アメリカの鱒釣り (新潮文庫) (詳細)
リチャード ブローティガン(著), Richard Brautigan(原著), 藤本 和子(翻訳)
「注釈がおもしろい」「読む人えらぶわ。。。」「かつての前向きなアメリカの姿がここに」「奇怪な満足感を得られるアンソロジー」
ブラームス:ピアノ五重奏曲 ヘ短調 (詳細)
ポリーニ(マウリツィオ)(アーティスト), ブラームス(作曲), イタリア弦楽四重奏団(演奏)
「イタリヤの優雅」
ブラームス:チェロソナタ集 (詳細)
ブルネロ(マリオ)(アーティスト), ブラームス(作曲), ルッケジーニ(アンドレア)(演奏)
We'll Never Turn Back (詳細)
Mavis Staples(アーティスト)
「じっくりと聴きたいアルバム。手ごたえ十分な出来映え」「これは買いでしょ!」「素晴らしい」
バッハ:フランス組曲(全曲) (詳細)
レオンハルト(グスタフ)(アーティスト), バッハ(作曲)
「最初に聴くべき「フランス組曲」全曲盤」「バッハの曲の中でもかなり大好きな曲」「聴きやすいバッハ」「再録音しない理由」
カム・フライ・ウィズ・ミー (詳細)
ピム・ヤコブス・トリオ(アーティスト)
「ジャズファンなら愛さずにはいられない」「誰が言ったか知らないが...」
縁は異なもの (知恵の森文庫) (詳細)
白洲 正子(著), 河合 隼雄(著)
半身 (創元推理文庫) (詳細)
サラ ウォーターズ(著), Sarah Waters(原著), 中村 有希(翻訳)
「この若さでこの筆力」「別の時代に旅するようなリアリティ」「19世紀英国の独身女性の孤独が胸を突く」「引き込まれる。けれども痛い小説」「老嬢という言葉のダメージ」
ピギースニードを救う話 (新潮文庫) (詳細)
ジョン アーヴィング(著), John Irving(原著), 小川 高義(翻訳)
「アメリカ現代文学の旗手の短編」
雪沼とその周辺 (新潮文庫) (詳細)
堀江 敏幸(著)
「初めての感触」「静かでひっそりとした読書の愉しみ」「「雪沼」に共に住みたい」「人それぞれに」「纏い」
Live at the Village Vanguard (詳細)
Wynton Marsalis(アーティスト)
「七つの夜に酔いしれる、最高の幸せ。」「カッコイイ! 吹きまくるウイントン」「これはいい買い物」
Lullaby for a Monster (詳細)
Dexter Gordon(アーティスト)
「デックスの隠れ名盤」「これは本当に名盤です。」「風格に満ちたテナーのスケール感」「むちゃくちゃリラックスしてるな」
白夜行 (集英社文庫) (詳細)
東野 圭吾(著)
「なんとも形容しがたい」「あなたにとって生きる意味はと問いかけたい」「面白い」「じっくりと読ませる悲劇」「読み取ることが大切。」
Parker's Mood (詳細)
Roy Hargrove(アーティスト), Christian McBride(アーティスト), Stephen Scott(アーティスト)
「ソウルフルなパーカートリビュート」
My Foolish Heart: Live at Montreux (詳細)
Keith Jarrett(アーティスト), Gary Peacock(アーティスト), Jack DeJohnette(アーティスト)
「疾走、朗朗、落涙」「いつまでも若々しいスタンダーズ」「暴れ太鼓、炸裂!」「またまたECMらしい戦略」
You Got My Mind Messed Up (詳細)
James Carr(アーティスト)
「サザンソウルと言えば」「もう全てが見事に嵌っている」
ウィーン・コンサート (詳細)
キース・ジャレット(アーティスト)
「ウィーンはキーキージャレットじゃなくうーむージャレット」「日常を離れてピアノ・ソロの世界へ」「パリよりも美しい」「古典派から新ウイーン学派へ、そしてフリーへ」「静謐なピアニズムの技巧を凝らした演奏」
バッハ:ゴルトベルク変奏曲 (詳細)
ジャレット(キース)(アーティスト), バッハ(作曲), キース・ジャレット(演奏)
「ゴルドベルク変奏曲自身が彼を選んだ」「この澄みきったハープシコードの音色」「客観的な構造のバッハ音楽に限りなく浸透する喜び」「10年以上を要した」「リラックスした、しかし凛とした演奏」
幻夜 (集英社文庫 (ひ15-7)) (詳細)
東野 圭吾(著)
「満足。続編待たれる。」「白夜行のドキドキが再び!!」「美冬の人生とは?」「書評は最後に読みましょう」「最高に面白かったです!」
Go Together (詳細)
Carla Bley and Steve Swallow(アーティスト)
「ジャケットの中、裏側もお忘れなく」「小粋なデュオ」「ジャケットに惚れ込んで買いました」
The Touch of Your Lips (詳細)
Chet Baker(アーティスト)
「『But Not For Me』を聴き比べて」「無駄のない素晴らしいトリオ演奏」
Alone Together (詳細)
Jim Hall / Ron Carter(アーティスト)
「メセニー、アバークロンビー、ジョンスコ、フリゼールの原点」「デュオの最高傑作」「デュオの最高傑作」「至高のデュオ」「デュオの最高傑作,」
Promenade with Duke (詳細)
Michel Petrucciani(アーティスト)
「力演! 」「ジャズピアノの好きな人必携のCD」
Portraits of Monk (詳細)
Randy Weston(アーティスト)
「ランディ・ウェストン復活の名盤」
ライヴ・アット・モントリオール (詳細)
チャーリー・ヘイデン(アーティスト), ドン・チェリー(演奏), エド・ブラックウェル(演奏)
・「注釈がおもしろい」
海外文学は難しい。作者との相性はもちろん、文化的フィルター、訳のフィルターがかかるからだ。その点からすると、この本はまさに稀有な例と言っていい。作者と訳者の相性がばつぐんに良いのである。
それは、後ろの注釈にも現れている。普通、注釈は辞書のようなつまらなさだが、この本の場合は注釈だっておもしろい。この「ユーモラスさ」が、ブローティガンの作風と実によく合っているのだと思う。
読むかどうかを迷っているのなら、注釈と「木を叩いて―その2」をぱらぱらとめくるのをおすすめする。こうした、少し人を食ったようなユーモアが気に入るのなら、きっと楽しんで読めるだろう。
・「読む人えらぶわ。。。」
ちょいとアメリカ文学ってどんなもんか読んでみようかな?という軽めのノリで読むとかなり難解かもしれません。いわゆるアメリカ人というものを、鱒や、鱒釣りに関することに比喩して描いたものですが、言語破壊的に綴っている部分もあります。たとえばですが、バロウズを読んだことがある方ならそのへんは抵抗が少ないかもしれません。しかし、名訳とおもいます(原著をよんだことないので無責任な発言です)多分、英語が相当堪能でもなにいってんだかキャッチするのはむずかしいのでは?とおもいますね。訳者に感謝したいです。わけわからんと感じられる方は、ケルアックとかバロウズとかあたってから、読んだ方がいいように思います。時代がわからないことには、なにがいいたいのか(私にはいいたいことなんてひとつもない、という形の廃退をしている場合もあります)わからないかもしれません。傑作です。よんでよかったとおもいます。
・「かつての前向きなアメリカの姿がここに」
1960年代のアメリカのポップな文体が藤本和子の和訳によって日本でも花開いたように思えます。絶望的な現実の中でもよりよいものを模索していこうとする当時のアメリカの若者の姿をまざまざと見せ付けてくれます。
・「奇怪な満足感を得られるアンソロジー」
"奇怪な満足感"を味わった、久々の本。背景に1960年代初頭のアメリカのカルチャーを濃厚に感じさせるコクのあるアンソロジー、といったところか。 文字通り『アメリカの鱒釣り』を通じてみえる当時のアメリカのスナップをシニカルに、ときにはユーモアに、ときには自らを徹底的に蔑んで自嘲的にさらっと書き綴る文章は、"奇怪な満足感"としか言いようがない。 故・開高健氏が絶賛しそうな名文だと思うが、本書について述べたものをみたことがないが… ある!?
・「イタリヤの優雅」
1979年1月ミュンヘンにて録音。ヨハネス・ブラームス(1833-97)のこの曲は当初1862年9月にブラームスがクララ・シューマンに送り、二つのチェロを持つ弦楽五重奏曲であったが多くの経緯・変形を経て最終的に1864年にピアノと弦楽四重奏によるピアノ五重奏曲の現在の形になったものだ。公開初演は1868年3月24日、パリのエラール楽堂でプロイセン王女のアンナに献呈された。王女はブラームスがかねがね古典の作品に熱い憧憬を持っていたのを知っていて、その返礼に秘蔵していたモーツアルトのト短調交響曲の草稿を送ったと伝えられている。ポリーニとイタリヤ弦楽四重奏団というイタリヤづくしのメンバーによるブラームスだが、実に素晴らしい名演である。ポリーニは指揮者にも多くクラァウディオ・アバドと作品を残すなどイタリヤ音楽界のレベルの高さを世に示そうとする意図が感ぜられるが、本作はまさにそれを遂げている感がある。
イタリヤのかほり溢るるブラームス。ジャンニ・ヴェルサーチのタキシードに身を包んだセレブリティのための演奏である。
・「じっくりと聴きたいアルバム。手ごたえ十分な出来映え」
このアルバムは一人でじっくり聴くべきものだと感じた。聴くほどに深く深く訴えかけられている様な気がしてならない。バックのライ・クーダーのギターも雰囲気を高めている。非常に手ごたえのあるヘビーなアルバムだ。このアルバムを聴いていたらカサンドラ・ウィルソンのニュームーン・ドーターやブルー・ムーンを思い出した。どれもハスキーボイスで味わい深い作品である。
・「これは買いでしょ!」
メイヴィスのこの新しい作品はピカイチです。Ry Cooderがプロデユースしただけあって、ルーツィーなギターが堪能できるほか、メイヴィスのスモーキーな声にぴったり合った仕上がりです。こんどこそ、メイヴィスはグラミーを受賞されると思いますよ。
・「素晴らしい」
今年夏、ケンタッキーへ出張する際に飛行機で聴いて即購入しました。ルーツですね。混ざり物が無いというか。のっけからヤラレました。素晴らしい作品だと思います。個人的には限りなく星5つに近い4つです。やや前半の似た曲調が続いたので、その辺りだけ幅が欲しかったのですが、たいした問題ではないですかね。We'll Never Turn Backに何度も泣いてます。
・「最初に聴くべき「フランス組曲」全曲盤」
フランス組曲は、全曲盤も多いし、なにを選べばよいか、迷う方も多いだろう。しかし、最初に聴くべきは、この盤である。レオンハルトは、各曲の性格把握も適切だ。例として、重厚な第1組曲と、歌謡性に富む第2組曲を比較してみよう。
まずアルマンドは、第2組曲で情緒に溺れてしまう奏者の多い中、レオンハルトは知と情のバランスの節度を保っている。重厚な第1組曲のあとでは、それでも十分アピールできることを知っている。
そして聴き物は、第1組曲のサラバンド。冒頭主題がその後低音に表れた時の高音部の演奏の崇高さは、筆舌に尽くしがたい。このような演奏はレオンハルトにしかできないものである。
第2組曲のクーラントは、急速なイタリア式のコレンテであり、情緒豊かなアルマンドのあとでは、フランス式クーラントよりも、コントラストがはっきりしてよい。多くの奏者は、様式把握に甘さが有り、このコントラストが、十分に発揮できないことも多い。
第1組曲のジーグは二分の二拍子という、一見変わった拍子だが、フローベルガーのジーグなど、先例があり、フローベルガーを得意とするレオンハルトの独壇場である。残り4曲に言及する余裕がなくなってしまったが、このように、緻密に描きわけが施されている。全曲盤としては、やはり最初に聴いて欲しい名盤である。
・「バッハの曲の中でもかなり大好きな曲」
2番なんかは、アンナ・マグダレーナの音楽帳にも入ってますが「いかにも若い新妻のために書かれた」という風情でバッハにしてはスイートな曲です。
この値段でしょう。。。。迷わず買っても絶対損しないはず。バッハはピアノでなく、チェンバロを想定して書いた。というのをしっかり認識するための一枚であるともいえます。
・「聴きやすいバッハ」
かなり古い録音とはなってしまいましたが、依然として高く評価できる録音ではないでしょうか?そもそも録音当時にはこのようなオリジナル楽器による演奏は賛否両論の批評の的だったのですが、現在でも高い評価を受けている事からも、レオンハルトの表現が素晴らしかったことが証明されるともおいます。演奏の内容は、バッハのクラヴィーア作品の中でも親しみやすいもので、これからバッハを聴いてみたいという方にも是非お勧めできます。ピアノによる全曲録音も多くあるのですが、やはりここでもチェンバロの演奏が素晴らしいと思います。作品自体が軽快で、洗練されているため、繰り返し聴いても十分飽きることないでしょう。
・「再録音しない理由」
独自の演奏スタイルを確立したレオンハルト中期の録音である。彼の特徴である大胆なアゴーギグ、インプロヴィゼーションが十分発揮されている。後期のようなピアニスティックな流麗な演奏ではない。 「パルティータ」のような曲はピアノで演奏しても弾きごたえがあるように、チェンバロらしさを強調しなくてもそれなりに面白く聴けるが、単純な構造の本曲では、平板に弾いたのでは飽きが来てしまう。そういう意味ではこの中期スタイルが曲想に嵌まっていると言えるだろう。 レオンハルトのチェンバロに最初に触れる曲としてもいいかもしれない。
・「ジャズファンなら愛さずにはいられない」
ジャズファンなら、このジャケットを見ただけで嬉しくなる人も多いと思う。このアルバムはそれくらい有名盤になってしまった。ではなぜこのアルバムがそんなに人気があるかということだが、それにはいくつかの要因がある。メリハリの利いたピュアな録音、気持ちいいスイング感、歌心溢れるメロディーライン、明るくリラックスした雰囲気など、ある意味、ピアノトリオの最も理想的な姿がここにある。
最近ニューヨークトリオのファンだという女性にこのアルバムを聴かせた。彼女曰く、「あー、いいなぁ、この人のピアノ、ビル・チャーラップに似てるー!」とうっとりした表情を浮かべた。You are right!名盤は名盤でも歴史的傑作とかいうものではないが、愛さずにはいられないアルバムなのだ。
・「誰が言ったか知らないが...」
『飛行機ジャケに悪いものなし』とはよく言ったものです。アナログにアホみたいな高い値段ついてるのはどうかと思いますが(単純に希少価値のみですね)、スタンダードという、ある意味料理人の腕が試される素材を、丁寧に味わい深く仕上げた、口あたりの良い、上質の逸品である事は確かです。美味しいってわかってるものを、素直に『美味しい』とだけ言わせるのって、一番難しい事だと思うのです。四の五の言わずに、この音に浸れるシアワセを感じてしまいます。ジャケは飾りましょう。裏ジャケには、KLMの社長(当時)のあいさつ付き。律儀な会社。
・「この若さでこの筆力」
ミステリファンからはあまり評判の良くないこの本だが、私は正直言ってかなり気に入っている。
ヴィクトリア朝ロンドンの刑務所の空気が繊細な描写でリアルに書き込まれている。本当に刑務所内のすえた臭いが漂ってくるようだ。
ラストがどうとかというよりも、当時のロンドンの空気に触れることが出来ただけ幸せである。
途中で描かれる闇房の恐ろしさは圧巻で、拘束衣を着せられてあんなところに閉じ込められたら、俺なら一日で発狂してしまうだろう。
オカルトであり、恋愛小説でもあり、歴史小説でもあり、ミステリでもあるこの本に作者のなみなみならぬ才能を感じてしまう。
・「別の時代に旅するようなリアリティ」
繊細で細やかな細工が縦横になされ、読み終わってみて「そうだったのか!」と驚かされる極上のエンタティメント。なんともいえない不可思議な雰囲気が楽しめた。まず「荊の城」を読んでからこれを読んだのだけれど、同じぐらいの時代背景ながら全然違う話の運びだった。ただ、とても読みづらいことも確か。最初のシライナの日記はまったく意味が分からず、その後もマーガレットとシライナの年代の違う日記が交錯するので、日付を良く見て、二人の手記を混同しないように気をつけて読んだらいいと思います。
・「19世紀英国の独身女性の孤独が胸を突く」
ãã-ãããªãã1ï¼ä¸-ç'ãã³ãã³ä½ã¾ãã®è£ç¦ãªå®¶åºã®å¨ã§ãç¬èº«ã§å©æã'éã-ãã'ã¦ããå¹'é½¢ã§ã社交好ãã§ãªãå 'åã©ããã£ã¦æé-"ã'éã"ã-ããããã§ã-ãããããäºä»¶ã§å¿å·ã¤ããã'ãã¤ã³ã®ã¨ã£ãæ-¹æ³ã¯å¥³åå'åæã®æ...°åã§ã-ãããã-ã¦å½¼å¥³ã¯ãã"ã§ãéåª'師ã§ããä¸äººã®ç¾ã-ãå¨ã«åºä¼ãã¾ãã彼女ã¯äº¤éè¡"ä¸ã«æ»äº¡ã-ã女æ§ã®æ®ºå®³ã®ç½ªã§æå½¹ã-ã¦ãã¾ããã罪人ã¨ã¯æããªãæ°-å"ã'ãã£ã¦ãããã'ãã¤ã³ã¯å½¼å¥³ã«æ¹ããã¦ããã®ã§ããâ¦â¦ããåã...ä¸-ç'ã®ãã³ãã³é°å²æ°-ãéè¦ã-ãããã£ã¨ãã¨çµ¡ã¿ã¤ãéåãªå°èª¬ã§ãããã-ã¦é¨ã-çµµã®ã¿ãã¹ããªã¼ãé ãããã¿ãã¨å¥ã®çµµæã'æµ®ãã³ä¸ããããããã«ãã"ã®æ¬ã¯èªã¿çµãã£ã¦ãããããã¨è¦æ-¹ãå転ã-ã¾ãã
ãã¡ãªã¿ã«ãè¦è¿"ã-ã«å®£ä¼ã§ï¼åµå...æ¨çæ-庫ã®å¥³æµ!ä½å®¶ï¼ã¨ã-ã¦ããããã»ã¦ã©ã«ã¿ã¼ãºãå-ãä¸ã'ããã¦ãã¾ãããã女彫å»å®¶ãã¨æ¯"ã¹ã¦ã¿ãã®ãã¾ãä¸èã§ãã
・「引き込まれる。けれども痛い小説」
殺しも盗みもないのに、ぐいぐい引き込まれて読まずにはいられない強さがあります。「魔術的な筆さばき」というのは文章の「筆」ではなく、そういう強さのことかと思いました。私は結末は分かりませんでしたが、きっと痛々しいことになるんだろうな、とは思っていました。けれどもその予想を上回る痛々しさでした。
ミステリと云えばミステリでしょうか。でも謎解きだとか、事件を解決に導くわくわく感とかそういったことを求めているなら、他の小説をお勧めしたいです。この小説にあるのは、どう人間の心をあやつり、どう騙すかということ、そして何よりその騙しによってめちゃめちゃにされた人間の苦しみです。
すごい小説だと思います。けど私は小説には夢をもとめます。痛すぎるので星4個にします。
・「老嬢という言葉のダメージ」
表紙の女性の眼差しにふらふらと惹かれて購入。19世紀のイギリスが好きな人にはたまらない、舞台背景。翻訳の堅苦しさも、かえって古典の風合いを増しているかもしれない。物語のゆっくりとした進み具合、冗長なまでの記述なども、古典的である。日記の形式を取るところもくせがある。最後まで読んで、ファンタジーじゃなくてミステリだということを思い出した。
物語もさることながら、三十路に入らんとする独身女性の生きづらさがリアルで、見事である。母親との葛藤、アイデンティティと性役割、同性愛など、女性にとっての現代的な主題を、伝統的で典型的な価値観がより期待された19世紀という社会に置くことで、際立たせている。
もう、なんともはや、身につまされる。特に「老嬢」という単語。主人公よりも、読者である自分のほうがダメージを受けた気がします。そういう単語があったということ、既に自分がそういう概念に該当するようになっていた、そういう文化が、時代があったことを再確認。とはいえ、そういう大人(20代後半以上)の女性にお勧めします。
・「アメリカ現代文学の旗手の短編」
「ガープの世界」「サイダーハウス・ルール」などで有名な現代アメリカ文学の旗手ジョン・アーヴィングの短編&エッセイ集です。小説ともエッセイともつかない作品が多くて不思議な感じでした。「ピギー・スニードを救う話」でアーヴィングが小説を書くきっかけになったような出来事が書かれていて、その後何作品か挟んで、最後に「小説の王様」の中でチャールズ・ディケンズの文学論が書かれていました。「小説の王様」では、ディケンズの素晴らしさをたたえ、現代文学の露骨に感情や感傷を書かないあり方を批判しているような文章が、現代アメリカ文学の旗手が書いていると考えるとおもしろかったです。文章が多少読みにくかったです。
・「初めての感触」
どこが面白いのか分からない、だけど面白い。そんな微妙な感覚が楽しめるようになった自分は少し成長出来たと言う事でしょうか。こんなにメッセージ性を押さえていて、暑苦しさが全くない筆致なのに、何故か“哀”しく流れ込んでくる趣。リアリティが有りすぎて怖いくらい。なのに舞台は架空の土地。“雪沼とはどこにあるのだろう?”無いと分かっているのに考えてしまう、また無いからこそ逆にこの中に描かれた住民性が疑いなく綺麗に映る。
そして主人公に『さん』を付けている事。読み方によっては、出てくることのない主人公の主観によって描かれているような不思議な読み方が出来る。そうすると“『主役』のいない物語”という風味になり、益々タイトルのニュアンスが引き立つ。うまく言えませんが…。(恐らくこれは私の勘違いな読み方で著者の思惑には全く含まれていないと思います……) こんなに淡々としているのに退屈しなかったのは何故だろう?…本当に不思議な本です。
・「静かでひっそりとした読書の愉しみ」
雪沼という山あいのひっそりとした町。どこか昔風でそれがいっそ美しいこの町とその周辺に暮らす人々の生活が丁寧に綴られた連作7篇を収める。語られるのは人々だけではない。旧式のボウリング装置、裁断機、家具調ステレオといった「機械」や「物」が、人々と分かちがたいものとして描かれ、独特の表現で鮮やかに映し出される。
作品内で「機械」や「物」が丁重に扱われるためか、本作には職人的な人物が多く登場する。職人に限らず、雪沼の人々の性格は職人的というのか生真面目で、それがなんともいえない安心感と信頼感、憧憬の念を生む。
どの作品もまぎれもなく著者の文章なのに、一作一作色合いが違う。雪沼の静かな風景の一部になっているかのようでありながら、誰もが異なる世界−ごく小さいけれども確かな世界−をもつことを思わせられる。物語は前置きなしに何気なく始められ、彼らの姿に迫ろうとページを繰るにつれて、閉じられていた物語、主に過去の物語が立ち上ってくる。そしてひたすら読み入るうちさっと幕引きがなされるので、読者は物語の中から立ち去り損ね、いつまでもその中に漂う格好になる。そんな読後感だ。地の文の中で人々は「・・・さん」と表記されるのだが、これが妙味を加えている。ユーモラスな作品ではより親しみやすく、居住まいを正したくなるような作品では敬意を伴って響く、「・・・さん」。 その他書ききれないが、読書の愉しみを味わわせてくれる作品集である。
「送り火」は、2007年度大学入試センター試験に出題された。試験に取り組まれた皆さんが、今度はこの文庫を、ゆっくりと読んでくださっていることを願う。
・「「雪沼」に共に住みたい」
「雪沼」という小さな街に住む人たちの、それぞれの一時を捉えた珠玉の連作短編集です。 全体を通して振り返れば、そこには「雪沼」の静寂と安寧があります。でも、それぞれの短編の中では、その主人公にとって、火花の散るような大きな一瞬です。 「雪沼」という雰囲気の中で、それぞれの主人公たちは誠実に生きています。そこにある何ともいえない優しさの中に抱かれたような生活に、読者を捕らえてゆきます。それは、主人公に共感するというのとは違います。「雪沼」に没入するのです。 こんな素晴らしい土地があれば、実際に住んで見たいと思います。 いつか精神的に辛くなったら、改めて読んで見たいと思います。
・「人それぞれに」
この本に巡り会ったとき、私はちょっとしたトラブルを抱えていました。悩みや心配事があるときは、心に余裕がなくなり、つい狭い視野で物事を考えてしまう。私もそのときは、まるで世界で自分だけが不幸であるように、世の中から一線を画された気分でいた。
この本は、雪沼とその周辺に暮らす人たちの日常を垣間見せることで、幸せ尽くめの人なんていない。みんなだってそれぞれにたくさんのものを抱えて、それでも誠実に生きているとメッセージが込められている。
本を読みながら私は、今ではすっかり有名になったある芸人2人組の、デビュー間もない時分の漫才が、あまりにつまらないので驚いたことを思い出していた。それは人真似としか思えないくらいごくありふれて、加えて、他人をけなすことでなく、愛情を示すことで笑いをとる今の彼らの芸風を、全く見出せない残念なものだった。彼らのことを、天性の博愛主義者のように思っていた私は、あの漫才が長く売れない芸人生活のなかから、苦心の末生まれたものだという事実にある意味ショックを受けたのだったが、それでもやはり、職業柄、他人から嫌な思いをさせられることだって多々あっただろう日々の先に、「人が好きだ」という芸風に辿りついたのは、彼らの人となりによって成された技なのだと考えると、「みんな頑張ってる」という感慨が呼び起こされずにはいられず、自身もいじけてはいられないと思ったのだった。
雪沼とその周辺の住民は、そんなことを思わせてくれる。幸せなんて、自分が幸せだと思うだけで、いくらでもあふれてきて、人生は具体的に起こる事象とは関係なしに、考え方ひとつでどうにでも変えられるのだ。隣の芝が青く見えたとき、この本を手にとってみられてはいかがだろうか。
・「纏い」
こんなに雰囲気のみえる小説は、はじめてかもしれない。別に悲しいわけじゃないんだけど、少し閉じてて静かな空気が全編を通して伝わってくる。静謐できれいなお話。本当にどこかにありそうな雪沼と、その周辺に起きた小さな物語。
多分好き嫌いが分かれる作家さんだと思いますが、私はだんぜん好きです。
・「七つの夜に酔いしれる、最高の幸せ。」
いやあもう最高です。前に聴いたウィントンは、結構気難しい感じに思えて、ちょっとひいておりましたが、このセットは他のアルバムと違った暖かな雰囲気のジャケットに惹かれ、7枚組というのに破格のお値段にも惹かれて、ついに買ってしまいました。まぐれとはいえ大正解でした!一週間7つの夜のライブという趣向も洒落ているし、絵柄違いの中にひっそりと7つの数字を忍ばせてある、中の紙ジャケもなかなか。しかし何といっても演奏が素晴らしい!リラックスして、なおかつ緻密に、熱く、しかも軽々と吹きまくるトランペットが、 ニューヨークの夜を疾走してゆきます。アンサンブルも見事。とにかく楽しい。入手した木曜の夜から曜日に合わせて一夜に一枚、グラス片手に聴いていくという至福の一週間を味わいました。
・「カッコイイ! 吹きまくるウイントン」
ものすごいテクニックで熱く吹きまくっています。カッコええ! 生で見たい! 1992年~94年にNYのVillage Vangardでの演奏の7枚組み! しかし飽きません。CDやジャケットではクールで生真面目な印象を持っていたのですが、吹くと熱く、しゃべると気さくな若いオニイチャンといった感じでイメージが変わりました。まず構成が洒落てます。1枚目が月曜の夜のステージで7枚目が日曜の夜のステージという風にまとめてあり、7枚で1週間分のステージが聞けるようになっています。演奏は熱いが完成されています。ウイントンはMCではジョークを結構飛ばしていて盛り上がった雰囲気が伝わってきます。朝2時とか相当夜遅いステージのよう。ウイントン自身も「Village Vangardでの演奏がこれまでで最も楽しかった」と言っているように楽しんでいるのが伝わってきます。7枚にしては安いしいい買い物でした。
・「これはいい買い物」
これだけのご馳走がこの値段なら、かなりいい買い物。情熱的に吹きまくり、MCにジョークを交え、ときにしっとり吹きあげる、こんなCDが7枚も収録。20世紀の良心といっても過言でないほど。聴くものを幸せにしてくれるVillage Vangardでのライブ。すばらしい。
・「デックスの隠れ名盤」
全国500名の隠れデクスターフアンの皆様にお知らせいたします。このCDを絶対に買ってください。デクスターの隠れ名盤ナンバーワンはこれで決まりです、間違いありません。信じてください、私が保証します。ベースにニルス・ヘニング・ペデルセン、ドラムスにアレックス・リール(まるでエルビンのよう!)を迎えて、ピアノレス!!!のトリオ(ワーオ)でデックスが吼えまくります。USアマゾンのサイトでデックスのCD漁りをしていたとき、あるデックスフアンの方が、「これは秘密だが、デックスを愛する人のために教える、多くの人は知らないが、デックスの最高傑作はこのララバイ・フォー・モンスターである。」と、コメントされていました。何も知らずにこのCDをアマゾンで購入した私ですが、いまだにこのCDを聞くと体の鳥肌がとまりません。これは決して大げさな表現ではないと思います。もしあなたが豪快無比なデックスを好きならば、これはGood Newsです。このレビューをよんだことを、神に感謝し、今すぐこのCDがなくなる前に急いで購入してください。そしてあなたの知り合いでデックスを好きな人に教えてあげて下さい。これはあなたの義務です。デックスはロリンズ、トレーン、グリフィン、スティット、モブレーより凄い。ヤングとホーキンスを足して二で割り、パーカーをまぶしたようなプレーヤーです。Our Daddy Played A Horn.エーメン。
・「これは本当に名盤です。」
Dexの有名な盤はほとんど聞いてますが、これは知りませんでした。ジャケのデザインもアレゲですし…。しかし、これは大当たり!素晴らしいです。何でこんなに良い盤がマイナーなのか不思議なくらいです。ピアノレストリオなのでDexの豪快かつ歌心満載なブロウが満喫できるのは言うまでもありません。出色なのは、時折火花を散らすベースのNeils Pedersenとのインタープレイです。Dexの豪放なブロウに絡みついてくるベース、そしてそれをあおるAlex Rielのビートがたまりません。Dexが好きな人はもちろん、テナーやベースなど低音系が好きな方もマストバイな一枚です。なくなる前に買いましょう。入手が難しくなりそうな予感…。
・「風格に満ちたテナーのスケール感」
ゆったりとしたスケールの大きなフレーズで重くダークな音色を奏でるデクスター・ゴードンはヘビー級テナーの横綱として君臨してきた。長いキャリアに裏打ちされた個性は普遍性と革新性を兼ね備えた好ましいスタイルで豊かな演奏者人生を歩んできた稀な例として記憶に残る。しかし、常に順風満帆であったわけでなく、50年代後半の不調やヨーロッパとアメリカを往来しながらスランプを乗り越えては一皮むけてさらに成長していったのである。このアルバムはそうしたゴードンの60年代後半と70年代後半の記録を収めたもので、標題曲をはじめゴードンが得意としたスタンダードナンバーで構成されている。ボディ・アンド・ソウルなどはコールマン・ホーキンスかゴードンかといった究極的18番で、朗々と歌い上げるテナーは風格に満ちている。なお2曲ほどソプラノ・サックスが聴けるのも変化に富んでいてそれなりに楽しめるが、やはり余興と見るのが順当であろう。
・「むちゃくちゃリラックスしてるな」
1976年6月15日コペンハーゲンで録音。この時期のジャズの聖地デンマークでのむちゃくちゃリラックスしたデクスター・ゴードンのプレイが聴ける隠れ名盤である。CD化であの『Good Bait』が追加されたのがとどめの一発になっている。
ベースがペデルセンで確実なプレイを見事にこなし完璧。その中で楽しそうなデクスター・ゴードンのプレイが冴えまくる。何か聴いていて昔、アメリカでプレイしていたときより何倍も幸せを感じてしまう。1の『Nursery Blues』などほんとに自由奔放でのびのび楽しそう。『Good Bait』では何となくコルトレーンのあのプレイを意識しつつも楽しそうに吹いています。
一言で言えばハッピーな作品です。
・「なんとも形容しがたい」
桐原亮司と西本雪穂。二人が小学生から大人になる十九年間の物語。高度成長末期からバブル経済の時代まで。彼らが歩む人生の周囲では、次々に不幸になる人々がいる。人々を絶望の泥沼に蹴落としながら、雪穂は睡蓮のように美しく咲き誇っていくのだ。 二人の主人公と読者の間には、レースのカーテンのような物が揺らめいていて、その姿ははっきり見えない。 特異な小説である。主人公二人の心だけが、一切描写されていないのだ。その周辺でもがく人々の主観を介してしか、亮司と雪穂に辿りつけない。
テレビドラマに引き込まれて、一気に読破した。過去にドラマ化不可能などという形容の小説は幾多もあった。しかし、本当に不可能な小説に出会ったのは初めてであった。 亮司と雪穂という主人公の人生には、殺人事件、レイプ、失踪、ハッカー犯罪などの事件が溢れている。最後のピースがはまった時、それらが純粋な魂から溢れ出た「果てしない悪意」だと読者は知る。 この小説と、放送が開始されたTVドラマとは、全てが違う作品になっていくだろう。小説だけの読者は、雪穂たちから、究極の悪意の快感を覚える。TVドラマだけの視聴者は、絶対的な純愛に感動するだろうからだ。そして両方を知った者は、鏡のように全てが正反対の、原作とTVドラマの特異なコントラストにくらくらと酔う。 小説とTVドラマが意図的に乖離せざるおえない作品。 昔、映画の「風と共に去りぬ」観た。その後に原作を読み、映画版のできの悪い模造品に感じた。これとは対照的に、百夜行は原作と映像作品が別個に独立した作品となっていた。両方とも鑑賞される事を強くお勧めします。
・「あなたにとって生きる意味はと問いかけたい」
たぶん主人公というべきなのであろう雪穂の人生。その雪穂の人生の要所要所で怒る奇怪な事件。そのほとんどは謎のままになっていくが,必ず残る雪穂への奇妙な疑念。その疑念を追い続けるベテラン刑事。雪穂が階段を駆け上がるように見事に人生の成功者になっていく陰で,もう1人の主人公とあえて言わせてもらう桐原亮司の影。影は決して表には出てこない。長い人生を影のままで生き続けようとする亮司の心を縛り付けている強いものはいったいなんなのか。誰もがもっている心の中の小さく暗い渦を,ずっと回し続けている雪穂と,その渦にまったく手を触れないよう生き続けている亮司。雪穂の光と亮司の影が実に対象的に描かれている。その雪穂に最後まで迫ろうとした刑事とその雪穂を最後まで守ろうとした亮司の最後。かわいそうな被害者からやがて重要参考人として刑事にマークされるまで,少しづつ謎がとけていくかのように進む内容は,長編なのに一気に最後まで読み続けさせられる作品。ただ一言言わせてもらえば,そこまで読まさせておいて終わり方はこれでいいの?それともやはりこれで終わりでなく,今回はここで終わりということ??
・「面白い」
悲惨なストーリー、主人公の心情描写のなさ、登場人物の多さ、最悪のラスト、などかなり読みずらいはずの小説。けどちゃんと面白かったってことがこの小説の凄さだと思います。なかでも主人公雪穂と亮司が絡んでる場面がなく、心情描写もない、やはりこれがこの小説の面白ろさです。小説ならではじゃないですか。自分で想像するから、出来るから面白いのです。めちゃめちゃ想像しやすく書いてくれてます。僕はラストを読み終えて解釈したことは、雪穂は亮司でさえもただ利用してただけやったんか、でした。そう解釈したらゾクゾクしてきて寒気がして、怖くて布団から出れなくなりました。やばいこの女ほんまに怖すぎる…って。 僕はこの東野圭吾って人を物を作る人として大好きになりました。 雪穂はどこまでもとんでもない女であって欲しい。 だって作り話やねんから。そっちの方が絶対面白いでしょ。
・「じっくりと読ませる悲劇」
仕事の合間を縫って、2日間ほどで読み終えました。最近この本を手にした多くの方と同様、私もドラマを見て、関心を持った一人です。 (売り切れの書店ばかりで大変でした)
読み終えて、真っ先に思ったのは、「ドラマを見る前に読めばよかった」という後悔でした。
ドラマの最初のシーンが本のラストにあたり、更に徐々に浮かび上がってくる二人の関係が、ドラマの初回で既に描かれてしまい、読みながら考えていく楽しみが減ってしまいました。また、読みながら俳優さんたちの顔が浮かんできて…(苦笑)
雪穂と亮司のふたりを決して同じ場面に出さず、出来事と周囲の人間の発言だけでつながりを浮かび出させていく…笹垣の口を通して描かれる解釈すら真実なのか?
あくまで最後は読者それぞれで彼らの人生を考えろ、というのが作者の狙いなのでしょうか。
確かに雪穂には人間の「情」というものが微塵も感じられません。心を失った彼女が、分身である亮司まで失ってしまった。美しいただの抜け殻であり、これから先の彼女の人生は、延々と続く悲劇でしかないでしょう。
全く救いがない物語ではありますが、救いのない悲劇をここまで描ききったことは見事としか言いようがないと思います。
最後に、この本とドラマは、全く別物として、それぞれ楽しんだほうがいいと思います。
・「読み取ることが大切。」
書評を読んでから小説を購入し、読みました。主人公の二人からの細かな視点は、この小説に必要では無い、と私は感じました。
なぜなら、たくさんの登場人物たちの複雑に絡み合った関係。過去の事件の真相を探る上で知りえる情報。二人の台詞。事細かに描かれており、たくさんの章があって大変だとは思いますがそれらをしっかり読み取ることで、二人の関係や想いを感じることは、できるからです。
この小説に、「雪穂はこう思った」「亮司は雪穂に対してこうこうこういう気持ちだった。」なんて視点があったら、野暮だしおもしろくはありません。
それから、ネタバレになるので詳しくは書けないけれど、二人がそれぞれ違うシチュエーションで、違う相手に向かって言う、同じ意味の言葉があります。それが唯一、二人の関係を示すものとなるのではないでしょうか。
この小説を読み終わったとき、私は村上龍氏の「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだときと同じような気持ちになりました。生きるため、自分を守るため、誰かを守るためのエネルギー。様々な策略が感じさせるダークな部分。そういう点が共通してるのではないでしょうか。
素晴らしい小説だと思います。
小説の内容とは無関係だけど、文庫本は上下に分けて欲しかった。。。あのページ数の文庫本は手に持って読むのに向いてません。
・「ソウルフルなパーカートリビュート」
Roy Hagrove(tp,fl),Christian McBride(b),Stephen Scott(p)のトリオによるパーカートリビュート作品全16曲(但し、4曲はトリオのオリジナル)。1995年4月の録音。当時この三人は共にVerveと契約していたミュージシャンであり、パーカーも晩年同レーベルと契約があった。よっての企画物らしい。若手ミュージシャンによる生きの良いプレイが印象的なアルバムだ。ハーグローブのよく鳴る!瑞々しいトランペットに絡む、マクブライドの雄弁なベースとスコットのブルージーなピアノ。スピードを落としたスローなブルースが基本となっている。やはりパーカーの曲は素晴らしい。ドラムレスという少し変わった編成であるが、ドラムスにビートを規制されない分、トランペット、ベース、ピアノの自由な演奏スペースが確保されている。登り竜の勢いの若手ミュージシャンの恐れを知らない大胆なプレイじっくりが味わえる。シンプルなサウンドが本当に心地よい。ライブを聴いているかのような臨場感が味わえる。まるでNYC辺りのクラブにいるかのような錯覚に陥る。録音もメチャイイ。パーカー云々ではなく丹精で美しいジャズがお好きな方は、是非リアルプレーヤーで試聴してみて下さい。きっとお気に入るはずです。
●My Foolish Heart: Live at Montreux
・「疾走、朗朗、落涙」
キースの全てを聞き直したわけでもなく全てを持っているわけではないが、今回のCDほど各自のソロが長いCDはないのでは?1−2のキース、1−3のドラム、1−4のベース。ソロとトリオが自然に混在している。それぞれがキースの言うマイスターに近くなったからこそ、若さが分かるというCDとも言うのだろうか?僕がキースを好きになったのは、35年ぐらい前に京都のシアンクレールでマイバックぺージを聞いて以来だが、その頃はラグタイムを弾きながら、ニュージャズ的なアプローチもしていた。古きを学びながら、新しきを学び、クラッシクに興味を示しながらポップスも取り入れてしまうキースその人のトリオでのベストアルバムだと思う。その証明がポップスを演奏した2−7だと思う。トリオを聞いて楽しくなり、気持ちが高揚することはあるが、トリオで泣きたくなるのはビルエバンスのワルツフォーデビィー以来だ。
・「いつまでも若々しいスタンダーズ」
keith jarrettの最新版が2001年7月モントルージャズフェスティバルでの音源と知って最初いささか面食らったが、じっくり聞いてみるとこの録音の6日後の録音のトリオとしては前作のthe out of townersと比べてもこちらの方がジャズフェスティバルでの録音のためか熱く、俗っぽくて楽しい。もちろんfour,my foolish hert oleo,a'intnomisbehavin',honeysuckle rose,what's new,などなどスタンダードの古典的な名曲がメドレー的に散りばめられており、ちょうどSTANDARDS LIVEとSTILL LIVEの様な対比になる感じですが、いつも理屈抜きで楽しめるkeith jarrett trioのなかでも今一番旬な感じのする音源と思います。しかしアクションコミック的に楽しかったUP FOR ITには少し負けるかなと思いましたが、UP FOR ITは2002年7月の録音でこの録音の1年後だったのを考えると、keith jarrettの音楽はかつてのdeath and the flowerとthe surviver's suiteの様に時間という流れも関係ない程瞬間瞬間で全く違う空間を創造して行けるのかもしれない。この値段で2枚組で楽しさ満載ときているので買ってお得のおすすめ品です。
・「暴れ太鼓、炸裂!」
とにかく、ドラムのジャックは、このアルバムでは、絶好調です。で、肝心のキースはというと……いつもより、創造力がないというか、アイデアが足りないというか。いつも以上にメロディーラインが素直過ぎます。キースの復活直後のライブだから、仕方ないといえば、それで終わりなんですけどねぇ…ジャックのファンなら買いですけどね。
・「またまたECMらしい戦略」
冒頭で一音だけ抜けてしまっている以外は演奏は素晴らしい。ジャケットも完璧だ。キースの体調の改善も見受けられる。ただ、いつものECMによる戦略になんだか釈然としないのである。いまさらキースに70年代の妖艶な世界観を期待するほうがお門違いというものかもしれないのだが、それでもわれわれがキースに求めるものは本作におけるような完璧なスタンダードだけではない。ハンコックのように無理な解釈でポップスやロックをジャズに塗り替えてみたりするほうがよっぽど寒気がするのだが、どうせならもっと冒険してみてほしい、とキースにも伝えたい。近日発売予定の3枚組み『セッティング・スタンダーズ』ももちろん買うし聴けば感動するのだろうが、その感動もいまから想像のつくものであるところが出来レースのようでわくわくしないのである。
・「サザンソウルと言えば」
サザンソウル好きの人なら必ず持っている(アナログ盤を含む)名盤。知らない人に一言。好き嫌いは有るが正にこれがディープ、サザンソウルです。
・「もう全てが見事に嵌っている」
溺れる者は藁をも掴む。藻掻きながら溺死していく男に水をぶっかける女。こんな救いようのない詩を独特のゴスペル仕込みの泣き節で歌い上げるジェイムス・カー。バックを付けるゴールドワックスミュージシャン達も半端じゃない。ブルース、R&B、カントリーの底辺を流れるソウルフルでダウンホームなサウンドで盛り上げる。この両者が渾然一体となって聴く者を圧倒するディープサザンソウル。こういうのが「名盤」というものなのだろう。棟方志功の版画を連想させる太い線と赤を基調とする印象的なジャケット。色々な要素がうまく嵌っている。全部が完璧でただただ凄い。こんな作品もう二度とお目に掛かれまい。
・「ウィーンはキーキージャレットじゃなくうーむージャレット」
ハミングです。いつものように、うがー、とか、グボゥオー!とかきーきーぎーぎー言わないキースは、ささやくようなか細い声で静かに歌っております。そのことがこのソロコンサートの形容しているような...。いつになく、落ち着きのある展開はクラシック的、間合いの大きい、一音一音かみしめるような弾き方はある意味ビルエヴァンス的ですが、もちろん出てくるフレーズはああ!キースジャレットだなぁ、という味わい深いもの。若鮎が跳ね回るような鋭いパッセージも健在です。ジャケットもUVインク厚盛りでECMにしては珍しいなかなか凝った仕様。
・「日常を離れてピアノ・ソロの世界へ」
Part1は42分、Part2は26分の91年ピアノ・ソロ。従ってこのアルバムを聴く時には、途中で中断されないように携帯の電源を切り入り口に鍵をかけ、椅子にゆっくり腰掛けて最後まで聞き通すというコンサートに行くような気持ちで望むことにしています。 特にPart1はクラシックを想起させる曲想で始まりながら緩やかに展開を遂げますが、後半で無上甚深の大旋律が炸裂します。Keith のインスピレーション神懸かりの瞬間が見事に演奏に現れ、聴き始めてしまうと42分があっという間です。 一気に聴き通してこそ得られる感動という点で、「Vienna Concert」は他の Keith のソロ作品と違った独特の密度を感じられます。CDジャケットのアートな手触りも特別。
・「パリよりも美しい」
ややクラシック的な演奏の本作。絶賛されている「パリ・コンサート」よりも私は感動しましたし、美しい演奏だと思います。 そして80年代以降、やたらうるさくなったキースの声も、ここではあまり聞こえず、リラックスしているのかな?と思ってしまいます。 どなたかのレビューに書かれてありましたが、「ステア・ケイス」との共通点があるというのは私も感じました。パリ好きな人、是非聴いてみてください。
・「古典派から新ウイーン学派へ、そしてフリーへ」
1991年7月ウイーン国立歌劇場(シェターカペツレ)でのソロ・ライブ。
出たしはまるでモーツアルトのソナタの様だが、展開はまさにキースのピアニズムになっていく。『魔笛』や『フィガロの結婚』といった優れたモーツアルトのオペラが上演された歴史あるその場所で展開されるキースの世界は純に芸術的だ。
ただ段々にラ・スカラの様にフリーになっていく。僕にはその変遷はまるで古典派のモーツアルトから新ウィーン学派のシェーンベルクへのウィーンの歴史を聴いている様でもある。
これがウィーンのキースの『天啓』だなと思えた。
・「静謐なピアニズムの技巧を凝らした演奏」
静謐な演奏である。キースのソロコンサートのCDでは時折枠から外れて自由奔放に主題が推移するが、この演奏は構成が守られ、スタジオ録音「Staircase」の拡大版のような、ややクラシック音楽のような演奏が聴かれる。第1部ではゆっくりした主題から展開していき、テンポが変わっていくときのピアノの技巧が時に楽しめた。第2部では、やや和風の旋律が聴かれるのも、「Staircase」2枚めの演奏と共通部分があって面白い。
・「ゴルドベルク変奏曲自身が彼を選んだ」
1989年1月八ケ岳高原音楽堂でレコーディング。85年の『スピリッツ』でクラシック音楽と決別、85年7月~87年10月までをスタンダーズのライブに費やし、自らの音楽を見つめ直したキースが敢然とクラシックに対峙し直した最初の作品といえよう。ライナーのインタビューに出てくるキースのコメントにおけるバッハのこの曲へのこだわりは以下の2点だ。
1.全音楽を神に捧げたバッハ。神の音楽は都市で見ることは難しい。2.バッハ以前の音楽にはダンスのための音楽と教会のための音楽があった。しかしゴルドベルク変奏曲にはその両方が内包されている。そしてゴルドベルク変奏曲自身が彼を選んだともいっている。
キース自身の自宅もそうだが、八ケ岳の美しい自然の中でこの曲と対峙し直したキースの歓びが溢!れ出た演奏になっている。音楽を演奏することの歓びが何にも増してキースを元気づけている。
1742年ドレスデン駐在のロシア大使だったカイザーリング伯爵の不眠症を直させるために書かれたこの曲が現代の多くの人の癒しとなり続けていくのは間違いないだろう。自然のエナジーを十分に吸い込んだクラビコードの音色にただ酔いしれるだけだ。
・「この澄みきったハープシコードの音色」
このアルバムは1989年1月という寒い季節に八ヶ岳高原、音楽堂で録音された物です。2段鍵盤のハープシコードで演奏されていますが、高橋辰男さんという方の製作したもので、キースはその楽器で弾くことを楽しみにしていたとのことです。
とにかく、CDをかけた瞬間から、その音色に美しさに驚かされます。
今まで、やや平板な音色だとばかり思っていたハープシコードが、これほど豊かな表情を持っているとは。冬の八ヶ岳の空気のせい? それともキースの技術なのでしょうか?
この Goldberg をグールドの演奏と比較することはできません。グールドは、バッハの時代には存在しなかったピアノを用いています。キースにはキースのバッハがあり、グールドにはグールドのバッハがあるということなのでしょう。
余談ですが、この演奏ではキースは(もちろん?)声を出していません・・・
・「客観的な構造のバッハ音楽に限りなく浸透する喜び」
キース・ジャレットのクラシックではゴルドベルグをよく聴いてきた。ジャズ風に弾いているわけではなく、むしろオーソドックスなバッハと言えよう。ただ、この演奏には自然で豊かな音楽の流れがある。もちろん、録音のすばらしさや楽器の音色の美しさも魅力的だが、なにより音楽に限りなく浸透する喜びが、この演奏からは感じられるのだ。
感性をフルに生かして、その曲の中にどこまでも深く入り込みつつも、バッハの音楽自体が持つ客観的な構造を尊重して奏でてゆく。その両要素をそれぞれどれだけ充分に実現させながら、自らの演奏の中で統合してゆくか。そして、その喜びを聴き手の「ハート」のなかに伝え、再現しうるか。ジャンルにこだわった論議の空しさを痛感させるキースの「音楽」であり、バッハのゴルドベルグである。
・「10年以上を要した」
1989年正月、八ヶ岳での録音だ。それ以外にライブ演奏もあった。厳冬期の高原にわざわざ足を運んでキースの音楽を聴くなんて、いいなあと思ったものだ。でも、CDを聴いてみて正直、よくわからなかった。あまりにも凡庸に思えた。CD解説には、バッハ研究家の樋口隆一氏のキースへのインタヴューが載っていて、キースのバッハへの想い、演奏者としての姿勢などを知って納得してはみたものの、CDを聴くとやっぱり凡庸に聞こえてしまった。 ところがそれから10年ほど経って、キースの演奏が急に私に迫ってきた。「私は今、この楽譜を初めて手に取りました」と言わんばかりの、時にたどたどしい、時にうれしさに満ち溢れた音が。それ以来、ゴルトベルクの愛聴版となった。これと関係があるのかどうか?最近ではあれほど熱中していたグールドの演奏が、私にとって輝きを失いつつある。
・「リラックスした、しかし凛とした演奏」
ゴールトベルク変奏曲は本CDの他にグールドのピアノ版を持っています。例えば最初の<アリア>では、どちらも同じようなゆったりとしたテンポ運びをしていますが、グールドの演奏が静かな中にも緊張感が満ちているのに対し、ジャレットはリラックスした感を受けました。楽器の音色も透明感があり、朝の通勤電車の中では好んでジャレットの方を聴きます。
・「満足。続編待たれる。」
「白夜行」は随分前に読み、詳細までは思い出せない。しかし、読中のずっしりとした心地よい重さを覚えている。
・「白夜行のドキドキが再び!!」
幻夜は白夜行の続編だ。でも話は白夜行を知らなくても違和感なく読むことが出来る。抽象的な文体でアレコレ読者に想像させる文体は相変わらずでその言葉や文章の意味に気づいたときは"してやったり"というカンジで本当に楽しい。しかしその快感を読者に与えるのが目的といわんばかりで作者に一歩上から見られているようなカンジで意地悪な作者の性格が文章に表れている(いい意味で)今回は相方の雅也の心情や実際雅也が行った数々の仕業がわかるようになっているので白夜行より話全体がわかりやすくなっている。それにしても美冬は凄い。前回よりも計算高くなっている気がする。もはや敵はいないかのようだがこんなに美人で色気のあるしかも頭の回転が速い美冬だから敵がいないのも当たり前か!?分厚い本なのに一気読みしたくなる中毒的ミステリー小説!!!続編が早く見たい!!!
・「美冬の人生とは?」
白夜行の続編。また分厚い本だなぁ〜と一瞬躊躇しましたが、そんなことを考えたのは初めだけ。ページをめくる手も止まらずスラスラと読み進めてしまいました。主人公は阪神淡路大震災の直後に衝動的に殺人をしてしまった雅也とその現場を目撃していた美冬。
白夜行では主人公であるにも関わらず雪穂と亮司の心境は一切語られなかったため二人からは血も涙もない冷酷な印象をうけました。(ドラマでは雰囲気が違うかな?)でもこの幻夜では、主に雅也の視点から物語が進行します。そのため美冬の呪縛から逃れることのできない雅也の苦しさや葛藤、孤独さが手に取るように分かりました。贅沢でなくてもいいから、平凡な幸せな人生を送りたいと望むのに反し、一方で美冬にどうしようもなく惹かれていく。そして美冬に指示されるがままに数々の悪行に手を染めていく。
美冬はまさに魔性の女というべき存在でしょうね。美冬の表の世界で頂点までのし上がっていこうというとてつもない野心と、徹底した冷酷さ。そして懐柔の巧みさ。最後の最後まで美冬の存在は謎の暗いベールに包まれています。
前作の白夜行を読んだ方ならこの幻夜とのつながりがつかめるかと思います。読まれていない方でも独立したひとつの作品として楽しめますよ。続編が今から待ち遠しいです。
・「書評は最後に読みましょう」
文庫本で一気に読みました。物語の中盤で、物語のナゾの一つである美冬の正体について、「分かった!」気になっておりました。物語の展開は白夜行とかなり似ており、面白いけど、同じやな、とさえ思っておりました。
が、書評を最後に読んで、さらに伏線が隠れていたことに気付き、著者のなぞかけが、よく練られていることに正直感嘆せずにはいられませんでした。この書評は、ハードカバーにはないようなので、私のように伏線に気付かないままの方もいらっしゃるかもしれません。
ぜひ書評を最後にお読みになってください。そして、できれば白夜行を読んでから本作を読まれると、より一層楽しめるのではないかと思います。
・「最高に面白かったです!」
皆さんと同じく最初はこのとんでもない分厚さに怯みましたが、一気に読みました。というか読まずにはいられませんでした。随分前に白夜行も読みましたが、まさしく続編だと思います。私は白夜行よりもこっちの方が面白かったです。
以降ネタバレになりますが…
雅也は、きっとわざと暴発するように銃を作ってたんですよね。「最高傑作の銃」というような言葉がありましたが、「1発でお互いを葬る事ができる銃」という意味なのでは。美冬を殺して自分も一緒に死ぬつもりだったんだと思います。しかし加藤がやって来て…結局、雅也はやっぱり最後まで美冬を守ってしまったんですねえ〜…引き金をひけば、自分も死ぬとわかっていながら。
美冬にはホントに背筋がぞっとしてくる感じはありますが、面白かったです!是非とも続編が読みたいです。
・「ジャケットの中、裏側もお忘れなく」
カーラ・ブレイのピアノと、スティーヴ・スワロウのベース・ギターの静かな語らい。カーラさんのピアノは、ビッグバンドの時とは一味違うリリカルさがあり、それが透明感のあるベースとよく合っています。代表的な名曲の1、4なども、デュオで聴くと新鮮。演奏を聴く前に、ジャケットの裏、中身を見ましょう。
・「小粋なデュオ」
ECMの姉妹レーベル、WATT発。1992録音。カーラ・ブレイのアコースティック・ピアノと、ユニークなエレクトリック・ベースのスティーヴ・スワロウの、親密な雰囲気のデュオ。
簡潔な表現で、ときにはセロニアス・モンクのように、ジョビンのように、また、ときにはエヴァンス風にも弾いているカーラ。スワロウのベースは、ギター・ベースと称されるように、テーマを取るときやソロのときにハイ・ポジションへ移動し、ギターのような音色で弾く非常にユニークなスタイル。知らないで聴くと、ギターとピアノのデュオと間違える人もいるだろう。
ご両人とも作曲者としても定評があり、どの曲も豊かなメロディーを持ち、飽きが来ない。エヴァンスが"I Will Say Goodbye"で取り上げたスワロウの曲「Peau Douce」も演っている。
落ち着いた雰囲気でリラックスして聴ける、いい感じのアルバム。
・「ジャケットに惚れ込んで買いました」
なんてシックなジャケットだろう。ようやく辿り着いた大人の関係を物語る男女の後姿。私はこの後姿に惚れて買いました。ところが裏ジャケを見て笑いました(これも後姿)。まだまだ二人は若い。さらに中身にはフォト・セッションとして二人の顔写真が沢山納められているのですが、このコメントでもう一度笑いました。フォト・セッションは失敗だったのですね。ウンザリした二人はもう顔写真はイヤだったのです。
・「『But Not For Me』を聴き比べて」
1979年6月21日録音。スティープル・チェイスでのこのメンバー(つまりチェット・ベイカー(tp.vo)、ダグ・レイニー(g)、ニールス・ウラステッド・ペデルセン(b))の録音のきっかけとなったアルバムである。この時の演奏が余りに素晴らしかったので後の1979年10月4日でライヴ録音を敢行していてそれが『DayBreak(SCCD-31142)』と『Someday my prince will come(SCCD-31180)』となっている。まず3人の持つ音色が実にピッタリである。ダグ・レイニーはご存知の方もいると思うが名ギタリスト、ジミー・レイニーの息子である。そのブルージーな音色とフレージングが実にすばらしい。その上、ニールス・ペデルセンのベースとチェットのペット。そのまた上にチェットの枯れたボーカルである。いやがおうにもセッションは白熱している(●^o^●)。何といっても最高の聴きものは『But Not For Me』である。遙か昔、若かりし頃のチェットのアルバム『Sings』の中のこの曲とこのアルバムの『But Not For Me』を聴き比べて欲しい。その深みが増したボーカルに驚かれること間違いなしである。
ジャズ界広しと言えどもチェット・ベイカーのボーカルを凌ぐボーカルがあるとも思えないし、これから出てくるとも思えない。
何て素敵なアルバムだろう。僕は晩年と若き日々のチェットのボーカルを何度も何度も行き来してしまう一人だ。
・「無駄のない素晴らしいトリオ演奏」
チェット・ベイカーのシンプルながら彼しか出来ないような乾いたトランペットに、ダグ・レイニーのギターとニールス・ペデルセンのベースが柔らかく寄り添って、見事な音空間を作り上げています。布地のキャンバスを思わせるような、落ち着いた演奏です。
・「メセニー、アバークロンビー、ジョンスコ、フリゼールの原点」
とても35年前の演奏とは思えないアルバムだ。今、聴いても実に新鮮でイササカの古さも感じさせない。ジムの斬新なコードヴォイシング、オリジナリティー溢れるアドリブライン、そして多彩なテクニック。ロンとのインタープレイのクォリティーの高さ。掛け値なしにジムのベストアルバムだろう。ジムの演奏をアナライズすれば分かるはず。このアルバムが無かったならば、現在のパットメセニー、アバークロンビー、ジョンスコ、ビルフリゼールは存在していないかもしれない。
・「デュオの最高傑作」
ジャズのデュオというと、ピアノとギター(ビル・エヴァンスとジム・ホール)の「アンダーカレント」やピアノとサックス(ケニー・バロンとスタン・ゲッツ)の「ピープル・タイム」などが傑作だ。異なった楽器の組み合わせが普通だが、このアルバムのようにギターとベースという弦楽器同士のデュオは珍しい。出来は最高。弦楽器同士のインタプレイのすごさに驚かされる。当時としては画期的な試みだったのだろう。もちろんアルバムの成功は、ジム・ホールとロン・カーターという超実力派あっての事だ。選曲も有名な表題曲以外に「朝日のようにさわやかに」「枯葉」など名曲も多いのがうれしい。1972年と古い録音、しかも条件の悪いライヴだが、ジム・ホールの透明感溢れるギターとロン・カーターのベースの低音もよく再現されている。1970年代を代表する名盤である。(松本敏之)
・「デュオの最高傑作」
ジャズのデュオというと、ピアノとギター(ビル・エヴァンスとジム・ホール)の「アンダーカレント」やピアノとサックス(ケニー・バロンとスタン・ゲッツ)の「ピープル・タイム」などが傑作だ。異なった楽器の組み合わせが普通だが、このアルバムのようにギターとベースという弦楽器同士のデュオは珍しい。出来は最高。弦楽器同士のインタプレイのすごさに驚かされる。当時としては画期的な試みだったのだろう。もちろんアルバムの成功は、ジム・ホールとロン・カーターという超実力派あっての事だ。選曲も有名な表題曲以外に「朝日のようにさわやかに」「枯葉」など名曲も多いのがうれしい。1972年と古い録音、しかも条件の悪いライヴだが、ジム・ホールの透明感溢れるギターとロン・カーターのベースの低音もよく再現されている。1970年代を代表する名盤である。(松本敏之)
・「至高のデュオ」
ジム・ホールとロン・カーターのいくつかあるデュオ作のなかの第1作目。1曲目のセント・トーマスでやられます。互いの音を聞きながら作り上げている世界は凄いとしかいえません。
その他の曲もスタンダードばかり取り上げているので聞きやすいアルバムだと思います。
・「デュオの最高傑作,」
ジャズのデュオというと、ピアノとギター(ビル・エヴァンスとジム・ホール)の「アンダーカレント」やピアノとサックス(ケニー・バロンとスタン・ゲッツ)の「ピープル・タイム」などが傑作だ。異なった楽器の組み合わせが普通だが、このアルバムのようにギターとベースという弦楽器同士のデュオは珍しい。出来は最高。弦楽器同士のインタプレイのすごさに驚かされる。当時としては画期的な試みだったのだろう。もちろんアルバムの成功は、ジム・ホールとロン・カーターという超実力派あっての事だ。選曲も有名な表題曲以外に「朝日のようにさわやかに」「枯葉」「セント・トーマス」など名曲ばかりなのが嬉しい。1972年と古い録音、しかも条件の悪いライヴだが、ジム・ホールの透明感溢れるギターとロン・カーターのベースの低音もよく再現されている。1970年代を代表する名盤である。(松本敏之)
・「力演! 」
実に力強く一音一音が太くてしかも輝いている。強烈な印象を与える。デューク・エリントンの演奏自体をかなり意識して、ここはいつもよりも激しく深く行こうとしている事が分りますね。スタインウェイを鳴らしきった力演で感動します。例えば、"In a sentimental mood"では、エリントン自身のアレンジをかなり忠実に取り入れていてそういう意味でも、デューク・エリントンに捧げているんだぞ!ということを非常に強く打ち出していると感じました。"Take The A Train"も最晩年にスティーブ・ガッドや、自分のソロで聴かせたような、スリリングでスピード感のある演奏ではなく、力強くファンキーに聴かせるように弾いていて、これも一味違っており強い印象を与えてくれます。しかし、勿論彼のトレードマーク的なロマンチックなセンスやフレーズ、そしてあの独特な盛り上げ方もばっちり出ていて、非常に説得力があり、一枚聴くと深い満足を得ることが出来ますよ。また、録音が素晴らしく、ピアノの音が立体的に良く録音出来ていて、まるでそこで演奏しているかのようです。
・「ジャズピアノの好きな人必携のCD」
デューク・エリントンの手がけた有名曲をミッシェル・ペトルチアーニが「らしい」演奏で聴かせてくれるアルバム。すばらしすぎるCDです。「Caravan」、「Take The A Train」、「C-Jam Bleus」は言うに及ばず、「African Flower」も美しくて印象的。ちなみに、デューク・エリントン生誕100周年の1999年にミッシェル・ペトルチアーニは亡くなってしまいました。合掌。そしてありがとう。
・「ランディ・ウェストン復活の名盤」
1989年に録音されたポートレイト三部作の内の一枚でこれはセロニアス・モンク集(他の二枚はエリントン集と自作曲集)。なかでもこのモンク集は最高の出来だろう。メンバーはランディ・ウェストン(p)、ジャミル・ナッソー(b)、アイドリス・ムハンマド(ds)、エリック・アサンテ(perc)のカルテット。一曲目のWell You Needn'tからいきなりノックアウトされる。ファンキーな8ビートのドラム、重いベース、アフリカ的なパーカッションの三人のリズムがまず素晴らしい。その上でウェストンがモンクの影響を強く受けながらもよりパワフルなピアノを鳴らす。二曲目以降も同様でとにかくドラムスとパーカッションが効いている。パーカッションのエリック・アサンテはアフロ・キューバン的なパーカッションではなくてジャンベを多用する等アフリカ的な感覚がとても強い。このパーカッションがアイドリスのドラムスと一体になって乾いたファンキーさを醸し出している。ウェストンも演奏が盛り上がると思わず唸り出す。モンクの曲の解釈も独特でいい意味で原曲にこだわらずかなり自由に扱っている。にもかかわらず強烈なモンク臭を放っており、それはウェストンがモンクの曲を長く引き続け知り尽くしているからこそ可能なことなのだろう。数あるセロニアス・モンク作品集の中でも最高のアルバムの一つ。活動が低迷気味だったウェストンはこの三部作以降、90年代一杯優れたアルバムを次々にリリースして快進撃を続けることになる。
ケータイからは、シンプルアマゾン(モバイル版)をご覧下さい。
シンプルアマゾンは、安心・安全のネットショッピングAmazon.co.jpの商品を紹介しています。
簡単アフィリエイト:あなたのAmazonアソシエイトIDをアドレスの最後に付けるだけで簡単キャッシュバック!(例:1sas.net/?yourid-22)一度IDを付ければ、シンプルアマゾン内の全商品が紹介料の対象になります。アソシエイトIDはこちらから登録可。