百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967)) (詳細)
ガブリエル ガルシア=マルケス(著), Gabriel Garc´ia M´arquez(原著), 鼓 直(翻訳)
「世界は小説? 物語?」「世界文学史に残る傑作です。」「アゲイン、そしてまた」「愛について」「愛と孤独の迷宮」
存在の耐えられない軽さ (世界文学全集 1-3) (詳細)
ミラン・クンデラ(著), 西永 良成(翻訳)
「哲学的な部分がもっと理解できれば・・・」「異形の小説、面白いが難解」「そんかるの新訳」「自分はトマーシュ好き」
審判―カフカ・コレクション (白水uブックス) (詳細)
フランツ カフカ(著), Franz Kafka(原著), 池内 紀(翻訳)
「小説の結末が訳者の解説に書いてあるので注意」「不条理と、」
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション) (詳細)
スタニスワフ レム(著), Stanislaw Lem(原著), 沼野 充義(翻訳)
「ソラリスの縁」「買いです。」「エンターテイメントと思想が結実した傑作」「SFを道具立てにした切ない恋愛小説」「コレクターなら買っていいかも」
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) (詳細)
ドストエフスキー(著), 亀山 郁夫(翻訳)
「カラマーゾフの兄弟(亀山 郁夫訳)」「読みやすい!!!」「作品自体が偉業、翻訳も偉業」「非常に読みやすい」「恐ろしいまでに人間の本質を突きつめた大作」
魔の山 (上巻) (新潮文庫) (詳細)
トーマス・マン(著)
「哲学、文学、青春。」「現代生活になぞらえて読む」「文学?心理学?精神世界?の最高峰」「ハンス…」「お宝」
異邦人 (新潮文庫) (詳細)
カミュ(著)
「異邦人…。」「生きることへの違和感に素直に生きる男の話」「凝縮力をもった名作」「白い以上に白い、と語ることは虚偽である」「名作たる所以」
アンナ・カレーニナ (上巻) (新潮文庫) (詳細)
トルストイ(著)
「一生付き合える書物です。」「恋愛物語の傑作」「大きな問題と真っ向から取り組んで行く壮大な叙事詩」「最高傑作」「人間観察の鋭さに驚かされました」
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 12/20
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 6/20
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」アメリカ編その2
● 本
● いま欲しい本
● 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士「文学全集を立ちあげる」ヨーロッパその他編・2
● Must03
● 「圧倒的な読書体験」、「理解」≦「感じる」読書(順不同)
● レムの作品
●百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
・「世界は小説? 物語?」
ああ、読んでよかった。有名な『百年の孤独』。ノーベル賞が、「世界的名作」という言葉が、重い。そんなわけで、読んだ人々の話を憎らしく思いながら、黙って聞いていたけれど。読み終わった今は、言える。これは、世界的名作の前に、最高のエンターテインメントだ。全然、重くない。楽しい。面白い。で、ついでになんだか世界の秘密に触ったような気になれる、すごい本だ。
とはいえ、正直、読み始めはかなりつらかった。
登場人物の名前が、ややこしい。お父さんのホセ・アルカディオ・ブエンディアの息子が、ホセ・アルカディオと、アウレリャノ・ブエンディア。そのまた息子が、アルカディオと、アウレリャノ・ホセ。ホセ・アルカディオ・セグンドとか、アウレリャノ・セグンドとかいう人もいた。こんな具合に、ブエンディアさんのお家は、こちらの都合もおかまいなしに、産まれた子供にどんどんおんなじ名前をつけていく。死んだ人も、普通にその辺をうろうろしているので、ますますわかりづらい。
時間の経過が、わかりにくい。時系列順に進んでくれない。この物語は、人だったり、出来事だったりを中心とした、エピソードが積み重なって出来ている。あるエピソードの途中で、「これはだれだれがなになにをしていた頃のことだ」、とか出てきて、別のエピソードと重なり合うことで積み重なっていく。気がつくと、いつの間にか時間が少しずつ進んでいるのだ。年号とか、基準になるものは全然でてこない。
ああ、もう! と思っているうちに、100ページを過ぎたあたりから、そんなことを気にしなくなりだす。すると、もう、あっという間。というのも、だんだん、ルールが、体で分かってくるのだ。
この本、「ガルシア=マルケス全小説」の中の一冊だけど、小説ではないと思う。物語だ。エピソードで世界をとらえるやり方は,小説よりも、物語のルールだ。ここでは、聞き手を飽きさせないことが何より優先される。流れを遮るものは、省略される。だから、正確な時間なんかはどうでもいいものなのだ。そして物語は、聞くものを飽きさせない細かいディテールで出来ている。だから、聞いたそばから忘れられていく。
きっと、人間は、小説が出来るずっと前から、こうやって、物語の目で世界を見てきたのだ。今の僕らは、小説のものの見方で世界を見てしまっていて、だから、家系図なんかを欲しがってしまう。物語には、こんなものはいらない。家系図は、この本を小説にしてしまうと思う。
物語は蜃気楼で、聞き終わったら、忘れられるもの。それが、寂しい。本当に、本を開いてマコンドにいる間は、それこそ自分が読者であることすら忘れてしまうのに。
でも、僕らの中には、漠然とした物語の輪郭が残る。世界を見る物語の目が残る。それが、本を閉じた今でも、もぞもぞうごめく。それが、新しい物語の芽になる。僕は、もう、間違いなくこの物語から産まれただろう物語を、いくつも思い出している。
・「世界文学史に残る傑作です。」
脱私小説という問題をいつまでも引き続けている日本文学とは対照的に、南米ではこんな物語が生みだされてるのです。あるひとつの村の一家の百年の興亡史ですが、骨太の物語なのに読みやすいのです。この読みやすさは異常だと思われますが、ガルシア・マルケスはおそらく読者の読むスピードを底上げさせるように文章を書いているんでしょう。それは物語の特性を考えてのことだと思います。 保坂和志は、百年の孤独ほど「小説というのは読んでいるその瞬間にしかその実体がない」ことをわからせてくれる小説はない、と言っています(ただし、家系図なしなら)。カフカの長編小説でもそうですが、怒涛のようなエピソードが壊れたピッチングマシーンから放たれるボールのようにぼんぼん投げこまれてきます。私たちはそれを読み、楽しみ、そして次の瞬間には忘れます。私たちは次のボールをキャッチしなくてはいけないからです。私はこの「忘れる」ということが、この小説のいちばん大事なところではないのかと思います。 この小説では、とにかく何もかもを忘れていきます。登場人物の名前がほとんど同じですので、誰が誰だか忘れます。誰がどんなことをして、そして死んでいったか、忘れます。私は読み終わったばかりなのですが、もう何が起こったのか忘れています。彼ら一族は小説のなかの世界でも、そして私たちからも忘れられます。 そして、私はその忘れられる過程(一族が滅びていく過程)にこそ、ガルシア・マルケスがテーマとした愛が見え隠れしているようにしか思えないのです…。
・「アゲイン、そしてまた」
百年という歳月をかけて、人間は何を成しえるか。
20世紀と21世紀を比べると、あまりにも多くのことが変化、進歩したように思える。確かに、技術や文明は、百年前とは比べ物にならない。しかし、人間と、その心はどうだろうか。昔の小説を読んで人々が感動するように、歴史の中で同じ過ちが何度も繰り返されるように、不可逆的・直線的な文明とは違い、人と歴史は円環のようにぐるぐると回っている。
ブエンディア家は、百年かけて孤独の円環から抜け出す。メルキアデスの古文書の秘密を知るまで、愛によって子供が生まれるまで、なんと百年の歳月が必要だった。アゲイン、そしてまたアゲインと、まるでゲームのリセットボタンのように、符号がかちりとそろうまで、時間の円環は回り続ける。
多くの知識人や著名人が、この本を傑作と呼ぶのもうなずける。とにかくスケールがあまりにも大きい。目がくらむ。歴史は繰り返し、人は忘れていき、栄えるものは滅ぶ。そんな時間の物語は、読んでいる最中よりもむしろ、読んだ後にじわりと重さを増していく。
・「愛について」
コロンビアの架空の開拓村における名家一族の物語。近代化を迎えた村の繁栄を背景にこの一族は豊かで子沢山だった時期もある。が、タイトルが示す通り、なぜか徹底して愛に恵まれない。100年以上かけて代替わりも数世代進み、やっと愛によって結ばれた夫婦に子供が生まれる「その時」。この最後数ページがクライマックスなんですが、そこまで延々400ページに渡って、時間と運命の円環構造の下で何人もの一族の人間(=みんな似たような名前!)が同じような悲喜劇的エピソードを紡いでいくんだけど、クライマックスに入って怒涛の速さで物語が収束していきます。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、このクライマックスの速度と収束感は、そこに至るまでの永久に続くんじゃないかと錯覚してしまうようなエピソードの集積の後だけに、かなり味わい深いです。
それにしても、各エピソードはユーモアに溢れてるのに、全部読み終わった時に、何でこんなに寂しい気持ちになるんだろう。
・「愛と孤独の迷宮」
久しぶりに物語に呑み込まれました。 蜃気楼の村マコンドの百年の歴史、開拓、隆盛、衰退、滅亡を開拓者のブエンディア一族を中心に書いています。一族の一人一人に受け継がれ巡る孤独、それぞれが抱える人間の葛藤を味わいつくし、読み終わったときには少しばかり呆けてしまいました。また文章のそこここから感じとれる南国特有の熱さや妖しさ、生命力と退廃がマコンドと一族の趨勢に色と熱気を添えています。 とにかく濃い。物語の焦点があちらこちらに飛んだりするし、外国文学に慣れていないと読みにくい部分もある。しかし一度読み始めると途中で止めることができない引力があります。ガルシア=マルケスにとっての「孤独」とは、「愛」とは。なんとなくわかったような、わからないような。一族の家系図をみて唸っています。
・「哲学的な部分がもっと理解できれば・・・」
この物語自体は、1988年に公開されたフィリップ・カウフマン監督の映画で知っていました。 映画では、プレーボーイの医者トマーシュに田舎娘テレザと画家のサビナの奇妙な三角関係が、<プラハの春>からソ連軍の侵攻という時代を舞台に描かれていました。
今回本書を読んで驚いたのは、題名の通り非常に哲学的な部分が多々あったことです。この部分への理解があってこその作品だとは思うのですが、なかなか完全に理解するところまでは行きませんでした。 従って、トマーシュとテレザの二人の主人公の物語として読み進んだという結果になりました。
何人もの女性を相手にしているトマーシュは、テレザを「特殊」な存在として認識し、その領域には他の女性は入りえないという風に感じています。従って、二人の関係は相思相愛のように見えながら、互いにそうした関係に疑問を持ちながら暮らしています。 そして、ソ連軍の侵攻からプラハを立ち去りスイスへ。しかし、又プラハに戻り、更に田舎へ。 チェコという国が、大国に翻弄された歴史の中に存在したように、彼らの人生も翻弄されます。 ただ、そこには彼らの「決断」も介在しています。この「決断」が、人生の「軽き」に向かったのか、「重き」に向かったのかは、一度しかない人生にとって、結果論でしょう。 ただ、この二人の関係は傍から見れば、魅力的な関係に見えます。本人たちがどう思っていようとも。
この本も魅力は、登場人物たちの魅力と、アイロニーに溢れる文章、そして、行きつ戻りつしながらも、リズミカルな物語の展開でしょう。 話だけを楽しむのであれば、哲学的な部分は邪魔かも知れませんが、それでも楽しめる小説であり、哲学的な部分がもっと理解できれば、その分、楽しみも大きくなるような、そんな小説のような気がします。
・「異形の小説、面白いが難解」
冒頭から作者とおぼしき話者の哲学的な省察が延々と述べられて、その語りのスタイルにまず面食らいました。
内容紹介には「派手なストーリー」とありますが、その言葉からからいわゆる冒険小説のようなストーリー展開を期待してしまうと、失望されるでしょう。また性的な内容を扱っているからといって、よこしまな期待で手にしたならば、やはりはぐらかされてしまうでしょう。確かに性描写は少なくありませんが、決して扇情的ではありません。時間軸も直線的ではないし、その結果主人公にからまない主要登場人物がいたりと、小説としてはかなり「異形」な作品です。
世界の学者の半分はマルクスの研究をしている、といわれたかつての時代なら、この作品は充分衝撃的だったでしょう。しかし、社会主義の矛盾が色々露呈してしまった現代では、その衝撃は味わえません。それでも、主人公たちを見舞う峻厳な運命は、耐えられない重さの感覚で読者の胸に迫るはずです。
これは読者を選ぶ小説です。基本の語り口は哲学的、ストーリー展開も一筋縄でないし、小説のスタイルとしてはかなり異形・・・これらを覚悟した上でなお選択するならば、登場人物の魅力、奔放なイメージ、哲学的で深い省察、緊迫したエピソード等々、この小説はつきない魅力を開いて見せてくれるでしょう。
・「そんかるの新訳」
「そんかる」の新訳である。私としてははじめて読むが一筋縄では行かない面白さに満ち溢れている。「実存小説」なんていわれているが、なんてことはないボヘミヤ版「好色一代男と女」である。クンデラは「プラハの春」をSEXの自由さで描こうとしている。社会帝国主義に対する造反は、無軌道なSEXを主人公の男女にパフォーマンスさせる事によって実行できるのではないか、少なくともこれだけは検閲させないぞとでも言っているかのように。 トマーシュは、もてもての外科医。テレザは、一夫多妻的な生活で彼の分身の役目を果たすことを自らの使命と考えているけなげなおなご。そのトマーシュが、髪の毛に女のアソコの匂いをさせて帰ってきたからさあ大変!どうなることやらこの二人! 反政府的なビラをばら撒いたとかばらまかなかったとか、なんとかで病院を解雇されたトマーシュは、窓拭き掃除人になるがそれでもプレイボーイは止められない、「キリンとコウノトリに似ている女」(ゲッ、想像するだに恐ろしい!)をはじめ、25年で200人の女とやってしまう、ああ羨ましい。これが実存、これが男の生きる道、なんか文句ある?とでも言っているかのようで痛快この上ない? 「キッチュ」は決してまがいものとか、俗悪なものという意味だけではなくもっと深い意味をもっているということが書かれているかと思えば、「グノーシス」なるキリスト教思想にしても言及している。そんなこんなで、この「そんかる」は、一度ではなく、何度も読まなければ亡命作者クンデラの主張を汲めない,生意気にも「小難しい」小説である。
・「自分はトマーシュ好き」
名前だけ知っていて、読んだことはありませんでした。楽しみに読んでみたのですが、うーん、これまた不思議な味のする物語でした。頭を使います。登場人物と作者が思索を重ねながら進んでいくお話でした。その思索は、話術や演出が上手いのか、理解は出来るんですよ、でも、自分の頭の中の思考力を沢山動員する必要があって、ゆっくりと読んじゃいますね。
演出といえば、この本の末尾の解説に書かれた小説技法についての解説、これが良かったです。「こんな話題の詰まった本、よく読めたなぁ」と読みきった後、自分にビックリしていたのですが、作者の話術が素晴らしかったんだなぁと納得しました。解説の、「小説の知恵と技法」「小説の音楽的統一性」の2文です。特に後者は感服。そして、それを成し遂げる作者の体力が一番凄いということですね。
あ、内容について書いてないや。しかしこれの内容を書くのは難しい。具体的な出来事に依っている(と自分には思えた)小説なので、実際に読んでもらって、具体的な出来事を体験してもらってからじゃないと、どんな感想も伝わらないのじゃないかしらと不安で、頭が上手く働いてくれません。
そうだ、月報があった。今回の池澤氏の月報は面白かった。あれを参考にしよう。以下、あれから初めて連想した感想。
うーん、登場人物では自分はトマーシュが一番好きです。人生の大決断をその場で決めていかねばならない事態が続くのですが、その都度その都度の選択に共感と敬意を感じました。この選択を巡って度々トマーシュは思い悩むのですが、読んでて励ましてやりたくなりましたよ。
そこまで書いて思い出しました。「愛」の無意識に沈む情動、過ぎ去った後ではすぐに忘れたくなるような快不快をふんだんに含んだ感情のことを、理性の枠外に飛び出してしまうその性質の事を、これほど思い出させられた本はないと思いながら読んでたんでした。
最終章、前までとの断絶が強いのですが、なぜだか凄く好きな話です。静謐な感じ。この章、私の好きなトマーシュからの視点がテレザから見えるものしかわからないようになっているのがじれったいですが、不安定な社会の中のひと時の静けさを二人でいとおしんでいたと思いたい出来です。
・「小説の結末が訳者の解説に書いてあるので注意」
カミュが“シーシュポスの神話”の中で、“城”とともに高く評価しているのがこの小説です。とても読みやすく、毎日少しずつ読んでも一週間ほどで読み終わることができます。この小説は未完に終わったとされていますが、読んでみると内容は完結しています(同じく未完に終わったとされているカラマーゾフの兄弟のようなものと思ってよいです)。小説の中に挿話的に入っている”Before the Law”だけでも読む価値が充分です。一つ難を申せば、この新書版の訳者の解説には小説の結末がすべて書かれており、読まれる前にこの解説を読むと興味が削がれる可能性があります。一週間ほどで読み終えることができる小説なので、解説は読後に読まれることをお勧めします。
・「不条理と、」
現代の不条理や不安を表している、とかよく言われますけれど、どうなんでしょうか?もちろんそういう側面もありますけれど、また、私は誤読を含めて読者が物語を楽しみ、判断する自由があると考えていますので、私見ですが、不条理や不安はもちろんですけれど、不条理ギャグ、みたいな部分が気になりました。私が読んだどの作品(「城」「変身」「審判」)も自身の信じているもの、社会常識や社会通念がある日突然信じられなくなる不安(それも個人対組織という形をとっての)、だからこその自分の立場や自分を信じ難くさせる不条理をあらわしてはいます。
しかし、この訳者の読みやすさもあるのでしょうけれど、そこはかとなくユーモアの香りを感じます。また私個人だけが分かっていないという立場をとらせているのに、ある意味その不条理な状況を素直に(抵抗はすれども、現実的に受け入れがたいことまで、結構そのまま)受け入れてしまうそのさまが、どこか滑稽に思えてきます。
すると、何処まで行っても細かな理由をつけてただ単に拒絶されている、という状況に変わりはなく、繰り返される滑稽さがまた増します。もちろんきっと様々な解釈が可能だと思いますが、後は受けて、読み手の側の問題なのではないか?と私は考えます。
しかし、中でも「審判」と「城」は面白かったです。私の好みとしては「城」に軍配が上がりますが、審判の方が完成されているともいえます。
不条理ギャグがお好きな方に、オススメ致します。
・「ソラリスの縁」
原作の文学的価値はいまさら言うまでもないので、飯田訳との比較が問題になるでしょう。結論的には、どちらもいい!飯田訳は今読んでも非常に優れた訳業です。この沼野訳も非常に優れています。沼野先生は高校生のころに飯田訳『ソラリス』を読んで感銘を受け、スラブ語を専攻したという話を聞いたことがあります。沼野先生としては『ソラリス』の新訳は悲願だったのではないでしょうか。好きで好きでたまらない作品を、手塩にかけて翻訳した。そんな感じが致します。沼野訳が存在するために飯田訳が駆逐されるようなことがあったら(私も飯田訳には思い入れがありますので)悲しいのですが、国書刊行会は文庫を出していないので、競合する心配もないでしょう。
・「買いです。」
的外れかもしれませんが、この作品は、ここで読めるもの以上にここから喚起されるもののほうが大きく、有益である、そんな印象を持ちました。平行して「虚数」のような作品があるからでしょうか、素直に読めないというか、なにか全体を暗喩のようにして読んでしまった気がします。新たに訳出されたことについては、ハヤカワ文庫版に長年親しんではきましたが、細部をはっきり覚えているわけでもないので、改訳されたといっても、読み比べでもしない限りほとんどの人にはそんなに抵抗感はないと思います(抵抗感はないものの、やはりだいぶ違いますが)。映画はタルコフスキーのほうが僕は好きですが。
・「エンターテイメントと思想が結実した傑作」
いろいろな面から楽しめる傑作だと思います。ファーストコンタクトや恋愛といった面もありますが、F.K.ディックや「寄生獣」を読むときのようなスリルも味わえます。
・「SFを道具立てにした切ない恋愛小説」
ソラリスの原形質の海は生きており、人の意識・記憶を読み取ってそれを実体化する。主人公にとって、それは昔自殺した恋人である。普通の恋愛小説と異なるのは、相手が自分の記憶の中の恋人であり、長年記憶の中で理想化プロセスを経た恋人である点だ。現実にはありえない理想的な「恋人」と惑星ソラリスで再会する。しかも、その「恋人」は過去の記憶は一切持っていない。それは、お互いがどれだけ近づいていっても永久に結ばれることのない切ないメタ恋愛である。この小説は、ソラリス研究史の部分などSFとしても十分楽しめるが、切ない恋愛小説として読んだほうが数倍面白いのではないかと思う。
・「コレクターなら買っていいかも」
この本を手に取る人は、おそらく早川文庫版も読んでいるはずなので、それを前提に話をすると、「コレクターでないなら別に買わなくてもいい」となる。 後書きだったにも、前訳から数十年経っているとか、省略なしの完訳だとかの理由が挙げられていたが、読んだ印象はそれほど違わない、と言うより早川文庫を読んだ当時の感動を再び感じることが出来た。そういう意味では、この作品をこれから読もうという人は、この本がいいのかもしれない。 読んでいて思ったのは、改訳の必要な作品というのは、『ソラリス』なんかじゃなく、岩波文庫の『モンテ・クリスト伯(厳窟王)』とかなんかじゃないだろうか。ちょっと読み返しても、作中の悪党どもが話す口調は、今時、舞台役者でも使わないような、昨今のテレビ時代劇ではまず聞くことが出来ないような代物なんですぜ旦那。 そんな事を考えながら、コレクターのためにハードカバー本にするには改訳&完訳ぐらいのサービスがあっていいのかなと思った。 内容は誰が訳しても素晴らしいし、装丁もよくできているので星は4つだ。
・「カラマーゾフの兄弟(亀山 郁夫訳)」
ドストエフスキーの名著で、学生時代以来数回読んだ。今までは翻訳本の定番とされた米川訳だった。もう一度別の訳者のを読んでいやになった覚えがある。今回は、新訳というので亀山訳を読んだ。文庫本なので出張の最中にも持っていって読める。読んで驚いた。米川訳のカラマーゾフとは待ったく別の本という感じがする。いい意味では、読みやすく現代的だ。登場人物の名前を統一していて読みやすくなっていることもあろう。逆に悪く言うと、米川訳のような、重さというか、いかにもドストエフスキー的な感覚がない。ロシア語を読めないので、どちらが本当のドストエフスキーかはわからないが、以前ロシアの空港で手にした"Re Reading Dostoefsky"という英語の解説や日本での小林秀雄の解説等からは、米川訳がドストエフスキー的な感じもする。ただ、今の読者には、今回の亀山訳はよく出来ていると思う。すぐにでもテレビドラマになりそうである。各巻についている、訳者の解説がわかりやすさを倍化させているかもわからない。同じ訳者が「罪と罰」や「白痴」(どちらも私は米川訳で大好きだが)を訳すると、どのような小説になるのかと思った。新しいドストエフスキー像を感じさせられる面白い翻訳の努力だと思って楽しんだ。
・「読みやすい!!!」
米川正夫、池田健太郎、原卓也、小沼文彦とそれぞれに楽しんで読んできた『カラマーゾフ』の邦訳であるが、確かにこれは読みやすい!以降も早く刊行を期待する。何回読んでもこれほど面白い小説はないこともあって、亀山訳第1巻読了のあと原卓也訳で読み継いでしまった。亀山訳に比べやや生硬な印象もあったが、「大審問官」に差し掛かるともうそんなことはどうでもよい。圧倒的、冠絶の文業である。亀山訳「スタブローギンの告白」もその解説も含めよかっただけに、2巻以降の「大審問官」が待ち遠しい。価格もうれしい。町の書店さんは是非常備されたし。ソローキンの翻訳といい、スターリン研究といい、最近のショスタコヴィッチの連載といい、この著者の大車輪は凄い!!
・「作品自体が偉業、翻訳も偉業」
出版社の意図がまず素晴らしい。既存の出版社は、難解な翻訳を長年出し続けていたわけで、この愚行によって文学の楽しさを味わうことなく興味を失ってしまった人が多数いたと思うと、非常に残念である。それに対してこの翻訳は、他のレビュー者のとおり非常に読みやすい。しかも最後に解説があり、読みこなすための前提知識などを教えてくれる。だから最初はこの部分から読むのもよいかもしれない。ちなみに第二巻の解説には、第一巻のあらすじが載っている。第一巻の内容が理解しづらかった場合は、このあらすじを読むことで補うことも出来る。
・「非常に読みやすい」
驚いた。頭にすらすら入ってくる。前人の翻訳で何度か読んだことのある本書だが、ごく普通の小説と同じようにすらすら頭に入ってきてくれるのには大変に驚いた。早く読めすぎて注意力散漫になる人もいるかもしれないが、私の場合は理解が深まったような気がする。これまで読みきれなかった人も、この翻訳ならば読めるのではなかろうか。
・「恐ろしいまでに人間の本質を突きつめた大作」
文学作品と言われるものを、少なくとも3000作品は読んできた私の読書暦のなかで、最も感銘を受けた作品です。
あまりの奥深さに、多くは語れません。単純に言えば、
人間って何?と言う、誰もが思う難題に、現時点でもっとも深く答えてくれる作品ではないでしょうか。
読んでいてわけのわからない涙がよく出ました。人間の尊さ、愚かさ、有難さ、難解さ、真摯さ、…等々、人間・人間社会の悲喜交交、本質を突きつめた世界の大文豪ドストエフスキーの大著です。
読んでみてください。
・「哲学、文学、青春。」
レオ・ナフタのモデルはゲオルグ・ルカーチだということを事前に知っておけばこの本の哲学的な要素の理解は容易になるだろう。「魔の山」は近代が抱える問題、イデオロギーや主体という観点から正面から取り組んだ傑作である。それでいて、人生の機微がそこかしこに詰め込まれ、前編が青年ゆえの初々しさに彩られている。これこそ真の文学作品であると強調したい。すべての人に薦めたい一冊だ。
・「現代生活になぞらえて読む」
主人公のハンス・カストルプは長いサナトリウム生活の中で、さまざまな人物に出会い、その異質な環境が作りあげた病人達の人間模様に驚く。対立する思想を議論する人達の間で、主人公は自分なりの真理を発見するのだが……。
主人公の希望に続く絶望は、現代生活に疲れた人間にもなぞらえて見ることができる。一世紀近く前に書かれた本作の主人公の選択が我々に与える衝撃は、未来においても不変であろう。
主人公はマンも小説の中で解説しているとおり完璧な男ではない。他の登場人物のように一定の思想も持ち合わせていない。このあたりを読み手が共感できるかどうかが、物語を楽しむための境界線のような気がする。
・「文学?心理学?精神世界?の最高峰」
色んな小説の中でここまで文学、心理学、精神世界を表現したものは稀であると思う。長い話ということもあるが、トーマスマンは天才ということもあり、中盤のまったりした感じも計算のうちではないだろうかと思う。前半は現実世界感があり、後半になると主人公自体も現実の中にいるのか精神世界の中にいるのかわからないような感じが妙に美しく感じます。三島由紀夫が最も好きな小説家といっているのも納得です。特にこの小説はどこか詩的な感じをすごく受けます。はまって読んでいるとある世界観にはいれます。が、考えてみると帰れないような場所という所もないだろうがそういう設定をすることで、精神世界間を上手く表現しているのだなぁと関心しました。確かに文学最高峰です。
・「ハンス…」
「教養小説」とは、ドイツ文学の一ジャンルで、「うぶな主人公が、様々な苦難や出会いを通して自己の人格を形成していく」という内容の長編小説のことだそうです(あとがき参照)。僕は、読めば教養がつく小説だと思ってました。(^-^;でも、ナフタとセテムブリーニの議論をちゃんと追っていけば中世から近代のヨーロッパ思想史に関する教養が身に付きそうですね。僕はややこしいところは流しましたが、それでもかなり楽しめました。
・「お宝」
小生の無人島の一冊であります。とりあえずファウストを読んでいないとお話になりません。さすがにドイツ文学、考えすぎです。事物をとらえる目が必ず頭脳をひとまわりして表現されていて、そこがたいへん美しいのです。フランス教養小説の狡猾さや即物性とは対照的です。登場人物を短絡的に美男美女にしないところがまた頑なでよろしい。このうじうじ感を舐め回すように読むのが最高に楽しいわけです。ハンス・カストルプを馬鹿な子ほど可愛い、とほほえみながら読めるのは上巻まで。下巻は暗雲、吹雪そして鋼鉄の嵐に暗く覆われます。余談ですがオルロフスキーマニアの私はベーレンスがとってもツボだったりします。
・「異邦人…。」
カミュ自身、「異邦人」の英語版に寄せた序文で、次のように語っている。
「お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかにないということである。ムルソーがなぜ演技をしなかったのか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ」
これが答えなのである。若いうち、特に青少年期にこの本を読めば、なぜムルソーがこれほどまで無関心でいられるのか、おそらくわからない。だが、成長する過程での長い時間と経験こそが、カミュの言わんとしたことを理解する手助けとなるのである。
私も去年身内を亡くしたが、どれだけ絆の深いものでさえ、その死に直面してしまうと意外に淡白に感じられるものだ。葬儀や火葬、お通夜など、肉親の死であるというのに、冷徹かつ客観的に眺めている自分の姿がある。これは何も感受性に乏しくなったということではない。これが人間というものなのだ。
その場所でのお悔みや親戚縁者の慰めなど、その場にいた私にとっては何の意味もなさぬものだった。それが泣きじゃくった司祭の姿を通してみればわかるだろう。神の祝福も懺悔も、ただの芝居にすぎぬことを。だからこそムルソーをいらだたせる。
ただ淡々と進む別れと過去の思い出を頭の中で反芻し、そして自分なりに解釈を付けて死者を送り出す。だが、その情景は曖昧で繊細なものなのだ。ムルソーの、一見すれば主体性がないかのような受動的に見える思考や振る舞いも、それを如実に物語っている。そして、いずれは私もそのように送られることだろう。
殺人を犯したのは「太陽のせい」と語った。しかしそう語る彼をだれが嘲笑うことができよう。地球上に降り注ぐ強烈な日の光こそが、彼が彼足りえる原動力となっていたのだから。
・「生きることへの違和感に素直に生きる男の話」
異邦人を読んでいると、あることに気が付く。どこか、世界とムルソーとの間に隔たりがあるように思われるのだ。ムルソーは身に起こる多くのことに対し無関心である。ただ、淡々と目の前の問題に対処をしているだけだ。その代わり、彼は些細な自分の嗜好にとても実直である。彼は、よく眠り、よく食べ、よくタバコを吸う。隣人の恋のトラブルに対し興味を抱き、老人の小さな孤独の物語に同情をする。太陽に心地よさを感じ、そして、恋人との情事を喜ぶ。しかし、恋人が彼に自分を愛しているか。と聞かれると彼はわからない、と言い、結婚を求められてもお決まりの文句、<Cela m'etait egal.(どちらでも同じさ)>と受け流してしまう。彼は自分の人生に対する関心に欠けている。
シャンピニーは「異教徒の英雄論」の中で主張する。一方に、偽善的慣習や約束事によって成り立つ社会や宗教の「芝居的世界」があり、これはアンチ・ピュシス(反自然)でり、また一方では本来的な自発性に属するピュシスの世界があり、ムルソーはそれに従って生きている。「芝居的世界」を受け入れることを拒否するムルソーはそのために異邦人とみなされ、罪人の烙印を押されて死刑を宣言される。
物語のクライマックスであり一番の盛り上がりの部分である、アラブ人殺人の場面はあえて語らず、他のレヴュアの方に任せようと思う。フランス語の原文で読むとねちねちと皮膚に張り付いてくるような文体がこの場面の緊!張感をひしひしと高める。
私はカミュの特徴はその精緻な描写だと思う。読者は物語の始まりの部分からその孤独な老婆たちの描写に驚かされることであろう。この本は私がフランス語で読んだはじめての本であるが、フランス語で読むとまた、違った面白さが発見できると思う。作品自体そう長くはないし、フランス語も簡単なので試してみる価値はあると思う。
・「凝縮力をもった名作」
所謂古典的名作と言われる作品には、そう呼ばれるだけの内容がある。カミュの「異邦人」は、中学生の頃読んでみたのだがさっぱりわからなかった記憶がある。あれから20年以上たった今読むとさすがにわかる。不条理に生きることの窮屈さが身にしみた年齢になったからだろうか。私も主人公同様20年ほど前に母親を無くしたが、長いこと一緒に住んでいなかったこともあって、あまり悲しくなく、葬式でも涙の一滴も出なかった。人間などそんなもので、自分の肉親の死よりも、飼い犬の死のほうが悲しかったりするものだ。主人公にとって、神や死後の神の祝福などは何の意味も持たない。死ねば死にきりなのだ。それを全うして生きられる人間は強い。翻訳もなかなか格調高いが、もうすこしこなれた日本語に出来るような気がする。
・「白い以上に白い、と語ることは虚偽である」
白を黒と言うことはもちろん虚偽だが、白い以上に白い、と語ることも虚偽である。ムルソーは、私たちの言う意味で、母親や恋人を愛していないのではない。ただ、愛している以上に愛している、と口にすることを拒否しているだけだ。ムルソーは、過激なほどに、誠実に生きようとしている。
ムルソーは社長にパリ行きをすすめられるが、関心を示さない。彼にははじめから世間的な出世や野心などないのだろう。でもこれは私には、白くない以上に白くない、と語っているように見える。
カミュは貧民階級の出身である。幼い頃に父親を亡くし、母親は耳が遠くて文字を読むことはおろか日常会話にも不自由した。この母親に代わって子供たちを育てた祖母は、教育のためにムチを使った。カミュ少年は幼い頃から我桊??することを覚えさせられた。ーーただ貧しいだけで後ろめたい思いをすることを、貧しさを知らない人たちにどう伝えればいいのだろう、とカミュはどこかで言っている。
この、やがて時代を代表することになる感受性豊かな少年は、自分には世間並みの希望を持つことさえも禁じられていることを知っていた。イソップの有名なキツネは、高くて手の届かないところにあるブドウをスッパイのだ、と言う。カミュ少年は、手に入らないものは最初から欲しくなかったのだ、と考えることに慣れていた。
「言葉」には限界がある。つまり、言葉にすればすべて嘘になる現実がある。白くない以上に白くない、と語ることは、白い以上に白い、と語ることと同様、虚偽、である。だが、詩人たちはこの白を伝えるために言葉を捜し、画家たちはその色をキャンバスに移すために絵具を混ぜる。
天才とは嘘をつくことがもっとも苦痛な種族だ、と定義した人がいる。
・「名作たる所以」
この作品の全ての内容は、カバーの後ろに書いてある作品の内容紹介にまとまっていると言っていい。しかも、この本の訳はお世辞にも読みやすいとは言えない。先の展開が知れていて、ついでに読みにくい本を読み進めていくのは、なかなか骨が折れることだった。しかも、僕はこの主人公の行動を全く理解出来なかった。まさしくそれこそはこの本のテーマの「不条理」だったわけだが、論理的に理解できない行動を書くことに意味があるのだろうかと疑問に思いながら読み進めていった。しかしこの本の最後の最後、僕は自分の考えが浅はかだったことを知った。最後に主人公のムルソーが明らかにしていく心中の告白。それが語られたとき、ムルソーの今までの行動が彼なりの理念によって一貫されたものだったということが明らかになり、そしてその時が僕の中でこの作品が一気に名作になった瞬間でもあった。彼の一見奇妙な行動と言動。それらはたしかに理解しにくいものだが、一つの真理とも言えるような説得力を持っているものだったのだ。彼の行動と理念を自分なりに理解した今も、それらを参考にして生きてみようなどとは微塵も思わないが、一度は触れておいても良いかもしれない。名作たる所以がわかるだろうから。
・「一生付き合える書物です。」
トルストイを読むなら「戦争と平和」より先ずこちらから読んだほうがいいと思います。こちらのほうがスケールは小さくて、扱うテーマが主に3つのロシア上流家庭の人間模様なのですが、その分心理面などの動きも描ききれていて、私たちが普段何気なく感じていることにきちんと答えを見出してくれます。また心理面だけでなくすべての描写がすばらしく、まるでそこに自分も一緒にいるかのような錯覚になります。そのため読後に昔あった懐かしい思い出のように心に残るのです。分量は大目なのですが、主に対照的な2つの家庭の話が交互にでるので飽きないで読めると思います。最後に主人公が生きるという事に何か確固たる意味をもとめて、さまざまな哲学書を読み漁ったりしながら最後に勝ち取った境地は文学史上もっともうまくいった奇跡的な仕事です。
・「恋愛物語の傑作」
トルストイが描くというので完全に固まって読み始めましたが、「戦争と平和」よりはずっと解りやすく面白い。トルストイがこんなにも女性の感情を緻密に描ける才能があったのかと感嘆してしまった作品。美貌のアンナが美貌の資産家の青年と不倫の恋に落ちてしまう物語。聡明な上流社会のアンナが心から好きになれない男性と結婚してしまってから虚ろな日々を送るに突然現れた美貌の青年。恋におちたら一貫の終わりだと分かりながら抑えきれない気持ちをその青年に託してしまう。周囲の心無い嘲笑や噂が人間の心が如何に醜く、残酷で、移ろいやすいか思い知らされる。アンナに突きつけられる全ての現実はおぞましく、信じられるのは愛情以外何もない。それを重荷に感じる男。不幸の道へまっしぐらのアンナと対照的なのがキティでそれほど大恋愛でもなかった誠実な男性と平凡で幸せな日々を見出す本当の幸せ。愛情に飢えていたアンナを「汚い女」と呼ぶにはあまりにも残酷すぎる。恋という不条理で無常なものにとらわれてしまった悲劇である。
・「大きな問題と真っ向から取り組んで行く壮大な叙事詩」
役人カレーニン―その妻アンナ―ヴロンスキー伯爵、ヴロンスキー―令嬢キチイ―地主リョーヴィン、二つの三角関係を中心に、アンナの兄オブロンスキー、キチイの姉ドリイの夫婦や、リョーヴィンの兄ニコライ、コズヌイシェフなどが登場して語られていく壮大な叙事詩。社交界から農村まで、重層的な当時のロシアの生活の様子を余すところなく描写していきます。
神、愛、ロシアの政治、戦争、共産主義など様々なテーマが複雑に入り組んでいて、一言では説明できない小説ですが、根底にあるのは、如何に良く生きるか、何で生きるのか、善とは何か、という大きな問題に真っ向から取り組んで行く著者の真摯な姿勢ではないでしょうか。その意味で、生活に根ざしていない幸福が破綻するアンナとヴロンスキーのカップルと、田舎で地道に生活して幸福なキチイとリョーヴィンのカップルの対比が際立ちます。
箴言のような、人の心の深みに届く言葉が満遍なく散りばめられていて、読みながらいろいろなことを考えさせられます。難しく読むのも可能ですし、ただ言葉の美しさや登場人物の感情に身を浸して読み流すも良し、読む人の意識の状態によって、様々に姿を変え、でも必ず何かを与えてくれる、そんな凄い小説です。
・「最高傑作」
読み始めてから読み終わるまで半年かかってしまった。上中下合わせて1600ページを超える大作。トルストイが5年の歳月をかけて何度も書き直したという、「戦争と平和」と両翼を担う作品。この作品の登場人物のなかで私はリョーヴィンが好きだったのだが、リヨーヴィンがトルストイの分身だったなんて。読み終わるまでわかりませんでした。宗教、哲学、農業、経済、政治、戦争、人間関係、この小説には全ての要素が含まれています。ドストエフスキーやレーニンが賞賛するのもわかります。ただ、登場人物が150人近く現れ、物語も複雑に絡み合っていくので、細切れに読んでいくと内容がわかりずらくなるかも。最後にリョーヴィンが神の存在に気づくのが印象的でした。
・「人間観察の鋭さに驚かされました」
この人はほんとうによく、人のことをみているなと思います。人々の言動とその奥に潜む心情が的確に述べられています。その心情のうちには、登場人物自身が意識していない部分まで描かれており、素晴らしい作品です。時々、自分のことのように感じ、ハッしたことも何度もあります
ロシアの社会制度が特殊なような気がして
その点がもっときちんと理解できるとさらに面白いでしょうね
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