In a Silent Way (Dlx) (詳細)
Miles Davis(アーティスト)
「60年代マイルスの金字塔」「スペース・ジャズ」「JAZZ NASTERPIECE」「マイルスの魔術」「《ロック》をも呑み込むジャズ・コンテンポラリー・ミュージック!」
Bitches Brew (詳細)
Miles Davis(アーティスト)
「ツワモノたちの集団即興演奏です。」「とっつきにくいと思った人は、試しにDisc2から聴いて(経験して)みて」「わては論客ではないですけども、ゾクゾクする感じが20世紀の老身☆に響きますわな」「時間よとまれ」「火の玉のような渾沌」
At Fillmore: Live at the Fillmore East (詳細)
Miles Davis(アーティスト)
「できれば8枚組位の未編集版を作って欲しくなる」「邪悪なエネルギーの洪水!」「火の玉のような渾沌」「1970年はマイルスが一番カッコ良かった年」「やかましい!いいかげんにしろっ!ってぐらい怒濤のライブにコーフン」
A Tribute to Jack Johnson (詳細)
Miles Davis(アーティスト)
「本当はサントラ盤!」「マイルスの音楽を素のままに、火の玉のままに残すことが意味がある」「マイルス流ハード・ロック」「"I'm Black"」「ジミヘンのように弾け!」
Live-Evil (詳細)
Miles Davis(アーティスト)
「地味な存在だが、スゴイ作品」「マクラフリン暴れまくり!」「70年代のマイルスの方向が確定した作品」「熱狂のホワッド・アイ・セイ」「割と地味」
On the Corner (詳細)
Miles Davis(アーティスト), John McLaughlin(アーティスト), Chick Corea(アーティスト), Herbie Hancock(アーティスト), Dave Liebman(アーティスト), Collin Walcott(アーティスト), Jack DeJohnette(アーティスト)
「リズムの洪水の格好いいアルバムです」「1972年、ヒップ・ホップはここに誕生す」「真っ黒けっけ」「魂から発せられる強烈なグルーヴ!!」「ジャズファンが批判するたびに価値が上がる恐るべき傑作」
・「60年代マイルスの金字塔」
1970年ころからジャズを聴き始めた僕としては、マイルスのビッチェズブリューをリアルタイムに体験した世代である。つまりジャズが何度目かの地殻変動をきたした現場を垣間見る僥倖に浴したのである。しかしこのIn a Silent Way はすでに発売済みでマイルスの超話題作として登場したビッチェズブリューの衝撃ばかりがジャーナリズムをにぎわし、前作をかき消した感があった。もちろん前作の重要性も喧伝されてはいたが、その後「キリマンジェロの娘」を買って、ややがっかりしたことも手伝い(ただし現在ではキリマンジェロはすばらしい傑作だと思っている)、なんとなくIn a Silent Way は聞かずじまいになってしまった。また、ビッチェズブリューでジャズは終わったという批評家の言葉に踊らされ、それ以後50年代のハードバップを愛好するようになったことも一因かもしれない。ビッチェズブリューは確かにすごいのだけれど、かなり気合を入れて聞かなければならない。そんなわけでIn a Silent Wayは僕にとって未知のアルバムとして想像の世界の産物と化していた。しかしついに買ってしまった。禁断の果実よろしく、そこには目くるめく美の世界が広がっていた。そして60年代マイルスの金字塔とはビッチェズブリューではなく、In a Silent Wayではないのか。キリマンジェロ、イン・ザ・スカイと移っていったマイルスは、ビッチェズブリューで急にはじけたのではなく、In a Silent Wayという完成によって、60年代と決別したのだと思う。おそらく今後In a Silent Wayの音楽としての完成度の高さはますます重要性を帯びていくに違いない。
・「スペース・ジャズ」
当方はジャズについては全くの無知です。
アルバム全体を通しての印象は「スペーシー」の一言につきます。決して「ムーディー」や「おしゃれ」では無いです。なんの楽器かわかりませんがドップりはめられ、身動きできなくなる感じです。ハウスやテクノで「ハマる」という感覚に近いです。自宅でハマれます。
ガチでジャズ好きの方、間違った感想だったらすみませんw
・「JAZZ NASTERPIECE」
「これを聴くと人生が変わる」、とはピーター・バラカン氏の言葉ですが、人生とまでは行かなくても、音楽観は確実に変わりました。
非常に判り易い作品だと思います。何も難しい所は無い。だだ聴けばいい。そんな作品だと思います。
しかも、カッコイイ。ちゃんと、カッコイイ。ここが重要だと思うのです。
本作を次作の「Bitches Brew」と関連付けて聴くのは勿体無いと思います。参加メンバー等で繋がっている部分はありますが、内容的には本作は本作で結実しており、殆ど関連性は無いと思います。
むしろ、異様なまでのスペシャルな雰囲気という点で、59年の「Kind Of Blue」と近い世界観を感じます。
・「マイルスの魔術」
統一感のある音楽である。あまりJazzを感じさせず、ジャンルを超えた良質の音楽である。柔らかい音にリラックスできると同時に、多くの刺激を受けることもできる。だから知的な活動のバックで流れるBGMに最適と感じる。 音楽を聴きながら、映像を見ている錯覚を感じた。全体の色調は暗であり、淡である。しかし、その色調のバックの中で、鮮やかな色彩が湧き上がり、踊っている映像だ。例えばJackson Pollockの絵画のようで、キャンバスに叩き付けられた色彩が絡み合い、全体を構成する。鮮やかな色は8人のミュージシャンが奏でるモードに対応するのだろうか。なるほど、凄腕の人ばかりが揃っている。色が鮮やかなのは当たり前だが、他とは混じらない、しかし調和する色彩を慎重に創り出したのだろう。色彩は様々に相互作用して変化しながら、それでいていつも好い具合に調合されている。 全体をまとめるマイルスの力を感じる。方向を示すとともに統括する能力がマイルスの「魔術」なのだろうか。この力は、自叙伝で語るように、バンドとしての音楽を重視することから生まれるのだろう。「すばらしいミュージシャンが揃ってさえいれば、状況に応じてそこにあるもの以上の、自分達でできると思っている以上の演奏が生まれることがオレにはよく分かっていた」。確かに「Kind of Blue」と同様、他にはない新鮮で美しい音楽である。
・「《ロック》をも呑み込むジャズ・コンテンポラリー・ミュージック!」
エレクトリック・マイルスの夜明けが「マイルス・イン・ザ・スカイ」なら本作は本格的に電気楽器を取り入れた最初のフル・アルバムである。当時、カウンター・カルチャーとして申し子であった《ロック》への回答ともいえる作品で常に革新的であるマイルスの嗜好が爆発した
内容となっている。その屋台裏を支えているのがそれまでのウェイン、ハービー、トニーに新たにジョー、ジョン、チック、デイヴが加わり音圧だけではなく各自の自己表現力も増すことになった。終始クールにビートを刻むトニーをバックに電気ピアノ2台にオルガン1台という異色の編成で絶妙な絡みをみせる展開は正にマイルス総指揮の真骨頂。
ウェザー・リポートの原点となった初期エレクトリック・マイルスの最重要作品が新たに《リマスター》として甦った。
・「ツワモノたちの集団即興演奏です。」
エレクトリックマイルス期の69年に録音されたアルバムです。マイルスはここでギターやエレクトリックピアノといった電子サウンドを大幅に採用し、最高のテクニックとエネルギーを持ったミュージシャンによる集団即興演奏をしています。このアルバムが発売された当時「ジャズは死んだ」と言った評論家もいたそうですが、理屈を抜きに、脳天とハートを直撃する刺激あるサウンドに身を委ねればいいのではないでしょうか。ちなみに全曲に参加しているミュージシャンは次の通りです。ウェインショーター、ペニーモウピン、ジョーザビヌル、チックコリア、ジョンマクラフリン、デイブホランド。他にも、ビリーコブハム、ラリーヤングら多数のツワモノが曲によって、参加しています。
エレクトリックマイルスフ!ァンはもちろん、参加ミュージシャンのファンの方にもお奨めのアルバムです。
・「とっつきにくいと思った人は、試しにDisc2から聴いて(経験して)みて」
このアルバムは、初めて聴く時、素直に1曲目「ファラオズ・ダンス」から聴いてしまうと、おどろおどろしさやとっつきにくさが勝ってしまって、「ダメだ、生理的に受け付けない」と感じる人も少なくないかも。(僕は、何年か前にこのアルバムを買った時、そうなりました。)でも、そういう人でも、ためしに是非 Disc 2の「スパニッシュ・キー」から「サンクチュアリ」あたりまでを聴いてみて下さい。取り敢えず「ファラオズ・ダンス」やタイトルトラックの「ビッチェズ・ブリュー」は後回しにして。
すると?このアルバムの音楽が意外に、素直に熱く、素直にカッコ良く、素直に美しく聞こえ出したりします(不思議)。もし、それでもまだ「これのどこがいいんだろ?」と思っても、このアルバムをすぐに手放してしまわないで、ためしに、マイルス・デイヴィスが聴きまくっていたという、この時代の前後のジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ジミ・ヘンドリックスのアルバムを聴いてから、再びこのアルバムを聴いてみて下さい。自分の耳と心とで聴けば、「あっ」と気づくことが、きっとあるので。
自宅に居ながらインターネットで古今東西の音楽をラクに手に入れられるこの時代に、この「ビッチェズ・ブリュー」を一聴してすぐ「評判通りの名盤だ」と褒めちぎるのももったいないことなら、「それほど大したものじゃない」と切り捨ててしまうのももったいないことだと思います。
このアルバムの音楽は「ほかのリスナーや評論家さんやガイドブックがなんと言ってるか?」ではなくて、ひとりひとりの「あなた」や「私」がまず自分自身の耳(=身体)と心とで「経験」して「自分の中に入ってくるものがあるか?」「自分はこの音楽の中に入れられるものを持っているか?」それを、時間をかけて知る、という音楽に思えます。そして、1969年(の録音でしたっけ?)にこのミュージシャン達のした音楽上の冒険・挑戦に匹敵するようなスリリングな冒険・挑戦を、二十一世紀のこの世界で「あなた」や「私」(たとえミュージシャンでなくとも)がやれるかどうか?そんなことを問うているアルバムにも思えます。マイルス・デイヴィスとミュージシャン達はそんなことを意図しなかったとしても、時の流れの中でそういう「意味」や「存在感」を獲得してしまったアルバムに思えます。
マイルスは、共演するミュージシャンやこれを聴く「あなた」や「私」のひとりひとりにシンプルにして永遠の問いを突きつけているような気がします。「オレはこの音を出して、こう生きる。きみは、どんな音を出して、どう生きるんだ?」と。ここには、哀しみはあるけれど嘆きはなく − 悩んで、闘って、勝ちたい。そういう音楽のように思えます。世界には、こういう美もある、と「経験」して知ることが出来るなんて、素晴らしいことに思えます。僕はノロマで五年くらいかかりましたが、きっと他の方はもう少し早くこのアルバムの良さを発見すると思います。
・「わては論客ではないですけども、ゾクゾクする感じが20世紀の老身☆に響きますわな」
まあ、ロック、ファンク、ジャズの新潮流とか、ジャズ誌の評論家によって規格化された、生に近い古典的構成感のあるんがええジャズ、とか、本作に論客は事欠かんですわな。20世紀の年寄のわてには、ほんな、こ難しいことは当然わからんです。
マイルスのこの時期、あるいは引退を挟んだ以降の作で、ライブ盤は最初は衝撃あってええんですが、繰返し聴くとなるとキツい。で、トランペットとテナーの入ったロック、としていつまで経っても愛聴でけるのが本作ですわな。ツェッペリンの「プレゼンス」、マイルスの「ラウンド・ミッドナイト」とか同じように、何年か経ってまた聴くと、違った味が出てくるんが名盤ですわな。ファラオズ・ダンスの11分位からのゾクゾクする感じが、今のジャズやロックにありますか?この時期には、すっかり仲が悪くなっとったらしいショーターもノリノリでアルトソロを吹いてはるし。ビッチズ・ブルーでも、切り裂くようなマイルスのソロが11分位に来る。普通、エレキギターでやるんですけど、こうゆうフレーズ。ビッチズ・ブルーやスパニッシュ・キーでのブラックマジック的なショーターのテナーも秀逸。マイルス・ランズ・ブードゥー・ダウンでも6分頃に入ってくるショーターの呪文のようなソロが圧倒的で、エレピ始めバンド全員がショーターの魔術に突き動かされて呪文を唱えはじめる。マイルスは傍観。CD盤面にはマイルス作、とありますが、編曲でしょうな。最後の曲は、マイルスそのもののバラード。50年代と一緒やないですか、このマイルスの心。心を聴いてから論客は批判せなあかんですわな
・「時間よとまれ」
うわこんな名作のレビュー書いちゃっていいのかと思いつつ、もう始まってしまったので構わず書くことにする。 JAZZの「歴史」を踏まえれば踏まれるほど、この「作品」は重みを増してしまい、その重さにこちらが押し潰されそうになる。だから、無謀だが、マイルス初心者にこそ、このアルバムをオススメしたい。
なぜなら、エレクトリック時代も、アコースティック時代も、「クールの誕生」も「フォア・アンド・モア」も「TUTU」も「DOO BOP」も、全てのエッセンスをここに感じることが出来るからだ。逆にいうとこのアルバムでOKならば全アルバムOKで、しかもニヤリとしながら聴き進むことができる。
そんなこと全然構わずに、「音の塊」としてこの作品集を愉しむのが最もよい。マイルスは自由で、も!はやコードがどうした、リフがどうしたではなく吹き放しである。この境地が許されたマイルスは、この作品が録音された3日間、メチャクチャ楽しかっただろう。余りに大勢のミュージシャンが参加していて、各人が様々な思惑でプレイしている(なんか各人があっちこっちで同時多発的にマジックをしている)が、マイルスはお構いなしだ。しかも木を見ず森を見るとちゃんと全員一体となってスィングしているのである。奇跡だ。 日曜の朝から、差し込む光で舞うホコリを見ながら、コーヒーをすすってこのアルバムを聴こう。
・「火の玉のような渾沌」
1967年7月17日、コレクティブ・インプロビゼーションというベクトルを指し示していたジョン・コルトレーンが死んだ。多くのジャズ・ミュージシャンの精神的支柱であった彼の死後、もう一人の精神的支柱であるマイルスがどう動くか、ジャズ全体が彼の動向に注目していた。それが60年代の終わりのジャズの渾沌とした状況だった。そしてマイルスはジャズ・ファンクに突っ走る。なぜ、ジャズ・ファンクか?その答えは同じ1967年にデビュー作『アー・ユー・エクスペリエンスト?』を発表したジミ・ヘンドリックスの音楽である。彼の音楽がいかにマイルスのジャズ・ファンク傾倒に火をつけたかをロックを聴き続けてこの時期のマイルスの音を聴いたものは誰しも感じずにはいられないだろう。一言で言ってマイルスはジミ・ヘンドリックスの音を自分のものにしたかったのだ。よってこの時期のライブはロックを聴き続けてきてこの作品を聴く者と、ジャズをピュアに追いかけてきてこの作品を聴く者とではまったく違って聴こえてしまう。特にギターがだ。マイルスはジミ・ヘンとファンクしたくてたまらなったに違いない。故にロックとして聴けばここでのギターは単なるジミ・ヘンの偽物である。このパラドックスと渾沌が火の玉のように燃える。そう、1969年8月の3日間CBSスタジオで録音されたこの『ビッチズ・ブリュー』から、マイルスが一時沈黙するまでの間に演奏された作品群は、ジャズ・ファンクという強烈なベクトルに、才能あるミュージシャンを次々と放り込み、その渾沌から何が見えてくるかをマイルス自身も若手も同時体験した時期だったと僕には思える。こういうことはマイルス以外誰もしなかったし成しえなかった。年齢がいったミュージシャンのほとんどは自らの年齢を鑑み、冒険を忘れ、スタイルを固定し、ひたすら枯れて行くような静的方向へと固まるばかりだ。しかしマイルスにとって年齢とは単なる数字であって、今日は昨日に1を足した前進の加算でしかなかった。真の天才は年齢がない。このパラドックスと渾沌が火の玉の経験が後に自らの音楽とは何かを参加したミュージシャンに問うこととなる。それが、チック・コリアのスパニッシュ回帰であり、キース・ジャレットの静寂である。そしてそれらの開花がジャズを一段上の次元の音楽に押し上げたことはまちがいところだ。本作はそういうジャズやロックの様々な変容を頭に入れた上で聴くべきギグなのだと僕には思える。
●At Fillmore: Live at the Fillmore East
・「できれば8枚組位の未編集版を作って欲しくなる」
LP時代に2枚の各面に編集されたライブが記録されている。アグレッシブなのは、他の作品を寄せ付けない!!!全員が火の玉のようになって演奏している!キースもデ・ジョネットも格好いい!(表現が貧しいのは勘弁してね)
ブラックホークやプラグドニッケルのように、未編集版を是非聴きたくなります。いずれ出るでしょう…首を長くして待ちます。それまでは、このCDで堪能しておきましょう。
・「邪悪なエネルギーの洪水!」
かつては、「何曜日のマイルス」とだけ分けられていましたが、細かいインデックスがつけられたので、好きな部分を繰り返し聴くことができるのが良いですね! 特に好きなのが、熱狂的混沌の後に不意に訪れるバラード「I fall in love too easily」。虚空に響くマイルスのトランペットに陶然となります。他ではキース・ジャレットのオルガンが、マイルスに挑みかかるような獰猛さですね。あと、何曲目だったか、冒頭で「マァ~ルスデイヴィス!」というMC、デジョネットのドラムに、電気ピアノがポワワ~ンと歪む辺りの導入部は、怪しさ全開で最高です。
・「火の玉のような渾沌」
1967年7月17日、コレクティブ・インプロビゼーションというベクトルを指し示していたジョン・コルトレーンが死んだ。多くのジャズ・ミュージシャンの精神的支柱であった彼の死後、もう一人の精神的支柱であるマイルスがどう動くか、ジャズ全体が彼の動向に注目していた。それが60年代の終わりのジャズの渾沌とした状況だった。そしてマイルスはジャズ・ファンクに突っ走る。なぜ、ジャズ・ファンクか?その答えは同じ1967年にデビュー作『アー・ユー・エクスペリエンスト?』を発表したジミ・ヘンドリックスの音楽である。彼の音楽がいかにマイルスのジャズ・ファンク傾倒に火をつけたかをロックを聴き続けてこの時期のマイルスの音を聴いたものは誰しも感じずにはいられないだろう。一言で言ってマイルスはジミ・ヘンドリックスの音を自分のものにしたかったのだ。よってこの時期のライブはロックを聴き続けてきてこの作品を聴く者と、ジャズをピュアに追いかけてきてこの作品を聴く者とではまったく違って聴こえてしまう。特にギターがだ。マイルスはジミ・ヘンとファンクしたくてたまらなったに違いない。故にロックとして聴けばここでのギターは単なるジミ・ヘンの偽物である。このパラドックスと渾沌が火の玉のように燃える。そう、1969年8月の3日間CBSスタジオで録音された『ビッチズ・ブリュー』から、マイルスが一時沈黙するまでの間に演奏された作品群は、ジャズ・ファンクという強烈なベクトルに、才能あるミュージシャンを次々と放り込み、その渾沌から何が見えてくるかをマイルス自身も若手も同時体験した時期だったと僕には思える。こういうことはマイルス以外誰もしなかったし成しえなかった。年齢がいったミュージシャンのほとんどは自らの年齢を鑑み、冒険を忘れ、スタイルを固定し、ひたすら枯れて行くような静的方向へと固まるばかりだ。しかしマイルスにとって年齢とは単なる数字であって、今日は昨日に1を足した前進の加算でしかなかった。真の天才は年齢がない。このパラドックスと渾沌が火の玉の経験が後に自らの音楽とは何かを参加したミュージシャンに問うこととなる。それが、チック・コリアのスパニッシュ回帰であり、キース・ジャレットの静寂である。そしてそれらの開花がジャズを一段上の次元の音楽に押し上げたことはまちがいところだ。本作はそういうジャズやロックの様々な変容を頭に入れた上で聴くべきギグなのだと僕には思える。
・「1970年はマイルスが一番カッコ良かった年」
●1970年はマイルスがその生涯の中で一番カッコ良かった年だと思う。ジャック・ジョンソン、フィルモア、ワイト島、セラードア等々、誰にも真似できないカッコ良さがあったとつくづく思う。ちなみに私はこの1970年に誕生しました(それはどうでもいいことだが…)。
●さて、このCDはフィルモア・イーストでの4日間にわたるライブを編集したものですが、私としてはマイルスのカッコ良さを凝縮させたものであると言いたい。一方、マイルスファンとしては4日間ノーカットのコンプリート盤を是非公式リリースしてほしいと強く願うものであります(既にブート盤で持ってはいるが…)。セラードアもコンプリート盤を公式リリースできたのだから、このフィルモアだってリリースできるはず。訳のわからんボックスセットを製作するよりずっとマシです。よろしくお願いしますよ、コロンビア様!!
・「やかましい!いいかげんにしろっ!ってぐらい怒濤のライブにコーフン」
うるさいです、しかもかなり。Black Beautyとやってることはそんなに変わらないのですが、キースジャレットが加わるとこんなになっちゃうかね?いやいや、コレは編集の成果でしょうか。1970年の7月のニューヨーク。この水曜日から土曜日に至る4日間のドキュメントを各20分強に押し込んで畳みかけてくるのがこのアルバムの手強さです。しかもキースとチックが張り合うのでアイアートまで気がふれてしまい、マイルスがその混沌の中を怪鳥のようにとびすさっていく。Black Beautyと違いデジョネットもホランドも力一杯聞こえるので、充分暑苦しさが伝わってくるのです。とにかくキースジャレットのオルガンはディストーションギターと電子音楽のノイズをかけあわせたような過激さで、ロマンチックな、とかリリカルな、といった後年のイメージを全く寄せ付けません。チックコリアも負けじとRTFとは似ても似つかぬエレピを叩きまくり...まぁ、そういったことは物の本には必ず書いてあることですが、各曜日のSanctuary、パッツパーーーラ!を聴き比べて見るのもおもしろい。saturdayではBlack Beautyのように出ないか?と見せかけて細かく刻んでみたり、圧巻なのはFriday。このパッパーーーーーーーーラはマジで鳥肌モンですよ。恐るべしマイルス!演奏自体はWednesdayが好きです
・「本当はサントラ盤!」
エレクトリック・マイルスものの中でも評価の高いアルバムです。何といっても、収録曲が2曲ですから、各メンバーが一体となったグルーブ感をたっぷり堪能できます。(こういうのが好きな人ならね・・・)ビル・ラズウェルがリミックスしたくなったのもうなずけます。このアルバムはジャック・ジョンソンという黒人ボクサーのドキュメンタリー映画で使用された音楽を収録したものです。その意味では「死刑台のエレベーター」と同じです。(内容は全然違いますが・・・)ちなみに、マイルスが音楽を担当したジャック・ジョンソンのドキュメンタリー映画は日本でも一時ビデオが出ていました。多分ビデオは廃版でDVDも未だ出てないと思います。(出る可能性は低いかも・・・)レンタルビデオ屋か中古ビデオ屋を気長に探せば見つかるかも知れません。私はたまたま近所のレンタルビデオ屋で見つけました。音はあまりよくありませんが、観ておく価値はあると思います。
・「マイルスの音楽を素のままに、火の玉のままに残すことが意味がある」
1967年7月17日、コレクティブ・インプロビゼーションというベクトルを指し示していたジョン・コルトレーンが死んだ。多くのジャズ・ミュージシャンの精神的支柱であった彼の死後、もう一人の精神的支柱であるマイルスがどう動くか、ジャズ全体が彼の動向に注目していた。それが60年代の終わりのジャズの渾沌とした状況だった。そしてマイルスはジャズ・ファンクに突っ走る。
1969年8月の3日間CBSスタジオで録音された『ビッチズ・ブリュー』から、マイルスが一時沈黙するまでの間に演奏された作品群は、ジャズ・ファンクという強烈なベクトルに、才能あるミュージシャンを次々と放り込み、その渾沌から何が見えてくるかをマイルス自身も若手も同時体験した時期だったとぼくには思える。
こういうことはマイルス以外誰もしなかったし成しえなかった。年齢がいったミュージシャンのほとんどは自らの年齢を鑑み、冒険を忘れ、スタイルを固定し、ひたすら枯れて行くような静的方向へと固まるばかりだ。しかしマイルスにとって年齢とは単なる数字であって、今日は昨日に1を足した前進の加算でしかなかった。真の天才は年齢がない。
マイルスの音楽を素のままに、火の玉のままに残すことが意味があることなのだ。これぞエレクトリック・マイルス、なアルバムだ。
・「マイルス流ハード・ロック」
このアルバムの主役は、ギターのジョン・枕不倫、もといマクラフリン。天才的かつ変態的なカッティング。御大マイルスの逆鱗に触れぬよう、ソロはあまり弾きまくらず、バッキングに徹しているところがよい。わたしは彼のマハヴィシュヌ・オーケストラなどを聴くと、「おいおいそんなに弾きまくるなよー!」とつっこみを入れたくなるタイプなので、彼のベストワークはこのアルバムではないかと思っています。ドラムのビリー・コブハムも同じく、叩きまくらずいい感じ。ベースのファンキーなマイケル・変だー損、もといヘンダーソンは、いつも外れなし。イントロの二人のからみ、尻がムズムズしてきます。うーんロックしてるねえ。そして御大マイルスのトランペットの一発目が入るところ、わたしはいつもここでイってしまいます。後は心地よい演奏に身をゆだねるだけ。なんともカッコいいロック・アルバム。
・「"I'm Black"」
"yesternow"でベースラインが直接的に参照されているのをはじめとして、この作品、かなりJBの影が濃い気がするのであります。JJ、MD、そしてJBが共有するキーワードは"I'm Black"
・「ジミヘンのように弾け!」
いうまでもなく70年代前半に隆盛を誇ったジャズロック・ムーブメントの導火線役となったマイルス・デイヴィスの傑作です。1970年発売。
何といってもギターのジョン・マクラフリンの激しいカッティングが聴きどころのこの作品。帝王マイルスに半ば騙しうちのように、引き込まれた若きジョン・マクラフリンは流石に緊張のあまりレコーディングの時もかなりビビッていたそうですが、そんなマクラフリンに対してマイルスはただ一言だけ指示を出したそうです。
「ジミ・ヘンドリックスみたいに思い切りギターを弾いてくれ!」と。
ひゃー!格好いい!エピソードの真偽はともかく、また、マクラフリンが帝王のご託宣によって覚醒したかどうかは別として、掛け値なしにマクラフリンのギターはかっこ良いです。帝王はもちろん、リズム隊までが一体になって作り出すグルーヴ感は、いま聴き直してもゾクゾクとしてくるほど。70年代後半に巻き起こった軟弱なフュージョンブームをあたかも予兆し、あらかじめ喝!を入れるかのごとく、渾身の力作に仕上がっています。
この作品が気に入った人は、ジャック・ジョンソンの5枚組のコンプリートボックスや鬼気迫る「Live Evil」や「On The Corner」、さらに病硬膏に入れば「In Cellar Door Sessions」のボックスという最強のセットが貴方を待ち構えています!
・「地味な存在だが、スゴイ作品」
1970年末のライブパフォーマンスをメインに、短いスタジオ録音の曲とともに構成したアルバム。なんといってもライブテイクの物凄さに圧倒される。ジャック・ディジョネットの凶暴なドラミングやキース・ジャレットの予想不可能なアプローチ、マイケル・ヘンダーソンのファンキーなベースラインにマクラフリンのロックなギター。そして負けじと(?)激しくブロウする御大マイルス。
対するスタジオテイクは、ライブに比して静かで瞑想的なムードに包まれている。こちらにはブラジルの才人、エルメート・パスコアルが参加しているのも興味深い。
この「ライブイービル」は70年代マイルスの公式盤史上ではやや日陰に置かれた存在かと思うが、そのクオリティはこの時期屈指のものではないだろうか。
・「マクラフリン暴れまくり!」
68年から70年代初頭にかけての「エレクトリック・マイルス時代」のメンバー構成を見ると、実に目まぐるしく変化していますが、ジョン・マクラフリン(ギター)のプレイが唯一聴くことができるオフィシャルな音源として、長らく貴重な存在だったのがこのアルバムです。そのジョン・マクラフリンが参加した1970年12月、ワシントンで行われた「セラードア・セッション」のコンプリートボックスが発売されたため、希少性という点では役目を終えましたが、ボックスセットまではどうも手が伸びない、という人にはお勧めの作品です。同時期のライブ音源としては「ブラック・ビューティー」「アット・フィルモア」「ワイト島」などがあって、その中では地味な印象を受けますが、内容は凄いの一語です。
ライブと銘打ちながら、実際には「セラードア・セッション」での音源のみで、あとは70年2月と6月にNYで行われたスタジオセッションをドッキングさせたもの。でも、ライブ音源だけで90分近くもあります。実験色が強いスタジオ音源に比べて、迫力満点のライブ音源での第二の主役は、何といってもギターのマクラフリン。考えられないような弾丸フレーズを連発し、帝王を挑発しています。対する帝王も負けじと凄まじいブロウでマクラフリンに応戦するさまは緊張感の連続で、「CDを聴いて何でこんな疲れるの?」と思わざるをえません(笑)。まさに歴史的なライブセッションを聴いてはまってしまった人には、前出の「セラードア・セッション」のボックスをお勧めいたします。
・「70年代のマイルスの方向が確定した作品」
ではないかと思います。ゲイリー.バーツがライナーで『エレクトリックバンドはオーガニック足り得ないと思っていたけど、こんなにオーガニックなバンドはなかった』と言っていますが、キレまくるキース、それをさらに煽るディジョネットなどなど、やりたい放題にさせておいてシメるところはきちっとシメるマイルス、という70年代マイルスのスタイルが明確に出てます。本人もハイノート連発してますが、よほど楽しいか体調良かったのでしょう。スタジオテイクはエルメート.パスコアルとのコラボです。多分マイルスはザヴィヌルに続くブレーン/コンポーザーを探していたのではないかと。どのテイクも素晴らしいのだけど、これはマイルスの、というよりはエルメートの音楽になってしまっていると思います。エルメートとマイルスの録音がこれだけ、というのはマイルスもそれを直感したからでしょう。
・「熱狂のホワッド・アイ・セイ」
ベースとトランペットがエレクトリックになって、いよいよエレクトリックマイルスが加速度的に進展していく時期のアルバムです。この音源ソースが、セラードアセッションボックスが出てしまったので、希少性は薄れましたが、かといってマイルス初心者に勧めるにはちょっと問題がありそうなので、あまり難しいことは考えずに、熱狂と狂乱のホワッド・アイ・セイでいい汗かきたいものです。
・「割と地味」
燃えるようなライブを期待したのだが、割と地味目でおとなしい。ライブ音源はDISCⅠの①、④、DISCⅡの②、③しかないのでそれもあるかもしれないが全体にクールな印象。それでもやはり役者はそろっているので内容は充実しまくっている。こういう良音源をSACDで聞けるのは本当に幸せ。
・「リズムの洪水の格好いいアルバムです」
マイルスデイビスがエレクトリック楽器を多用し、リズムを追求していた72年録音の作品ですが、発表当時はジャズファンに酷評されました。サウンドとしては、前衛ファンクともいうべき、リズム・リズム・リズムの洪水で、ジャケットどおり、思わず体が動いてしまう音になっています。
ロックでリズムというと、トーキングヘッズあたりを思い浮かべますが、ヘッズよりも10年も前にこのような音楽をやっていた所に、改めてマイルスのすごさがわかります。ちなみに、①~④でギターを披露しているのはジョンマクラフリンです。ロックファンにも是非聴いて欲しい非常に格好いいアルバムです。
・「1972年、ヒップ・ホップはここに誕生す」
変貌と疾走を続けるマイルスの重要なターニング・ポイントが本作。バダル・ロイのタブラを筆頭に、すでに過去のジャズの要素はリズムの中にほとんど無く、当時のリスナーには認識すらできなかった『ヒップ・ホップ』という新しい音楽がこのアルバムで誕生している。24ビットでリマスターされたサウンドで今聴き直すと、なおさら本作の音楽史上における存在の意義がいかに大きいかを感じずにはいられない。後のジャズの世界を担う重鎮たちは、ここでマイルスの音楽に対するあくなき変貌と疾走の実践をともに体験している。それがいかに後のジャズの世界に影響を残したか本当に計り知れないものがある。
マイルスのみならず、後の音楽の世界に多大な影響を与えた原子爆弾級の作品。『Black Satin』のDNAは今、まさに開花している。
・「真っ黒けっけ」
パーラメントやファンカデリックに通じるものを感じつつもやはりこの意味不明グルーヴはマイルス特有ですね。
自伝によると編集でかなりいじくりたおしてるらしくBlack Satinの冒頭を聴くとわかりやすいですが全パート1拍目をずらしてるらしいです。いやぁ、やっぱり帝王の考えることはわからない。
こういう編集(Mixing)の巧みはHipHopに通じるところがあると思います。この時代から大胆な編集を行っていたマイルスはやはり宇宙人なんだろうなぁ。
・「魂から発せられる強烈なグルーヴ!!」
アルバムを出すごとに良くも悪くも物議を醸したマイルスですが、発売時どんな評判だったろう、ジャズの評論家のセンセイ方はきっとボロクソに言ったのかな…なんて思いも馳せながら、ソウル/ファンクに傾倒していた時期での最高傑作であり、多くのマイルスの作品でも現在に至る音楽そのものの流れを大きく動かしたであろうという意味で、私が聴いたマイルスの作品の中でも最高のものではないかと考えてます。腰、体、魂から発せられるグルーヴに身を任せさえすれば、至福の時間まで乗っけていってくれる、ブラック・ミュージックの集大成的な作品。必聴!
・「ジャズファンが批判するたびに価値が上がる恐るべき傑作」
エレクトリック・マイルズは「Bitches Brew」を例外として冗長と感じられる作品が多いけれども、この作品は違う! ミニマルで緊迫感があって、かつ、緩さもあり。徹底した反復。曲をスキップしてもスキップしてもまったく同じリズムが流れてくるのには爆笑。インテリのファンカデリックという感じか。クラウトロック的でもあり、Canなどが好きな人も必聴。クラウトロック/ジャーマンプログレ→テクノ→ブレイクビーツ/エレクトロニカに繋がる壮大な流れをこれ一枚で予言している…というのは深読みしすぎですね。ジャズファンが批判するたびに価値が上がる恐るべき傑作。
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