ファニー・ヒル (河出文庫) (詳細)
ジョン クレランド(著), John Cleland(原著), 吉田 健一(翻訳)
「「首相御曹司」の至芸が再現する魅力的な女性」「ショッキングだけれど美しい、若き娼婦の告白」「晴れた空見上げて、若い胸広げて。」「多面的に楽しめる。」「性の歓びをのびのびと書いた作品」
ユートピア旅行記叢書〈第15巻〉/ポルノグラフ・幸福な国民またはフェリシー人の政体 (詳細)
レチフ ド・ラ・ブルトンヌ(著), ル・メルシエ ド・ラ・リヴィエール(著), Pierre Paul Le Mercier De La Rivi`ere(著), 植田 祐次(著), 増田 真(著)
完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫) (詳細)
チョーサー(著), Geoffrey Chaucer(原著), 桝井 迪夫(翻訳)
「註が詳しい」「カンタベリーの語り部に共通する心情」「中世の暮らしを知る資料。」
完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫) (詳細)
チョーサー(著), Geoffrey Chaucer(原著), 桝井 迪夫(翻訳)
「教訓も盛り込まれた傑作」
完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫) (詳細)
チョーサー(著), Geoffrey Chaucer(原著), 桝井 迪夫(翻訳)
「宗教色の強い下巻」
ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉 (ちくま文庫) (詳細)
フランソワ ラブレー(著), Francois Rabeleis(原著), 宮下 志朗(翻訳)
「読みやすく親しみやすいラブレー」「この本を新訳するなんてすごい」
パンタグリュエル―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈2〉 (ちくま文庫) (詳細)
フランソワ ラブレー(著), Francois Rabelais(原著), 宮下 志朗(翻訳)
「待望の第二巻」
デカメロン〈上〉 (講談社文芸文庫) (詳細)
ボッカッチョ(著), Giovanni Boccaccio(原著), 河島 英昭(翻訳)
「「ルネサンス=精神の革命」の象徴」
デカメロン〈下〉 (講談社文芸文庫) (詳細)
ジョヴァンニ ボッカッチョ(著), Giovanni Boccaccio(原著), 河島 英昭(翻訳)
ソドムの百二十日 (詳細)
マルキドサド(著), Donatien‐Alphonse‐Francois de Sade(原著), 佐藤 晴夫(翻訳)
ジュスチーヌまたは美徳の不幸 (岩波文庫) (詳細)
サド(著), Sade(原著), 植田 祐次(翻訳)
「論理的考察の追及」
ジュリエット物語又は悪徳の栄え (詳細)
マルキ・ド・サド(著)
「誰にでも薦められるものではないが・・・。」
恋の罪―短篇集 (岩波文庫) (詳細)
サド, 植田 祐次
「一気に読んでしまう」
ボヴァリー夫人 (新潮文庫) (詳細)
フローベール(著)
「現実から逃げ切って」「意外と実用的な、必携不朽の名作!」「彼は最近レジオンドヌール勲章をもらった」「いつの時代の女性にも共通する現実逃避の夢」「すばらしい小説」
悪の華 (新潮文庫) (詳細)
ボードレール(著)
「堀口作品として読むべきである」「ボードレールは永遠です。」「カッコイイ!」「噫、無惨!」「死を生きる」
大地 (ルーゴン=マッカール叢書) (詳細)
エミール ゾラ(著), 小田 光雄(翻訳)
ユリシーズ〈1〉 (詳細)
ジェイムズ ジョイス(著), James Augustine Aloysius Joyce(原著), 丸谷 才一(翻訳), 高松 雄一(翻訳), 永川 玲二(翻訳)
「意識の流れ」「伝統と先進の見事な統合」「パロディのお好きな方に。<20世紀版オデュッセイア>」「これは、ケッサク」「傑作を文庫で」
ユリシーズ〈2〉 (詳細)
ジェイムズ ジョイス(著), James Augustine Aloysius Joyce(原著), 丸谷 才一(翻訳), 高松 雄一(翻訳), 永川 玲二(翻訳)
「意識の流れ」「伝統と先進の見事な統合」「パロディのお好きな方に。<20世紀版オデュッセイア>」「これは、ケッサク」「傑作を文庫で」
ユリシーズ〈3〉 (詳細)
ジェイムズ ジョイス(著), James Joyce(原著), 丸谷 才一(翻訳), 高松 雄一(翻訳), 永川 玲二(翻訳)
「かなりの難関。だけど、攻略し甲斐がある。」「日本語がわからない第三巻」
ユリシーズ〈4〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) (詳細)
ジェイムズ ジョイス(著), James Augustine Aloysius Joyce(原著), 丸谷 才一(翻訳), 高松 雄一(翻訳), 永川 玲二(翻訳)
「男性によって描かれた女の性欲」「最終章は女の独白にて終わる」
北回帰線 (ヘンリー・ミラー・コレクション) (詳細)
ヘンリー ミラー(著), Henry Miller(原著), 本田 康典(翻訳)
「帰ってきたヘンリ・ミラー」
虹 上巻 (1) (新潮文庫 ロ 1-9) (詳細)
ロレンス(著), 中野 好夫(翻訳)
虹 下巻 (3) (新潮文庫 ロ 1-10) (詳細)
ロレンス(著), 中野 好夫(翻訳)
チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫) (詳細)
D.H. ロレンス(著), David Herbert Richards Lawrence(原著), 伊藤 整(翻訳), 伊藤 礼(翻訳)
「惹かれあうふたつの孤独な魂」「裁判のことは忘れて・・・」「「ワイセツ」ではなく、崇高な「宗教的恍惚」を描いた傑作」「素敵です♪」「不倫の話で現代文明批判をしてのける偉業」
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」フランス編・1
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」古代・中世
● サド著作集
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」イギリス編2
● ロックで文学
● 教訓になる名作
● Must03
● 過去のリスト
・「「首相御曹司」の至芸が再現する魅力的な女性」
(18世紀には主流であった)一人称主語の書簡体というスタイルからも分かるように本書の文章の語り口はかなり多彩なものであるが、吉田健一の訳文はその語り口を少しも損なっておらず、主人公ファニーが田舎から出てきて娼家に売られショッキングな性交渉をいくつも体験したにも関わらずその人間性において少しも頽廃せず、むしろ貴族の令嬢などよりも典雅かつ健やかな印象すら与えられるのは吉田の訳文の力に他ならない。訳者の吉田健一は日本文壇の主流を占め続けた自然主義(言うまでも無く19世紀西欧に由来するものである)に反抗し、「18世紀は西欧において人間が真に人間らしかった時代」と生涯にわたって主張し続けたが、本書はその吉田の文学人生最良の成果でさえある。「首相御曹司万歳」と言うべきか。
・「ショッキングだけれど美しい、若き娼婦の告白」
田舎から来た15歳の孤児、ファニーは騙された形で売春宿に売られてしまう。そこであらゆる手練手管を得たファニーは、次々と男性との性の遍歴を重ねてゆく。・・・
現在読んでも思わずギョッとしてしまうようなショッキングな内容だけれど、びっくりするぐらい奔放であっけらかんと書かれているのに驚きました。性的描写が多いのに文体が美しく、主人公ファニーについても明るく可愛らしい少女という印象を受けました。この物語は主人公ファニーがそれまでの体験を告白するという形で進むのですが、その中でもファニーが娼婦仲間たちとそれぞれの初体験を告白し合うという場面では、当時でもタブーとされていたであろう性への目覚めが包み隠さず語られていて、かえって新鮮味を感じました。
・「晴れた空見上げて、若い胸広げて。」
田舎からロンドンに出てきた少女が、知らず知らずのうちに娼婦の世界に足を踏み入れ、性の遍歴を重ねてゆく…。恋した男、初めて囲われた男、初老の男、鞭を使わないと不能な男、白痴への性的悪戯。日本文学ではとかく陰気で、哀しげに扱われがちな題材を、告白体でありながら、西欧人が書くとこうもあっけらかんとなるものかと吃驚してしまう。それでいて卑語を使うのでもなく、品位を失わない文体で美しく描き切っている。ところで「我が秘密の生涯」にしてもそうだったが、「ファニー・ヒル」でも女性の胸部についての描写が非常に少ないのが気になった。当時はそちらの方はあまり性的興奮の対象ではなかったのだろうか。
・「多面的に楽しめる。」
ある女性誌のお勧めに女性の性を女性が受け入れられる形で書いてある本として紹介されていた。確かに男性的視点によったポルノ、ではない。また、時代背景をうまく喚起させるような描写もすばらしい。ただ女性の語り口調が気にかかる、といえば少々ひっかかりはあるかも。
・「性の歓びをのびのびと書いた作品」
性的な物語のはずなのに、なぜかいやみなく読めます。愛のシーンも滑らかに、流れるような文章で書いてあり見るものを飽きさせないのです。
一応ファニー・ヒルの性遍歴を書いているわけですが実は「純愛もの」なのです。田舎暮らしの彼女が娼婦になり、初めての人に恋をし、彼が策にはめられいなくなってしまって、他の男に抱かれてもいまだに彼を愛し続ける…
そして最後はその思いは結ばれるのです。この本には昨今のポルノ小説に見られるえげつない性表現は一切ないので読みやすいかと思います。
・「註が詳しい」
チョーサーの有名な名作『カンタベリー物語』の翻訳。さまざまな原書や現代英語訳、辞典などを参考に、文法的に正確な、それでいて文章としても自然で、また原文の雰囲気をたいせつにした訳を目指した好著。また、註がたいへん詳しく、巻末の註を参照しながら本文を読み進めるだけでも、『カンタベリー物語』についての講義を受けたのに匹敵するくらい
さまざまな知識が得られ、とても勉強になる。本書には、General Prologue及び、「騎士の物語」「粉屋の話」「家扶の話」「料理人の話」「弁護士の物語」を収録しているほか、作者Chaucer自身についての解説も付されている。さまざまな階級の人々が語る多様なジャンルの物語が楽しめるオムニバス形式の作品。
・「カンタベリーの語り部に共通する心情」
『カンタベリー物語』は、さまざまな人たちが一緒に巡礼する中、各人が順番に物語をする。身分の高い人から低い人までいて、順々に語るのだが、とくに身分の高い人たちの物語には、決まって垣間見えるものがある。
敬虔な信仰と高貴な血筋を持つ女性(コンスタンツ)が船が難破したため異国に迷い込んでしまう。また、事情によりある男(アルシーテ)はその高貴な元の姿を隠して貧しい者になりすまして、城の従者として二年ほど暮らす。だが彼らは、その生まれながらに持つ高貴さゆえに、異郷の地であろうと元の身分を隠そうと、相応の地位へと昇ることになる。
難破や恋の病により(原因はなんであれ)、彼らはいったんその身分が剥奪されるが、また元の位置へと帰っていく。これがカンタベリー物語のうち、身分高い人たちが話す物語の基本構成となっている。
そこには、現状の地位を喪失するのではないかという不安、そして自分たちの地位は生まれながらの不変のものであることを、物語の形を借りて論証することで不安を解消しようとする意図が浮かび上がってくるように思う。当時の身分高い人々に共通した感情がそこにはあったのではなかろうか。
以上『カンタベリー物語』を、一面から見た場合の一所感にすぎないが、現代イギリス人の思考の原型、当時の歴史的背景、面白い生活史、ささいだが不思議な発想など、掘り起こしたくなる遺跡がたくさん埋もれていると期待している。遠い異国の遠い昔の物語と疎遠に思われず、多くの方々が書の考古学者になって『カンタベリー物語』から楽しい遺跡を発掘されんことを祈る。
・「中世の暮らしを知る資料。」
チョーサーの生きた14世紀は、騎士道、修道院、ペストの時代。かわるがわるに話をするメンバーは、騎士、修道尼、粉屋と様々で、マザーグースの数え歌"Tinker,Tailor,Soldier,Sailor"(鋳かけや、仕立てや、兵隊、水兵、金持ち、貧乏人、乞食に、どろぼう)を彷彿とさせます。
騎士道に関する話ではローマ神話がしばしば引用されるが、神々の定義は今知るローマ神話と異なる部分もあります。月と狩の処女神ダイアナは、冥王ハデスの妻、あるいはプラトンの孫娘などと呼びかけられているのがその例。デメテルあるいはペルフェフォネとの混同のようです。
女性に誘いをかけに行く若い男性が「つくばね草を舌の下に入れて」なんて風俗も登場します。つくばね草は、葉っぱを見紛う緑色の花を咲かせる野草です。良い香りがするとは聞きませんから、何かのおまじないでしょうか?
興の乗り始めたところでぶつりと終わっている話もあり、巻末の解説でチョーサーの死により完結を見なかったと知りました。
話自体を楽しむ、というよりは中世の暮らしを知るための資料。騎士道ものの映画を好きな方は楽しめそうです。
・「教訓も盛り込まれた傑作」
5度結婚したバースの女房の話、ひたすら忍耐する女性の美徳を語る学僧の物語、チョーサーの語る「メリベウスの物語」など13話を収録。男女の関係ひとつとっても、「従順な妻」「妻は自分の意志を通したい」など当時からさまざまな考えがあったことがわかり、おもしろい。バースの女房の話に挿入されている話はアーサー王物語のガウェイン卿の結婚
の話にそっくりである。註もくわしくつけられていて、学習にも有用。「メリベウスの物語」では戦争や復讐について、ソロモンを中心に引用しながらさまざまな教訓が説かれており、現代に通じる内容でありぜひ今英米人に読んで欲しい内容。
・「宗教色の強い下巻」
幸福あるいは権力の絶頂にあった人々がいかに転落し酷い目に遭うかを延々と語る「修道僧の物語」、詐欺を行う僧を語る「錬金術師の徒弟の話」、七つの大罪について綿々と語る格調高い「教区司祭の話」など6話を収録した下巻。僧が話の中にも、話し手としても登場し、最後の締めは司祭の話、というわけでキリスト教色の濃い下巻となっている。
「教区司祭の話」では、人間の罪とその救済について詳しく語られており、現代人は皆地獄行き?と思ってしまうほどの厳しさ。当時の死生観やキリスト教観が垣間見えて興味深い。
●ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉 (ちくま文庫)
・「読みやすく親しみやすいラブレー」
我が国においてラブレーと渡辺一夫はほとんど切っても切れない関係にある。ラブレーといえば第一に渡辺一夫。渡辺一夫といえばラブレー。渡辺一夫は、和漢古典の豊富な学殖をもって、ラブレーの諧謔を余すところなく伝えた。渡辺一夫のラブレー翻訳は日本翻訳史上の金字塔である。しかし、渡辺の訳は難しい漢語を用いたりして、学識ないものを突き放してしまっている所がないではない。 かくなる現状で、新訳をたたきだした宮下氏の意義は、はたして大きい。氏のラブレーはとにかく読みやすく親しみやすい。私のごとき浅学には、渡辺訳よりも却ってラブレーの文章が生き生きして見えた。とにかく可笑しく、面白い。笑う。ラブレーって面白いな。そう思うことが出来た。 渡辺訳と宮下訳の学術的な、また文学的な優劣は私には絶対につけられない。しかし宮下訳の現代的意義、これは絶対にある。
・「この本を新訳するなんてすごい」
あまりにも「渡辺一夫氏の翻訳」というイメージが固まってしまっている本作の新訳に臨んだだけでも表彰状ものだと思います。本屋で見て驚きましたもの。おかげでこれから当分は楽しみが続きます。
●パンタグリュエル―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈2〉 (ちくま文庫)
・「待望の第二巻」
やはりこのラブレー翻訳となると、渡辺一夫と比較されるのは已むをえまい。渡辺の和漢古典の学殖のうえの翻訳は日本翻訳史上たぐいなきものである。しかし、現代の読者にとって、とくに年少者にとっては、決して渡辺訳は親しみやすいとは言いにくい。その点、宮下訳は分かりやすく親しみやすい。それゆえ宮下訳が渡辺訳よりも学術的に劣ろうが、文学的に劣ろうが、もしくは勝ろうが、勝るまいが、どっちだって現代的意義が非常に大きいと言えましょう。 もう一言付け加えると、渡辺訳は訳注が多くて(半分は訳注である。)、訳注のページと本文とを見ては戻り見ては戻り、戻っては見て戻っては見てと、それはそれは大変であったが、宮下訳のこれは訳注も最小限に抑えてあるし、その訳注も本文のページの左端にあるのでそういう面倒な手間が省けて、その点においても読みやすくなっている。
それでは第三巻を熱烈に待望します。
・「「ルネサンス=精神の革命」の象徴」
14世紀中頃、フィレンツェで流行したペストから身を守るため、近郊の別荘に避難した高貴な男女10名が、一夜に全員一話づつ合計100の秘話を語るという体裁の作品。この「百物語」を「デカメロン」と呼ぶらしい。本作を単なる艶笑話と考えていた私だが、読んでみて、ルネサンスの精神である「人間性の発揚」をテーマにした作品だと認識させられた。上巻は5日まで、下巻はそれ以降という構成。
語られる物語は、一話が短いせいもあるが、かなり他愛のないものである。小説技巧も稚拙と言って良い。しかし、そこには常に権威(高僧、大貴族など)への風刺・批判があり、代って礼賛されるのは人間が本来持っている自由、肉欲、享楽性そして機知である。物語には、高齢の権力者が、恋する若い男女の機知によってコキュ役を演じるパターンが多い。旧来の封建的特権階級に代って、市民層が台頭してきた当時の社会状況の反映である。ただし、ボッカッチョ自身は無神論者だった訳ではなく、"腐敗した"宗教界への批判を込めたらしい。作中に頻繁に登場する性に関する論議・描写はアッケラカランとして明るさに溢れている。性愛も人間が本来持つ特質なのだ。
ルネサンスが、絵画・彫刻だけではなく、文学を含めた精神の革命だった事を教えてくれる貴重な作品。
・「論理的考察の追及」
悪徳による現世利益と美徳による不幸を永延と書き続けた作品である。
悪徳については論破できないことはないが、大切なのはいちいち論理的
なところであろう。悪徳についての論理追求は一見破綻が見られない
程までに仕上がっている。
そういう点では、読む人を選ぶ作品である。人間の論理や道徳だけでは
どうしても説明できない、思考の影の部分に真正面から向き合った作品
故に、やはりある程度身構えて読める人に読んでいただきたい。
要は感化されやすい思春期の少年少女にはお勧めできないということで
ある。しかしこういう影の部分があるからこそ、西洋哲学、思想が、
現代に至るまで強固なものになっているということは言うまでもない。
思想小説としては申し分ないが、残虐な描写や、それを裏付けようとす
る論理については、サドの最も禁句的領域なまでに足を踏み入れた、
ソドム百二十日には及ばないという点では星4つであろう。
・「誰にでも薦められるものではないが・・・。」
混沌としていることの意味ってなんだろうと考える。分かりやすい、キャッチーなことがよいことだと、なんとなくそういう風潮があるなかで、この本に接すると、分かりやすいことが必ずしもいいことではない、混沌にも意味があるのではと思えてくる。悪しき欲望とその悪しき欲望を支える哲学。この本で描かれているのはこの二つだと思う。しかし、端的に言ってこの二つを読み取るにはあまりに冗長で、ボリュームがある。現代的な感覚でいえば無駄が多いのかもしれない。でも、その無駄にこそ意味があるのではないか。これでもかというほどの悪の描写は、「これでもか」というボリューム自体に意味がある。悪の圧倒的スケールに浸り、ある種の麻痺を経験するというのがこの本の読み方なのかもしれない。
・「一気に読んでしまう」
どこまでも人間を信用しようとする善人と、どこまでも邪悪な人間の織りなす物語ですが、「何もそこまでかわいそうな目に遭わせなくても(これがサドの世界かもしれません)・・」と感じる話が多く、ハラハラしながら、また時に腹を立てながら、結局一話をノンストップで読み進めてしまいました。
・「現実から逃げ切って」
「難破船の水夫のように、生活の孤独のうえに絶望した目をさまよわせつつ、はるか水平線の靄のうちに白い帆のあらわれるのをもとめていた」(本文より)
・「意外と実用的な、必携不朽の名作!」
最も有名な文学作品のひとつであるけれど、今読んでも全く違和感がない。優れた文学作品は不朽のものだとわからせてくれる好例だろう。 波乱万丈のストーリー展開、そしてボヴァリー夫人の心理構造までよく読者に伝わるので、さすがはフローベール天才!なのである。 最近読んだマノン・レスコーは、「なぜあなたはそうなの?」
といいたくなってしまった。こういうところに作家としての力量があらわれるのかもしれない。 私はこの物語、自戒のための書として大切に持っています。 男性にも女性にも、両方に支持される作品でしょう。
・「彼は最近レジオンドヌール勲章をもらった」
ボヴァリー夫人を読むのは辛かった。有名な作品で世評どおりフローベールの最高作と言えるかもしれない。ここにある絶望は古今のあらゆる文学作品を凌駕する。フローベールという人間が社会、人間に対して持っていたであろう嫌悪、呪詛が抑制されてはいても横溢していて息苦しい。こんな作品で世にでてしまった彼はいったいなぜ生き続けていけたのだろう?しかし腕の冴えはすばらしく完成度は比類なく、傑作であることを認めないわけにいかない。
・「いつの時代の女性にも共通する現実逃避の夢」
いま読み返しても少しも古さを感じさせない、繊細で流麗な文体が美しい。上流社会の豪奢な生活に憧れるボヴァリー夫人が、ひょんなことから大貴族の舞踏会に招かれる場面、修道院での少女時代を回想する場面、大都会の華やかな生活に憧れてパリの地図に熱心に見入っていろいろ空想する場面など、男性の筆にかかるとは思えない優美さが滲みでている。退屈な現実から逃れようと、夢を追い続ける彼女の思いは、いつの時代の女性にも共通するものなのではないだろうか。
・「すばらしい小説」
「ボヴァリー夫人」って、ほんとにすばらしいと思う。心理描写、構成の緻密さ、小説としての完成度の高いこと!しかも内容がおもしろくてどんどん読める。エマの人物造形は秀逸だ。夢見がちのロマンチストで、現実を見ないで、もっとすてきなことはないかと考えている地に足のついていない女。フローベールは、「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったというけれど、私も「ボヴァリー夫人は私かも!?」と思った。ちょっと恥ずかしい思いで。長編小説では、対比的な人物が出るというけど、彼女に対して俗物の典型は、夫のシャルルや、彼女に物を売りつける商人や、浮気者のルドルフなんかだろう。こちらの造形も見事で、「いるいるこんな人」と思わせる。彼女が現実への不満や、生来のロマンチックな性格で、破滅に追い込まれていくところが、なんとも哀れだった。「お馬鹿な女」なのだろうが、私は彼女を憎めない。
・「堀口作品として読むべきである」
堀口大學の翻訳作品中、特に出色の作品である。ボードレールの原詩を素材に、斯くまで美しき詩集を作り上げた堀口の天才には脱帽する。当然、「意訳の芸術」であって、ボードレールの意思をそのまま反映した「芸術の直訳」ではない。ボードレールの原詩そのものを味わいたい人は、直接フランス語で読まれるべきであろう(大体、フランス語を韻律と雰囲気を「正しく和訳」することには無理がある)。
・「ボードレールは永遠です。」
フランス語が読めたらボードレールが読みたい。そんな風に思って学生時代フランス語を一生懸命勉強していました。でも結局読めませんでした。堀口大学の翻訳以上になりませんでした。でも、この日本風味のボードレールのどこがいけないんでしょうか?オリジナルは結局オリジナルじゃないか?翻訳は翻訳でいいじゃないか?そんな風に情けなく開き直るワタクシでした。
・「カッコイイ!」
ボードレール。いろいろと問題のあった人のようですが、詩人としてはとてもカッコイイ人です。「悪の華」というこのタイトルがもうカッコイイ。ただ、この世界が嫌になっている人はかなりはまっちゃうと思います。実際、私も受験の1ヶ月くらい前に彼に出会い、勉強を辞め、詩人になるのだ!と詩を書き始めてしまいました。まあ、いい思い出ですが。そういうわけで、人によっては不気味な精神世界をさまようことになるかもしれません。お気をつけていってらっしゃいませ。
・「噫、無惨!」
堀口大学氏の作品として読む方が良いかもしれない。ボドレール氏のとして読むのならば、原文を読んだ方が手っ取り早い。
読んでいて、だんだん空虚で背徳的な世界に引き込まれてゆく。ゴシックが好きな人にお勧めしたい。
・「死を生きる」
読み易く、心地よく、届かない。 経験がものを言う。 読者の私はこの偉大な詩集から「力」を感受し、私の自発性を育む。 苦しみ、じりじりしながら呼応する。 《日がかげり、闇がようやく濃くなった、思い出せ!》
・「意識の流れ」
新潮文庫に収録されている『若い芸術家の肖像』の主人公、スティーヴン・ディーダラスの話から本書は始まる。カレッジを出た彼は学校の臨時教師をつとめつつ、いまいちイヤなやつマリガンと同居している。スティーヴンは、信仰の問題から母の臨終の願いを拒んだことで良心の呵責を感じている。一方、途中から登場の主人公レオポルド・ブルームは広告とりのユダヤ系の男。歌手の妻モリーがいて、娘は15にして早くも働きに出ている。1904年6月16日というたった一日の話である。スティーヴンはマリガンとの会話・食事を経て、散策しつつ学校に給料をもらいに行き、新聞社にいって飲みに誘う。ブルームは朝食をつくったりしたあと、街へ出て、手紙を読み、風呂屋へ行き、友人の葬式に出席し、新聞社へいき、仕事のために図書館へむかう。彼は、今日の午後家をたずねてくるというボイランがモリーと寝るのではないかと感じている。朝から午後1時までの物語。それでもうこの厚さである。手が痛くなるぐらい。物語自体はダブリンの一日で、まだビッグなことは何も起こらない。会話も多く物語の筋は追ってゆけるが、難解なのは「内的独白」。普通に、一貫して悩んでいることなどを書いてあるのならわかりやすいのだが、この作品では、街を歩きながら、人に会いながら、次々に心に浮かぶことをそのまま記述しているのだ。とりとめもない頭の中の思いを、すべて書き綴った感じだ。こういうわけで「意識の流れ」と呼ぶのか!と、文学史でいやというほど習った事柄がやっと実感として納得できた。巻末には本一冊ぶんくらいの訳注(よくまあここまで調べたものだ)と、ジョイスの年譜、登場人物解説、ダブリン地図つき。
・「伝統と先進の見事な統合」
たった一日の出来事を長編小説にするという、退屈と紙一重の筋をこんなにも面白く、かつ深みをもって書けるとは、奇跡としか言いようがありません。翻訳でもこの作品の素晴らしさは充分味わえますが、ギリシャ神話やキリスト教などのパロディーや英語での遊戯等をみると、原書を母国語として読めないことが悔しいです。音楽や美術のように、純文学も斬新な発想や技法による作品が作れる芸術分野だということを、強く感じました。
・「パロディのお好きな方に。<20世紀版オデュッセイア>」
私はただただびっくり。ユリシーズがこんなにケッサクな本だったなんて。エリート向け超難解専門書かと思ってました。街の人々を<オデュッセイア>の登場人物に見立てた、ブルーム(とスティーヴン、モリー)の心の旅。彼らの弱さ、悲しみや孤独、もどかしさ、やりきれなさなど、声にならない想い(本音)が生々しく伝わってきます。…と、お話は人間臭く切実なのですが、真面目なんだかふざけてるんだか、と〜にかくおかしいのです。言葉の遊びがお好きな方には、「こたえられない本」だと思います。そんなことよりまずはストーリーでしょ、という方には「めんどくさいだけの本」。お好み次第でしょう。脚注の多さに一瞬固まりますが、すぐに慣れて独特のノリを楽しめるようになります。例えば向こうから知人が。→「ん。あれは。こんなとこで。(私)すっぴん!。困どきどき惑。はい、チーズ。キンカラコン。」みたいな調子の第1巻を過ぎると、がらりと文体が変わり、格・段・に面白くなります。源氏物語調や夏目漱石調が出て来たり(こういうのをパスティーシュというらしい)、戯曲や問答になったり。まあその多彩なこと!舌を巻くばかりです。(お下品さもまた多彩。女性の皆さんは短気を起こさないよう) 私が特に気に入ったのは、軽快で読みやすい第12挿話<キュクロプス>と第16挿話<エウマイオス>。思わず「ぷ」ですよ。あれこれ考えずにぜひお試しを。 …しかし訳者って凄いですね。
・「これは、ケッサク」
ジョイスは「ユリシーズ」で、ホメロスの「オデュッセイア」に挑戦した。 ギリシャの叙事詩は、1904年のアイルランドの首都ダブリンでのたった一日の出来事に移植された。
・「傑作を文庫で」
20世紀の最高傑作のひとつである、「ユリシーズ」が新訳で登場です。全4巻での編成ですが、100ページ以上に渡る、詳解な註に解説が巻末についています。今まで敷居が高かった作品が、より身近に、より読みやすくなり、新たな感動をもたらしそうです。
・「意識の流れ」
新潮文庫に収録されている『若い芸術家の肖像』の主人公、スティーヴン・ディーダラスの話から本書は始まる。カレッジを出た彼は学校の臨時教師をつとめつつ、いまいちイヤなやつマリガンと同居している。スティーヴンは、信仰の問題から母の臨終の願いを拒んだことで良心の呵責を感じている。一方、途中から登場の主人公レオポルド・ブルームは広告とりのユダヤ系の男。歌手の妻モリーがいて、娘は15にして早くも働きに出ている。1904年6月16日というたった一日の話である。スティーヴンはマリガンとの会話・食事を経て、散策しつつ学校に給料をもらいに行き、新聞社にいって飲みに誘う。ブルームは朝食をつくったりしたあと、街へ出て、手紙を読み、風呂屋へ行き、友人の葬式に出席し、新聞社へいき、仕事のために図書館へむかう。彼は、今日の午後家をたずねてくるというボイランがモリーと寝るのではないかと感じている。朝から午後1時までの物語。それでもうこの厚さである。手が痛くなるぐらい。物語自体はダブリンの一日で、まだビッグなことは何も起こらない。会話も多く物語の筋は追ってゆけるが、難解なのは「内的独白」。普通に、一貫して悩んでいることなどを書いてあるのならわかりやすいのだが、この作品では、街を歩きながら、人に会いながら、次々に心に浮かぶことをそのまま記述しているのだ。とりとめもない頭の中の思いを、すべて書き綴った感じだ。こういうわけで「意識の流れ」と呼ぶのか!と、文学史でいやというほど習った事柄がやっと実感として納得できた。巻末には本一冊ぶんくらいの訳注(よくまあここまで調べたものだ)と、ジョイスの年譜、登場人物解説、ダブリン地図つき。
・「伝統と先進の見事な統合」
たった一日の出来事を長編小説にするという、退屈と紙一重の筋をこんなにも面白く、かつ深みをもって書けるとは、奇跡としか言いようがありません。翻訳でもこの作品の素晴らしさは充分味わえますが、ギリシャ神話やキリスト教などのパロディーや英語での遊戯等をみると、原書を母国語として読めないことが悔しいです。音楽や美術のように、純文学も斬新な発想や技法による作品が作れる芸術分野だということを、強く感じました。
・「パロディのお好きな方に。<20世紀版オデュッセイア>」
私はただただびっくり。ユリシーズがこんなにケッサクな本だったなんて。エリート向け超難解専門書かと思ってました。街の人々を<オデュッセイア>の登場人物に見立てた、ブルーム(とスティーヴン、モリー)の心の旅。彼らの弱さ、悲しみや孤独、もどかしさ、やりきれなさなど、声にならない想い(本音)が生々しく伝わってきます。…と、お話は人間臭く切実なのですが、真面目なんだかふざけてるんだか、と〜にかくおかしいのです。言葉の遊びがお好きな方には、「こたえられない本」だと思います。そんなことよりまずはストーリーでしょ、という方には「めんどくさいだけの本」。お好み次第でしょう。脚注の多さに一瞬固まりますが、すぐに慣れて独特のノリを楽しめるようになります。例えば向こうから知人が。→「ん。あれは。こんなとこで。(私)すっぴん!。困どきどき惑。はい、チーズ。キンカラコン。」みたいな調子の第1巻を過ぎると、がらりと文体が変わり、格・段・に面白くなります。源氏物語調や夏目漱石調が出て来たり(こういうのをパスティーシュというらしい)、戯曲や問答になったり。まあその多彩なこと!舌を巻くばかりです。(お下品さもまた多彩。女性の皆さんは短気を起こさないよう) 私が特に気に入ったのは、軽快で読みやすい第12挿話<キュクロプス>と第16挿話<エウマイオス>。思わず「ぷ」ですよ。あれこれ考えずにぜひお試しを。 …しかし訳者って凄いですね。
・「これは、ケッサク」
ジョイスは「ユリシーズ」で、ホメロスの「オデュッセイア」に挑戦した。 ギリシャの叙事詩は、1904年のアイルランドの首都ダブリンでのたった一日の出来事に移植された。
・「傑作を文庫で」
20世紀の最高傑作のひとつである、「ユリシーズ」が新訳で登場です。全4巻での編成ですが、100ページ以上に渡る、詳解な註に解説が巻末についています。今まで敷居が高かった作品が、より身近に、より読みやすくなり、新たな感動をもたらしそうです。
・「かなりの難関。だけど、攻略し甲斐がある。」
この『ユリシーズ』の第三巻を買おうとなさっている方は、一巻、二巻とも読まれている方だと思いますが、第一四挿話と第一五挿話しか入っていないにもかかわらず、この第三巻はかなりきついですが、相変わらずジョイス特有の面白さも光っています。
まず、第一四挿話は、男たちの猥談が西洋古典文学の文体を模して叙述されています。生々しい、俗っぽい話が堅い文体で描かれているのは面白い発想だと思うのですが、西洋の古典がそれぞれ日本の古典の文体に置き換わっている(例えば、マロリー→紫式部、デフォー→井原西鶴など)ので、なんか違った意味で滑稽な感じです。頑張って翻訳してくれているのは分かるのですが、もうちょっともったいない気がします。
第一五挿話は夢幻劇のような形式で描かれています。ある娼館での出来事を戯曲形式で夢、現の区別無く記述されていますが、しかしこれは丁寧な註があるお陰で読めます。この第一五挿話はとても長いのですが、読んでいるうちに、だんだんと「浮遊感覚」が感じられて、結構面白いです。『ユリシーズ』にしては珍しく、ラストが感動的で、一八ある挿話のなかでもお気に入りです。
一巻、二巻まで読めた方なら、この三巻も「攻略」できるはずです。これを超えればゴールは近いです!
・「日本語がわからない第三巻」
ジョイスの『ユリシーズ』、文庫第3巻は、たった2挿話しか入っていない。それでこの厚みである。まずひとつめは、いきなり古文・漢文調で始まる。ジョイスが、古代中世をはじめ、昔の英語作品の文体を模写しているため、翻訳でも同時代の近接ジャンルの文体で訳しているのである。ひとつめの挿話は、産院で子供が産まれるので、それにからめて生殖など性的なallusionが語られるが、いかんせん古文なので、ほとんどわからなかった。また、英語は、かなり早い時期から見た目には現在とほぼ一緒の文章になるため、ここまで古っぽく翻訳する必要はないように思われる。マロリー(1480)でさえ、現代の日本人が見ても大体はわかるであろう。そのため、昔の文学の文体模写を、そのまま古文、文語調にうつしてしまうと、相当英語と日本語でギャップが出てしまう。さて、つづく挿話では一転、劇のスタイルになり、それまでの4〜5倍のスピードで読めるようになる。内容は、現実と虚構がないまぜになってややこしいが、娼家に向かったスティーブン・ディーダラス、ブルームらの様子をベースにしつつ、それまでの出来事や心にかかっていることなどが出てくる劇である。巻末には、相変わらず本一冊分はある詳細な注と、翻訳者の小論、地図つき。
・「男性によって描かれた女の性欲」
モリーはベットに入り眠りにつく前に彼について考える。点や終止点のないスタイルで書かれたベットでモリーが体を横たえながら考えている事。女性がセックスの時にも使う受身的な言葉、イエスではじまり、イエスで終るこのセクションは最終的にすべての行為の隠れた動機をなす根源的欲望は性欲であるという男性作者の目から独断的に描かれた女性像または人間像であるかもしれない。
・「最終章は女の独白にて終わる」
16、17、18挿話を収録したユリシーズ文庫最終巻。まず第16挿話では、スティーブン・ディーダラスと主人公ブルームが喫茶店に行き、仲が良くも悪くもない微妙な雰囲気のなか、二人が語らったり、他の客のほら話を聴いたりいろいろ夢想したりする様子が描かれる。ユリシーズらしい文体の章。第17挿話では、ブルームがスティーブンを自宅に招き、ココアを飲む様子が、問答形式で描かれる。章全体が、問いと答えで構成されており、まるで論文のようになっているのが面白い。第18挿話は、全てがブルームの妻モリーの独白。一章句読点ナシという悪名高き挿話である。過去の交際やブルームのこと、今日浮気したボイランのことや生理のことまで、性的なことも含め、寝る前に頭に浮かんだことを全て書き取ったような章になっている。翻訳も勿論句読点ナシで文字を羅列しているが、驚くほど読みやすく出来ており、むしろ他の挿話より楽に読めた。巻末には本一冊分ぐらいある注と、エッセイ・解説つき。因みに訳者のエッセイは何と旧かなまじりでやや読みにくかった。
・「帰ってきたヘンリ・ミラー」
全くの新訳による、ヘンリ・ミラー選集を刊行中の水声社さんに、思わず拍手したい気持ちです! この北回帰線(Tropic Of Cancer)は、その一冊です。 新潮社さんが出された本格的なミラー全集から、もう、40年近く経つでしょうか。 今回の新訳は、ものすごく読みやすく、訳文も、申し分ありません。 うれしさのあまり、星、8個あげたいくらいです! まさに、帰ってきたヘンリ・ミラーっていう感じ。 混沌を極める現代、世界的にヘンリ・ミラーへの再評価が高まりつつあるのは、すごく納得できます。訳者の本田康典先生が書いていらっしゃいますが、中国でもヘンリ・ミラー全集(全20巻)が刊行中だそうです。 以前に、大久保康雄先生訳で読まれたことがある方も、ぜひ、この新たに、新訳で蘇ったミラーを読んでみてください。これからミラーを読んでみようという方にもぜひ、お薦めします。
・「惹かれあうふたつの孤独な魂」
大学の授業でロレンスの別の作品が出てきたのがきっかけで、この本も読んでみました。 スキャンダラスな逸話にちょっとびくびくしていたのですが、描写自体は今日まったく問題にならない程度のものでした。もちろん、肉体も愛と理解のためには重要な要素である、という意味で、性描写がけっこう出てきますが。
おどろいたのは、よく言われてきた「夫がだめになったので身分の低い肉体派の森番と云々」というのがまったく間違いだったこと。 森番メラーズは生まれた階級は低いが、才能と努力と幸運な出会いによって教養を身につけた紳士で、体格はそれほど立派じゃない上に大病の後遺症でむしろ病弱。軍隊から帰ってみれば、同じ階級の家族や隣人とは話す言葉も関心事も価値観や倫理観も違ってまるで話が通じない。それで森番という孤独な仕事を選んだのでした。 コニーも、負傷した夫は代償行為か非情な金儲けに邁進するようになり、上流階級の知人たちの無理解から、孤独に苦しんでいた。
読後感はむしろ、孤独なふたつの魂が惹かれあった、美しい恋愛小説でした。
・「裁判のことは忘れて・・・」
私もご多分に漏れず、裁判の問題で『チャタレイ夫人』を知り、エロチックな場面がいっぱいあるだろうという先入観で手に取ったのですが、期待はずれ(?)でした。
そういう描写も所々ありますが、今となってはそう騒ぐほどのものでも。書かれた当時は過激だったのかもしれませんが。むしろ、不倫を犯すコニー(チャタレイ夫人)とメラーズ(森番)の揺れる想いが巧みに描かれていて、立派な文学作品だと思いました。加賀乙彦が指摘しているように、二人の16回の逢瀬が、一回一回微妙に変化していくのも、面白いです。セックス描写は、あくまでも「精神」と「肉体」の関係を考察するための、手段と捉えるべきでしょう。
個人的に興味深かったのは、舞台設定が実に日本的であること。テヴァーシャルというイギリスの田舎が舞台ですが、閉鎖的で、まるで日本のムラ社会です。そこでコニーは孤独感にさいなまれて、不倫へと走っていきます。しかも登場人物の行動に影を落とすのが、「恥」の意識。身分違いの男性と交際するのは、「恥」であって「罪」ではありません。神ということも、ほとんど出てきませんし。前から「恥の文化、罪の文化」という話には、疑いを持っていましたが、この作品を読んでよけいそう思いました。
・「「ワイセツ」ではなく、崇高な「宗教的恍惚」を描いた傑作」
これが「ワイセツ文書か否か」で裁判されただなんて、今となっては昔の法曹界も随分「アタマのお固い人々」の集まりだったのだなあと感じさせられます。「物質文明と人間の本能的自然との対立」なんていう風にまとめてしまうと、とてもありがちなテーマなのですが、これがちゃんと文学として読む人を感動させるのは、何よりもその文章表現力のたまものでしょう。この小説ほど、「セックス」を描いて美しく、宗教的恍惚にまで高めてしまっている描写には未だお目にかかったことがありません。男女の性愛って素晴らしいなあ、と、つい説得させられてしまいます。ちなみに、因習に反逆する主人公の姿は、有島武郎の小説「或る女」にも通じるものがあります。この日英二大長編を読み比べてみるのも面白いかも知れません。
・「素敵です♪」
大胆な性的描写が問題となり、1950年に猥褻文書販売罪で起訴された作品ですが…いや、全然猥褻じゃないです。(当時の時代背景がそうだったのかもしれませんがもっと激しいものもいっぱいあったのではないかとはなはだ疑問が残ります)
別に性描写自体もそんなに激しいものではないですし、ロレンスは性描写を描きたかったわけではなく、男女の恋愛を描く上で大切な行為としてのセックスを描いたのではないかと思う。
そこにばかり注目せずに全体的に読み込んで欲しいです。身分社会がまだ根強いイギリスで貴族の女性が自我に目覚めて己の恋愛を生きようとするすばらしい文学作品だと思います。性的不能の夫との結婚生活を欺瞞と感じたチャタレイ夫人が森番と関係を持ち真実の愛に目覚める(女性の自己の現れ)という構成はロレンスすごい!と感服。
私はチャタレイ夫人と森番の葛藤と苦悩、そして世間の目などと戦う二人の愛の描写に感動しました。
こんなに文学的価値の高い作品を猥褻文書販売罪にしてしまうなんて当時の日本の文学意識が低かったのか、当時の風潮で仕方なかったのか知りませんがこの作品を完本として堂々と読める時代に生きることができて幸せです。みなさんも是非ロレンスの世界を堪能してください。
・「不倫の話で現代文明批判をしてのける偉業」
大学の法学部で「憲法」の授業を受けたことのある人間ならば、この作品をポルノ小説のように思う人もいるだろう。たしかに判例集なんかではそのような扱いをされている。しかし、そのような扱いは文学を知らない人間の所業でしかない。
この作品の本当の凄みは、ロレンスの「思想」にある。クリフォード卿に精神的な物を、そしてメラーズに肉体的なものを象徴化させることで、「肉体と精神」の関係自己流でを解釈してのけ、さらに返す刀で機械化された現代文明を豪快に斬って捨てるのだから何とも凄い。
しかし、このような文学的にすばらしい作品がどうして発禁処分となった挙句、削除版でしか発行できないという憂き目にあったのだろうか? もし、性描写があるからという理由だけでそのような判決が下されたとしたのなら、その当時の日本は文化レベルが非常に低かったとしか言いようがないだろう。
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