モーツァルト:交響曲第25番&第40番 (詳細)
ワルター(ブルーノ)(アーティスト), モーツァルト(作曲), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)
「万人向けではない名盤」「普遍的定番?」「40番&25番の名演奏」「最高の40番。」「モーツァルトのト短調交響曲のベスト版」
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ全集 (詳細)
バックハウス(ウィルヘルム)(アーティスト), ベートーヴェン(作曲)
「永遠の指針となりうる名盤」「新全集には新全集の良さが……」「ベートーヴェンのピアノソナタはこれでだけで十二分」「全集を買う価値ありです」「―如何にしてバックハウスは精密度に拘泥した―」
メンデルスゾーン&チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 (詳細)
ハイフェッツ(ヤッシャ)(アーティスト), チャイコフスキー(作曲), メンデルスゾーン(作曲), ライナー(フリッツ)(指揮), ミュンシュ(シャルル)(指揮), 室内管弦楽団(演奏), シカゴ交響楽団(演奏), ボストン交響楽団(演奏)
「感動しました。この曲を持っていない人はおススメです。 」「抜群の演奏」
モーツァルト:ピアノソナタ集 (詳細)
グールド(グレン)(アーティスト), モーツァルト(作曲)
「グールドのお部屋に「お呼ばれ」する妄想」「我とともに唄え、モーツアルトを!」「「外界を知らない魂は考えることができない」by アリストテレス」「まさに「あいた口がふさがらない」」「買ってください」
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲) (詳細)
カザルス(パブロ)(アーティスト), バッハ(作曲)
「素朴であり、限りなく深い」「古き音の向こうから聞こえる命の鼓動」「至高の音楽」「ただ、感謝」「一挺のチェロが歌いあげる音楽の、なんて豊かなんだろう。人類の遺産というべき名盤」
モーツァルト:ピアノソナタ全集 (詳細)
クラウス(リリー)(アーティスト), モーツァルト(作曲)
「この値段で」「過度な甘さ、大げさな表現を抑え、滋味溢れる最高の演奏」「たおやかな音」「繰り返し聞きたくなるCD」「名演ですが」
ショパン/ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11 (詳細)
ツィマーマン(クリスティアン)(アーティスト), ショパン(作曲), ポーランド祝祭管弦楽団(演奏)
「「協奏曲」の真価を問う」「オーケストラ奏者も満足」「なんとゆうショパンに対する思い入れの強さ!」「実に美しい演奏!-A fabulous disc!-」「凄絶なオケ、美音のピアノ」
クラシック>器楽>交響曲・管弦楽曲>マ・ヤ・ラ・ワ行の作曲家>モーツァルト
Custom Stores>By Formats>国内盤>クラシック
Custom Stores>By Artists>クラシック>オーケストラ>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
Custom Stores>By Artists>クラシック>作曲家別>マ行>モーツァルト
クラシック>器楽>室内楽・器楽曲>作曲家別>ハ行の作曲家>ベートーヴェン
Custom Stores>By Artists>クラシック>作曲家別>ハ行>ベートーヴェン
クラシック>器楽>協奏曲>作曲家別>サ・タ行の作曲家>チャイコフスキー
クラシック>器楽>協奏曲>作曲家別>マ・ヤ・ラ・ワ行の作曲家>メンデルスゾーン
クラシック>器楽>協奏曲>演奏者別>ナ・ハ行の演奏者>ハイフェッツ
Custom Stores>By Artists>クラシック>オーケストラ>シカゴ交響楽団
Custom Stores>By Artists>クラシック>オーケストラ>ボストン交響楽団
Custom Stores>By Artists>クラシック>作曲家別>タ行>チャイコフスキー
・「万人向けではない名盤」
この演奏、気に入らない人は気に入らないであろうと思う。快速のモーツァルトが氾濫する現代では、このたっぷりしたテンポが許せない、という人もいようし、それよりも有名な主題に掛かったポルタメントを嫌う人もいるだろう。しかし、今は失われた旧きよき、少しばかり退廃的なウィーンの演奏を愛する人にはたまらない名演だと思う。老ワルターの愛情のこもった音楽への接し方が感じられる。彼は本当にモーツァルトの音楽を愛していたことが感じられるのである。ワルターは、音樂というものは人を幸せにするためにするものだ、と思っていたのだろう。 あくせくとしなければならない現代、これほどのどかな、しかし緊張感の漲る音楽は、どういう意味を持っているのだろうか。せわしない現代であるからこそ、ほっと息をつける音楽がとても大切なのではないだろうか。また、現代にはこのワルターのようなエレガントな音楽をする指揮者が本当に少なくなった。人々が音楽に幸福を求める限り、生涯を通じて音楽に献身的な愛を込めたワルターの音楽が滅びることはない。
・「普遍的定番?」
近年はモツのCDを買いに来た人に「モダンですか?」と店員さんが聴く。買いに来た人は「ハァ?」何のことかサッパリと判ると対応が違う。ニコラウス・アーノンクールによって様変わりしたと言ってもいいだろう。古楽器を使用した交響曲演奏が頻繁になった。本来初演された当時は大オーケストラでの演奏ではなかった。当たり前の話だ。その雰囲気を出そうとした動きが増々強く、と言うよりある意味現状に飽きたというのが本音だろう。「悲しみの氷漬け」とは宇野功芳氏のモツ評だが、目にいっぱい涙を溜めながら顔は微笑んでいる。苦しみあがいても気品さは決して失わないいじらしさ。これがモーツアルトの本質だ。ワルターは別途コロンビア交響楽団とニューヨークフィル(私は荒削りで好きです)での名演もあるが人気はこのCDに劣る。珍しいト短調の両曲、好みは人それぞれだが万人が認める好演には違いない。一枚持っておく価値がある。
・「40番&25番の名演奏」
40番&25番は名曲だと思います。その40番&25番の名演奏だと思います。
録音が気になったのですが、スタジオでコロンビア交響楽団と録音した40番と聞き比べるとこのライブ版の方が圧倒的に感動させてくれることに驚いてしまいます。こんなことがあるから、音楽って不思議ですよね。
コロンビア交響楽団とやっている「ジュピター」も良いですよ。でも40番はこっちが圧倒的に良いです。
・「最高の40番。」
クラシック初心者の私でも40番の第一楽章の冒頭の美しさは思わずため息のでるほどです。一番最初にこのCDに出会ってしまったため次に聴く演奏家に迷ってしまうくらいです。以前唯一聴いたことのあるのはオムニバスのコープマンの第一楽章だけ。それからいろいろと試聴したりもしましたがやはりこのワルター・ウィーンフィルが一番です。25番の方も躍動感あふれるすばらしい演奏です。疾風のごとく駈け抜けるワルターとウィーンフィル。ただ他の演奏家と比べると個性的であるように思います。40番&25番共にライブ演奏なので曲の臨場感も肌で感じられるのではないでしょうか。とにかく買いの一枚です!
・「モーツァルトのト短調交響曲のベスト版」
40番はすばらしいの一言に尽きる。問題のポルタメントやワルター・パウゼを差し引いて考えてもすばらしい。特に第2楽章。他の楽章に比べるとやや個性の薄い第2楽章をここまで聴かせるのはさすがにワルター。25番の非常に怪しい冒頭部には思わずニヤッとさせられる。悪魔のような笑みをたたえたワルターの顔が浮かんでくる。
・「永遠の指針となりうる名盤」
このソナタ全集を買ってから大分過ぎましたが、おかげで、レコードライフが豊なものになりました。演奏の出来にムラがないので、他のピアニストがCDや演奏会で弾いているものと比較してみても楽しいし、バックハウスはどういう風に弾いているんだろう?という、一種の基準が生まれました(ただ、24番のテレーゼ・ソナタは、どうにも納得できない演奏でしたが…)。
・「新全集には新全集の良さが……」
手元にあるのはLPなので、CDの音はわからないことをあらかじめおことわりしておきます。
バックハウスの演奏の特徴の一つが、ベーゼンドルファーの持ち味を生かした深々としたウォームな音色にあるように思う。そしてデッカのステレオ録音は、バックハウスの音を良くとらえている。 技巧的に万全かといえば、決してそうではない。「熱情」のようなスパルタンな曲では、少々指のもつれが気になることもある。ただし、それは「気にすれば」という話であって、音楽の形を壊すような種類のものではない。 解釈は、旧全集と「大して」違うわけではない。私が偏愛している最後の32番のソナタにしても、旧全集であろうと、カーネギーホールでのライヴであろうと、やっていることは基本的に「あんまり」変わっていない。だから、旧全集の方が良いという人の気持ちは痛いほどわかる。 でも、人間だから、同じことをやろうとしても、同じことをやっているつもりでも、その時、その場所によって、違う結果が出る。それは、フィジカルの変化も影響するだろうし、メンタルなコンディションも関係しているのだろう。 話を32番のソナタに戻せば、第2楽章のあの感動的なアリエッタを、バックハウスはこともあろうに、あっさりと、スピーディーに駆け抜けていく。そして、第4変奏あたりで、このテンポで走らなければならなかった理由が見えてくる。そういう設計図は、従来と変わらないのだが、曲の頂点となる第4変奏以降の部分で、えもいわれぬ「間」の感覚は、この演奏でしか味わえないもののように思う。 同じような印象を、30番や31番にも持っていて、やはりこれは得難い全集であるという結論に達する。 体が思うようにならない人生の黄昏時を迎えて、バックハウスはただ良い音を求めて新たな録音を遺したのか、あるいは、旧全集で言い残したことがあったのか、考えながら聴くのも悪くない。
・「ベートーヴェンのピアノソナタはこれでだけで十二分」
盲目的なファンなので、多少は割り引いて欲しいが、正直いってこの全集以外、ベートーヴェンのピアノソナタのCDは必要ないとさえ思っている。演奏が時に「そっけない」とか、楽譜に忠実すぎるとか、いろんな雑音が聞こえてくるけれど、そんなものは無視するしかない。
ベートーヴェンは、古典派の終わりであると同時にロマン派の始まりと評価されている。なにしろ「精神の人」とだけ誤解されているから、必要以上に情緒過剰型で演奏するピアニストも少なくない。全くうんざりだ。
ベートーヴェンは決して情緒に溺れているわけではないし、かといって、冷酷にきわめて冷静に音楽を書いていたわけでもない。このあたりのバランス感覚をもった演奏は、バックハウスしかいまだにいない、と私は思っている。澱んだ水ではなく、清流だ。
亡くなってから既に35年以上経過しているにもかかわらず、バックハウスを超えるベートーヴェン弾きに出会えない私は不幸者かもしない。いや、不幸者ではないな。答えは簡単だ。バックハウスを聞き続ければいいのだから。
・「全集を買う価値ありです」
お薦めです。ベートーベンのピアノソナタを集中的に聴いて調べてみたい方は、このバックハウスの全曲演奏をテキストとするに如くはないと思います。入るに間口は広く、かつ、汲み出しても涸れることのない泉のような底知れない深みのある演奏集です。
・「―如何にしてバックハウスは精密度に拘泥した―」
終始一貫して完璧過ぎる優等生的なタッチ、テクニカルジャッジは満点といったところか。ドイツというお国柄が彼をそうさせたのか。しかし、もっと声を大にして、私は他の誰でもないバックハウスだ、自ずから湧き出るゆるぎない曲想をつけた、と放ってほしかった。もしも本人に尋ねることが出来たなら、いやいやべートーヴェンソナタだからこそ譜面にひたすら忠実に従ったのだ、と一蹴されるかもしれない。一リスナーの私はきっと自分の稚拙な創り上げられたイマジネーションに囚われているのだろう。この演奏は本物だ。
・「感動しました。この曲を持っていない人はおススメです。 」
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が非常に素晴らしいです。最初から最後まで聴き手を飽きさせないハイフェッツの技巧的かつ緊張感のある演奏は必聴です。有名なメンデルスゾーンの協奏曲は優雅でリラックスして聴くことができます。この値段でこれほどの演奏を聴けるのはすごいと思いました。このCDを買って本当に満足しています。音質もとても約50年前に録音されたものとは思えないほど良いです。細かいところですが、CD本体上面のデザインが赤と黒の現代風なもので、個人的にかっこいいと思いました。ハイフェッツというヴァイオリニストを知ることができて、本当についてると改めて思いました。
・「抜群の演奏」
ハイフェッツは1959年の夏に事故で腰を痛め、その後、演奏活動が激減したと言われるが、チャイコフスキーは55才、メンデルスゾーンは、事故直前の57才の円熟期の演奏。オーケストラのバックも申し分ない。ライナー/シカゴ響、ミュンシュ/ボストン響は、当時、全米のみならず欧州を含め、最高の技倆を誇った指揮者と交響楽団の組み合わせであり、録音時点はその最盛期に位置する。
逆説的だが、「抜群の演奏」とは、こうしたものを指すのだろう。チャイコフスキーが作曲後、協奏曲を当初謹呈しようとしたアウアーは当初、難曲すぎるとしてこの申し出を断ったが、そのアウアーはハイフェッツの先生でもあるという歴史的な「いわく」も付く。両協奏曲とも、美しく、激しく、緊張感に満ち、しかし聴いていて完全に満たされていくような演奏。これは、抜群の演奏としか言いようのない完成度である。
ハイフェッツについては、いまにいたるまで、技巧派、冷たい演奏といった見方もあるが、よく耳を澄ませば、怜悧で厳しい演奏スタイルのなかに、ほの明るい色調と抑制のきいた深い感情表現を見いだすことができる。あとはこうした演奏スタイルを好ましく感じるかどうかの受け止めの問題であろう。
・「グールドのお部屋に「お呼ばれ」する妄想」
グールドはモーツァルトがあまり好きではない、とどこかで読みました。で、どう弾いているのかと思いきや…
K310の第一楽章。早い。K331の第一楽章。遅い。どちらも、ちょっと変わっているのですが、弾きたいように弾いてる感がとてもよいです。子供の頃、これらの曲を家でひとりで練習している時、飽きてくると、譜面通りには弾きたくなくなる瞬間があります。で、自分の好きなように、速く弾いたり、遅く弾いたりして遊んでいたことを思い出しました。
天衣無縫にグールドさんが勝手に弾きまくるモーツァルト。うなり声も手伝って、なんだかとてもプライベートな空気濃厚。お部屋によんでもらって、弾いているのをそのへんのソファで聴いているような、なんとも贅沢になれる1枚です。
・「我とともに唄え、モーツアルトを!」
曲想がはっきりと聴き取れるって、他にはまず、ありえない。グールドがモーツアルトと対話して、俺のモーツアルトを聴き給え、と示した名盤。
グールドが辿りついた各曲の解釈と曲想が、彼の歌い、ハミング、鼻歌?でわかる。プロの演奏家も、心の中では歌ってるはず。隠す事なく伝えてしまったのがグールド。
音楽って楽しいでしょ、僕にはこう読み取れるんだよね、皆さんはどうだ?よかったら一緒に歌おうよ、気持ちいいんだよ。機会があれば君が掴み取ったモーツアルトも見せてもらうからね、とグールドが伝えているように思えてならない。
教科書のさらに先にあるモーツアルト、好き嫌いを言っていいのだけれど、好きになってくれる人が増えるとうれしい。
・「「外界を知らない魂は考えることができない」by アリストテレス」
これは只の演奏ではありません。演奏の形を取った批評です。「俺だったらこうする」「この方がいいと思わないか?」というね。そうでなかったら、大嫌いな作曲家の大嫌いな作品を全曲録音しようなんて思わないでしょう。(ちなみに、嫌いな理由は「聴衆に媚びてるから」だそうです)
そもそも音楽を言葉で語ること自体がナンセンスなのですから、これは非常に真っ当なやり方です。ただ、普通の批評家はそれ程の演奏能力を持っておらず、普通の演奏家はそれ程の批評能力を持っていない、というだけのことです。つまり、やらない、のではなく、出来ないのです。
グールドは、人並み外れた演奏技能と高度な知的活動を兼ね備えているという点に於いて、非凡な存在なのです。
ですから、彼がスコア通りに演奏するかしないかなどということは、全く些末なことに過ぎません。重要なのは、スコア通りに演奏するにしても、ただそう指示されているからそうする、というだけなのか、それとも、自らあれこれ考察した上で、「成る程、スコア通りに演奏するのが最良だな」と納得した上でそうするのか、という点です。つまり、演奏家としてのみならず、人間としての主体性の問題なのです。
グールドは、間違っても「演奏マシン」に成り下がらないだけの主体的な批判精神を持った最高度の演奏家、言わば、真の意味での「現代人」の「音楽家」なのです。
そんなグールド相手に、好きだの嫌いだのと子供みたいなことばっかり言っててもしょうがないんです。私達が彼の作品を楽しむ、或いは楽しむことしかできないのは私達の勝手でしょうが、音楽そのものを情緒的な快楽としてだけでなく知的探求として捉えるセンスなしには、彼の演奏の神髄を味わうことは出来ないでしょう。グールドを聴く喜びは、発見の歓びなのです。
音楽を、でなく、音楽「で」思考しなければ!
・「まさに「あいた口がふさがらない」」
モーツァルトのピアノソナタというと、あの美しい旋律の穏やかな曲だぁ。と思っている人がかなりいると思いますが、そのイメージを初っ端からぶち壊してくれます。まず驚くのが8番。あの楽譜からこんな演奏が出てくるなんて!最初に聞いた時は、思いもかけない"奇襲"には正直びっくりしましたが、よく聴いてみると技術的に完璧な演奏だったり、なによりも音楽性に富んだすばらしい演奏だという事が分かると思います。ようするに魅力的なのです。この演奏はグールドにしかできないと思います。できることなら、全集を勧めたいですが、まずはモーツァルトの名曲がぎっしり詰まったこのCDで衝撃を実感してください。
・「買ってください」
モーツァルトがブームになって久しいですが、(アルファ波がでてるから)私はそれほどよいとは思わず過ごしてきました。バッハはやっぱり天才だ~とか、美しさではラヴェルか・・とか、単純だけどハイドンのピアノ曲も素晴らしいとか言ってきたのです。しかし!グールドのバッハを聴いて「弾き手によってこんなに違うのね」と知り、ではモーツァルトは?と思って、このCDも購入してみました。結果は・・・星5つです!!間違いありません。「クラシック嫌いでもグールドは聴く」と言われますが、このCDでもその力が発揮されています。誰もが子供の頃聴いた事がある名曲(ピアノの練習曲)、と簡単に通り過ぎないで下さい。特に最初に収められているの8番!の、1楽章と3楽章は…心臓に突き刺さる演奏です。1楽章は「そうそう!これぞグールド」とニヤリとさせられ、更に3楽章では奇抜さではなく、恐ろしい程のテクニック&それ故の表現力に泣かされます。モーツァルトのピアノ曲をお求めなら、ぜひ買ってください。とにかく聴いてみて下さい。私はグールドのお陰で25年ぶり位にピアノを再び弾き始めました。
・「素朴であり、限りなく深い」
カザルス:「(無伴奏チェロ)組曲はアカデミックな作品と考えられてきた。テクニック一辺倒の、機械的で温かみのないものだと。考えてごらんよ!広がりと詩情が一点の曇りもなく輝きあふれるあの曲が冷たいだなんて、だれがいえるだろう!あの作品はバッハの本質そのもので、バッハは音楽の本質そのものなのに。」 (J.L.ウェッバー著「パブロ・カザルス 鳥の歌」、『バッハ』の項より抜粋)
カザルスによるこの曲の演奏は、心の芯の、そのまた芯にまで響き渡る、全人類必聴の超名演です。カザルスの奏でる奥深いチェロの響きは、巷に溢れる耳触りの良い、聴き易い音楽を聴き慣れている耳には、ぎすぎすした重苦しい音色に聴こえるでしょう。ですが、それは当然というもの。本当の魂の音楽というものは、心の底からそれを欲する時にしか、その素晴らしさを味わうことが出来ないからです。
カザルスは、音楽家史上稀に見る高潔な人格をもつヒューマニストでした。暴力や戦争を心から憎み、人間の愛の可能性を強く信じていました。そんな彼の思想や人柄が反映されたこの演奏には、人間の心の中にある最も神聖な「なにか」に強く訴えかける力が満ち溢れています。仮に、世界中の全ての人がこの演奏を聴き感動したのなら、世界は、良い意味で、もっと違ったかたちになっていたことでしょう。あなたがこの演奏を聴いて感動した時はきっと、人間として忘れてはいけない感覚―幼い頃、母の腕に抱かれていた時のような、懐かしく、限りなく幸せだった時の気持ち―を思い出すはずです。
・「古き音の向こうから聞こえる命の鼓動」
チェロは人間の声の音に最も近いと言われる。そのため最も自然に人間の耳に入り、心地よく響く。しかし、その歴史はヴァイオリンよりも地味で古今東西のチェロの名曲と言えるものは多くはない。その中でバッハの無伴奏チェロ組曲は最高の曲である。この当時、近代的なチェロは存在せず、ヴィオラ・ダ・ガンバやバリトンと呼ばれる現在のチェロには到底及ばない楽器が用いられていた。そのため独奏楽器としてはほとんど用いられず、ただ合奏の低音部を担う程度の役割しか与えられていなかった。そのような時代にバッハが独奏チェロのための曲を作った事は彼のチェロへの関心とこの楽器の魅力に対する先見の明があったと言えるだろう。この組曲はヴァイオリンソナタのような厳格な形式に依らず標準的な古典組曲の形に則っているが、内容は深く、紛れもないバッハの音楽である。そしてカザルスのこの演奏は彼の最高傑作のみならず、人類最高の遺産である。20世紀という激動の時代に自らの信念を貫き、最高のチェリストのみならず、最大の人格を備えた芸術家であった彼は後世に多大な影響を与えた。そしてこの演奏からは彼の命の鼓動が聞こえてくる。彼はこの曲の自筆譜を若き頃古本屋で見つけ、熱心に研究したという。その努力があたかも立派な樹木が地の下の見えない所に深く根を張っているように、冒頭のプレリュードから肺腑をえぐられるように心に響いてくる。このような演奏を聴くと自分の愚かさを思い知らされるようである。今現在の日本で僅かのお金を出してこの録音を簡単に買う事ができる時代になったが、果たしてそれで良いのかと思ってしまう。命を懸けてこの曲に取り組んだカザルスの命の鼓動を聴く側が安直な態度では決していけないだろう。こちらも可能な限り全精力を傾けて聴き、ようやくそこから何か得る事があるだろう。古き音の向こうから聞こえる命の鼓動を魂で聴くことによって。
・「至高の音楽」
音の中に魂が融け込んでしまうような。そんな音楽/演奏は、あまりありません。目をつむれば、静かな森の木漏れ日の中にいるような感覚。心から好きな音楽/演奏は他にもありますが、何も考えたくない、何も感じたくない、何も聞きたくない、ただ休みたい、それほど疲れ切っているときに魂が受け付けることのできる、本当の疲れを癒してくれるのは、私にとって、カザルスのこの無伴奏組曲だけなのです。
・「ただ、感謝」
色々なチェロの音色を聴いて、私は結局、カザルスの音色に行き着いた。カザルスの奏でるチェロの音色には、「永遠と一日」を感じる。どこまでも心が、やすらいでゆく。
・「一挺のチェロが歌いあげる音楽の、なんて豊かなんだろう。人類の遺産というべき名盤」
樹齢千年を超える古木のたたずまいを見るような、どっしりとして雄勁な演奏。今から七十年以上も前の録音なんだけれど、一挺のチェロから繰り出されていく音の逞しさ、微塵も揺るがぬ気迫といった風韻に、心を揺さぶられましたね。「流石に、名盤として語り継がれてきただけのことはあるなあ」と、パブロ・カザルスが紡ぐチェロの音、バッハの楽の流れに、深々とした銘酒の味わいを感じました。
全6曲のなかでは、ハ長調の『第3番』と、ニ長調の『第6番』が、特によかったなあ。『第6番』の前奏曲やガヴォット1&2といった曲でのカザルスのチェロは、生き生きとしてダイナミック、おのずとにじみ出る風格と気品が漂っていて、本当に素晴らしかった!
バッハのこの曲を聴いてみる気になったのは、過日、文庫で読んだある話の中で、この曲が流れていたから。「優雅で、切なくて、そよ風とも嵐ともつかない曲。そんな気がしません?」なんて、登場人物がバッハのこの音楽のことを語っていましたっけ。伊坂幸太郎の『死神の精度』(文春文庫)。未読のかたは、ぜひ!
録音年月日は、次のとおり。■『第1番 ト長調』・・・・・・1938年6月2日■『第2番 ニ短調』『第3番 ハ長調』・・・・・・1936年11月25日■『第4番 変ホ長調』『第5番 ハ短調』・・・・・・1939年6月13〜16日■『第6番 ニ長調』・・・・・・1938年6月3日
・「この値段で」
リリー・クラウスがモーツァルト弾きとして多分1・2位を争う名手であることは疑いないでしょう。このステレオ録音は、前に録音したモノラルより力強さという点では同じリリー・クラウス録音のものとしては劣るという事も聴きますが、それでもステレオ録音と熟練からくるたおやかさで、勝るとも劣らないと思います。何よりこの値段ですから、お得なセットでしょう。
・「過度な甘さ、大げさな表現を抑え、滋味溢れる最高の演奏」
最初期の作品などは得てしてロココ調のチャーミングな甘い演奏になってしまいかねないが、毅然とした節度を保ち、気品に満ちた大人の演奏をしている。それでいて、モーツァルトの音楽の持つ多様性を過不足なく的確に表現し、このフレーズはこうでなくてはという、、、まさに正鵠を得た最高の演奏となっている。
聴きものはすべての演奏といえるが、あえて一番初めの第一番、、、最初の一音からクラウスの音世界に酔ってしまう。
・「たおやかな音」
モーツァルトのソナタを購入しようと決心し「何故リリー・クラウスなのか?」と問われたら、私は「彼女のたおやかな音が好き」と答えるでしょう。実際購入まで、私はこの方を知りませんでした。けれども購入してずっとBGMとして聴いておりますが、飽きないのです。時折控えめにも聞こえるタッチ。けれどもはぎれがよく、しかし決して情におぼれ過ぎることもなく、淡々と、けれども芯が一本通っている・・・そんな彼女の演奏に慰められます。4枚組みのこの全集は購入される方の期待をまず裏切らないだろう、そう思います。決して華やかではないけれど誠実な演奏だと思います。
・「繰り返し聞きたくなるCD」
まず、音はとてもクリアです。1968年のステレオ録音ですが、このソニーインターナショナルさんが、どうやったのか、とてもきれいな音です。
・「名演ですが」
モーツァルト弾きとして誰もが認めるリリー・クラウス。一音一音を非常にマルカートにはっきり鳴らして、完璧に弾きこなしております。しかしやや弾き急いでいるというか、タッチがバタついているところもあり、やや奥ゆかしさというかデリカシーに欠ける部分もあります。というわけで星は4つ。名演であることに変わりはないんですけどね。
・「「協奏曲」の真価を問う」
ショパンコンクールの入賞者は、たいていが協奏曲を録音している。理由としては、それがコンクール本選の課題曲だということも挙げられるが、それ以上に、この2曲が非常な難曲だからだということが挙げられるだろう。つまり、ピアニストにとってはある種の試金石になっているのだ。 そんなショパンの協奏曲には、当然名演と呼ばれるものも多い。たとえば、アルゲリッチ、ポリーニなど歴代のショパンコンクールの優勝者や、ツェルニー・ステファンスカ、ルービンシュタインなど、往年の大家にも名演がある。 しかし、どれを聞いても感じられることだが、やはりオーケストラの部分が物足りない。それどころか、ピアニストが繊細な弾き方をしていても、オーケストラだけがドイツ軍よろしく行進するような伴奏をつけているようなものもある。 ところが、このCDにはそんな物足りなさや不自然さがまったく感じられない。オーケストラは“伴奏”ではなく“旋律”を奏で、ピアノとオーケストラの音が互いを主張しつつも完全に融合している。もちろん、弾き振りにありがちなタイミングの大きなずれもない。類稀な名演ということができるだろう。 もちろん、人によってはこの演奏を甘ったるく感じて、他の演奏家のほうがいいという人もいるかもしれない。しかし、ピアノだけが目立っているのでは、それこそ協奏曲ではなく、“競奏曲”になってしまう。 真の“協奏曲”を追及した演奏、一聴してみる価値はあると思う。
・「オーケストラ奏者も満足」
元来ショパンのピアノ協奏曲では、オーケストラはピアノのバックにまわるだけのことが多かった。しかしこの演奏ではオーケストラがこれまででは考えられないほど強烈な自己主張をしている。弦楽器の効果的なポルタメント、若々しい管楽器の響きによって、この曲が別もののようにシンフォニックな響きを持って迫ってくる。そして、ピアノもオケも、たっぷりと歌う。通常、本協奏曲集の1番と2番が1枚のCDに収まることが多いのに、この録音が2枚組みである理由も分かるだろう。近年の古典回帰の風潮の中で、ロマン派とっての一筋の光である。
・「なんとゆうショパンに対する思い入れの強さ!」
私は今までにショパンのピアノ協奏曲は、何十人のピアニスト&指揮者で聞いたことがありますが、この演奏はまるで別格!正直言って目から鱗が落ちました。ピアノパートのみならず、オーケストラの演奏でここまで細部にわたって、ひとつひとつのフレーズごとに「生々しい表情」を見せる演奏は他に類を見ません。しかもこの演奏内容のユニークさは、言葉で言い表せるようなものではないです。従来の演奏様式の常識を根本から覆すその破格のテンポ設定。普通の指揮者なら何となく流してしまう管弦楽の序奏や中間奏、伴奏のそれぞれに対して各パートに細かく指示を与え、テンポ、強弱、音色の指示も精密を極めています・・・よくここまでできるなあ・・・というのが正直な感想です。これもツィマーマンとオーケストラのメンバーの、自国の大作曲家ショパンに対する「強い思い入れ=愛」がなければここまでの演奏は成し得なかったのではないでしょうか?ショパンファン30年の私がこの演奏を今まで知らなかった・・・ちょっと恥ずかしい気がしました。
・「実に美しい演奏!-A fabulous disc!-」
このディスクが発売されてから輸入盤と国内生産盤をそれぞれ購入し、もう4、5年は聴いてきましたが、この演奏について言えば、時間をかけて繰り返し繰り返し聴くことをお薦めします。ショパン自身の演奏はピアノの音がとても小さく、ショパンはささやくようにピアノを語らせるのが好みだったと言われています。しかし、スコアを見てわかるとおり、これらのスコアには、もはや作曲者が好んだ「ささやくような演奏」という領域をはるかに超えた無限の可能性があり、それゆえ作品の解釈にも多様性があるのです。このような美しいスコアを後世に残してくれた天才ショパンに感謝し、そして自身の音楽に対する美学に従って、そのスコアからこの上ない美しい音楽を創り上げたツィメルマンと彼のPFOにも感謝したいと思う。美しい音楽を常に新鮮な驚きと異なる感覚をもって聴くことができる・・・実に素晴らしいことです。
・「凄絶なオケ、美音のピアノ」
冒頭の異様な唸りから他の録音を圧倒している。素人なのでショパンのオーケストレーションが拙いという一般的な見解はよくわからないが、この演奏を聴くとロマン派の一大ピアノ協奏曲を存分に味わった気がしてくる。オーケストラの熱気は緊迫感を伴い、テンポはこれでもかと流動して息をつく暇を与えない。ちょうどフルトヴェングラーのベートーヴェンを聴くような、一度聴くと夢中になり、鮮烈な余韻を残して呆然としてしまう圧倒的な迫真性がこの演奏にはある。ツィマーマンのピアノはオケに較べ大人しいが、磨きぬかれた美音を思う存分に発揮し、ピアノの詩人と言われた作曲者のロマン的香気に満ち溢れたメロディーを十二分に堪能させてくれる。この録音はこの曲の真価を気づかせるというより、もはや新しい価値を生み出した演奏の証言として貴重なものと言えるだろう。
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