質とは?」「巧妙な人物設定と少し意外な結末」「『逃げてゆく愛』を原書で」
ソドム百二十日 (河出文庫) (詳細)
マルキ・ド サド(著), 渋澤 龍彦(翻訳), マルキ・ド・サド(著)
「放蕩学校あるいは放蕩学派」「まあ完訳だとくどいでしょうからお手軽に」「快楽至上主義」「澁澤訳の完訳を読みたかった」
生埋め―ある狂人の手記より (文学の冒険) (詳細)
サーデグ ヘダーヤト(著), S^adegft Hed^ayat(原著), 石井 啓一郎(翻訳)
「「生埋め」所収の「幕屋の人形」と乱歩の「人でなしの恋」につい」
・「JAZZの代名詞になってしまうといわれている、"Kind of Blue"」
JAZZのアルバムの中で、世界中でもっとも売れるこの"Kind of Blue"は、JAZZの代名詞となってしまうかもしれない、という日本のJAZZミュージシャンがいる。数十年後の世界では、JAZZというものを紹介するときに、このカテゴリーに他のもの、例えばチャーリー・パーカー等のビバップなどは入らないことさえ考えられるかも、と。
それはさておき、Kind of Blueである。マイルスのアルバムの中でも、押さえたムードの中でお洒落で都会的なサウンドが静かに展開される。タイトルどおりちょっとブルーな雰囲気。十代の頃に何十回も聞いたアルバムだ。一言で言うとマイルスのアルバムの中でも特に格好いいのだ。マイルスの口癖でもあった"So What?"(だからどうしたってんだ?)から始まるこのアルバムの曲は、いつでも頭の中でリフレインする。マイルスは、最晩年に至るまで、常にJAZZ界に新しいアイデアを提供してきた。多くのミュージシャンがこのアルバムを聴きまくって、いろんなヒントを得たのも事実だ。マイルスが亡くなったときにキース・ジャレットが「これからは誰がアイデアを提供するのだろう」と嘆いたのは有名だ。モード奏法の確立したアルバム云々、このアルバムについての解説は恐ろしいほどの量だ。だけど、虚心坦懐にこのサウンドに耳を傾けてほしい。マイルスの終生変わらなかった洗練された、繊細なサウンドを楽しんでほしい、と思う。
そして若いリスナーには、”音楽の秘境”へと突き進んでいき、つねに驚嘆すべきサウンドを作り上げていった、この天才ミュージシャンの70年代、80年代、90年代のアルバムも聴いてもらえたら嬉しい。
・「マルチチャネルとステレオのSACDです。」
このアルバムの国内版のSACDは通常の2Chのステレオ版ですが、この輸入版のSACDには、マルチチャンネルとステレオの2種類の音源が収録されています。マルチチャネルで再生すると、小さなライブハウスで、ステージの直前で聞いているような感覚がします。演奏者の汗が飛んでくるような臨場感を味わえます。一方、ステレオで再生すると、比較的広いジャズハウスで、ステージから20mほど離れた座席で、静かに落ち着いて聞いている感じです。これは有名なアルバムですので、このアルバムの解説は、簡単に入手できます。そのため、日本語のライナーノーツがなくても困りません。SACDのマルチチャネルの再生環境がある方は、こちらの輸入版をお勧めします。
・「60年代モダン・ジャズへの布石と音楽の豊かさ」
モード・ジャズを探求していたマイルス・デイビスがその完成と60年代のジャズに対して決定的な影響力を持った傑作アルバムとしてあまりにも有名。マイルスの抑制の効いたトランペットはモード奏法の自由で新鮮なメロディー・ラインを実現している。「ソー・ホワァット」の静謐な出だしは、ポール・チェンバースの良く響くベースとビル・エバンスのクリアーなリフから始まり、マイルス、J・コルトレーン、キャノンボールと緊張の中にも寛いだ雰囲気で続けられる。3曲目の「ブルー・イン・グリーン」はジャズにおける美の極致を感じさせるトラックである。モードはジャズに限らず現在のあらゆる音楽の幅を広げ、音楽の豊かさを切り開いた。このアルバムこそ、その原点になったといえるだろう。
・「恐ろしいまでの完成度」
「JAZZの歴史の中で最高峰に輝くアルバム」と言えばこれ以外にはない。これは恐ろしいほど完成された驚異的な作品である。マイルスの作品であるのは間違いないが、ビル・エヴァンスの支配力が多大に存在しており、その綿密なアレンジとアンサンブルには唖然とさせられる。代表曲「So What」におけるマイルスの、静寂を切り裂くような鋭角的かつ気品溢れるソロ、それに続くコルトレーンのモード展開に満ち満ちた動的なテナー、キャノンボールの明快なアルト、そしてビルの“間”を利した透明感溢れるピアノ…。ポール・チェンバースの非の打ち所のないベースラインに乗ったこれらソリストのプレイは全く無駄がなく、各パートの絡み具合いが完璧に組み立てられており、張りつめた緊張感に聴き終えた後はぐったりしてしまうほどだ。この前衛アートにも似た芸術性は「見事」と言うほかはない。またビル・エヴァンスに代わってウイントン・ケリーがピアノを担当している楽曲では、ケリー独特のブルースフィーリング溢れる“ゆるい”演奏がビルのプレイとはコントラストをなしており緊張を解きほぐしてくれるが、そのウイントン・ケリーのバタくさいプレイがコミカルに聴こえてしまうほど「So What」の張りつめた緊張感と完成度は恐ろしい。熱いソロの応酬を聴かせてくれるJazzもあるが、これはその真逆を行く、無駄のない演奏と完璧なアンサンブルによる超芸術作品である。
・「何といっても、格好良さに尽きると思います」
59年発表のアルバムにして、「私の好きなジャズアルバム」等々のアンケートがあると、必ずといってよいほど、トップに来るアルバムです。特徴としては、「このアルバムで、マイルスはモードを確立した」を始め、様々な薀蓄が語られますが、要は格好いいのです。言葉でいえば、「静謐」といえばいいのでしょうか。静かに、けれど確かに刻まれるチェンバースのb、コブのdrのリズム隊をバックに、ここぞという場面で出される帝王マイルスのトランペット。中山氏でなくても、「くう〜、たまらん」と唸る格好良さなのです。そして、マイルス以外のキーパーソンは、やはり、ビルエヴァンスのピアノ。美しい旋律で、マイルスのプレイを引き出すだけでなく、時には、アルバム全体をリードする役割を果たしています。最初に聞くジャズアルバムではないと思いますが、いつかは聞きたいジャズアルバムの名作です。
・「歴史的名演、発掘される。絶対、買い!」
僕もアナログからはじまって、リマスターだの紙ジャケだのとあの手この手で何度このレコーディングを買わされてきたことか。しかし今回のコレは、音質に関しては最上のものではないだろうか。コレを聴いたらいままで聴いてきたのは、正規の海賊盤か何かだったのだろうかと思うくらいの雲泥の差、そんな音の向上ブリです。何たってマスターテープが違うんだから。リマスタリングがどうの、24bitがどうのといったセコい領域の違いではないのだ。そもそもこの「至上の愛」のオリジナルマスターテープは、インパルスの倉庫から77年頃には失われてしまっていたらしい(お粗末!)。ところが近年ジャズの考古学者マイケル・カスクーナ氏がEMIのアビーロードスタジオに初版の製作用マスターが眠っているのを発掘したそうな。もうこの音を聴かずして、「至上の愛」は語れない。
・「最高!!」
僕の持っているCDは、クラシック、ジャズ、ワールドミュージック、ロック、ポップス等の多岐に渡り、合計3000枚をこえますが、これらの中でもベスト10に入るお気に入りです。このアルバムを知ったことを、神に感謝したいぐらいです。そこのあなた、騙されたと思って、一枚買いなさい!
・「★★★★★★★★★★★★★★★★」
ロックなら「ジョンの魂」や「ペット・サウンズ」ジャズなら「ワルツ・フォー・デビー」や「バラード」クラシックならデュ・プレの「エルガー」のようにビリー・ホリデイやエディット・ピアフの歌のように音楽を愛するならば、誰にも否定のできないアルバムがある。凄まじい、言葉を越えたところに存在するような音楽がある。
このような傑作の中でもこの「ラ・カモーラ」は傑出した作品だ。これに比肩しうるアルバムを挙げろといわれたら、ちょっと思いつかない。小生数千枚のコレクションの中で、グールドの「ゴールドベルク」と並んで一生手放せない一枚。
・「ピアソラ入魂の一作!」
この人は、タンゴとクラシックを融合させ、新たな音楽スタイルを創始したとして、アントニオ・カルロス・ジョビン、あるいはブライアン・イーノらと並んで現代音楽上重要な人物らしいです。
しかし、そういった小難しいことは抜きにしても、このCDはスゴイ!まるでピアソラがその魂を曲に込めてぶつけてきているようで、僕も初めて聞いたときは、一度かけたが最後、迫力に圧倒され、50分間何もせずただ聞き入ってしまいました。
同時期の「タンゴ:ゼロアワー」と比べると、楽曲の完成度が高く、まとまった印象を受けるのは「タンゴ:ゼロアワー」、ピアソラや楽団のメンバーの情熱より強く感じるのはこっち、といった感じです。
・「ピアソラの最高傑作」
ピアソラは、自身のアルバムの中では「タンゴ・ゼロアワー」が一番気に入っているということでしたが、私は断然このアルバムを推薦します。このアルバムを聴いていると、哀愁、情熱、嫉妬、狂気など、すべての感情が映像になって飛び出てくるような感覚があります。夜、灯りを消して、ワインを飲みながら聴くと最高、です。ブエノスアイレスの、場末のバーに行ったような感覚になります。そしてなんといってもピアソラの弾くバンドネオンの艶っぽさといったら、たまりません。
・「震えと涙が止まらない」
初めてこれらの曲を聴いた時、あまりの圧倒的な迫力に背筋に寒気が走り、涙が溢れました。
優しくゆるやかな音、嵐のように激しい音、悲しい音、妖しげな音、怖ろしいほど気性の荒い音。楽器一つ一つの音が一寸の無駄なく、時に激しく、時に優しく絡み合い、まるで楽器が意思を持って語りかけてきているよう。これを人間が演奏していると思うだけで体が震えます。
あぁぁ・・・この音楽と出会えて本当に良かった。
ピアソラはまさに音楽の神様と呼ぶにふさわしい人物の一人だと言えるでしょう。もうこの人の演奏を生で聴くことができないのがただただ悔やまれます。
・「非常に良質なプログレ」
非常に良質なプログレだ。
現代音楽のようにアンキャッチャーなメロディーにリズム不思議なヴォーカル
非常に楽しめる。
感じとしてはヘンリィー・カウキース・ティペットハリー・パーチ……を重厚にしアンサンブル中心にした感じかな
個人的には大好きだ。
ただしYESとかプログレメタルとかキャッチャーで大御所系が好きな人には不向きです!!
・「重厚でクラシカルなシンフォ傑作」
ハンガリーのシンフォニックロックバンド、アフタークライングの7枚目のアルバム。前作「6」に続き今回も濃密な内容。本来のクラシカルさと重厚さはそのままに、今回は歌パートでのメロディの聴きやすさもあいまって、初期の彼らが苦手な方でも入りやすいサウンド。重厚なシリアス系シンフォニックロックの傑作である。
・「痛快なダーク・シンフォニック・ロック」
イタリア出身のプログレ・バンドの、’72年発表の2nd。 イタリアン・プログレ特有のドロドロした、へヴィでダークなシンフォニック・プログレだ。 サウンドの軸となっている、あらゆるキーボード類が総動員され、まくし立てるような狂暴さと、繊細を通り越して不気味なまでの静寂さが同居しており、その対比が、この独特な狂気の世界を構築している。 それを支えるギターとドラムも、煽るように激しく追走しており、ハード・ロック色も極めて強い。 けれども、楽曲自体はポップで、ヴォーカルもノーマルで歌唱力もしっかりしている。シンフォニックなパートも美しく巧妙に作られていて、そのあたりが、単なるマニア向けで終わっていない、上手さの表れだろう。 ここまで徹底して無茶してくれると、ダークであれ不気味であれ、愉快にも痛快にも感じてくる。
・「夢の中をどこまでも歩いていく浮遊感」
地中海地方で生まれたというこのアルバムは、民族楽器を多用したマウロ・パガーニ「地中海の伝説」やヴァンゲリスの「アース」とは全く違う方向を目指したシンフォニックプログレである。全編を通じて流れるオーケストラのサウンドのそこかしこに、子どもたちがかくれんぼでもしているかのように、アコースティックギターや繊細なヴォーカルが流れてくる。その心地よさが、夢の中をどこまでも歩いていく浮遊感に似ており、またジャケットのパッチワーク?の迷宮に迷い込んだかのようでもある。
・「すばらしい。」
イタリアンプログレバンドPFMのヴァイオリニストとしてPFM支えてきた彼が、脱退し発表したのがこの1st。彼の地中海音楽の独特な解釈が非常に面白い。最近の作品ではヴァイオリンはほとんどプレイしていないので彼の独特な演奏を聞けるという点でも興味深い。この作品はアコースティックにまとめられているが、生楽器とテクノロジーを上手くミックスした最近の作品とも違った趣があり良い。90年以降の作品もお勧めです。
・「地中海音楽への回帰」
PFMのヴァイオリニストとして活躍した、マウロ・パガーニのソロ作。1978作PFMを脱退したパガーニが己の音楽の原点を見つめ返すべく地中海音楽に取り組んだ作品。自身の弾くヴァイオリンを軸に、ときにAREAのメンバーをまじえてジャズロック風に聴かせたり、土着的な女性ヴォーカルや、アコースティックギター、ピアノなども入って、異国情緒たっぷりに仕上げたアコースティカルなアルバム。PFMのようなプログレとして聴くと拍子抜けするだろうが、クラシカルな要素もあり、なによりマウロの艶やかなヴァイオリンの音色が美しい。地中海の風を感じ取れるような、芸術的感性に満ちた作品だ。
・「偉大なるシャロン・オズボーンの商魂に感謝!」
何を今さら古くさいアルバムを…と思ったあなた、無理もないです。しかし!21年後の2002年6月になって再発されたこのアルバムは、はっきり言ってもう別物。だってさ、オジーの奥さんの、元やり手マネージャー、シャロンのアイデアで、何とランディの演奏がリミックスされてるんだって。曰く「当時のミックスではランディのプレイがあまりにも活かされていないから」だって。それはそれで、当時のファンに対して何だかなぁという気もするけど、確かに良いよ、ランディのギター。引き立ってるって言うか角立ってるって言うか、前よりソリッドな印象になった。しかも!当時のベース(ボブ・ディズリーex.レインボー)とドラム(リー・カースレイクex.ユーライア・ヒープ)は、あのメタリカ新加入のゴリラマン、トゥルージロとマイケル・ボーディンとかいう人に入れ替わってる。この名曲ぞろいの名盤を、ランディギターのリミックスと、リズムセクションの刷新でもう一度聴かせるっちゅう何ともしたたかなビジネスモデルは、流石はシャロン・オズボーン!有名番組「オズボーンズ」で自分の家族のプライバシーまで飯の種にする、敏腕マネージャーの面目躍如といったところでしょうか。とにかく一聴に値します。
・「英雄は死なず」
聴き終えた後、筆舌に尽くしがたい感動に包まれる。 そんな気持ちにさせてくれる作品にどれくらい出会いましたか? 僕にとってこのアルバムがその一枚であることに間違いはありません。 実際に聞いてみて、「なんだ、たいしたコトないや」…と思った方。 それはそれで構いません。好みなんて人それぞれ。 でも、もし貴方にとってこのアルバムが、「魂を揺さぶる」一枚になったなら、きっと天国のランディ・ローズも喜んでくれるでしょう。 物議を醸しているリマスター問題には敢えて触れません。 どんな形になろうとランディはファンの胸に永遠に生き続けています。
・「不世出の名作」
BLACK SABBATHを脱退し酒とドラッグに溺れボロボロの生活を送っていたオジー・オズボーン(Vo)。彼の運命を一人の若きギタリストが変えた。彼の名はランディ・ローズ。
QUIET RIOTのギタリストとして日本のみでアルバムをリリースしていた彼が、その貧弱な経歴からは考えられない凄まじい才能をこのアルバムで発揮して伝説を残した。
彼が死後20年以上を経た今でもなぜ崇められているかは、このアルバムに収められた"Mr.Crowry"を聴いてもらえれば理解できるのではないかと思う。荘厳なこのHRチューンにフィーチュアされた2回のソロは、胸を締め付けるような悲哀に満ちた旋律が聴き手を違う世界へと連れて行ってくれる。
同じく美しいソロがエンディングを盛り上げる"Revelation(Mother Earth)"も、叙情的なメロディが好きなファンは絶対に聴かなければいけない超名曲。このアルバムの大成功でオジーは完全に息を吹き返した。
・「血が騒ぐ!」
なんか、リマスターされて賛否両論になっているようで…。私はオリジナル版しか聴いてないのでこれの評価はできないのですが、「クレイジートレイン」だけでも聴いてあげて下さい。故ランディローズの荒削りだけど気合いのこもったギターを。若き日の私はメインリフとギターソロの一部分を必死で耳コピーして血をたぎらせてました。オジーのヴォーカルも絶頂期ではないでしょうか?ランディが死去して加入したギタリスト(ジェイク・E・リーでしたっけ?)もライブ映像見たけどかっこいいのですが、やはりランディほどのカリスマ性は…。プレイの正確性は期待しないでノリで聴いてみて下さい!とにかく元ギター小僧は一度聴いてみて下さい。それ以外の方、見た目でオジーを敬遠されている方、割とメロディーラインの綺麗な曲を作りますよ♪オジー・オズボーンという人は。高い完成度を求める人にはギターソロなどに少しテンポのズレがあるのが気になるかもしれませんが(リマスター版でも当時のままなんでしょうか?直っていたらごめんなさい。)魂でロックを聴く人はどうぞ聴いてみて下さい!
・「HM史に残る名盤!」
1979年、ブラック サバスを脱退したオジー オズボーン。その翌年に彼はソロデビューアルバムである本作「ブリーザード オブ オズ”血塗られた英雄伝説」をリリースし、アメリカのチャート面では著しくなかったものの2年間もTOP100内にチャートインし、何とマルチプラチナディスク(1000万枚セールス)を獲得し大ヒットした。
本作の曲調を簡単に言うとブラック サバスのコンセプトと当時イギリスで流行したブリティッシュメタルの二つが融合したかのような曲調だ。また本作でオジー オズボーンはヴォーカリストの才能を開花したかのような素晴らしい歌声を聴かせてくれる。そして忘れてならないのがあの故ランディ ローズがギターリストとして参加してることだ。また本作には彼の代表曲中の代表曲でもある①をはじめ彼の名曲の一つでもある⑥などが収録されており、また②や⑧も初期の名曲でもある。オジーのヴォーカルも素晴らしいがランディのギタープレイも素晴らしいというしかない。
オジー オズボーンの作品を聴いた事がないというHMファンの者には本作がおすすめだ。
●ザ・サイレント・コーナー・アンド・ジ・エンプティ・ステージ(紙ジャケット仕様)
・「紙ジャケ」
イギリスの、プログレッシブ・ロック・バンドvan der graaf generatorのリーダー、ピーター・ハミルの名盤が紙ジャケに。彼は、日本では少し知名度が劣るが、ヨーロッパでは絶大な人気を誇り、同世代のヒーロー、ピーター・ガブリエルに対して、「もう一人のピーター」などと言われるくらいの知名度を誇る大御所である。近年の作品では、神秘的な音作りで、激しい、彼独特のシャウトを織り交ぜた声は聞かれないが、今作では、随所で聞くことができる。ロックかつ、哀愁漂う、彼の独特のセンスが本当に良く発揮されています。どの曲も、強弱、緩急のつけ方が完璧で、ダイナミクスに富んだ壮大な楽曲が揃っています。アレンジも凝っていて、様々な音が入れ替わり立ち代わり飽きずに何度聞いても楽しめます。ジャケットが綺麗なので、紙ジャケ向きだと思います。お勧めです。
・「感動の一言!!!」
インターネットのあるサイトでロックを視聴しまくっていたときにシドバレットの暗黒の世界が流れてきました。その瞬間衝撃を受けました。自分が欲していた音はこれだと。そしてCDを購入し家で改めて聞いてみると本当に感動の一言でした。うつろな目でギターを爪弾きながら不安定な感情を吐き出しているような、常人の目には見ることができない世界で歌っているような、限りなく不安定で美しい音楽でした。
・「聞けば聞くほど・・・」
何だろう、このクセになる音は・・・
プレイ1回目、失敗した。こんな退屈なCD! 3回目、・・ン?いい曲もあるじゃん。 7回目、この不安定なボーカル、落ち込んだ気分に合うかも・・ 10回目、・・・クセになりました。
最近シド・バレットの追悼記事をそこかしこで目にするので興味本位で買ってしまいました。結果ラッキー。
ピンク・フロイドのファーストの音を期待してたけど見ている世界が違います。
・「気持ちいい」
なんだか狂っちゃった人という印象が強いシドさん、たしかにこのアルバムでも相当壊れているのですが曲自体は非常に心地良い変な浮遊感がある弾き語りです。独特なボーカルがとてもサイケデリックです。このだらだらしたぐんにゃり感がいいですね。
・「対岸の火事の魅力」
ボケ老人達がまったく意味不明な行動でこちらを翻弄しながらも、たま〜にスイッチが正常状態になり、大層立派な言葉を吐き出したりする。ああ〜、この人って本当はまともなのかなとこちらが安心をするとまたぞろうんこでお饅頭を作り始めたりして、さらにこちらの不安をあおる、まぁそんなアルバムである。おそらく本人の計算や思惑みたいな部分も作品には随分あるはずだが、むしろ本人が気づいていないところの狂気がこのアルバムの最大の見せ場だろう。その点ではまだ細部に計算できていたピンク・フロイドの1stアルバムよりもあざとくないし、嘘が少ない。ところが現実社会ではその嘘の少なさが一番のネックなのも事実だが、ネックこそが魅力というロックの悲しいまでの現実に私は痺れてしまうのだ。ただしこの世界を喜べるのはシド・バレットが対岸の火事である者だけなのも事実。こんな奴が親戚だったりしちゃうと目も当てられない。ああシド・バレットが縁もゆかりもない正真正銘赤の他人で本当によかった。
●Back in the World of Adventures
・「ロック復活」
スウェーデンの生んだ最強のプログレッシヴ・ロック・グループのファースト・アルバム。ロックのもつオルタナティヴ・ユートピア指向を明確にしたオプティミスティックなサウンドは長く閉ざされたままになっていた音楽ファンの心の扉の一つを開け放って新たな風を吹き込みます。
プログレというよりはジャンル分けを必要としないハートフルなロックという方がピッタリくるかもしれません。ノスタルジーだけではなく遺産を大切にしながらポジティヴに前へと進むフレッシュな姿が本当の魅力です。BEATLES、ZAPPA、YES、GENESIS、EL&Pに魅せられたオールド・ファンへは絶対のお薦めです。
・「ZEP盤ソウル」
違うコンセプトの寄せ集めの前作から、ついには2枚組で発売、まるでビートルズの「ホワイト・アルバム」状態である。全曲に共通することと言えば、「歌心=ソウル」が出てきたことで、これは何もボーカルのR・プラントだけではない。ギターもドラムも歌っているのである。各楽器の音色は、生音に近く、ギターとドラム以外の楽器の参加も少ない。編成は、必要最小限の楽器に絞られ、代わりに台頭してきたのが、「間(ま)」である。当然ドラムが主役となるが、曲のテンポや微妙なハシリ具合、ズレ具合、音の強弱が歌となり、聞いているものの心に響くのである。「THE ROVER」「IN MY TIME OF DYING」「THE WANTON SONG」が特に良い。シンプルなことを執拗に繰り返す。分かり易くてポップなのだ。
ZEPはこれまで、どちらかというと演奏重視でクラッシクの手法で試行錯誤していたように思えるが、本作以降大衆音楽の方向に転じている気がする。本作のソウルをはじめ、「ALL MY LOVE」の歌謡曲、そのほかロカビリー、パンクなど。どのZEPが好きかは、もう聴いている人の嗜好で決まるとしかいいようがない。器用なバンドだ。
・「中期の傑作」
ZEPは駄作が存在しない数少ないバンドのひとつだ。初期のブルースをベースにしたハードロックやⅢから顔を見せ始めたアコースティックな曲、聖なる館では更に多様な音楽性をZEPサウンドにしてしまったが、このアルバムでは過去の全てのスタイルの集大成的ないろいろなZEPが聴ける。ブルースハードロックのカスタードパイ、11分を超えるボンゾのドラムが強烈な死にかけて、キャッチーな聖なる館、中近東っぽい傑作カシミール、インザライト、アコギのインストブロンイアー、胸にしみるバラードテンイヤーズゴーン、ホンキートンク調のブギーウィズステュー等々。捨て曲も1曲たりとも存在しない。2枚組ながら一気に最後まで聴かせてしまうすごさはやはりZEP。
・「超絶ドラム」
スタジオ版におけるボンゾのドラミングの最高峰のアルバムだと思います。
ボンゾのドラムはそのサウンドから他のバンドのドラマーとは全く違っています。彼のドラムは、一言で言えば力強い。それもただ力強いのではなく、全てを使い切っての力強さ。例えば、他のバンドのドラマーは「ドン、タッ」というサウンドでたいてい分かりますが、彼の場合はそれでは説明不足です。「ズドンッ、ドシャッ!」
というくらいの力強さなのです。特にこのフィジカルグラフィティでは、ライブで真価を発揮するボンゾのドラミングが、スタジオ版でそれに一番近いサウンドを提供してくれている。まずはそれです。それと、ドラミングの繊細さ。時にはすすり泣きの様なドラミングに、心を打たれます。
彼はもうこの世にはいませんが、彼のサウンドを超えるドラムを、私は聞いたことがありません。もちろん、他のメンバーの音なくしてはツェッペリンサウンドは構築されなかったでしょう。ですが、大して曲のクレジットに掲載されていなかったボンゾが亡くなったことで、みんな解散を決定したのです。それだけでも、彼のサウンドの偉大さがわかります。
このアルバムでは特に、彼のドラミングに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
・「充実の2枚組!」
ストーンズの「メインストリートのならず者」と雰囲気が似てるんですよねぇ。同じ2枚組だし。もちろんいい意味で、ですよ!・・・ツェッペリン独特の、ほのぼのとした雰囲気が漂うというか、何というか。このアルバムのために用意された新曲(もちろん当時の)8曲はどれも秀逸な出来映えなのです!前作までの過程を踏まえ、さらに磨きをかけた傑作です。ただ、LP1枚に収めるにはちょっと1曲あたりの時間が長すぎた。「じゃあ、」ということで前作までのレコーディングでアルバム収録に漏れた楽曲群の中から、新たにミキシングし直した未発表曲を追加収録することになったのでした。その追加収録の7曲は「この曲が何でボツになっちゃってたの?」というぐらいの素晴らしい出来映え!「流浪の民」、「夜間飛行」、「ダウン・バイ・ザ・シーサイド」などがその中の曲たちです。信じられないでしょ?ツェッペリンの創作水準の高さ、妥協しないで取り組んでいる活動姿勢がにじみ出てくるようです。ビルボードのポピュラー・アルバムチャートでは初登場3位、翌週から6週連続1位とまさに大・大ベストセラー!!!ツェッペリン全盛期に発表された、大傑作アルバム。ワタシは全アルバムの中で1番このアルバムが大好きです。皆さんもぜひ聴いてみて下さい!きっと気に入っていただけると思います。
・「サウンドがハマる」
ペイジいわくZEPではアルバムを作るときいつも1枚半分の曲を録音していて、未発表分を合わせてこのへんで2枚組を出すかということになったそうだ。「聖なる館」が同名のアルバムじゃなく本作に入っているのはこうした事情もある。
よって録音時期はまちまちなのだが、サウンドには統一感がある。ジェリーフィッシュの人が「生っぽいサウンド」と表現していた独特の音でハマってしまう。ちょっとダブっぽい感じにして深みを出すのはペイジのプロデュース術の十八番で、BBCセッション等はこのアルバムで完成されたサウンドの展開形である。
D1-2はボンゾのパワーとリズムの安定感が素晴らしいが、このように典型的にメタリックな曲はZEPでは実はあまり多くない。D1-5は前作以来のファンク路線だし、D1-6はエスニック風でもありプログレ風でもあり、ジャンル分けが難しい。2枚組でZEP音楽の多様さを見せつけた感のあるアルバムである。
・「偏執狂的ユニットの究極」
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・「前進する古い記憶」
ミレニアム、クリムゾンはかつての名作を回顧しつつ、前進し続ける真面目さを改めてみせつけた。それがこのThe ConstruKction Of Lightである。ライブ前に神経集中して練習していたフリップの姿が記憶に残る70年代の難曲Fracture、その中盤のギターフレイズが炸裂するFraKctured、80年代Disciplineの発展形と思しき表題曲、そして90年代メタルクリムゾンに伝説のキーワードLark's Tongues In Aspicが混じり合い、パート4が創出された。これら3タイトルが素晴らしい。60年代発のバンドが焼き直しではない新作を発表するだけでなく、驚くべき練習量と衰えないテクニックによる作品のリリースに敬服するばかり。
濁りのない単音が複雑に折り重なる曲群、以前にも増して一つ一つの音へのこだわりが印象的。ピック弾きスタイルを極めようと前進するフリップ、若々しさとは異なるクールな職人芸がここにある。
・「ただのヘヴィ・ロック。だけじゃないけど、大体それで当たってる。」
レコード店で試聴コーナーを1時間以上占拠。全トラック視聴を終えた僕は絶句していた。俺が聴いたのは、NINE INCH NAILES の新作か? それとも、FEAR FACTORY か? まったくのヘヴィ・ロック。ヘヴィになるとは聞いていたが、まさかここまで激烈とは…。クリアな高音で秘かに好きだったエイドリアン・ブリューの美声が、見るも無惨に荒れ果てていた。
プログレッシヴ・ロック=進歩的なロック。その言葉通り、形骸化することなく、常に新しいサウンドを標榜し、カリスマであり続けたKING CRIMSON。だがしかし、これは進歩なのだろうか? 生理的にヘヴィ・ロックを受け付けない僕はくり返しそう問い掛けていた。流行のサウンドを取り入れたら進歩なのか? グランジ以降、この疑問を払拭できなかった僕に、また新たなる難問が浴びせられた。
クリムゾンよ、お前もか。これが僕の感想だった。ファンの義務として買っては来た。しかし、これほど気が重い買い物は後にも先にもこれしかなかった。絶対気に入る… わけがない。のは分かり切っていたから。
何だかんだ言っても、僕はヴォーカル曲が好きだ。インストも聴くけれど、それはヴォーカルを取ったインストじゃない。初めから歌が入らないことを前提に作られた曲である。ポール・モーリアの「恋はみずいろ」。久石譲の「天空の城ラピュタ」。ジョン・ウィリアムス作、映画「E.T.」のテーマ「飛翔」。ヴァンゲリスの映画「南極物語」テーマ。インストなら専用の音楽を聴くからいい。
時々ならインストもいいが、やっぱり僕はヴォーカル曲を期待しているのだ。前作は「THRAK」は良かった。キャッチーですらある一連のヴォーカル曲は、どれも良い曲だった。今度はもう少し荒々しくなるとは思っていたが、重苦しい轟音に埋め尽くされているとは想像していなかった。 ProjeKct X(NHKの人気番組じゃないぞ)名義のボーナス・トラック「Heaven And Earth」が唯一の救いだなんて! それだって、「Heaven And Earth」ってタイトルなら、僕は喜多郎のを聴くよ。オリバー・ストーン監督のベトナム戦争映画「天と地」のサウンドトラックを。ベトナムの民族音楽を見事に取り込んだあの名作を!!
人を食ったような歌詞の「Into The Frying Pan」は確かにライトな歌モノだけど、それでも声が荒れている。NIN も FEAR FACTORY も聴くことは聴く。だけど、KING CRIMSONにあれを求めようとは思わないな。「太陽と戦慄パート4」は確かに懐かしかったし、あれだけは、そんなにヘヴィじゃなかったから聴けたけど、もうこれが限界だ。考えるだけでも気が重くなる。これで勘弁してくれ…。
・「パワフル・プログレ」
イタリアを代表するベテラン・プログレ・バンドのNEW TROLLSから派生したバンドの、’74年発表のデビュー作。 英語で歌われていることもあるが、さほどイタリアらしさを感じさせず、ブリティッシュ・ハード・ロック的な作風となっている。 ハード・ロックの楽曲を複雑にして、プログレっぽいコーラス・ワークとキーボードをフィーチャーした内容は、例えればGENTLE GIANTがハード・ロックをプレイした感じ。比較的最近では米国出身のMASTERMINDに近いか。 かなりテクニカルでハードなサウンドの中に、優しいアコースティック・ギターとコーラス・ハーモニーがアクセントとなっいて、通して聴いても疲れさせず、冗長な感じがしない。 上品な味付けを施すも、迸るパワーで力強くグイグイ引っ張る、パワフルな作品だ。
・「英国風とイタリア風のブレンド」
イタリアを代表するベテラン・プログレ・バンドの、NEW TROLLSから派生したバンドの、’74年発表のデビュー作。 テクニカルな演奏で、ハード・ロック的な音作りが施されており、怒涛の如く押し寄せてくるそのサウンドは圧巻だ。 歌詞を英語で歌われていることもあるだろうが、そうしたところは、英国のハード・ロックの影響が強いのだろう。 だが、その中に優しく、メルヘンティックなアコースティック・ギターとコーラス・ハーモニーが挿入され、その極端な曲展開がユニークで、変化があって楽しめる。そのあたりはイタリアらしさがよく出ている。 英国風とイタリア風を程好くブレンドさせたような、ありそうでなかった作風だ。
・「QUEENSRYCHEの出世作!HR/HM史上に残る名盤!!」
個人的には彼等の最高傑作だと思っております。プロデュースがRUSHの「POWER WINDOWS」を手掛けたPETER COLLINSでしたのでかなり興味をもって聴いたところ、これが実に完成度の高いアルバムでした。それまでのクイーンズ・ライチというとへヴィー・メタルバンドのようなイメージしかなかったのですが、これほどのアルバムを完成させるとは思いもよりませんでした。
仕上がりはまさにPETER COLLINSの音で彼等の音楽と見事に融合しております。まるで組曲のように続いていく構成とコンセプトを持ったアルバムの内容は明らかに当時の他の似たようなカテゴリーのバンドとは一線を画してと思います。 この作品と次作「エンパイア」で絶頂期を迎えます。
・「ベリー・ベスト・オブ・コンセプトアルバム-Ryosuke.S-」
叙情的なフレーズの一つ一つに何度も涙しました。コンセプト、楽曲ともにすばらしいのですが、時折繰り出される「泣きのフレーズ」が何とも言えません。またHR/HMオペラとも言えるジェフ・テイトの歌唱力はまさに圧巻。
後世に語り継がれる名盤中の名盤です。オススメ★★★★★です。-Ryosuke.S-
・「もう、すきっ!」
ドラムのスピード感と爆音、ギターのフレージングとリズムパートの音、ボーカルスタイルなど80年代ヘビーメタルそのままですが、プログレの要素があるとかないではなく、ブラックな雰囲気や強いメッセージ性が否応なく伝わってきて、ヘビーメタルにあまり馴染まない人にもじわじわとハマる感じです、わたしも例外ではなく。これまさに、名盤。
特筆すべきは、静寂な中から「ANARCHY-X」のパワー、後半「BREAKING THE SILENCE」「I DON'T BELIEVE IN LOVE」の流れなどで、アルバム自体はオリジナル17曲で構成されているが、まるで1曲であるかのように組み込まれており、それほど一貫した壮大なテーマと繋がりです。すごいエネルギーだと思うし、これほどのものは他にはない。そんなで、また再発されたこのCDを買い替えて、ビートルズやクイーン、イエスといったCD達のなかでも一際光を放っているアルバムであることを知ってもらいたい。
・「ロック史上 稀にみる傑作コンセプトアルバム!」
当時のクィーンズライチだからこそ、なしえたと思える超大作!アルバムの新しい有り方を啓示した。
数ある作品の中でも、このアルバムだけは「別格」
・「最強のコンセプト・アルバム」
'88年と言う時代にこれだけのアルバムを作ったQUEENSRYCHEは本当に偉大だ。緻密なストーリーの表現されたコンセプト・アルバム。でも歌詞なんか読まなくても充分楽しめるよ。単純に音楽としての質が異様に高い。
●創造者
・「詩人ボルヘス」
ボルヘス。このなんとも奇妙な響きの名をもつ怪物は、図書館と呼ばれる宇宙に住んでいる。彼の短篇は20世紀世界文学の最良の収穫として名高い(実際、相反する命題同士を結びつける手腕は見事と言うしかない)が、その詩作の評価はどうであろうか。多くの読者には小説のオマケくらいにしか認識されていないのではないだろうか。
周知のことかもしれないが、ボルヘスは1923年「ブエノス・アイレスの熱狂」を発表し、詩人として創作活動を出発した。そして、以来ボルヘスは生涯自身の事を詩人と称し続けた。本書『創造者』は、詩人ボルヘスが自ら最高傑作であると認める作品である。その中にはボルヘスを語るうえで欠かせない「鏡」「分身」「時間」「ドン・キホーテ」などが詩語のうちに濃密に凝縮されている。
本書によって、詩人・ボルヘスが「再発見」されることを強く望みたい。
・「最後の告白」
激烈のアフォリズムで鳴らし、日本ではほとんどの著作が翻訳されているというシオランの最後の著作。彼の本国ルーマニアでは禁書扱いだそうだが、彼特有の危険極まりない激烈な毒舌と嘲笑は、かつての様に文章から感じられないが、言っていることは全然変わらない。もっとも、激烈で毒性が高いのは「生誕の災厄」や「歴史とユートピア」が上であるが、これは訳者の言う通り、シオランが年を経て、激情をそのまま激語に托すのがうっとうしくなったのかもしれない。そういう意味では読みやすくなったというべきか。だが言っていることが優しくなったとはとても言えないが。彼の著書は渡世の人間にあまり悲しく映るらしく、安部譲二が推薦するのも何となく分かる。はっきりいって現代は、薄いきれいごとに飽き飽きしており、かといって「真実」を覗くにはあまりに臆病になっていると言える。特に日本人は、彼の著書からどれだけの絶望を見出したのだろうか。もっと彼の著書は広く読まれても良いがシオランばかりの日本人というのも恐ろしいものがあるけど。シオラン初心者にはとっつきやすくお勧め。
・「現代人の最強の指標」
断章で綴られた現代最高の思想書。また、現代人への警告とも取れるそのユーモアとインテリジェンスに満ちた言葉の数々は
まさに最強!
人の闇は言葉では尽くせない。しかし、如実に表したものがあるとするならそれはこの本に他ならない。
・「知性の頂と人間の限界を描く、星5つではまったく足りない真の傑作」
ポーランドで「虚数」として出版された「架空の書物の序文集」と、後年別に記された「GOLEM XIV」を併せて収録している。両者のリンクとしては、「虚数」の中の一編「ヴェストランド・エクステロペディア」にGOLEMに関する記述があり、またそれ以上に、知性と肉体に関する考察という点で通底している。
序文集「虚数」は、後半の「GOLEM XIV」への程よいイントロダクションになっている。「虚数」の各編は、様々な衒学的脱線であふれかえっているが、そのすべてにおいて、知性と肉体について言及している。そこから立ち上がってくる問いは、知性は、人間の肉体という仕様に依存する概念なのか、ということだ。肉体、というか人間という物理的存在に拘泥した「ネクロビア」への序文を嚆矢として、その後に展開されるのは、言語を学んだ微生物、機械による文学、コンピュータによる未来予測を編纂した未来百科事典といった、人間以外の知性を題材とした弾けとんだ話だ。
そして、人間が造りだした、人間以上の知性を持つコンピュータ「GOLEM XIV」による人間への講義録の形式を取る「GOLEM XIV」。この中で、GOLEMは、人間について語り、自己について語り、知性について語る。その全貌は到底把握しきれないが、根本にあるアイディアの手触り、手応えは圧倒的。
以下、ぼくの個人的解釈になるが、「知性」は、この地球上では「ヒト」という生物種に至って創発されたが、より一般的な「知性」の在りようは、ヒトの生物学的構造や遺伝情報に拘束されるものではない、というのが本書の中核にある主張である。ヒトが持っている生物学的デザインは、高い知性を持つために最適化されたものではなく、より現実的な、生き抜き、殖えるために最適化されてきている。そこに運良く知性が宿り、現在の程度まで到達したが、人間の到達しうる知性は、ヒトの生物学的デザインにどうしようもなく縛られている、というわけだ。そして、人間が造りあげた計算機であるGOLEMは、そのデザインのくびきを断ち切った次世代の知性であり、人間が到達し得ない、理解の及ばないところにまで達している。
これは絶望的であり、なおかつ心揺さぶられる言明である。ぼくは、基本的にはまったくそのとおりだと思う。その上で、人間がもがき回る、人間の知性が探り当てられる知識もまた、事実上無限であり得ると信じられるからだ。限られたハードウェアの上で、エネルギー吸収的に営まれるぼく自身の知性が、いかほどのものを紡ぎだせるのか、落胆よりもむしろ勇気づけられた。どの程度のものであれ、自分にはどうやら知性と呼べるものが備わっていることに感謝したいし、そのポテンシャルをフルに引き出してみたいと思う。
レム亡きいま、知性に関する思索を文字通り「空前絶後」の完成度で示した本書に及ぶものはおろか、類似する文学作品すら、今後産まれる望みはないように思える。
・「クラコフの天才作家」
ユダヤ系が多いことで知られるポーランドのクラコフ出身の著者もユダヤ系であり、その作品のすごさから、読み始めると、あなたの時間は彼の世界での存在となります。この作品「虚数」は諸説の序文のありかたについて書いた序文集のような一見おかしな作品ですが、あまりに実験的な内容は日本語訳が出るのにかなりの年月がかかったというのもうなずける。脳への刺激促進剤的な本です。
・「レムワールド」
「ネクロビア」 ツェザーリ・シチシビシ
人体をレントゲン写真で撮り、神への冒涜ともいえるようなグロテスクな写真集「ポルノグラム」は芸術の枠を超えた死の学問ネクロビアを鮮烈に映し出す。
「エルンティク」 レジナルド・ガリヴァー
バクテリアに英語を教えるところから始まりそれによる予知能力の発見というおもしろい帰結を綴っている。
「ビット文学の歴史」 第一巻 ジュアン・ランベレー他
人間の言語を超越したコンピュータの言語(※C言語やJAVAなどのコンピュータ言語ではない)を用いた電脳体による作品を研究するビット学を通して人間言語の限界とそこに現れる論理矛盾を暗示する。
「ヴィストランド・エクステロペディア」
あらゆる百科事典がもつ危機-百科事典のもつ情報は刷り上がった時点ですでに時代遅れになってしまう-を克服した究極の百科事典を商品案内の広告のように説明している。
「GOLEM XIV」
人智を遙かに超えたコンピュータGOLEM XIVが自らが持つ知を人間の言語を用いて話したり、人間からの質問に応え、ときに諭したりする。そこにはまだ見ぬ人類を超越した知に対する人間の態度と想像できないGOLEM XIVの思考がある。
・「ゼロ」
1973年の「虚数」と81年の「ゴーレム14」を収録。実に虚しい。「虚数」などは始まる事の無いゼロへの回帰欲求と虚勢にも見える。序文と小説本体という形式を作家の立場から見た思考形態の無意味さを嘆く傲慢さであり、「虚数」の解説的発展性が示されたのが「ゴーレム14」である。ゴーレム=レムであり、この賢者がいまだ傲慢性も虚勢もその内面に残しており、知性と肉体の相関関係への置き換えは「ああ身体が無ければ誰がお前などを愛するだろう」と詩人が語るのと結局は同じ事になっている。知性のみの存在は神や悪魔へと昇華する事は出来ても、人として生きる事は出来ない。言語によって認識し表現する人間は生物界で最も劣った存在であるという逆説。人間は肉体と知性を切り離す事は出来ない。認識がある限り知性を放棄する事も出来ない。よってゼロが最高の状態であり、発生、進化の系譜は終わる事の無い退化の系譜であり、それでも進み続ける事を余儀無くされる。しかし「左へ行けば首を落とされ、右へ行けば死ぬ、後戻りは不可と言う標札が常に目の前に掲げられている」(文中より)。その場に留まり平和という名の無知なるヒューマニズムで自他を欺きあいながら共に生きる事を努力する事は出来るであろうが、それは個人の放棄であり、一部の目の見える物に導かれる盲人、奴隷となる事であり不毛なる失意の中で生きている事に等しい。ゴーレムは言う「信念の鏡の焦点上に誇張されて美しい悲劇性の像を結ぶ全ての人間性の残滓を放棄し踏み出す事だ」と。自分の髪を掴んで不毛なる淀んだ水溜りから身体を引き上げろと言うに等しい。人間が人間である限り無理なのであり、実に無意味である。よって虚しい。ほら吹きレム男爵の言葉はあなたにどう響くでしょうか。
・「愛の本質とは?」
これまで「愛」と信じていたものが、もろくも崩れ去り、自分の手の中から砂のようにこぼれ落ちていくのを、ただ見ているしかない男女。青年、成年、中年、老年にわたる様々な主人公達の、恋人への妻への子供への、そして自分への「愛」と信じていたものは、いったい何だったのか。
「愛」をつきつめればつきつめるほど、また、自分の「愛」に正直になればなるほど“逃げてゆく”「愛」の不条理を、真摯に捉えた「残酷な愛」の書でもある。ドイツ人作者ならではのドライで誠実な人間関係を堪能できる。☆「真剣な愛」を経験したことのある人におすすめ。
・「巧妙な人物設定と少し意外な結末」
私が最も気に入ったのは、ドイツ人男性とユダヤ人女性(そうしたければ、順番を逆にしてください)の恋愛を描いた「割礼」。テーマだけを聞くと、随分と陳腐に聞こえるかもしれないが、そこは『朗読者』のシェリングのこと。巧妙な人物設定と少し意外な結末によって、読後に忘れがたい印象を植え付け、私たちは正答のない(そして提出期限もない)宿題を課されたかのように感じることだろう。
この短編では、ナレーティヴな部分は、ドイツ人男性(と語り手)の側にあるが、そのことが、「あれこれと悩む男と、あんまりは悩んでいない女」(The above disclaimer also applies here.)という印象を与えているように私は思った。ユダヤ人女性の側にナレーションをおいた場合や、「ドイツ人女性とユダヤ人男性」(ここでもディスクレーマーは必要ですか?)という設定を想像してみたら面白いと思った。
・「『逃げてゆく愛』を原書で」
長編『朗読者』の世界的ヒットが日本でも話題になった、ベルンハルト・シュリンクの短篇集。知的でスタイリッシュな7編が収められています。繊細な男女の愛に、現代のドイツやドイツ人の抱える問題を、さりげなくからめて語っています。たとえば最後に置かれた作品『ガソリンスタンドの女』は、シンプルでありながら深い余韻の残る佳品です。『朗読者』と同じく新潮社から翻訳も出ています。邦題は『逃げてゆく愛』。
・「放蕩学校あるいは放蕩学派」
『ソドム120日』で語られる放蕩の120日が始まる前の、いわば序章部分の翻訳。4人の非道哲学者は、語り部にさまざまな放蕩を語らせることによって、人間のあらゆる情欲を分析しようと試みる。その方法はもちろん、経験論に基づく実践、つまりサディスティックな饗宴ということになる。原稿を紛失した際、サドが「血の涙を流した」ことからも分かるように、この作品には彼のすべてがあるといっても過言ではない。「すべてを言」おうとする百科全書的精神、ひとを寄せつけない舞台装置としての城、延々と反復される哲学論議と饗宴の描写、語られる美と描かれる醜、数字への偏執的なこだわり、などなど。本書は抄訳だが、こういったサド的世界の雛型として十分に通用する部分が訳されているので、サド入門として恰好の一冊と言えるだろう。澁澤節がよほど嫌いでない限りおすすめです。
・「まあ完訳だとくどいでしょうからお手軽に」
ほとんど他人に薦める機会がない作品だと思うが、人間の性的な想像力の極北を見てみたい方 には、「悪徳の栄え」とセットでお薦めの作品である。これと比べれば、沼正三の作品などは かわいらしいものである。これは実は抄訳であるけど、もともとの原典も完結していないのは残念。
・「快楽至上主義」
大勢の人がこの小説の舞台には登場する。その何十人もの人々に、サドによる緻密精細な描写が加えられている。それがまた吐き気を催すほどひどいようすの描写で、本当にすごい。私は、難しいことは分からないが、とにかくすごい数の変態が出てくる小説だ。サドの生きた大昔のヨーロッパに、既にこんな変態を考えうる時代背景があったなんて・・・人間の性は、いつの世も変わらないのかなあ。とにかく、この小説の舞台を支配する主要な登場人物は舌を巻くほどの快楽主義者で、快楽が何よりも偉い。読者が自分の良心の正しさを疑いだしてしまうほど、主人公たちは悪の制裁にとまどわない。けれど、自分の、いつもは眠っている深層心理の部分が強く揺れ動かされた感じはした。続きはかなり読みたかった。
文章はとても緻密で説明が多いが、三度目チャレンジでやっと読み終えた。読み終えたのにこの消化不良感じはちょっと辛かったので、星3つ。
・「澁澤訳の完訳を読みたかった」
「ソドムの百二十日」は、佐藤春夫による完訳がある。それを読んでしまった後だと、この澁澤訳は、ほんの冒頭部分が書かれているだけで、どうにも物足りない。ぜひ、澁澤訳での完訳を読みたかったです。なぜなら、「ソドムの百二十日」の素晴らしさは、この後の部分を読まないと分からないだろうから。
・「「生埋め」所収の「幕屋の人形」と乱歩の「人でなしの恋」につい」
この「幕屋の人形」は1930年代はじめにかかれたものである。「奥手で女性と付き合うことがうまくできないイラン人青年が、フランス遊学中に偶然洋品店のウインドーで見かけたマネキン人形に抱く不条理な恋を描く一編」(訳者石井の解説より)である。この青年の婚約者は自分に振り向かせようとして人形に似たような格好をして見せるが一向に効果が見られない。ある日青年が陶然としてマネキン人形を見つめていると、突然人形が動きはじめた。恐怖に狩られた青年はピストルで人形を撃ってしまう。ところがそれは人形そっくりのかっこうをした婚約者であった、というストーリーである。
以上から判るように、この話は人形に恋をした青年の視点から語られている。「そのすべては具象の愛をも、彼の思惟をも、その美意識をもすべてを超越していた。加えるにこの娘は彼に何を語りかけることもない。偽りの愛を語って彼を欺く怖れもない。彼を振り回すこともしなければ、嫉妬に狂うこともない。いつも黙っていて、いつも同じように美しい。彼の究極の思いと願望を具現してくれるのだ。…何よりこの娘は何も話さず、意志を表すこともない。それは大事なことだった。彼はお互いの主義が一致せぬことに怖れを抱かなくとも良かった」というのが青年メヘルダートの真情である。何かしら最近のヴァーチャル恋愛、コンピュータの恋愛シュミレーションソフトを連想させないでもないが、それらにしても上手く仮想の女性の機嫌をとってやらないことにはゲームオーバーになってしまう。それらよりもより極端な感情と言っていいだろう。
一方江戸川乱歩の「人でなしの恋」は1926年に発表されているからほぼ同時代といっていいだろう。こちらは妻の視点から描かれており、不審な夫の行動からだんだんその謎が解き明かされていき、夫の人形愛という事実が判明したことで一つの結論が得られるが、しかしさらにそれに加えて妻が破壊した人形と、夫が後追い心中をするということでもうひとつのどんでん返しが加えられて作品世界は破滅のうちに終焉を迎える。これら視点の相違が二つの作品の最大の違いであり、その他の道具立ては、男に婚約者もしくは妻がいて人形と同居しているというということなど面白いように類似している。ただ違う点といえば、イラン人青年メヘルダートは上述のように人形が人形であるということに愛情を抱いていたのにたいして、「人でなしの恋」の門野は「人形のために女の声色を使っていた」というように、人形に人間を仮託していたことである。メヘルダートは移ろいやすい人間の心そのものに嫌悪感を抱いていたからであり、一方門野は単に妻に出会う前に理想の女に近い姿形の人形に出会ったからにすぎない。もしそれが実在の人間であったなら門野は素直に彼女と恋愛をしていただろう。この点からいうと「幕屋の人形」のほうがより虚無的であり、かつ非人間的であるという点を考えれば、「人でなしの恋」よりもより現代的都会的と評してもかまわないであろう。
最後になるが、この短編集「生埋め」には「幕屋の人形」のほかにもホラー小説ともいえる「タフテ・アブーナスル」や人類同時自殺をあつかったSF小説「S.G.L.L.」なども含まれていて、ミステリファンにも十分お奨めできることを付け加えておきたい。
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