バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年モノラル録音) (詳細)
グールド(グレン)(アーティスト), バッハ(作曲)
「旋律は流れる風のように」「まさにグールドベルク!」「ジャケット買いもアリ!」「ゴールドベルクの原点」「いつ聴いても新鮮な演奏」
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音) (詳細)
グールド(グレン)(アーティスト), バッハ(作曲)
「賢者の回答、泣けるアリア!」「この曲のアクシスを変えた」「バッハの楽譜と対話しているピアノが安らぎを与えるアルバムです」「グールドがこのテンポで弾いた訳」「グールドのバッハ」
バッハ:ゴールドベルク変奏曲 (詳細)
ヴァルハ(ヘルムート)(アーティスト), バッハ(作曲)
バッハ:ゴルトベルク変奏曲 (詳細)
ジャレット(キース)(アーティスト), バッハ(作曲), キース・ジャレット(演奏)
「ゴルドベルク変奏曲自身が彼を選んだ」「この澄みきったハープシコードの音色」「客観的な構造のバッハ音楽に限りなく浸透する喜び」「10年以上を要した」「リラックスした、しかし凛とした演奏」
ゴルトベルク (詳細)
曽根麻矢子(アーティスト), バッハ(作曲)
「チェンバロが嫌いな人にもおすすめ。」「「キンキン」ではなく「キラキラ」している」「迷った時はこの人のゴールドベルクにしています。」
Goldberg Vars (詳細)
J.S. Bach(アーティスト)
バッハ:ゴルトベルク変奏曲 (詳細)
ディナースタイン(シモーヌ)(アーティスト), バッハ(作曲)
「ビロードのようなゴルトベルク」「1903年製スタインウェイの美音」
Bach: Goldberg Variations, BWV 988 (詳細)
Johann Sebastian Bach(作曲), Evgeni Koroliov(Piano)
Custom Stores>By Artists>クラシック>演奏者別>カ行>グールド
Custom Stores>By Artists>クラシック>作曲家別>ハ行>J.S.バッハ
Custom Stores>By Formats>国内盤>クラシック
クラシック>器楽>室内楽・器楽曲>演奏者別>カ行の演奏者>グールド
ジャズ・フュージョン>アーティスト別>J-L>Keith Jarrett
クラシック>器楽>室内楽・器楽曲>演奏者別>サ行の演奏者>キース・ジャレット
Custom Stores>By Artists>クラシック>演奏者別>サ行>キース・ジャレット
Custom Stores>By Formats>輸入盤>Classical>Classical Instrumental>Composers>A-B>Bach, JS
Custom Stores>By Formats>輸入盤>All UK Titles
・「旋律は流れる風のように」
1981年のゴールドベルグ変奏曲が心に染み渡る水であればこの1955年のモノラル録音の方は吹き抜けていく風のようです、1981年は音の一つ一つに重みがあり「一言一言ちゃんと伝えたい」という感じ、それに対し1955年は「たくさん伝えたいことがあって自分の想いを一気に告げる」ような感じです。1981年は聞き終わった後に深い感動がありましたがこちらはある種の爽快感があるように思えました。どちらが好きかといわれたら1981年の方ですが単純に比較すべきではないのかもしれないです、それくらい同じ人が同じ曲を演奏しているのに雰囲気が、音が、伝わってくる感じが違います。
・「まさにグールドベルク!」
私はグールドのゴルトベルク変奏曲(新録音)をはじめて耳にしたときかってない衝撃を受けた。そしてこの旧録はさらに上をいっていた。彼の強烈なキャラクターもさることながら、音楽もまた彼独自のスタイルがそのままピアノに反映され聴き手の心を引きつけてやまない魅力を醸し出している。「この旧録に出会った事は幸運だった。」そう言えるのは私だけではないと思っている。
・「ジャケット買いもアリ!」
このデビュー盤は、内容は言うまでもないが、そのジャケットが味わい深い。スタジオでの録音の際にDon Hunsteinによって撮影された30枚のグールドの写真。この曲に収められている変奏曲の数も30であるところが象徴的である。プロデューサーのHoward Scottと議論している写真。歌いながら演奏する写真。23歳の若者がこれほどまでに輝いている様子を羨望の眼差しで眺めないではいられない。
・「ゴールドベルクの原点」
バッハは、誰が弾いてもバッハに聴こえ、何で弾いてもバッハに聴こえる。音楽自体が演ずる者、聴く者の概念を包摂する。だからこそ、無限の表現の可能性を秘めた音楽であり、またその表現を受け入れる音楽である。バッハの音楽は宇宙であるのだ。グールドはその可能性へ挑戦した最初の人である。そしてこの演奏はその証であった。
文化勲章を授かられた吉田秀和氏は大昔、国内で不評であったこのレコードを絶賛され、自らライナーノートを執筆された。(ご本人が初めてレコードのジャケットにものを書いた仕事だったらしい。)
吉田氏の言葉を借りて、「胸のすくような精緻なリズムとフレーズの区切り方、テンポの良さ。そういった全体がまるで苔の庭のような一分の隙もない緻密で濃密な音の敷物を作り上げるのだが、しかもその表面の艶々した瑞々しさと、その下を絶えず生きて流れている叙情の味わいの気韻の高さ」
ということか。
・「いつ聴いても新鮮な演奏」
グールドのバッハ演奏については多くの方が書き記している。ゆえに何を今更という感がするではないが、コメントせずにはいられない不思議な魅力を持っている。早すぎた死を悼むばかりである。1981年盤と比べられる演奏であるが甲乙つけがたいと言うのが私個人の意見である。1981年盤のゆったりとした遅いテンポの演奏、哲学者と対話をするかのような間の取り方…。1955年盤では若さゆえの潔さ、古い慣習にとらわれることなく果敢に取り組む姿勢などが伝わるかのようなスピード感溢れる演奏。結局どちらも聴いてしまうのであるが…。いつ聴いても新鮮な演奏である。
・「賢者の回答、泣けるアリア!」
55年版が超爽快な超々名演なら、この81年版はグールドの人生最後の回答でしょう。第30変奏におけるどうしようもない気分の高揚感は他の誰からも得られません。そして、続く最後のアリアは心を掴んで離さない。人生の最後にして、始まりへと回帰するような、これ以上慈しむことなど考えられないような愛情すら感じさせる。私はいつもは55年版を聴きますが、”どうしても”というときは81年版を聴きます。どちらもグールドであり、どちらも正しい。グールドの演奏の聴ける時代に生まれてよかったと心から思える究極の演奏。
・「この曲のアクシスを変えた」
販売当初(20年以上昔)のインパクトは凄かった。当時バロック音楽は古楽演奏がメジャーになりだした頃で、世話になっておいて悪いが、イ・ムジチやミュンヒンガーやパイヤールなんかは、全部詰らなく思えてきた頃で、まして、「ピアノで弾くバッハなんか」っていう感じだった。石丸電気の2号館でクラシックの階へ足を運んだ時、耳にしたのがこの演奏。当時何処の誰かも知らないままにすかさず買った。で、やがてCDになってからも買い揃えた。繰り返し部分は省略されているが長大な全曲を、一気呵成に弾き込んで、聴き手に時間を忘れさせ、外に出て歩いても、かすかに頭の中で鳴り出す、という小林秀雄まがいの怪しい体験までしてしまった。幾種類ものチェンバロの演奏を聞いていた筈なのに、それらは、当分聞くことはなくなってしまった。本当の「古楽演奏」とは、グールドの演奏かもしれない。ところで、グールドは何度かこの曲を演奏しているが、55年の最初の録音より、この盤のインパクトは凄かった。というより、この盤が話題になってから、逆に「思い出された」感じ。この盤は55年盤よりポリフォニックな面がかなり強く出ている。凄まじいスピード感と音符の一音一音が浮かび上がるかのような両手の力は神業で、同曲のみならず、ほかの多くのピアノ演奏を、過去のものへと追いやった感じさえした。ほかにザルツブルク音楽祭のライブ盤があるが、それはこの演奏と、55年盤の中間のような気がする。
・「バッハの楽譜と対話しているピアノが安らぎを与えるアルバムです」
81年録音の、グールド2回目の「ゴールドベルク変奏曲」です。1回目の55年録音のアルバムでデビューし、当アルバム録音の翌年、50歳の若さで急死してしまったことは、何かの因縁でしょうか。当アルバムですが、まるで生き急ぐかのような急テンポの55年盤に比べると、バッハの楽譜を慈しみ、対話するようなテンポになっています。ただ、その1音1音がはっきりと聞こえる滑らかなピアノは、得もいわれぬ安らぎを感じさせてくれます。55年盤と比べ、どちらが良いと云々するよりは、両方を揃え、その時の気分で、盤を変えたい、「バッハ弾きグールド」による名演奏です。
・「グールドがこのテンポで弾いた訳」
グレンのゴールドベルク変奏曲は新録音(1981年)が旧録音(1955年)に比べてテンポが遅く、それに文句をつけている人もいるようですが、グレン自身旧録音を気に入ってはいなかったようです。その訳は、グレンの興味は対位法(作曲法の一つ)にあり、それをシッカリ聴かせたいので新録音のテンポを遅くしたと、彼自身が語っています。自分が聴き比べると、やはり新録音の方が落ち着いて聴けるし、バッハの書いた音符の一つ一つをジックリ聴いている気持ちもします。新録音と旧録音の共通点として、グレンのピアノタッチがまったく同じ事が挙げられます。テクニックが衰えたわけではないのです。やはり、ゴールドベルク変奏曲のどちらをまず買えばいいかというと、新録音の方が断然お勧めです。グレンが辿り着いた新境地を堪能できます。
・「グールドのバッハ」
グールドのバッハは何か違う。バッハの譜面にのって演奏しているというよりも、グールドのオリジナルに聞こえてくる。神がかり的名演と思います。小生が自分の世界に入り込んで集中したい時に聞く名盤です。
・「ゴルドベルク変奏曲自身が彼を選んだ」
1989年1月八ケ岳高原音楽堂でレコーディング。85年の『スピリッツ』でクラシック音楽と決別、85年7月~87年10月までをスタンダーズのライブに費やし、自らの音楽を見つめ直したキースが敢然とクラシックに対峙し直した最初の作品といえよう。ライナーのインタビューに出てくるキースのコメントにおけるバッハのこの曲へのこだわりは以下の2点だ。
1.全音楽を神に捧げたバッハ。神の音楽は都市で見ることは難しい。2.バッハ以前の音楽にはダンスのための音楽と教会のための音楽があった。しかしゴルドベルク変奏曲にはその両方が内包されている。そしてゴルドベルク変奏曲自身が彼を選んだともいっている。
キース自身の自宅もそうだが、八ケ岳の美しい自然の中でこの曲と対峙し直したキースの歓びが溢!れ出た演奏になっている。音楽を演奏することの歓びが何にも増してキースを元気づけている。
1742年ドレスデン駐在のロシア大使だったカイザーリング伯爵の不眠症を直させるために書かれたこの曲が現代の多くの人の癒しとなり続けていくのは間違いないだろう。自然のエナジーを十分に吸い込んだクラビコードの音色にただ酔いしれるだけだ。
・「この澄みきったハープシコードの音色」
このアルバムは1989年1月という寒い季節に八ヶ岳高原、音楽堂で録音された物です。2段鍵盤のハープシコードで演奏されていますが、高橋辰男さんという方の製作したもので、キースはその楽器で弾くことを楽しみにしていたとのことです。
とにかく、CDをかけた瞬間から、その音色に美しさに驚かされます。
今まで、やや平板な音色だとばかり思っていたハープシコードが、これほど豊かな表情を持っているとは。冬の八ヶ岳の空気のせい? それともキースの技術なのでしょうか?
この Goldberg をグールドの演奏と比較することはできません。グールドは、バッハの時代には存在しなかったピアノを用いています。キースにはキースのバッハがあり、グールドにはグールドのバッハがあるということなのでしょう。
余談ですが、この演奏ではキースは(もちろん?)声を出していません・・・
・「客観的な構造のバッハ音楽に限りなく浸透する喜び」
キース・ジャレットのクラシックではゴルドベルグをよく聴いてきた。ジャズ風に弾いているわけではなく、むしろオーソドックスなバッハと言えよう。ただ、この演奏には自然で豊かな音楽の流れがある。もちろん、録音のすばらしさや楽器の音色の美しさも魅力的だが、なにより音楽に限りなく浸透する喜びが、この演奏からは感じられるのだ。
感性をフルに生かして、その曲の中にどこまでも深く入り込みつつも、バッハの音楽自体が持つ客観的な構造を尊重して奏でてゆく。その両要素をそれぞれどれだけ充分に実現させながら、自らの演奏の中で統合してゆくか。そして、その喜びを聴き手の「ハート」のなかに伝え、再現しうるか。ジャンルにこだわった論議の空しさを痛感させるキースの「音楽」であり、バッハのゴルドベルグである。
・「10年以上を要した」
1989年正月、八ヶ岳での録音だ。それ以外にライブ演奏もあった。厳冬期の高原にわざわざ足を運んでキースの音楽を聴くなんて、いいなあと思ったものだ。でも、CDを聴いてみて正直、よくわからなかった。あまりにも凡庸に思えた。CD解説には、バッハ研究家の樋口隆一氏のキースへのインタヴューが載っていて、キースのバッハへの想い、演奏者としての姿勢などを知って納得してはみたものの、CDを聴くとやっぱり凡庸に聞こえてしまった。 ところがそれから10年ほど経って、キースの演奏が急に私に迫ってきた。「私は今、この楽譜を初めて手に取りました」と言わんばかりの、時にたどたどしい、時にうれしさに満ち溢れた音が。それ以来、ゴルトベルクの愛聴版となった。これと関係があるのかどうか?最近ではあれほど熱中していたグールドの演奏が、私にとって輝きを失いつつある。
・「リラックスした、しかし凛とした演奏」
ゴールトベルク変奏曲は本CDの他にグールドのピアノ版を持っています。例えば最初の<アリア>では、どちらも同じようなゆったりとしたテンポ運びをしていますが、グールドの演奏が静かな中にも緊張感が満ちているのに対し、ジャレットはリラックスした感を受けました。楽器の音色も透明感があり、朝の通勤電車の中では好んでジャレットの方を聴きます。
・「チェンバロが嫌いな人にもおすすめ。」
個人的にはチェンバロの音色が苦手なのですが、このCDは違和感なく楽しめました。大胆にテンポを変えている箇所もありますが、こういう解釈もありなのかなと思います。スピード感が心地よく感じます。ピアノ版も含めた、この曲の数多くの名演に肩を並べた会心の演奏と言って良いと思います。
・「「キンキン」ではなく「キラキラ」している」
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・「迷った時はこの人のゴールドベルクにしています。」
思えばチェンバロに本当に出会ったのがこの曲でした。有名どこはほとんど聞いたし、アルバムも色々購入しました。心底この曲にのめりこむときはやはりリヒターです。グールドの新旧も2枚通して聞きたくなります。ピノックやK、ジャレットも筋の通った演奏で一聴に値します。ただ、この曲のシチエーションにあった眠る前にリラックスするには曽根麻弥子の演奏が一番合っています。女性らしい感性のタッチがなんとも心地よくしてくれます。
・「ビロードのようなゴルトベルク」
すばらしい! このCDを聞いた後で思わずグルード旧盤も聞いてしまった。グルードのゴルトベルクはブルゴーニュの極上ワイン、ディナースタインのゴルトベルクはボルドーの極上ワインのようだ。どちらもすばらしい。両方が存在するがゆえに、さらにすばらしく感じる。 ディナースタインのゴルトベルクは極上のボルドーワインを例えるビロードのようなという表現がぴったりだと思う。やわらかく、やさしく、エレガントに語りかけるすばらしい演奏。
・「1903年製スタインウェイの美音」
表現は悪いが、この人の演奏は身体を愛撫されるように気持ちいい。気持ちいいだけの演奏かと思いきや、第14、20変奏は、アグレッシヴな演奏も聴かせる。技巧的な第20変奏や第26、29、30変奏をちゃんと弾けてるので、この人は技巧も持っていると思う。タイムを見ると、第13変奏が一番長い(5'15)。第25変奏は、4'20。演奏時間は全曲で78分20秒と長い。しかし第25変奏を除いて全部リピートしているので、78分は長すぎるとは言えないだろう。むしろ、テンポの速い曲も多い。面白いことに冒頭のアリアが一番長い(5'39)。使用ピアノは、1903年ハンブルク製のスタインウェイ Model D。
万人に受けるかどうか分からないので、星4つにしたが、私にとっては最高。2005年録音。
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