新版 ひふみ神示 (TEN BOOKS) (詳細)
岡本 天明(著)
「人生の指針として読む。」「深いです...」「難攻不落」「力が湧いてきます。」「奥深い・・・」
透明な力―不世出の武術家 佐川幸義 (詳細)
木村 達雄(著)
「技」「日本の武道史がよく分かる」「門外漢からのコメントです。」「本物の強さ」「達人」
五井昌久全集〈第1巻〉講演編 (1980年) (詳細)
五井 昌久(著)
静坐―岡田虎二郎その言葉と生涯 (1974年) (詳細)
笹村 草家人(編集)
坐禅に生きた古仏耕山―加藤耕山老師随聞記 (1983年) (詳細)
柳瀬 有禅(著)
バッハ:フーガの技法 (詳細)
グールド(グレン)(アーティスト), バッハ(作曲)
「とくに付け加える事もなく...」「オルガン使用の理由」「グールド唯一のオルガン演奏」「グールドによるバッハ・フーガの技法の決定版」「何十回も聞いてしまいました。」
Bach: Die Kunst der Fugue (詳細)
Johann Sebastian Bach(作曲), Tatiana Nikolayeva(Piano)
「私の宝物のひとつ」「調和の聖闘士ニコラーエワ」
バッハ:フーガの技法 (詳細)
ジュリアード弦楽四重奏団(アーティスト), バッハ(作曲)
Horowitz Plays Chopin, Vol. 2 (詳細)
Frederic Chopin(作曲), Vladimir Horowitz(Piano)
西鶴一代女 [DVD] (詳細)
溝口健二(監督), 田中絹代(俳優), 山根寿子(俳優), 三船敏郎(俳優), 依田義賢(脚本)
「溝口監督戦後の最高傑作か」「待ちに待ったDVD化!」「女優 田中絹代」「無常観と諦念」「ちん、とん、しゃん」
● その他1
● 【 岡本天明 】 と 『日月神示』 関連書―検索では見つけにくいものを集めてみました
● @合気道の源流 【 大東流合気柔術 】 関連書―検索では見つけにくいものを集めてみました (^^)/
● 合気道
● 達人
● 武道上達バイブル
● 参考書
・「人生の指針として読む。」
中谷氏の解説も一通り読んだが、基本は本書なのでひふみ神示(日月神示)に興味を持った方はこちらを入手し研究されることをお薦めする。
読む人間の人格の修練具合により、幾通りにも読めるのが本書の特筆すべき特徴といえる。わたしの周囲にも本書の愛読者は多いのだが、皆、十人十色で一貫していないのが面白い。それでいて、本書を一通り読み終わった後には全員が何らかの形で確実に変わっているのである。
オカルト本として知的好奇心を満たすために読むのも結構だが、啓発書として読めば、人生の難所を乗り越えるための指針を随所に見ることができる。興味深いことには、本神示を生活に生かすための智慧があり、疑念混じりでも行動に移せば必ず答えが出るものが非常に多い。
ことあるごとに読み返しては、新たな答えを得ることも可能だ。出版元の事情のなか、頻繁に品切れになるのだけが惜しい。入手できるならば、意味がわからなくても手元に置いておくだけでも良い本の見本である。
・「深いです...」
読み始めた時は、神道系の宗教の本かと思いました。読んでいくうちにそれは違うんだと言う事が解ります。宗教,信仰、精神、哲学(人間学)、三界、霊学、神学、宇宙?難しい言葉は良く解りませんが、行動学する事でそのひとなりに読み取れる様になっているのが不思議です。「神事読まねば教えてやれぬのに、困ったものじゃのう...」と言う文章を見たとき思わず笑っちゃいました。「おぬしは近慾でものを見るから、解らん事になるのぢゃ」胸が痛みます、はい。あの独特な言い回しに慣れてくると、とてもとても大事な事を教えてくれるちょっと他では見た事が無いような類の本なんだって、私は思いました。
・「難攻不落」
とてつもないものだと神示たい。何気に開いたページにはその日の自分の心を見事に戒めるきつ〜い御言葉。えっ?何で?正にシンクロニシティー。私は、「この本を手に入れとけば俺は助かるんじゃ〜!」という様な浅ましい心の持ち主です。でもこんなダメダメな私を一瞬だけでも正しい子に戻してくれる有難いインスピレーションです。8通り意味があるそうですが、たった一通りをマトモに理解するのがひと苦労。パズルと言ってもいいかも知れません。この万華鏡のようなパズルは生粋の日本人の心でしか取れない。そしてその人は現代に間違いなく存在して、これからの全宇宙全存在に対して非常に重要な影響力を持った方々です。そこの鼻糞ほじってるあなた!あなたがその人かも知れませんよ!
・「力が湧いてきます。」
解説本がいくつか発売されておりますがこちらを読むことをお勧めします。書かれている内容の理解できるかとか、内容をそのまま受け入れる事ができるかどうかなどとは関係なく一度読みきる事で自分の生き方に自身が沸いてきました。いろんなことに行き詰っている方、何かに自身が持てなくなっている方迷いを感じている方また、特に不満も無く暮らしている方どんな方にでも今までに無い心地よい形で力を与えてくれる一冊だとおもいます。また余談になりますが霊感の強い方はペースをセーブしながら読む事を勧めます。(文章事態にパワーがあるのです。)
・「奥深い・・・」
「ひふみ神示」という言葉を初めて聞く人も多いでしょう。昭和19年から自動書記で書かれた書籍です。原文は、数字や記号で書かれているため解読が困難なようですが、岡本先生達が日本語にしてくださっているのがこの本です。
日本神道にも繋がる点が多く、また、ある意味預言的な所も多く含まれている本です。特に後半の帖は、現代を言い当てていると思われる節が多く出てきます。 若干高価ですが、一読の価値はあります。
私の場合、この本の簡略版を一度購入しましたが、簡略版はあくまでも簡略版で、文章を選んだ人間の価値観が多く入り込んでしまっていると思っています。この機会に、是非、購入をご検討なさられては・・・ 4点の理由は、どうやら公表してはならないとされている帖がまだたくさんあるからです。
・「技」
大東流や合気道において一番重要なことは、本書にある「本気で頑張らせて技を効かせられるか」だと思います。佐川道場だとかよその道場だとかは関係なく、それを追求しようと思えば本書に書かれていることは具体的に書かれていなくても、とても心に響きます。自分にとっては聖書です。
・「日本の武道史がよく分かる」
武道をやっている友達に無理やり貸されて読んだ本です。しかし・・・これは面白い。合気道の起源になっている大東流合気柔術。明治の武田惣角氏、そしてその元で合気を極めた佐川幸義氏について、よく分かりました。
また、植芝盛平翁との関係や、佐川氏の弟子の門下にいた極真の大山倍達氏の話など、今日本にある武道や、格闘技といわれるものの、原点が見えるとところが面白かったです。
植芝氏のことは、あまりよくは書かれてないですが、その門下の塩田剛三のビデオを見て、「すごすぎる」と思っている私としては、佐川氏や武田氏が、いわゆる想像の域を超えた"達人"であったことが、容易に想像できました。
・「門外漢からのコメントです。」
体の小さな人物が大きなものを投げたり倒したりということに昔から憧れがあります。ただ体重が重くて上背があるのが勝つのでは面白くもなんともないじゃないですか?
著者は大学の先生で、理学博士、しかも数学の教授です。その先生が「先生」と仰ぐオジイチャンが、からだに触るだけで相手を飛ばすというのですから、これは読まないわけにはいかないでしょ。
で、読みました。佐川師の経歴について記された「略伝」と佐川師の口頭の教えを著者が大切に記録して残した「語録」とから構成されています。
(写真も掲載されています。私にはそう見えるのですが、武田惣角についての「鬼の冠」の著者:津本陽氏が見学に訪れた道場の壁際で佐川師の技を見て驚きで固まっている姿もあります。)
「語録」を読むとその道の達人と呼ばれるような人はやっぱり言うことが違うよ、と感じるところ、大でした。
私自身、門外漢ではありますが、佐川師の言葉は、武道に関わり、武道に邁進する人々だけでなく、誰が読んでも、得られるものは大きいと思います。一生追求できるものを見出して、鍛錬し、90歳越えても、なお自分の技(術)が進歩していると自覚できる人生・・・素晴らしいと思いませんか?
どうぞ、ご一読を、門外漢も得るもの大です。
・「本物の強さ」
佐川先生は本当の強さを追求し続けた日本最後の侍だったのではないでしょうか?ウエイトトレーニングなどの現代のトレーニング方法を否定しているのも自ら人の何倍もウエイトトレーニングをしてその意味の無さを悟り、何十年もかけて答えを出している事より非常に納得させられます。
力ではない力。
西洋医学では解明できないこのパワーは語れば語るほど、現代ではオカルトだの催眠術などいわれる事もあり基本的に門外不出の古武道です。
現在も都内某所で門下生たちが鍛練しています。一般の格闘技経験のないサラリーマンが汗をかかない練習方法で鍛練し、その結果、柔道数段のツワモノをなぎ倒し、腕自慢の道場破りを「透明な力」でなぎたおす光景は実際に見ないと信じがたいですが、事実です。 興味がある方は是非読んでみてください。
本当の強さが感じられ、毎日仕事に追われ無気力感に襲われている現代人にとっても人生の指南書となることでしょう。
・「達人」
合気の達人が語る武道の奥義。読んでも合気が身につくわけではないが・・・その一端は感じ取ることができる。触れずに相手を飛ばすとか、そんなまがい物の本ではありません。
・「とくに付け加える事もなく...」
前半のオルガン演奏についてはマイクを極端に近づけているわけですが、これは残響を排除して空間性をはぎ取るという明確な意図によるものです。曲の構造を重視するグールドらしい意図ではありま~~す。オルガン=スピーカーというわけです。教会の火災で録音が中絶した後、総てをピアノで一気に録音し直すことも考えたものの実現せず、ばらばらに録音されたものがこのCDの後半に纏められています。そのために音質にもばらつきがありますが、充分に楽しめるものです。ピアノ演奏が纏められているという点で、フーガの技法についてはこのエディション版を購入~~されることを強くお薦めします。~
・「オルガン使用の理由」
レオンハルト盤と並ぶ決定版と考えている。 ここでのグールドのオルガン使用の意図ははっきりしている。彼はオルガンをピアノ化して使用したのだ。それは本曲の「構造」を明らかにしようという意図であり、十分理解できる。「怪演」という評価は当たっていないと思われる。組曲系(フランス、パルティータ等)とは違って複数の旋律線の織りなす構造を重視する平均律系(インヴェンションや本曲集)の演奏としてはグールドのアプローチは適切であり、従来のオルガン演奏の枠内で考えるべきではない。 ピアノ演奏も含まれている本エディション盤を購入すべきである。
・「グールド唯一のオルガン演奏」
1962年1月31日から2月21日録音。バッハの最晩年の曲『フーガの技法(1748年か1749年に作曲に着手、バッハは1950年に没している)』には指定楽器がない。指定楽器がないことからかグールドはこの曲だけなんとオルガンを選択する。使用されたオルガンはトロント市キングスウェイのオール・セインツ教会のもので、ケベック州サント・セサントのカサヴァン兄弟有限会社建造のものだった。このオルガンの特徴は教会堂の内陣の南面にむき出しになっているポジティブ・オルガンの部分にある。グールドのマイクのセッティングも相当に変わっていて、楽器の送風音をワザと拾うようにセッティングされている感じである。ピアノにおいても徹底して自分の好みのセッティングに変えてしまうグールドであるからしてパイプ・オルガンにおいてもしかりであるのは頷けるところだ(●^o^●)。
全てを自らの思うままにして『オルガニスト』グールドはこの曲に立ち向かう。おそらくはグールドの数多いアルバムの中でも『怪演』の一つであるはずなのだが、聴きだすとその世界にすっかり入り込んでしまう自分を見つけてしまう(●^o^●)。
こういうグールドもいいなぁ、と思う一枚である。(●^o^●)
・「グールドによるバッハ・フーガの技法の決定版」
グールドによるバッハ・フーガの技法のCDは、オルガン演奏30分だけ収録したもの、何故かインヴェンションとシンフォニアを組み合わせたもの等が発売されているが、私はこの1997年発売の本作が決定版だと思う。コントラプンクトゥス第1番〜第9番が有名なグールド唯一のオルガン演奏約31分で、私は「怪演」などではなく、ピアノが本職のグールドらしさを感じさせつつも堂々とした名演だと思う。そして、本作を決定版と私が考えるのは、ピアノ演奏も収録されていること。即ち、コントラプンクトゥス第1、2、4番、正規音源による初発売となる同第9、11、13番、そして未完の同第14番のピアノ演奏であり、合計30分を超す。このうち、モノーラル録音は9、11、13番だけ。第1番等はオルガン演奏とピアノ演奏の比較に感興をそそられるし、何と言っても未完の第14番でピアノ演奏が止まる瞬間が時空の深淵をのぞくようで壮絶です。この瞬間の後にBACHの名によるプレリュードとフーガ変ロ長調BWV898(初発売)約5分が収録されているが、この曲はない方が、余韻があって良かったのではと思う。ジャケットもグールドがオルガンを弾いている写真の方が私は好きだ。そのような点を差し引いても本作は星5個に値する名盤である。
・「何十回も聞いてしまいました。」
ついに買いました!やっぱめちゃいいです。2番がお気に入りです。どっちもいいけどオルガンの方が好きかな。麻薬のようにやめられなくなりました〜!
・「私の宝物のひとつ」
ロシアのタチアナ・ニコラーエワによるバッハのピアノ演奏。{音楽の捧げ物}から2曲、{4つのデュエット}、{フーガの技法}全曲が収録されている。バッハ特有の哀調を帯びたメロディーを、繊細でいて時に力強くロマンティックに奏で、1曲目から音楽の世界に浸ることが出来る素晴らしい演奏。
やや残響音がある録音だが、それが却って臨場感を生み出している。日曜の物憂げな午後や夜更けに聞いていると、時間が経つのを忘れてしまうような盤だ。
・「調和の聖闘士ニコラーエワ」
コントラプンクトゥス(対位)を集めた曲集のディスクのレビュタイに、「調和」なんて文字を入れるのは、どうかとも思うけれど、入れちゃいました♪だってこれほど「調和」を感じさせる演奏は他にないもの。
マルレのコンマスによると(のだめ16巻)、ハーモニー(和声)とはようするに「調和」なのだそうだ。そして「調和の根本原理は、数の関係によって成り立つ」らしい。てことは「対位」もまた、「調和」なのである。実際、西洋クラシック音楽に於いて和声法と対位法は、ヤヌスの2つの顔の如く表裏一体のものだ。
ニコラーエワの、『音楽の捧げもの〜2つのリチェルカーレ』と『4つのデュエット』、『フーガの技法』を収めた2枚のCDは、通しでじっくりと、その「調和」に耳を傾ける価値のあるディスクだ。
何も変わったことはしていないのだが、内面から溢れ出る美しさがある。10度のカノンなんか、この人ならもっともっと恣意的にロマンティックに耽美的に弾くことも可能だろうに、そうはしない。12度のコントラプンクトゥスだって、この人なら阿鼻叫喚の狂気で塗り潰してしまえるだろうに、そうはしない。全編ただひたすら、ストイックな厳しさを通り越した、「祈り」に満ちているような光景である。この世界が、宇宙が、祈りと調和で満たされて行くような、ちょっと現実離れした気配が漂う。
いうなれば、小宇宙を感じる演奏なのである。ムウでもアルデバランでも良いのだが、ここはやっぱ神に最も近いと言われるシャカの小宇宙てことで(笑)。
穏やかな表現が嫌いでエキセントリックな表現が好きな人をも、唸らせる演奏に違いない。必聴。
・「溝口監督戦後の最高傑作か」
個人的には溝口健二の戦後の最高作と位置づける、傑作中の傑作。この作品も他の溝口作品同様、生みの苦しみにのたうちまわったようで、おかげでさまざまなエピソードに事欠かない。まず、当時の新東宝のスタジオのあった場所が線路のすぐ近くで、音声を同時に録音している都合、昼間は仕事にならず、主に深夜に撮影を敢行した。それでも電車がたまに通ると撮影を中断しなければならなかった。
次に戦後しばらくスランプが続いた溝口はこの作品に賭ける意気込みにはもの凄いものがあったらしい。ところがコンテがなかなか決まらない。すなわち大変な手間をかけて建てさせたセットを見て当日になってあっちに動かせ、こっちに動かせと無理難題をいいたててばかりだから、ついにチーフ助監督がブチ切れて辞表を叩きつけた(ちなみにこの助監督はこのいきさつを文章にまとめて雑誌に発表した)。さらに一番の被害者の美術の水谷浩にも三行半を突きつけられる。そして水谷は54年の「噂の女」で復帰するまで溝口とは縁を切ってしまう。
と、すごいエピソードの連発でそれだけで伝説の映画にもなっている。これで愚作または凡作だったらシャレにならないのだが、とんでもない傑作にしあげているのがさすがは溝口監督である。とにかく田中絹代が素晴らしい。彼女から最高の演技を引き出している。画質と音声にやや難があるものの、作品全体の熱気がそれを帳消しにしている。いろんな意味で今じゃ絶対にこんな映画作れません。必見です。
・「待ちに待ったDVD化!」
黒澤、小津、成瀬と続いたDVD化もやっと溝口健二の登場となります。この作品は、溝口の最高傑作で、クレーンショットでカットを割らずに長まわしで捉えたワンシーンワンカットは息を呑むすばらしさです。没後50年で、これ以外にも大映から後期の作品がDVD化されるし、誠にうれしいかぎりです。
・「女優 田中絹代」
田中絹代が仏像を見ながら三船のことを思い浮かべる冒頭のシーン。この時の、田中絹代の表情に心を打ちぬかれた。このシーンだけで、この作品は名作だといえると思います。序盤では、少女の役を演じている彼女ですが、撮影当時の年齢は40代。いやはや、恐るべき女優魂!
・「無常観と諦念」
美貌の御所勤めから老醜の娼婦へと、運命に翻弄され人生を転落していく女の一生を、これ以上ないと思われるリアリズムで描いた名作。特に主演の田中絹代の存在感は、演技がどうこうという次元をすでに超えており、女優としての演技を極めた後の、もはや生身の女としての凄まじいまでの迫力と情感があるばかりである。依田義賢の格調高い精緻な脚本と、溝口監督のきりきりと身を締め上げような非情な演出力が作り出す世界は、日本映画の到達したひとつの頂点を指し示している。他の誰にもマネの出来ない、映画史上に燦然と輝く名作といえるだろう。エンターティメントのかけらも無い一見地味な作品だが、観る者を圧倒するオーラがこの映画にはある。映画を終始支える現実に対する無常観と諦念は、映画の底辺に静かに流れる仏教思想を背景に、輪廻転生の予感を感じさせるものなっているが、それは現実の悲惨を極めた果ての光明であり、魂の救済は悲惨と老醜の後に死と共にやってくる。重く深い映画である。
・「ちん、とん、しゃん」
これまでは、年齢のいった田中絹代を無理やりお姫さまに仕立て上げる作品が多かったゴテ健であるが、本作品では絹代にはじめて汚れ役を演じさせている。溝口健二と田中絹代が単なる映画監督と女優を超えた関係であったことは、映画関係者ならば誰でも知っている有名な話だが、一時は松平家のお部屋さまに取り立てられたお春(田中絹代)が紆余曲折を経て場末の売女にまで転落する一代記を見ていると、二人の関係になんらかの変化があったのかと思わず勘ぐりたくなってしまう。
井原西鶴の「好色一代女」を大胆に脚色した脚本は、田中絹代演じるお春をこれでもかと痛めつけている。身分違いの男と恋に落ちたがために洛外追放。せっかく松平家の側室におさまりめでたく嗣子出産するものの側近の嫉妬を買い島原の遊女に。もう男はこりごりとばかり尼になろうとしたら、借金取に体をねだられ寺から追い出される。たどりついた先が<化け猫>も真っ青の年老いた売女の巣窟といった語るも涙の転落人生なのだ。金と欲にひたすら翻弄され続けたお春ののぞみが最後までかなうことはなかったが、お腹さまとして退屈な人生を送るよりも、波乱万丈の女として充実した一生だったにちがいない。
一時スランプにおちいっていた溝口健二が復活するきっかけとなった本作品は、ヴェネチア映画祭で国際賞に輝き、BBCの「21世紀に残したい映画100本」にも選出されている。浄瑠璃、琴、琵琶などの伝統音楽をたくみに取り入れたBGMも日本情緒たっぷり。13歳〜50歳までのお春をたった一人で演じた田中絹代の生娘時代のシークエンスで多少絹代の若作りが気になったとしても、140分間あきることなく溝口ワールドにどっぷりとひたれる1本だ。
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