リリー、モーツァルトを弾いて下さい (詳細)
多胡 吉郎(著)
「リリークラウスは日本にもたびたび訪れています」「モーツァルトは愛」「泣けます!」「リリーの演奏が聴きたくなります」「こんな話が歴史に埋もれていたのか!」
クラウスの芸術(1) (詳細)
クラウス(リリー)(アーティスト), モーツァルト(作曲)
「モノラル録音ですが」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&21番 (詳細)
クラウス(リリー)(アーティスト), モーツァルト(作曲), サイモン(ステファン)(指揮), ウィーン音楽祭管弦楽団(演奏)
「名演!」
クーベリック その生涯の秘密 (詳細)
ヤン・クーベリック(出演・声の出演), ラファエル・クーベリック(出演・声の出演), ルネ・クーベリック(出演・声の出演), パヴェル・エクシテイン(出演・声の出演), インドジヒ・フェルド(出演・声の出演), ヤロミール・クジージ(出演・声の出演), エドゥアルド・クビュ(出演・声の出演), ミロスラフ・ラング(出演・声の出演), フェリツェ・スヘンディヴィ(出演・声の出演), ヨセフ・シェイバル(出演・声の出演), ミロスラフ・ヴィリーメツ(出演・声の出演), ミラダ・ジホヴァー(出演・声の出演), マルティナ・ハイコヴァー(出演・声の出演), フランツ・ポンパー(出演・声の出演), レオナ・ハイコヴァー(その他), ヤナ・ヴォクロウフリーコヴァー(その他), ラディム・スメタナ(その他), イジー・フバチュ(その他), マルティン・スハーネク(その他), イジー・ピルカ(その他)
ドヴォルザーク:交響曲第5番 (詳細)
クーベリック(ラファエル)(アーティスト), ドヴォルザーク(作曲), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(演奏), バイエルン放送交響楽団(演奏)
「お手のもの?」
ドヴォルザーク:交響曲第9番 (詳細)
クーベリック(ラファエル)(アーティスト), ドヴォルザーク(作曲), モーツァルト(作曲), チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)
「練度が足りない気もするのですが」「共感に満ちた演奏」
スメタナ:わが祖国 (詳細)
クーベリック(ラファエル)(アーティスト), スメタナ(作曲), チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)
「大感動!美しいプラハの町が蘇りました」「歴史が聞こえる演奏」「我が祖国・モルダウ屈指の名演!!」「1958年ウィーンフィル盤と比較して思ったこと・・・」「クーベリックは好きな指揮者ではあるが、」
ブルックナー:交響曲第3番 (詳細)
クーベリック(ラファエル)(アーティスト), ブルックナー(作曲), バイエルン放送交響楽団(演奏)
「エーザー版の名盤此処にあり」「クーベリック/独自のメローディクの威力」
ブルックナー:交響曲第5番 (詳細)
マタチッチ(ロヴロ・フォン)(アーティスト), ブルックナー(作曲), チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)
「強烈な個性」「ブルックナーの思い出」「終楽章の雄大さ、自由さが圧倒的な名演」「マタチッチの人柄と流儀」
ブルックナー:交響曲第7番 (詳細)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(アーティスト), ブルックナー(作曲), マタチッチ(ロヴロ・フォン)(指揮)
「マタチッチ珠玉の遺産」「最もブルックナーらしい演奏の王道を行く、渋くて重厚な演奏スタイルの名盤中の名盤」「過ぎ去りし時代を想う」「歴史的名盤」
ブルックナー:交響曲第9番 (詳細)
マタチッチ(ロヴロ・フォン)(アーティスト), ブルックナー(作曲), チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)
「マタチッチのブル9」
クレンペラー指揮者の本懐 (詳細)
シュテファン シュトンポア(編集), Stephan Stompor(原著), 野口 剛夫(翻訳)
ベートーヴェン:交響曲第1番&第7番 (詳細)
クレンペラー(オットー)(アーティスト), ベートーヴェン(作曲), フィルハーモニア管弦楽団(演奏)
「クレンペラーをきくということ」「衝撃の第7」「遅いだけではない何かが、これらの演奏の中にはある」
ベートーヴェン:「運命」& 交響曲第8番 (詳細)
クレンペラー(オットー)(アーティスト), ベートーヴェン(作曲), フィルハーモニア管弦楽団(演奏)
「フルトヴェングラーとは違った意味の名演」「力強く、軽やかに」
ベートーヴェン:荘厳ミサ曲 (詳細)
クレンペラー(オットー)(アーティスト), ゼーダーシュトレーム(エリザベート)(アーティスト), ヘフゲン(マルガ)(アーティスト), クメント(ワルデマール)(アーティスト), タルヴェラ(マルッティ)(アーティスト), ニュー・フィルハーモニア合唱団(アーティスト), ベートーヴェン(作曲), ピッツ(ウィルヘルム)(指揮), ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(演奏)
「宗教と芸術の不思議な関係」「ベートーベン音楽の最高峰」「心より出でて-そして再び-心に入らんことを」「残念ながら、歌詞対訳はついておりません!」
シューマン:交響曲第1番「春」&第2番 (詳細)
クレンペラー(オットー)(アーティスト), シューマン(作曲), フィルハーモニア管弦楽団(演奏)
シューマン:交響曲第3番「ライン」&第4番 (詳細)
クレンペラー(オットー)(アーティスト), シューマン(作曲), ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(演奏), フィルハーモニア管弦楽団(演奏)
「崇高な格調高きシューマン」
J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調 (詳細)
オットー・クレンペラー(アーティスト), ヨハン・セバスティアン・バッハ(作曲)
アラウとの対話 (詳細)
アラウ(著), ジョーゼフ・ホロヴィッツ(著)
「ピアノマニアへ贈る最高の本」
ベートーヴェン:7大ピアノソナタ集 (詳細)
アラウ(クラウディオ)(アーティスト), ベートーヴェン(作曲)
「熟成された音楽」「深い内容のピアノソナタ」「やばいwwww」「作曲の学習の為購入」
ショパン:ワルツ全集 (詳細)
アラウ(クラウディオ)(アーティスト), ショパン(作曲)
「アラウが奏でるショパン」「目指すひとつの方向性」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番&第2番 (詳細)
アラウ(クラウディオ)(アーティスト), ショパン(作曲), インバル(エリアフ)(指揮), ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)
「こってりとした純度の高いロマンの世界」「やはり巨匠だった」
音楽史を彩る女性たち-五線譜のばら 2 (五線譜のばら (2)) (詳細)
萩谷 由喜子(著)
「ハスキルの日本語での伝記」
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 (詳細)
ハスキル(クララ)(アーティスト), ショパン(作曲), ファリャ(作曲), マルケヴィッチ(イーゴリ)(指揮), コンセール・ラムルー管弦楽団(演奏)
シューマン:子供の情景 (詳細)
ハスキル(クララ)(アーティスト), シューマン(作曲)
・「リリークラウスは日本にもたびたび訪れています」
本書は、リリークラウスの伝記を資料に基づく史実と、筆者によるフィクションを交えたものですが、特にジャワ抑留中の出来事を中心に改訂に書かれています。戦後も日本に演奏旅行をたびたび行うなど、日本びいきであったとおもわれますが、このような出来事が合ったのかと、感慨にふけります。
日本版でもモーツァルトのピアノソナタ全集は、モノラル・ステレオの2種類(モノラルのは入手困難)でていますが、本書を読んで聴くと感慨もひとしおです。
・「モーツァルトは愛」
本書は、リリー・クラウスという世界的な女流ピアニストが、戦時中、ジャワで日本軍に抑留されながらも、何人かの日本人の音楽愛好家たちと交流を続け、また慰安演奏会を通じて西洋人抑留者たちに生きる光を与えた話を、取材に基づきながら、ノンフィクション小説という手法で、生き生きと描いた作品である。まずは、日本の軍国主義に席巻されるインドネシアでの出来事を、リリー・クラウスという外国人女流ピアニストの視点から、描き切ったことを高く評価したい。それを可能にしたのは、著者の音楽へのパッションである。多胡吉郎氏は、本作を通じて、戦時下という困難な状況で、国境や言語の違いを超える力を持つ音楽を高らかに鳴り響かせる。本書を読んでいると、まるで一つのスペクタル映画を見ているような印象に囚われるが、しかし、一方で、逆に映像で表現することは可能だろうかと思わせるような、著者の見事な筆力を感じることもたびたびあった。 平時の演奏でも、聴衆を巻き込んで、ひとつの大きな生命体を創りだす力を有したリリーだったが、戦時中には、抑留で困難な生活を強いられた西洋人の人々ばかりでなく、彼らを監視する立場にあった日本人兵士たちまでもが、パンと水を求めるように、音楽の持つ癒しの力に飢えた。リリーの演奏は、これらの人たちの希求に応えるすばらしいものだったのだろう。西洋人の、しかも世界的な女流ピアニストが、日本の軍国主義のために自由を奪われて、辛い思いをしたことには驚きを禁じ得ないが、一方で、著者の見事なバランス感覚により、リリー・クラウスから見た美しい日本も、桜の花をモチーフにして描かれている。なぜなら、音楽による癒しと和解こそが、この本の真のテーマだからだ。多胡吉郎氏は、決して狭い了見で日本の暗い部分に光を当てたのではなく、音楽という愛の力で、日本を世界に開こうとしたのである。
・「泣けます!」
買ってから一気に読み通しました。主人公のリリークラウスはもとより、彼女の収容に係わる日本人たちの気高い精神とその交流に涙をこらえることができません。ていねいな取材に基づくであろう時代背景と史実、そして作者の文章力に心からの賛辞を贈りたい!
・「リリーの演奏が聴きたくなります」
リリー・クラウスが大の日本びいきだったことは以前から聞いていましたが、こんな過去があったとは。 うれしい驚きです。 ちょっとリリーの内面描写にまで踏み込みすぎでは?と思わされるものの、多胡氏は丁寧で綿密な取材によって素晴らしいリリー・クラウス像を私たちに提供してくれました。
読みながら、芸術というものが人間に何を与えることが出来るのか、ということをしみじみと考えさせられました。 音楽を奏でたり絵を描いたりする行為は決して戦争を止めたり、飢えた人々に食事を与えることにはならない。 それが出来るのは政治や経済です。 しかし、実際に政治経済活動に携わる人々が良くしようとするのはおおむね自国の人々の生活であり、万人にあまねく善意を施す政治経済行為がこの世に実在するとは考えられません。 しかし芸術には好みはあっても、国境や垣根はありません。 何ものにも縛られない、目に見えない絆というものを人間同士の間に作ってしまうことが本当にあるんだなあ、と思わさせられました。
抑留という事は本当につらい出来事だったでしょうが、それを生き延びて己の芸術を全うすることの出来たリリーは本当に幸せな芸術家だったのだな、とうらやましく思いました。
・「こんな話が歴史に埋もれていたのか!」
一読、素晴らしい本だと思いました。「世界一のモーツァルト弾き」と言われたピアニスト、リリー・クラウスと、ジャワに駐留していた日本軍関係者との間にこんな話があったとは!
あとがきによれば、本書の構想は20年前には生まれていたらしいです。それだけの歳月を熟成に費やしたこと、そして、もちろん著者自身の丁寧・丹念な取材によるところも大きいのでしょう。珠玉の人間ドラマに昇華されています。
「音楽が紡いだ真実の物語」の惹句の通り、真実の物語だから持ち得る骨太な強さを備えています。巷に飛び交う「純愛」など軽く蹴散らしてしまうほどの、奥深い人間愛を感じることのできる1冊です。
ぜひ映像でも味わいたい物語だと思いました。
・「モノラル録音ですが」
モーツァルト:リリー・クラウスの演奏は鈴を転がすようで優雅なモーツァルトです。現在入手が難しいモノラルのモーツァルトのソナタ集です。1. パイジェルロの歌劇「哲学者気取り」の“主に幸いあれ”の主題による変奏曲 ヘ長調 K.3982. ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.3303. ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 K.2824. ピアノ・ソナタ 第5番 ト長調 K.2835. ソナタ楽章(アレグロ) ト短調 K.3126. フランスの歌「美しいフランソワーズ」の主題による変奏曲 変ホ長調 K.35【演奏】リリー・クラウス(ピアノ)【録音】1956年
・「名演!」
クラウスの当ディスク。音立ちが際立ち、きらめく音色、女性的な線の細さが目立たず全体ががっちりしている。感情表出も嫌味でない程度にドラマチック。当曲についての名盤と謳われている内田も素晴らしいが、クラウス、ミケランジェリ、ゼルキン、ハスキル、グルダ、ペライア、アシュケナージの演奏を含め、その中でも内田盤危うしと感じた素晴らしい演奏。
・「お手のもの?」
チェコ出身の巨匠、ラファエル・クーベリックによる同郷ドヴォルザークの一枚。
ベルリン・フィルの交響曲5番も素晴らしいが、手兵バイエルン放送交響楽団による三部作《自然と人生と愛》は、とてもパワフルで聞き応えがある。
・「練度が足りない気もするのですが」
クーベリック&チェコフィルという、この曲のために有るかの様な組み合わせのCD。それだけに期待度も高いのだが、今一つピンと来ないのが惜しい。しかし、人に「新世界より」のお薦めを訊かれたら、これは候補になります。
・「共感に満ちた演奏」
クーベリックということで、個性が全面に出た演奏ではないが、オーケストラの熱意が感じられる演奏。モーツァルトもドヴォルザークも細部まで神経が行き届き、表情が細やかで、加えてオーケストラからも”特別”な意気込みが感じられ、熱い演奏です。この演奏を聴いてそれ以上に印象的だったのは、やはりチェコフィルの独特な響きです。やはりドヴォルザークの演奏にフィットする独特な素朴な響きは必聴だと思います。聴きなれたこの名曲のメロディも、西側の国際化された名門オーケストラが奏でるものと異なる、全く別のメロディーに聞こえ、とても新鮮に感じたのには驚きました。クーベリックの中庸を保った指揮に相まって、チェコ(あるいはボヘミア)の作曲家であるという意味を演奏の響きから感じ取ることが出来る、良い意味での模範的な演奏だという印象を持ちました。しかし、これ以前に録音された同じコンビのスメタナの『我が祖国』で聴けた高揚感ほどに達していないのが残念な点だ。
・「大感動!美しいプラハの町が蘇りました」
このCDを聞いて、先日訪れた荘厳で美しい中世の町プラハが思い起こされ、感動しました。このCDと同じスメタナホールでのコンサートにも実際に行き、その会場の美しさと共に素敵でしたが、音楽はこのCDほどではありませんでした。特に、私達に馴染み深い「モルダヴ」は、祖国に対すると深い愛情が感じられる至極の名演奏です。私にとってはいぶし銀のプラハ、このCDを聞きながら、再訪したいと思っています。
・「歴史が聞こえる演奏」
プラハの春の軍事介入の混乱から亡命していたクーベリックが冷戦の終結を機に帰れないと思われていた祖国に帰り、チェコフィルを振った演奏会の録音。決して、クーベリックとしても、チェコフィルとしてもベストの演奏ではないと思うが、その歴史的な背景を考えると感慨深い演奏になっている。序盤、どことなくたどたどしい演奏から始まるが、おなじみのモルダウあたりでいつものチェコフィル節になり、後半の、時にはチェコフィルらしくない激しい演奏から「ない」と思われていた競演を果たした両者の感動が満ち溢れているように、私には聞こえる。発売当時は、先にクーベリックの帰国コンサートの興奮が伝えられており、その様子を伝えた、チェコフィルファン心待ちの録音であった。決してベストの1枚ではないし、この曲を1枚しか持たないのならば薦められない演奏ではある。しかし、ソ連のチェコへの軍事介入直後のマタチッチのN響での「わが祖国」とともに、大国に何度も侵略されたチェコの歴史を感じられる演奏である。
・「我が祖国・モルダウ屈指の名演!!」
クーベリックにとって記念すべき祖国での演奏。なみなみならぬ熱い空間は、完璧な集中力に研ぎ澄まされた演奏と情感を、聴衆と一体となって映し出している間違いなく買い!です。
・「1958年ウィーンフィル盤と比較して思ったこと・・・」
~4年前に引退していた巨匠を担ぎ出して居ること自体はよろしい。34歳でチェコを去ってから、76歳で感動の再会(当時の楽員はもう現役では居らず、楽員達には偉大な祖国の英雄にじかに触れられるという感じだったろう)はよいのですが、レコード会社の売り方に疑問を感じます。巨匠44歳(1958年)ウィーンフィルとの盤(私のもっているCDはプラハの街がジャケットの~~ものですが、何度も再発しているはず)の方が録音もいいし、弦のアンサンブルの緻密さ、ダイナミックさがつぶさに伝わってきます。モルダウがたおやかに広がって行く表現が見事だし、シャールカのダイナミックな展開、各曲で聴かれる踊りの音楽の人間的豊かさ、プラニークの「汝らの側の神とともに、終末において勝利を収めん」というマーチ風賛美歌の主情性~~の吐露も見事。カラヤン/ベルリンフィルが死の直前にサントリーホールでやったブラームスやラヴェルには大変感動しましたが、体が動かない中で楽員がカラヤンの意図を能動的に汲み取りながらの演奏は、やはりベストのものとはいえないためか、CDにはなっていないようです。この1990年盤のクーベリックも右手が不自由だったとか。巨匠が生きているなら、ベストの~~ものを後世に聴かせたいとおっしゃるのでは?
もうひとつは芸術の普遍性(国際性、永遠性)です。「わが祖国」までメジャーになると、その感動は普遍的なものであり、クーベリックがやれば必ずしもチェコフィルでなくてもよいのでは。巨匠は何度もわが祖国を録音しているので、聴く方もベストなものを聴き分けるのが大変です。この盤と1958年ウィーンフィル~~盤なら、後者を強くお勧めいたします。今度はクーベリック50歳代のボストン響との盤を聴くつもり。巨匠のマーラーや田園もホントいい。☆の数はあくまで他のクーベリック盤と比較してのもので、絶対評価なら☆4.5くらいと考えます~
・「クーベリックは好きな指揮者ではあるが、」
このCDは、どーも心のひだに触れるようなところがないのです。その歴史的な背景を考えて聞きなおしてみても、どうもピンとこない。なんか演奏が不安定な感じがするし、録音の音もよくないような気がします。「すごいに違いない」と聞き返しているのですが、やはりぼくにはそのすごさがよくわかりません。
・「エーザー版の名盤此処にあり」
改訂癖で有名なブルックナーの交響曲なら、二種類の名演を全集で揃える事をお勧めする。一方はインバル=フランクフルトrso.盤、もう一方はヴァント=ケルンrso.盤。インバルはノヴァーク版第一稿で一貫しているし、ヴァントもヴァントで、稿に於いては最終稿、版に於いてはハース版で一貫していて、共に作曲者への敬意に満ちた暖かい眼差しが感ぜられるからだ。そうすると丁度穴が開くのが、原典版だけで三稿もある第三交響曲の第二稿なのだが、心配は無い。
この【≪クーベリック=バイエルンrso.盤≫】こそが、見事その穴埋めを果たして呉る。
実はこのクーベリックが使っているエーザー版こそ、あの伝説的な「第三交響曲の悪夢」の時にブルックナーが使っていたのと同じ楽譜なのだ。だが、クーベリックのこの名演を聴いて頂ければ解る通り、生前のブルックナーの指揮がどれ程下手だったか、と云う事に話は尽きる様だ。この第三交響曲は、その時の失敗が元で再び改訂され、より頻繁に現在演奏されている第三稿があるのだが、私は決して第二稿が第三稿に劣るとは思わない。出来としては同等である。こんな改訂をする位ならば、ブルックナーは第九交響曲の完成を急ぐべきだったと、断固私は思う次第である。
・「クーベリック/独自のメローディクの威力」
3番の秀演である。テンポは全般にかなり早い。そのうえでアゴーギクは相当大胆に用いられる。ブラームスはブルックナーの音楽は買っていなかったがドヴォルザークの「メロディ創造力」は高く評価していたと言われるが、クーベリックの演奏を聴いているとブルックナーのメロディがドヴォルザークと二重写しで錯覚して聞こえるような気すらする。クーベリックの織りなすメロディは生気に満ち実に溌剌としている。個々のメロディに愛着をもって音楽を再現している姿が眼に浮かぶような演奏である。弦や管の各パートも、アド・リビトウム(自由度のあるテンポ)で情感たっぷりにメロディを奏でているように聞こえるが、それでいて全体のバランスや統一感はきりりとしている。こんなにも胸に迫るメロディが満載された曲だったのかと思う一方、弛緩された部分が一切ないのが不思議だ。これぞ音楽に熱い「血のかよった」クーベリック・スタイルなのかも知れない。
・「強烈な個性」
骨太の曲づくり、ブル5の定番CDだ、と単純に思ってたのですが…。第4楽章で、少なくとも2箇所の大幅なカットがあり、終結部などでは改訂版を使っていたり(多分)しています。原典版を信奉する方は御注意を。ただ、カットのしかたは改訂版のやり方とは違うマタチッチ流のもの。改訂版の一部使用もマタチッチがあえておこなったものでしょうから、マタチッチの強烈な個性のあらわれというべきでしょうか。カットにたじろぐ面もありますが、その結果、すごい緊張感が持続していると感じました。私にとっては、やはりブル5の定番のひとつです。
・「ブルックナーの思い出」
クラシック音楽のLPを初めて自分の小遣いで買ってから二年、当時私は高校一年生にしてブルックナーの大ファンになっていた。そのブルックナーの交響曲の中では何番目に聴いたのか忘れてしまったが、取分け此の頃の私を最も夢中にさせたのが、此の第5交響曲だった。壮大な音響、部厚い和声、二連符と三連符とを組合わせた独特のリズム、大胆な転調、何よりもモーツァルトのジュピター交響曲以来のソナタ形式と大フーガとを見事に融合させた最終楽章。此れを聴いたらばポピュラー音楽等児戯にしか見えないし、当時の私の感性にピッタリと来た音楽でもあった。当時私を夢中にさせたその演奏は、ヨッフム指揮ドレスデン・シュターツカペレのものだったが、CD時代になってから聴いたこのマタチッチ指揮チェコpo.演奏盤は、それを凌ぐ名演だ。飽きさせないテンポの取り方、遠慮の無い楽器音の強弱の付け方、一部シャルクによる改訂版の解釈を引用してあるとは云うものの、それさえもマタチッチは純粋にブルックナーの音楽の中に見事に融合させている。将に宇宙サイズのブルックナーだ。ブルックナーの交響曲はドイツ・オーストリア圏の指揮者でないと駄目と言う人もいるが、其の点も心配無い。何故なら、マタチッチもチェコpo.も、現在でこそスラヴ諸国に分類されているとは云うものの、本来はハプスブルク・オーストリア帝国の版図下にかつてあった地域の出身だからだ。音楽の名演も歴史と共にある、此れ以上無い程の例証が此処にある。
・「終楽章の雄大さ、自由さが圧倒的な名演」
ブルックナーの交響曲第5番の名盤だと思ひます。中でも、終楽章の雄大さ、自由さは、圧倒的です。是非、お聴き下さい。
(西岡昌紀・内科医)
・「マタチッチの人柄と流儀」
マタチッチがケルン歌劇場で指揮者としてデビューしたのは御年「17歳」であったとのこと。その早熟な指揮者が(数字を逆にして)齢「71歳」で気心の知れたオケ、そして得意のブルックナーで録音したのがこの5番です。第1楽章の導入部の沈んだ暗いスタートは驚きです。第2楽章は5番でもっとも早く作曲され、巷間この時代のブルックナーの苦悩が最も顕著な時期とも言われますが、この演奏はそれに捉われることなく淡々とリズムを刻み、大らかで全般にあっけらかんとした印象です。その一方、後半の2楽章は、反転、集中力を高め荘厳なコラールのフィナーレでは得難い感動をもって終結します。 マタチッチは大柄ながらお顔はよく見ると端正な風貌、そして流儀としては、オーケストラを燃焼させる「触媒効果」は抜群、しかもそこには強い作曲者の主張と指揮者独特の哀歓が籠められているといった印象。チェコ・フィルの燻し銀の弦が熱量を徐々に蓄えていき、最後に一気に放出する過程は聞き物です。
・「マタチッチ珠玉の遺産」
数あるこの曲のレコーディングの中でも、長く聞き続けられてきた演奏です。しかし36年も前の録音とは全く信じられないほどの素晴らしい音によみがえっています。かつて聞いた彼の演奏会を懐かしく思い出しますが、この演奏は晩年の生演奏とは少し違って、ある意味でレコーディング向き。でもそれだけにいつまでも色あせない、普遍性も感じさせます。美しく繊細で、しかもダイナミックで充実した響き。音楽を聴く楽しみを実感できる一枚です。
・「最もブルックナーらしい演奏の王道を行く、渋くて重厚な演奏スタイルの名盤中の名盤」
私は、ブルックナーの交響曲が大好きなのだが、ヴァントやカラヤンのような磨き抜かれた精緻な演奏には、どうしてもブルックナーらしさを感じることができず、朝比奈やマタチッチのような渋い指揮者の演奏に、ブルックナーらしさを感じるのだ。
そこで、私は、今回、このレビューを書くにあたって、手持ちの11枚の中から、渋いタイプの名盤を代表する、このマタチッチ盤、朝比奈指揮大阪フィル盤、シューリヒト指揮ハーグ・フィル盤、ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ盤を聴き比べてみた。
特に朝比奈の演奏に魅せられている私としては、本来であれば、ブルックナーの聖地、聖フローリアン教会での記念碑的な名演奏ともいわれている朝比奈盤を推奨したいところなのだが、よく響き、残響音が異常に長いこの教会の特性を意識した朝比奈の演奏は、朝比奈の演奏とは思えないほど響きがマイルドで、金管も抑え気味であり、残念ながら、朝比奈の持ち味である重厚さとスケールの大きさに、物足りなさを感じてしまうところがあるのだ。
やはり、この4枚の中では、マタチッチ盤が、抜きん出ていると思う。マタチッチは、第1楽章の出だしから、荘厳で、スケールの大きい演奏を聴かせている。第2楽章は、弱音部が延々と続く長大なアダージョだけに、演奏によっては退屈になってしまうのだが、マタチッチの演奏は、いささかの緩みも感じさせない厳しいものであり、圧倒的なスケールのクライマックスの荘厳さも、見事の一言だ。第3楽章は、「非常に速く」と指定されたスケルツォを「非常に遅く」演奏した、いかにもマタチッチらしい武骨で壮大な演奏であり、第4楽章では、荘厳なコーダで、堂々と全曲を締め括っている。
シューリヒト盤は、快速電車並に駆け抜ける演奏で、響きも軽いが、不思議に味わいのある演奏。ブロムシュテット盤は、4枚の中では最も中庸を行っており、その分、やや、印象が弱い。
・「過ぎ去りし時代を想う」
有名な評論家U氏が推薦する世にも名高きブルックナー第七交響曲三大名録音と言えば、シューリヒト盤、朝比奈=フローリアン・ライヴ盤、そしてもう一つが
この【≪マタチッチ盤≫】だ。
ブルックナーの交響曲の名演には、大きく二つの演奏スタイルがある。それは、ロマン主義スタイルと原典版主義スタイルだ。そしてマタチッチは、ロマン主義スタイルの雄なのだ。かつてはブルックナー指揮者はロマン主義スタイルの名演が多かったそうだが、このマタチッチはその最後の生残りだったらしい。畏らく、西紀十九世紀的な人々の共通感覚を心身共に備え得た最後の世代の人だったのだろう。余程指揮っぷりが立派だったのか、現実のマタチッチは左程も大柄でもなかったにも関わらず、私の母などは「デッカイお爺さん」と呼んでいる。テレビ中継を見ただけなのに、である。多分マタチッチは、私が若い頃まで生きていたクラシック音楽の「神」の一人だったのだろう。クラシック音楽盛んなりし頃は、数多くの「神々」がいたらしい。生演奏でのフルトヴェングラーやトスカニーニも、そう云った「神々」だったのだろう。だが、それも今は昔なのだろうか。ある人に言わせると、第二次世界大戦後の現代は、西紀十九世紀の夢が全て敗れ去った暗い時代であるらしい。
以上三録音と並ぶこの交響曲の御薦めの名盤としては、 ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ盤がある。此れは絶妙なバランス感覚で全てに中庸を保った演奏で、少し個性が乏しいとも言われるが、この曲を聴いた事が無いと云う人やブルックナーをよく知らない人には、打って付けの名演であるからだ。
・「歴史的名盤」
マタチッチのブルックナーは、ダイナミックレンジのはっきりした曲づくりに加えて、ブルックナーへの共感がリスナーにじっくりと伝わってくるところが魅力です。特に7番はいまや歴史的な名演と言っていいと思います。「レコード芸術」誌の93年までのランキングをみても高い評価が与えられています。詳しくは下記をご参照下さい。http://spaces.msn.com/shokkou/
・「マタチッチのブル9」
ライヴとは思えない良い演奏です。マタチッチはこれのほかにもVSOとの録音を残しておりますが、そちらに劣らずすばらしい出来です。第一楽章は管も弦も綺麗です。第二楽章は切れが良くてスケルツォらしい演奏で好きです。価格も安いのでブルックナーが好きな方は聴いてみると良いと思います。
・「クレンペラーをきくということ」
東芝EMIから分売でクレンペラー/POによるベートーヴェンの交響曲録音がすべてきけるようになったことを快としたい。フィルハーモニア管がこの全集を録音したのが1957-1960年。ウォルター・レッグはこの全集に先んじてカラヤンに全集を依頼している(1951-1955年)から、フィルハーモニア管はずいぶん多忙だったことになる。しかもカラヤンの「新古典主義」を標榜する指揮にたいしてクレンペラーの指揮は、まさに戦前の−言うなれば1930年代の感覚だ。たっぷりとしたテンポで運ばれるフレーズはまことに高カロリーそのもので、ベートーヴェンのシンフォニーを重厚な音楽としてききたいリスナーにとって、こうした録音がまずまずのステレオ録音で残されたことはまことに幸運である。ここでの「第7」でもクレンペラーの重心のひくい響きは有効で、かつオーケストラのヴァイオリンが両翼配置であるためベートーヴェンの意図した「旋律の交換」がはっきりききとれる。「第1」もやはりどっしりとした演奏で、いまとなってはきけないスタイルだ。
・「衝撃の第7」
第7は分りやすい交響曲だ。それゆえフルトヴェングラー、クライバー、カラヤン、トスカニーニなど様々な有名指揮者の演奏はいずれも各者各様に大いに楽しんだ。ところが、このクレンペラーの第7を聴いてからと言うもの、上記の演奏はまるで物足りなくなってしまった。それぐらい曲を骨の髄まで掘り下げた凄まじい演奏で、その真に迫った表現に、まるで口から楽譜を突っ込まれているような気分になる。
特に第1楽章において、木管が第1主題を提示した後の合奏は何度聴いても鳥肌モノで、驚くほどの迫力はまるで音の雪崩のようである。例えばフルトヴェングラーとは対極のインテンポの表現なのに、なんでこんな音のドラマが生み出せるのか…ベートーヴェンのシンフォニーの奥深さを改めて教えてくれる偉大な演奏である。
・「遅いだけではない何かが、これらの演奏の中にはある」
「第1」に関しては、もはやベートーヴェンとクレンペラー、フィルハーモニア管の共同作曲といった趣さえある。この内容の薄いはずの交響曲が、なぜこれほどの豊かな響きを持って現れてくるのだろうか。「第7」「コリオラン」に関してもそうだ。特に第7の第2楽章は、もっとも遅くもっとも豊穣な演奏といいたいほどだ。ただし第4楽章だけはやりすぎの感が強い(貴重な個性だとは思うが)。
・「フルトヴェングラーとは違った意味の名演」
「第5」「第8」「エグモント」のいずれもが、大変遅く、充実した演奏である。「第5」の中に、一部首を傾げたくなる解釈もあるが、そんなことは本質ではない。これらの演奏の中に、名演となる条件の秘密が隠されているように思う。
・「力強く、軽やかに」
この5番大好きです。「雄大」という表現がぴったりきます。演奏は遅く、しかしながらも熱を内蔵しているかのような演奏です。 ゆったりしているにもかかわらず無駄は感じません。それだけこの5番のクレンペラーの解釈はすぐれているということなのでしょう。素晴らしい演奏です。 8番は逆に軽やかな演奏です。5番の後の清涼剤という感覚で聴いていただいてもいいと思います。この8番も大好きです。
・「宗教と芸術の不思議な関係」
クレンペラーの残した録音の中でも最高の作品といっていい。合唱の澄みきった美しさは、宗教音楽特有の荘厳さを周囲の空間全体に満たす。加えて低域の鳴りのよさ、豊かな広がりは、クラシック音楽を聴く醍醐味だ。単純に美しいだけではない、崇高な感情を憶えるこれらの宗教音楽の響きは、芸術とは何か、音楽とは何かといった哲学的な問いへ私たちを導く。
・「ベートーベン音楽の最高峰」
ベートーベン芸術の最高傑作の一つ。キリスト教のミサの枠を越えてしまっている。キリエの合唱の入りの電撃のような衝撃、グローリアの長大なフーガとそれに続く終結の圧倒的な迫力、クレドの「来世の命を信ず。アーメン」のフーガの凄さ(前半は「来世の命」の言葉通りの神秘的な進行が印象的で、後半になると「来世の命」を確信する信念あふるる音楽に変わり、バスのオクターブ跳躍によるフーガ終結部は特にすさまじい。己の信念を心の底より天空はるか高いところまで突き上げるような、圧倒的な力を持って響きわたる)ベネディクトスの高貴なバイオリン、アニュスディの平安への祈り、曲のどこをとっても感動的でない部分はない。
クレンペラーの演奏はこの曲のベストというべき演奏で、ややテンポが重い以外に不満はない。
なおかつて2枚組でこの演奏が発売されていたが、海外版ではなんとアニュスデイの一部が欠落しているというとんでもない編集ミス(だと思う)があった。もちろんこのCDにはそんなミスはない。
なお歌詞については……ネットで調べましょう(笑)。
・「心より出でて-そして再び-心に入らんことを」
ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」はバッハのロ短調ミサ曲と並んで、古今東西最大のミサ曲である。それと同時に、その規模の大きさ、大胆な語法、伝統的教会音楽という枠を超えた普遍性を備えた、西洋音楽芸術が到達した最大の高みでもある。 この曲はベートーヴェンのパトロンでもあり、芸術上の弟子であり、何よりも精神的に彼を支えた親友でもあったルドルフ大公が枢機卿に選出され、続いてオルミュッツの大司教に任命されたのを祝う就任式のための音楽を作曲する事が直接のきっかけとなって始められた経緯があり、第九交響曲の作曲とも並行して行われた。何とか就任式に間に合うように筆を進めたが、結局、この曲を単なる就任式のための音楽を超えた普遍的芸術にまで高めようとするベートーヴェンの音楽に対する理念のために完成したのは就任式の三年後であった。けれども、その三年が如何にこの曲をこれほど偉大な傑作にしたか想像するに余りあるほどである。ベートーヴェン自身も彼の書簡で度々、「この曲は私の最大の作品である」と自負している事からも分かるであろう。また、冒頭には有名な言葉「心より出でて-そして再び-心に入らんことを」と記されており、今日でもこの真意は判明していない。これと同じような事は最後の弦楽四重奏曲の冒頭にもあり、これもはっきりと判ってはいない。ベートーヴェン特有のユーモアなのか、それとも彼が晩年たどり着いた深遠な思想なのか、もはや私たちにはその真意は理解できないが、それらの言葉を介さなくとも、彼の音楽を聞けば自ずとその深遠な芸術的思想を垣間見ることができるだろう。 この曲は大変複雑であらゆる要素が多様にして自在に展開されており、対位法を中心とした交響的構成である為、第九交響曲よりも遥かに解かり難いのであるが、対位法展開の頂点と言うべきグローリアの「主のみ聖」、楽曲の頂点とも言うべきクレドの「三日目によみがえり」、崇高な祈りであるサンクトゥスはとりわけ素晴らしく、聴き手に痛烈な印象を植えつける。また、ベートーヴェン的な筆致が特に感じ取れるのは、天空から聖霊が降り注ぐような独奏ヴァイオリンが終始伴う「ほむべきかな」ではなかろうか。ここにはヴァイオリン協奏曲の緩徐楽章にあった浄福の精神が宿っている。ベートーヴェン自身の個人的信仰の告白がここに見られるように思う。第九交響曲の第三楽章とはまた異なった趣を持っている。共同体的理念ではなく個人的祈りがここに表現されているのではないだろうか。 そして、このような偉大な曲をクレンペラーはそれに相応しく何と偉大な演奏をしている事か。決して全体のテンポは他のベートーヴェンの楽曲の場合のように遅くはないのだが、壮大なゴチック、いや天空を仰ぎ見るかのごとき偉容を誇っている。フーガの部分などは決して緻密に細かく細分して捉えるのではなく、この曲の真髄である交響的全体像を明快に捉え、しだいに高まり行く交響的音響として解釈している。そのため、これほどの壮大さと偉容が感得されるのであろう。また、緩徐部分でも殊更深刻になる事はなく、静かに朗々とした崇高な趣を湛えている。これほどの音楽的完成度は稀であろうし、何よりも音楽を超えたベートーヴェンの理念と精神が聴き手に迫ってくる演奏は他にはないであろう。時代様式うんぬんを超えたものがこの演奏には秘められているのである。 確かに録音はフォルテで音が割れる部分はあり、若干響きの薄い事も感じられなくはないが、これほどの偉大な演奏の前ではそれはちっぽけな事に過ぎない。ベートーヴェンが楽曲冒頭に掲げた思想をこの演奏を通じて一人一人が考えることが大切なのではないだろうか。ベートーヴェンの音楽は音楽と聴き手という二つに分かたれたものを一つにする力を持っているのである。彼がこの曲を作曲したのは単に自らの主観的理念を人類に伝えるためだけでなく、この曲を通じて教会という枠を遥かに超えた神への信仰において人類をこの曲の「交響的な有機体」の如く、一つに結び付けようとしたためでもないだろうか。
・「残念ながら、歌詞対訳はついておりません!」
クレンペラーの演奏の荘厳ミサを初めて購入。このシリーズのフランソワのショパンのリマスタリングは素晴らしく、やはり新しく、以前より200円安いこの盤(しかも売れている!)に期待しましたが、不覚。 いつもなら、歌詞対訳の有無を確認するのに、届いて帯を見たら、”歌詞対訳はついておりません”。皆さん、気をつけましょう。 まあ、他に対訳付き日本語盤や他の作曲家でもミサ曲の対訳を持っていれば何とかなり、今回の被害は軽症で済みました・・(でも聴く度に他のCDの解説を取り出すのはイマイチですし、トラックナンバーも違います)。 でも、初めてこの名盤を買う方もたくさんおられるので、投稿しました。 歌詞対訳つきかどうかわからない時は、レコ芸やレコードイヤーブックを見るなり、さらに枚数の多いオペラ等では直接メーカやCDショップに電話して、必ず確認しましょう! なお、この曲の2枚組盤やArt盤(1700円)は、レコードイヤーブックによれば、歌詞対訳付きのようです。 また、老婆心ながら、歌詞のある曲のCDでは、”歌詞対訳つき”と、”対訳つき”の違いにもご注意下さい。”対訳つき”では、今聴いている”単語”が何なのか、どこなのか分からず、残念ながら付いている意味は”?”(詳しい大意と変わらない)と言えると思います。
・「崇高な格調高きシューマン」
シューマンの管弦楽曲は専門家からはあまり良い評価を受けてはいない。諸々の声部が混濁し、透明感のある立体的な響きが要求される管弦楽ではそのことが致命的だからである。けれども、四つの交響曲はシューマン独自のロマンティシズムに溢れたドイツ・ロマン派を代表する楽曲に変わりはない。 クレンペラーはドイツ・ロマン派の楽曲を得意とする偉大な指揮者であるが、私は聴く前はいささかシューマンには会わないと先入観を持っていた。メンデルスゾーンでも大変な名演を残しているぐらいだから、シューマンも当然素晴らしいと思うのはしごく当たり前だが、シューマンはメンデルスゾーンとは異なり、内から溢れ出るロマンを何とか構成に収めようとした不器用な作曲家であるから、構成を重んじるクレンペラーの芸術感とは相反すると思ったからである。 テンポは二曲とも緩徐楽章を除いて全体的にゆっくりで、常ながらインテンポの格調高く、スケールの巨大な演奏だが、「ライン」交響曲はいささかリズムが重く、もたれる。これは好みが分かれる演奏だろう。一方、構成とロマンが見事に融合した「交響的幻想曲」とも言われる第四番は大変な名演である。フルトヴェングラーの演奏とは極にある、極めて堅固な構成と硬質なロマンティシズムに溢れ、いささかの隙もない。この曲は、ベートーヴェンの「運命交響曲」を模したものだとよく指摘されるが、ベートーヴェンを得意としていたクレンペラーならではのベートーヴェン的な演奏である。この曲の演奏の最右翼と言っても過言ではないだろう。 クレンペラーのシューマンは他の指揮者で聴いた演奏とは全く異なっている。初めて聴く人にとっては「眼(耳)から鱗」であろう。
・「ピアノマニアへ贈る最高の本」
アラウという人を知るには打って付けの良書です。彼は神童してチリで生まれ、リストの高弟クラウゼに師事した紛れもない正統派の巨匠。しかも今では聴く事のできない多くの巨匠演奏家も耳にしており、貴重な歴史的証言集としての価値もあります。是非!是非!必読あれ。
・「熟成された音楽」
最初の「悲愴」の第一音からアラウの深く、どっしりと安定感のある世界が構築されていて、まるで一級品のワインを味わっているかのような錯覚を覚えました。高音部はどこまでも澄んでいて柔らかく、耳に心地よい。低音部は深みがあり、何かに包み込まれるような安心感を覚えます。早いパッセージになると演奏の荒さを若干感じますが、テクニックをひらけかすような演奏ではなく、独特の世界を作りだされている思います。熟成させた大人の演奏ではないでしょうか。
・「深い内容のピアノソナタ」
クラウディオ・アラウは南米チリ出身の大ピアニストである。リストの弟子であったマルティン・クラウゼに学んだリスト直系のピアニストであるが、晩年はドイツ人以上の正統的ドイツ音楽の解釈者として大変な尊敬を集めた。そのアラウが最も得意とし、楽譜の校訂なども手がけた程力を入れていたのがベートーヴェンである。彼のベートーヴェンは我々がイメージする無骨で力強く、不屈の意志と偉大な精神に満ち溢れたベートーヴェン像そのものといってもよい。偉大なベートーヴェン演奏家と言われたバックハウスもそのように言われる事が多いが、アラウはバックハウスともまた異なる魅力を持っている。どちらかと言えば明るいクリアな音色であるのだが、響きは無骨で重厚、テンポは総じてゆっくりしている。ただ、大変楽譜の読みが深いので、聴き手はつまらなく感じるどころか長編の名作を読んだような充実感を聴き終わった後に味わう事ができる。 ここに収められたよく知られたピアノソナタも通俗的な表現に堕さず、いずれもアラウ独自の深い、充実した内容となっている。例えば「悲愴ソナタ」の第二楽章の表現や「月光ソナタ」の第一楽章などは感傷とは無縁の独自の境地に達している。また、「テンペストソナタ」も全体的にゆったりとしたテンポであるが、絶妙な形式感と緊張、幻想が高次に融和して見事な調和を作っている事も他のピアニストとは異なる。「テレーゼソナタ」や「熱情ソナタ」も無骨ながらがっしりとした演奏なのだが、私が最も素晴らしいと感じたのは「ワルトシュタインソナタ」と「告別ソナタ」である。 「ワルトシュタイン」の冒頭の表現などはあたかも薄明の中から朝日がしだいに輝きを増して昇ってくるような美しさを覚えるし、フィナーレのロンドの低音の深い響きと高音のクリスタルのような輝き、絶妙のダイナミズム、天空を仰ぎ見るようなスケールの世界は大変素晴らしい。このような演奏はこれまでアラウでしか聴いた事がない。また、「告別」も冒頭から透明感に満ちた告別の音形から始まり、フィナーレの喜びに溢れた輝かしく、澄み切った表現はとてつもない感銘を受ける。 アラウはこの後もう一度ピアノソナタ全集を録音するが、そちらのほうがより解釈がより深まっていると言える。しかし、こちらと基本的な解釈は変わっていない。むしろこちらの方が技術面でしっかりしているかもしれない。どちらにせよ、この二つの全集はアラウの偉大な遺産であり、彼の芸術の真髄である。ぜひ、現在ではもはや聞けなくなった深い演奏をこの録音から聴いて欲しい。予断であるが、アラウのピアノソナタ第32番の演奏を聴いて欲しい。彼が到達した芸術のすべてがここに詰まっていると言えるほど素晴らしい演奏である。
・「やばいwwww」
悲愴第1楽章、月光第3楽章、熱情第3楽章の3曲は特に、誰が聞いてもカッコイイと思うと思います。特に、月光第3楽章は聞いた覚えがある人も多いと思います。3曲ともヤバイですw何回もききます。
悲愴第2楽章、月光第1楽章は超有名です。リラックス系です。
個人的には上にあげた以外に告別第1楽章が特によかったです。。ていうか全部いいです。。7曲はいってるのに安くてオススメです。初めてベトヴェンのピアノソナタきくならこれが買いだとおもいます。付属の説明・解説書にはアラウ(このcdのピアニスト)は傑出したピアニストでありながらベートーヴェンピアニストとしても傑出している存在で、そのようなひとは他にケンプ、バックハウスくらいだ、とかいううふうに書いてたとおもいます。(解説者の主観ですが
(ピアニストの技術だとか、そういうところは私にはわかりませんが力強い感じはしたようなきがしました。w
・「作曲の学習の為購入」
悲愴はあれれと言う風にタッチの可笑しな所がありましたが、全体に円熟味のある演奏です。このCDが作曲の学習の為ですので、フレージング、アーティキュレーション、ダイナミックス等々非常に役に立ちます。それとクラシックをまた最近聴きはじめたので、ベートーベンがこんな名曲創っていたのかと感動しながら、一気に二枚とも聴いてしまいました。作曲したいそこのあなた一聴の価値ありですよ。
・「アラウが奏でるショパン」
全て聴き終わった後,最初に出た言葉は「さすがはアラウだ!」というような言葉だった。とても素晴らしかった。アラウは技巧よりピアノの美を追求した。例えば,アラウの音楽を聴くと,キラキラしたような音や,とても深い音が聞こえてくる。
そんなアラウが弾くショパンは心が和み,弾いているアラウ自身だけではなく,聴いている自らもそのピアノに引き込まれていく。そして,全てのワルツ(19曲)を聴き終わった後にものすごい開放感・・・というか,何か大きなものを得たように感じた。
アラウが奏でるショパンのワルツ。華麗な音楽をあなたも味わってみませんか?
・「目指すひとつの方向性」
アラウが奏でるワルツは他の演奏家のCDよりいくらか遅い。遅いといっても、テクニックが無いわけではなく、速さが必要なパッセージではちゃんと弾いている。他の人より幾分ゆったり弾いているだけで、彼の演奏を聴かないのはナンセンスである。ブーニンのワルツのよう情熱さや、カツァリスのような強烈な個性は出てないが、彼のワルツは聴く人に安らぎを与えるだろう。ワルツは演奏家別に6枚くらい持っているが、聞きながら寝れるのはアラウの演奏でした。 いい味を出しているので、ピアノを弾く人にもよい参考になるはずだ。趣味でワルツを弾きたければこのCDを持っていても損にはならないだろう。これが1000円とはお得すぎる!
・「こってりとした純度の高いロマンの世界」
1970年頃の「ショパン ピアノと管弦楽の作品全集」録音からの抜粋。いかにもアラウらしい書パンの世界だ。特に第2番へ短調の第2楽章は、清澄なオーケストラの導入といい、こってりとした純度の高い水飴のようなアラウのピアノの音といい、素晴らしいロマンの境地だ。ショパン特有の長大で細やかな装飾音符(ショパンの重要な展開法の一つ)一つも疎かにせず、その魅惑的な価値を明らかにする。アラウならではの至芸といえよう。若き日のインバルの指揮も好演。アルヘリチやツィマーマンの颯爽とした剛毅はないが、ゆったりとした夜のひと時、ロマンチックな気分に浸りたい人にはぴったりだ。
・「やはり巨匠だった」
ショパンのピアノ協奏曲はよい出来のCDが多いですが、これも間違いなくその1つに挙げられます。聴いていて、年齢を感じさせない、強烈かつ繊細な打鍵を想像できました。アラウ独特の緩やかな奏法です。お勧めです。
●音楽史を彩る女性たち-五線譜のばら 2 (五線譜のばら (2))
・「ハスキルの日本語での伝記」
ハスキルの日本語での伝記は、今のところ廃刊になっているか、洋書を求めるしかありません。そういう意味で、珍しい一冊だと思います。ハスキル目当てに購入しましたが、そのほかの伝記・エピソードも面白く読めました。価格に見合うだけ楽しむことができました。
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