ラッシュライフ (新潮文庫) (詳細)
伊坂 幸太郎(著)
「誰かは誰かと端っこでつながっている」「楽しめる」「無限ループからの脱出」「個人的、伊坂作品NO.1お勧め。」「あまりにも見事」
夏の庭―The Friends (新潮文庫) (詳細)
湯本 香樹実(著)
「一気に読んで、すぐにまた読みたくなる傑作」「夏がくるとこの本を読み返す。」「テレビで」「あたたかい」「確かに「人は死ぬ」ことへの再確認。」
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「この作品で彼はノーベル賞を受賞するだろう。」「非村上ファンでも「面白かった」と言える本」「完璧に語られた不完全性」「「最高傑作」と呼ばれている本」「圧巻です!凄さを感じる作品」
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「一番好きな春樹の作品」「色んなキーワードが隠れてる小説」「生き方と結末」「2つの物語の反復」「操り人形」
風の歌を聴け (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「軽さの奥に見える若き作家の卵の意地」「懐かしい」「軽くて綺麗な純文学」「村上ワールドへのプロローグ」「書かれていないことがより多くを語る」
「本当に空を飛んでいるような優れた文章」「スカイ・クロラ たぶん人によってはハリポタより面白い」「僕らのどこかの部分としての『キルドレ』」「森博嗣が理解できる本」「空って良いな〜。これが率直な感想♪」
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) (ハヤカワ文庫 SF (229)) (詳細)
フィリップ・K・ディック(著), カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン)(イラスト), 浅倉久志(翻訳)
「人間には最後に、何が残るのだろう」「アンドロイドは眠れない」「生命とは何か?」「人間とアンドロイドの闘争」「アンドロイドはもはや架空の存在ではない」
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「とても面白かったです。」「私は好きだけど」「無理はない」「自分の存在意義に自信が持てない人へ」「作者と読者で完成させる物語」
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「著者の長編八作目」「記号という性質。反応という希望?」「複雑に交錯する村上ワールド」「とまらない」「RPGをしているようだ」
ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「どっぷりと・・・ゆっくりと・・・ぐちゃぐちゃと・・・な世界観。」「参りました」「流されていく感」「筆舌につくしがたい」「心の奥深く」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「がんばれホシノくん☆」「ロマンティックで切なく苦しい哲学的な名作!」「下巻も納得の五つ星!」「冗長性の回避」「とっても素敵」
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「前兆、繋がり、謎」「歴史との関係性、暴力という本能、静かな終息」「渾身の力作ではないでしょうか?」「深い!怖い!」「全てを知っている。」
かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1) (詳細)
リチャード・バック(著), 五木 寛之(著), Richard Bach(著)
「この本に出会って生き方が変わった」「大人になってからもう一度読んでみました」「精神は肉体に縛られない」「ぐんぐん読めます。」「シンプルで暗示的で見方によって色が変わるもの」
イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1) (詳細)
リチャード・バック(著), 村上 龍(著), Richard Bach(著)
「好きなことをやれ!」「世界は幻なんかじゃない」「座右の銘」「救世主は世界を救わないのです」「リチャード・バックと村上 龍の最高傑作」
つめたいよるに (新潮文庫) (詳細)
江國 香織(著)
「たくさんの奇想天外と人間模様」「切なくなってみませんか?」「子供、大人、生と死」「あたたかいよるに」「すてき」
ダンス・ダンス・ダンス〈上〉 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「80年代だけど新しい」「4作品の中で一番面白く読みました」「変容する村上春樹」「踊り続ける意味」「踊るんだよ、音楽が続く限り」
羊をめぐる冒険〈下〉 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「再読するほどに味わいが出てくる作品です」「荒ぶる羊」「奇妙で、おもしろい。そして、せつない。」「切ない。」「村上ワールドの発展」
ダンス・ダンス・ダンス〈下〉 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「愛すべき登場人物たち」「個人的な話で恐縮ですが」「題名が素晴らしいと私は思う。」「4作品の中で一番面白く読みました」「クライマックスへ」
羊をめぐる冒険〈上〉 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「「風の歌を聴け」第三巻。」「荒野の羊」「再読するほどに味わいが出てくる作品です」「多分、深い!」「おもろいで(笑」
1973年のピンボール (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「偏愛している作品」「移りゆく季節、そして小説(オリジナル装丁・第3弾)」「深いつながり」「空が晴れて澄み渡る秋の午後に読みたい」「深い繋がり」
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「村上春樹の最高傑作の一つ」「邂逅があるから、生きていられる。」「私的名作☆」「孤独に反射した光。」「ラヴ・ストーリー史上最高のラヴ・ストーリー」
ポプラの秋 (新潮文庫) (詳細)
湯本 香樹実(著)
「秋の光」「心が切られるような思いがしました。」「稀にみる一等級の作品」「死とつきあう方法」「心をつかんでくる」
風に舞いあがるビニールシート (詳細)
森 絵都(著)
「粒よりの短編集」「心に痛い短編集」「挑戦者としての生き方」「劣化した心身の賦活」「挑む人の小説」
きれぎれ (文春文庫) (詳細)
町田 康(著)
「現実と空想の交錯」「ダメ人間の暴走と妄想」「日本語を壊す努力」「絶妙」「☆5つですが、お薦めしません。」
レキシントンの幽霊 (文春文庫) (詳細)
村上 春樹(著)
「トニー滝谷」「僕にとって思い入れのある作品の一つです」「「トニー滝谷」の存在感が心地よい」「祝☆トニー滝谷映画化!!!」「よりどりみどり」
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 18/20
● 印象に残った本
● 本棚
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 4/20
● 冒険物
● 面白かった小説
● 新潮文庫(日本)
・「誰かは誰かと端っこでつながっている」
いくつもの人生が、ちょっとずつ端っこでつながっていき、それが誰かの人生を作り上げていく。
群像小説と読んでしまえば簡単。ただし「群れ」と呼ぶには個性がありすぎるキャラたちが、文字の舞台を縦横無人に駆け巡る物語は、オールスター戦に近く、それでいて最後には群像小説としてのまとまりを持たせているのは圧巻。
この作家の上手いところは、ふとしたポイントで自分の現実世界を振り返らせることで、
誰かの人生が僕の人生の端っこでつながって、結果的に僕の人生を作り上げている、ということを気づかせてくれる。
世界では誰もが主人公で、誰もが脇役なのだろう。
そうやってできた世界の一部がこの小説なのかもしれない。
・「楽しめる」
よかったなー。1回目読んだ時には意識してなかった出来事が、2回目読んだ時に関連性というか繋がりがわかる。話に無駄がなく、起こりうる出来事全てが何らかの繋がりをもっている。だから読みなおしたときにまた面白さがやってきた。
・「無限ループからの脱出」
仙台の街を舞台に、5人の男女の物語が進行する。エッシャーのだまし絵(ハードカバーの表紙はこれですが、なぜ文庫本は変えてしまったのでしょうか?物語に非常に影響を与えている絵なのに残念)、老いた野良犬、好きな日本語を尋ねる白人女性、未来が見える男「高橋」など、共通の背景を織り交ぜながらそれぞれの物語は交わることなく並行的に進行していきます。
死体は自らバラバラになった後、再びくっつく。轢かれた猫が生き返る。「あれ、これってミステリーでなくて、オカルト本?」と思み進めていくと、最後にとんでもない種明かしが!これは、まぎれもないミステリー小説です。
だまされた後の爽快感がたまりません。2回目も読まずにはいられない、しかも2回目も楽しめる、一冊で2度おいしい素晴らしい作品です。また、登場人物も非常に魅力的。特に泥棒・黒澤にはしびれました。
・「個人的、伊坂作品NO.1お勧め。」
伊坂幸太郎さんの面白さを知りたいなら、私はまずこの「ラッシュライフ」をお勧めします。 キャラクターの造形の面白さ。台詞回しの切れ味と面白さ。そしてなんといってもバラバラのストーリーがやがいひとつに結集されたとき。表紙の絵柄にまさに各人物の物語が収まったときの爽快感はもう格別。 あとに続く伊坂テイストの集結する物語の原型をわずか発表作2作目で完成しているスタイルはもう絶品。読後の爽快感もいままでの日本人作家にはなかったような、さわやかさ、があります。 しかし、内容的には結構辛辣で現実面の冷たさを描いている点もただの娯楽作にとどめてないところがみそ。御伽噺と現実を融合した傑作ミステリーと言ったところでしょうか。 またこの作品には伊坂ファンの中でも人気の高い「黒澤」が登場するお話です。このときからすでになかなか魅力のあふれるキャラクターに仕上がっています。 それにしても最後にあのキャラクターが物語の締めを飾るとは思いませんでした。そうですあのキャラクターがこの物語のとりを飾るとはまさか思いませんでした。まさに傑作。伊坂テイストを知りたいならまずこの一冊です。
・「あまりにも見事」
2003年度版このミス11位
作者の2作目。今の知名度でこの作品を出せば、もっと注目された作品だと思う。そのくらい完成度が高い。
自分に楯突く者を絶対に許さない、傲慢で拝金主義者の画商独特のこだわりをもつ泥棒の黒澤リストラに遭い、野良犬と仙台の町をさまよう豊田お互いの配偶者の殺人を画策するサッカー選手の青山とカウンセラーの京子(彼女だけ姓がないのが一つのヒント)新興宗教の教祖の解体に立ち会わされる河原崎
これらの5組にまつわる話が時間軸を上手に操られ、微妙にリンクしながら最後に騙し絵のピースのようにぴたりとはまる。初読の際にはこの見事さに感動すら覚え、各章に隠された時間についてヒントをメモしながら再読し、再度感動した次第である。未読の方は、是非、この「時間」ということに注意しながら読んで頂きたい。最後の驚きが倍増(は大げさかもしれないが)するはずである。
作品中の「展望台」や「好きな日本語を書かせる外国人女性」など、一見意味の無いようなエピソードの使い方もうまく、また作者独特の鮮烈で暖かみのある文体が完成度を高めていることは言うまでもない。是非おすすめの一冊である。
・「一気に読んで、すぐにまた読みたくなる傑作」
無邪気で残酷な好奇心から始まった出会いが、1つの幸せと、大きな悲しみに帰結し、夏の光にさらされた少年時代が終わる。 本のページ数が残り少なくなり、物語の終わりが近づいてきて、この魅力的な登場人物たちとの別れが非常に残念に思えてきた。そしてラスト。通勤途中の地下鉄で、僕は涙をこらえるのにとても苦労した。
とても悲しく、だけど満たされた気持ち。 さあ、もう一度、最初から読もうか!
・「夏がくるとこの本を読み返す。」
小学6年生の少年が3人。ひとりは聡明でひとりは眼鏡をかけたひねくれっ子でひとりはおでぶ。ライバルに意地悪な男の子たち。児童文学にありがちな設定ではある。少年たちは、おでぶの山下のおばあさんが亡くなって死体を見た、という話から「死」に興味を持ちはじめる。
近所に住むひとり暮らしのおじいさん(変わり者)が、もうじき死ぬんじゃないか、といううわさ話を聞き、眼鏡の河辺が「おじいさんの死ぬところを見よう」と提案する。最初、他のふたりは反対するのだが、「死」に興味を持ちはじめた年頃の少年たちは、「死」の意味を知りたくて、夏休みになったその日からおじいさんを見張ることにする。最初はお互い牽制しあっているが、いつの間にか不思議な交流が生まれる。少年たちはおじいさんの洗濯や庭掃除を手伝い、おじいさんは少年たちに戦争で人を殺めた話を聞かせたり、手作りの打ち上げ花火を見せたりする。
おじいさん自身、ただ死を待つだけの人生が少年たちに会ったことで再生した。少年たちは少年たちで、家庭に大なり小なり問題を抱えていて、おじいさんとの交流の中で、自分なりに答えをみつけていく。少年たちの成長と老人の再生の物語、といえばそれまでなのだが、この物語が秀逸であると思うのは終盤のセリフ。おじいさんは、少年たちが合宿に行っているあいだにひとりで静かに死んでしまう。
おじいさんの死で、少年たちは身近な(身近になった)人の死に直面して、思いがけない悲しみを知ることになる。そして終盤のセリフ。中学生になってバラバラの道を進む3人が別れるとき、おでぶの山下が「だってオレたち、あの世に知り合いがいるんだ。それってすごく心強くないか!」。
私はいつもここで救われた気分になるのだ。おじいさんを思い出にするのでなく、しっかりと自分の中に生かすことをしている彼らのたくましさ。少年だからできることなのかもしれないけど。夏がくるとこの本を読み返す。そしてあの世の知り合いを思い返しては少し自分の生き方を軌道修正する。
・「テレビで」
テレビですすめられていて、なんだかすごく良さそう~と思いすぐに買って読みました。本当に感動して泣きました。こんな経験したことないけど、夏休みにこんなことが自分の身にも起こりそう・・・と思える、なんか懐かしい気分にさせてくれます。夏になったらまた読みたいと思うような作品。泣ける!
・「あたたかい」
読み終わった後は、「悲しい」よりも「あたたかい」だった。この本を読んでたくさん泣いたのに、読み終わったら「ああ。いい本だなあ」って。心があたたかくなった。読み終わるのに何時間もかからなかった。目をこの文章から離したくなかった。いや、正確には「離せなかった」かもしれない。この本から目を離している時間が勿体無くて、一気に読んだ。文章中の『もしおじいさんだったら』こう考えることは、「おじいさんを忘れないこと」「おじいさんと心の中で共に生きていること」につながるのではないだろうか。
児童文学とは思えなかった。子供だけでなく、幅広い世代に読んでもらいたい。そして、いつまでも忘れないでいてほしい。そう思った。
・「確かに「人は死ぬ」ことへの再確認。」
かなり前に読んだ本ですが、おそらくこの先一生心に残る物語として位置付けのできる作品。「よく眠るように死んでいるとはいうが、あきらかにおじいさんの「それ」は眠っているのとは違う」というくだり(記憶)を覚えています。「人間の死」というテーマを扱いながら、読み終わった後のなんともいえない爽やかさ(?)は悲しくてやりきれないのに、なぜかやさしい気持ちになるよう。ちょうど、映画の「スタンドバイミー」のラストの感じを思い出しました。(発売当初は日本版と言われていた)ただ悲しいだけの恋人や身内の死ではなく、あくまで他人の死であることにこの作品の意味があると思う。
●世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
・「この作品で彼はノーベル賞を受賞するだろう。」
作品冒頭、巨大なエレベーターでポケットのコインを数える印象的なシーン。そして、金色の一角獣、ピンクの太った娘、老博士、夢読み、影、やみくろ、歌の消失した世界……作家の豊かな想像力を見せつける数々のキーワード。2つの話が並行的に語られるが、あまり気にせず本の順序通りに読み進めると、不思議なシンクロ感が味わえる。意表をつく結末も、読む者におおきな宿題を投げつけられたようで、私自身未だ折に触れて読み返してしまう要因かもしれない。
最初、読み通せずに挫折してしまう人も、それだけ読み応えのある作品だと思って、何度かトライしてください。きっとすばらしい作品だと感じ取れるはずです。ところで。単行本も文庫本も今のポップな装幀よりオリジナルの司修氏の暗いイメージのデザインがおすすめです。
・「非村上ファンでも「面白かった」と言える本」
「ノルウェイの森」を読んでも、「国境の南、太陽の西」を読んでも大して面白いと思えなかったが、これだけは違った。今まで読んだ全ての本の中でも間違いなく5本の指に入るし、人に勧めたくなる作品だ。
私がどうしても村上作品を好きになれない要因である、女性との関係の描かれ方や、おしゃれすぎる飲食の情景でさえ、「世界の終わり」の幻想的な世界との対比によって、“日常”を構成する要素に見えてくる。
そして、物語の結末。
それまで、冒険活劇が繰り広げられてきた「ハードボイルドワンダーランド」の結末は、悲しくなるほど穏やかで内省的。主人公が手放さざるをえない“日常”を想ってなぜか涙が出た。もう一方の「世界の終わり」は、眠りから目覚めたような展開で、希望へとつながっていきそうな描写で終わる。
絶対に、読み終わってもすぐには現実世界に戻れず、深い余韻にゆっくり浸りたくなる1冊だ。
・「完璧に語られた不完全性」
村上春樹の数ある著作の中で完成度が最も高いのは世間も私も認めるところである。それほどまでに、細部に至るまで精密に計算されつくされている。一章ごとに二つのストーリーがパラレルに展開している。二つの世界は互いに影響しあっている。この二つの物語がつむぎだす緊張感がたまらない。
村上春樹は翻訳家でもある。翻訳というのは一つの物語を頭の中に概念として記録し、それを違う形のものに作り変える仕事である。小説の主人公は頭の中にブラックボックスを持っていてそこで、なにやら作業をする。作業の内容は主人公にもわからない。これは翻訳家である村上春樹だからこそ、思いついた一つの世界認識の方法であるよう気もする。
この作品には考えるべく、問題がたくさんあると思う。しかし、そこを気にしなくても、不思議な冒険物語として気軽に読めるだろう。私は、村上春樹初心者には必ずこの本を進めることにしている。もっとも、読みやすく筆者のテイストも伝わるからだ。村上春樹の最初の一冊に思い悩んでいる人、これから読み始めたらどうですか?
・「「最高傑作」と呼ばれている本」
「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」のまったく別々の地点から始まる2つの世界が交互に折り合いながら進んでいく、村上さんの作品のなかでとても評判のいい小説です。 このそれぞれの主人公が導く結末の捉え方が人によってまったく異なるという、読み終えたあとに腕を組んでうなってしまうタイプの小説であると思います。 読みやすい文章だけれど長いし象徴的な小道具が多用されているので、世界に浸りきれず頭のなかに「?」が出たまま終わってしまう人も多いかもしれません。 でもこの世界をそのまま受け入れることができたのなら、結末も含めこの世界を何度でも反芻してしまいたくなる不思議な力をこの小説は持っています。読み返さなくても思い返すだけでも。もちろん読み返したほうがいいのだとは思いますけれど。
もしかしたら村上さんは「シャッフリング」を行うことと小説を書くことは同じように捉えているのかもしれない。そしてぼくは「ピッチカート」という表記よりも「ピチカート」という表記のほうが好みです。まあどちらにしろ勝手な意見なのですけれど。でも「イワン」より「イヴァン」のほうが好きです。あ、これは下巻か。
・「圧巻です!凄さを感じる作品」
「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」との2つのストーリーが最初は何で交互に出てくるのだろうと思い、その内に何か関係ありそうだと思い、最後に繋がるのだけれども、それが本当にどんな繋がりなのかを読後も考えされられてしまう物凄い作品です。読み終わってから、また上巻の最初に戻って読み始めてしまいました。どうしてこんなストーリーを考え付くのか想像を絶するものがあり、ハルキストのみならず、文学好きの人にはたまらない作品だと思います。本質は真面目ながら、随所にユーモアがあって(机の上にたくさんクリップがある理由が分かったときは笑ってしまいました)、迫力満点で、読んでいて思考回路がフル回転する気分です。また、絶対映画化出来ないだろうなと思いますし、それぐらい文学のレベルの高さを感じさせてくれます。それから、太った娘が何でいろんなことを知っているんだろうと不思議な感じでした。そうでないとストーリーが進まないからですかね。星5つでも足りないぐらいです。
●世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
・「一番好きな春樹の作品」
同時進行する二つの物語、「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」、静と動の反対の世界。どんよりとした雲がたちこめる屋外を見ながら、ベッドの上でこの小説を読んでいたことを思い出す。「世界の終わり」の情景や匂い、ツ~ンとした空気の冷たさがダブってみえる程。
今から思い出すとまるで、夢の中で実際起こった出来事のようなリアルさを感じさせてくれる。村上春樹の作品の中では一番、フィクションの要素が強い作品だが、私にとっては、一番リアルな作品です。
・「色んなキーワードが隠れてる小説」
二つの物語が進行する小説について「海辺のカフカ」より、個人的にはこちらの作品の方が好きですね。同時進行の小説は、話が一つに繋がった時は感激だけど(話の構造とか更に高度になるから、大変でしょうね)途中リンクするキーワードがででくる時はとても嬉しい。
二つの話しの共通点は、重要な選択をしなければいけないこと。《ハードボイルド・・・》の方では、死か消滅かという事を目前として、私は今までは気づかなかった些細な事にも目がいったり、生きてる人殆どが味わった事のない心情の変化が、うまく描かれていると思う。
《世界の終わり》では、影との論議は、普段私達がまさしく心の中で葛藤している様子を「影と僕」がうまく現していると思う。
村上春樹さんの小説は、何回も何回も読み直したくなります。そうゆう小説って滅多にないですよね。ただストーリーを楽しむだけではなく、小説にこめられたメッセージや、寓意的な部分を読者がそれぞれ発見するんです。だから、
きっと読んだ時の年齢や、日々育成する感性によって、違った読み方も見えてくる。でも最後には、必ず自分自身のことについて考えていると思います。
私は先日、初めてこの本を読みました。まだ読破してません。(無論、ページに関していえば上下巻全部読みました)まだ、ほんの一部分しか読みきってないと思います。読み応えがある作品なので、何年もかけて読みたい小説です。
・「生き方と結末」
今まで私が読んできた本の中でこれほどに結末がよかった本はない。再読させるような要素を持っている。最初は二つの本に分けた方が良かったのではないかと思ったが、下巻に入って全てが一本につながり、これまでにない歓びを感じさせてくれた。
さて、余命があと24時間しかなかったならば、何をするだろうか。思いっきり遊ぶか、それとも、あえて抵抗をやめて静かにすごすか。「僕の生きる道」にも共通要素がある。あのように生き方が変わるかは分からないが、「異邦人」のムルソーと共に、かっこいい生き方のスタイルの教科書だと私は感じた。
・「2つの物語の反復」
一般に村上春樹の最高傑作と名高い、初の長編ストーリー。「ハードボイルド」な世界と「メルヘン」な世界が行ったりきたりの反復を繰り返すわけだが、ここに来て初めて春樹がしたかったことがはっきり出ているように思われる。他の長編もそうだが、村上春樹という作家は、一つの物語に二つの切り口を提示し、その切り口の無意識下の共同幻想をついている節がある。最もそれがはっきり出ているのが今作。ただ、そういうことを抜きにしても、村上春樹の作品は読んでいて面白い。世界の終わりの、あの狂気的なものがまったく感じられない、切なさ、悲しさと言ったらどうだろう。
何かと言えば物知り顔で「春樹なんて」という人もいるが、彼は少なくとも日本に今までいなかった種類の作家であり、その存在価値は大きい。
・「操り人形」
操り人形。今の自分がそれだ。
現実感で囲われた「ハードボイルドワンダーランド」。平板彫刻に例えれば、それは掘り進められた部分だ。光のもとで、しっかりとした影の調子をつくる。逆にそれがしっかりしているからこそ、幻想に包まれた「世界の終わり」は、薄らいだ平面から、そっと浮き上がってみえる。
生暖かい微風が漂う「世界の終わり」で、<僕>は最終的に意外な行動を取る。その意外な行動に、読者は困惑し、村上が載せたメッセージを探ろうとする。
物語で最後の驚きを創れる作家はたくさんいる。しかし、たいてい読者が感じるのは驚きだけだ。本を読み終えて一息ついた後に、物語について深く考えるような行動をとることはなかなかない。
作品を読み終えた読者は、気がつつけば、隠されたメッセージを捜そうと、主体的に行動をしている。こんなふうに読者を動かすことが出来るストーリーをつくれるのは、彼の魔力の一つだと思う。
あの<僕>の行動はなんなのか。どうして最後にそうしたのか。必死にメッセージを探ろうとする自分は、この時点で村上の操り人形となっている。
巧妙な文章や、奇抜な構成も楽しめる良作。隠されたメッセージを探ろうと、もう一度読みたくなる素晴らしい作品。
・「軽さの奥に見える若き作家の卵の意地」
まだ20代半ばの頃、何気に読んだ「ノルウェイの森」の魅力にハマり、次に読んでみたのがデビュー作のこの本。最初は、「ノルウェイの森」の暗く重々しい感じとは全く違うこの本の妙な軽さに面食らったことを覚えている。
それでも、相変わらず脈略の無いストーリーの中に唐突に出現するあまりに印象的なフレーズは実に強烈だった。多くのレビュアーが引用している冒頭の「完璧な文章など・・」と言う文も「やられた!」と言う感じだったが、私の心に残ったのは、同じく1ページ目に登場する次の文。「あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、 年老いることはそれほどの苦痛ではない。」この一文、ストーリーには全く関係ないのだが、読後に私はこのフレーズを呪文のように唱えていたものだ。
40歳になって再びこの本を読み返してみて良く判った。この本、「軽くてお洒落」に見えるのは、ほんの見かけだけでしかない。実は「若き作家の卵」村上春樹の意地が凝縮されているのだ。生まれ持っての文才も去ることながら、様々な海外文学からの引用や、綿密にリズムが計算された文体など、とにかく練りに練って考え抜かれた文章なのだと思う。全体に軽く感じてしまうのは、そのような「意図して作られた文体」をあえて隠すためだろう。デビュー作なだけに、渾身の力を込めていたはずだ。
初めて呼んだ頃からずっと、こんな文章が書きたいと思ってきた。もちろん全く追いつくことなど出来ないのだが、そのために意識して努力してきたことは無駄になっていないと思う。
・「懐かしい」
随分昔に読んだのですが、何回読み返してもいいですね。映画撮影に使われた三宮のバーは今でも健在。ピンボールもあります。つい最近、デレクハートフィールドが実は村上さんの創作した人物だと知ってびっくり。でも、騙されたって気はしなくて、とにかく清々しさの残る本。若い人に是非読んで欲しい一冊です。
・「軽くて綺麗な純文学」
「完璧な文章などと言ったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないように」 出だしに引き込まれて一気に読んだ。ドライではあるが洗練された文章、起承転結にとらわれない作品構成。大衆文学ではまずお目にかかれない、文学という芸術「純文学」の世界を堪能することが出来る。文学作品はストーリー、主人公の魅力等で読ませるのではなく、思想、文章で読ませるべきだ。作品の良さが解らない人、好きになれない人は読まなければいい。他にも娯楽はたくさんあるのだから。テレビ、映画等容易に手に入るものはいくらでも巷にあふれている。 「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」 つまりはそういうことだ。
・「村上ワールドへのプロローグ」
この作品に出会ったのは予備校生のときで巷では村上氏の「ノルウェイの森」がベストセラーとなっていました。姉にもらったこの本はいまだに何かのおりに読み返してもう20回ぐらい読んだと思います。当時ちょうど主人公と同じ年頃で大学生への憧れもあいまって強烈に響いたと思うのですが、今も当時のままの思いで読むことができます。確かに他の村上作品にはもっとインパクトのあるものもたくさんあり好きな作品もたくさんあるけれど何故かこの作品は自分にとって別格のような気がします。デビュー作が一番好きだなどというと村上さんには申し訳ないけれど、いまや村上ワールドに入り込んでしまった自分にとってのプロローグがこの作品なのだと思います。かすかに心地よく流れてくる風の歌が本当に聴こえてくるようなそんな作品です。
・「書かれていないことがより多くを語る」
故郷の街に帰ってきた大学生が、バーでビールを飲み、友達としゃべり、女性と寝る話。ただそれだけの話しだし、実際、短い小説だ。なのに、読み終えた後で、長大な物語を読んだような気分にさせられ、多くのことを考えさせらてしまうのはなぜだろう? 著者は様々な挿話をパッチワークのように張り合わせることで、一つの作品を作り上げている。そのスタイルが読み手に、話と話の間にある話を読むことを可能にしている。この作品においては、書かれていないことのほうが、書かれてることよりもより多くのことを物語っている。
・「本当に空を飛んでいるような優れた文章」
人気ミステリィ作家森博嗣による綺麗な小説です.犯人探しの推理小説ではありませんが,決して読者を置き去りにした趣味的小説ではありません.森博嗣の有名な飛行機好きから,その点を心配されているファンの方は,安心して読んでいただきたいと思います.
「犀川&萌絵シリーズ」や「瀬在丸紅子シリーズ」における
森ミステリィの魅力は,個性的なキャラクターたちや,読者を騙す見事なトリッキーさに拠るところも大きいでしょうが,他の作家にない最大の魅力は“地の文に味が付いている”ことだと思います.文庫版『有限と微小のパン』に島田荘司の優れた解説が付いていますが,そこでの“森博嗣の文章は絶えず独立した一行になりたがっている”
という指摘は実に的確に思われます.というのもいわゆる「新本格派」のミステリィの中には,ときどき文字を追うのが苦痛になってしまうような作品があるのですが,森博嗣のミステリィにはそのようなことがまずないのです.
『スカイ・クロラ』では,その魅力が最も良く発揮されています.
空中での淡々とした記述はとても美しく,テンポの良い詩のようで,本当に空を飛んでいるような感覚を与えてくれます.
『冷たい密室と博士たち』や『今はもうない』など大好きなのですが,この『スカイ・クロラ』が今や一番お気に入りの作品となりました.
・「スカイ・クロラ たぶん人によってはハリポタより面白い」
スカイ・クロラこの本を手に取ったのは学校の図書館ですが、少し読んで近所の本屋に直行しました。面白かったのです、最近ありがちなファンタジーやミステリーを読んでいた私にとって、とても鮮麗で強烈な衝撃を与えてくれた本です。ネタばらしをしないためにも余り細かくは書けませんが、この作品の良い所はまず何と言っても戦闘の場面でしょう。文が短くまるで映画のワンシーンを見ているような印象を受けてしまうのです。飛行機に少しでも知識がある人は体感しているように感じられるでしょう。そして主人公も個人的に大好きです。人間についてここまでシビアな見方をしている人はいないんじゃあないんだろうか。まあ、そこにも秘密がありますし、読んでからのお楽しみです。続編で脇役のこんな一面や過去がわかったりするので面白いです。長いこと楽しめて、しかもまた読みたくなるそんな本です。
・「僕らのどこかの部分としての『キルドレ』」
2001年6月リリース。森博嗣がミステリィの謎解きを捨て去り純文学に挑戦した最初の作品、と言うことができると思う。このように出来上がった作品を読むと森氏の文章は実に切れる。僕は今の文学界でこれほどの切れ味を持った作家をあと一人しか思いつかない。もう一人は村上春樹だ。
森ワールドからさして重要でも無かった『謎解き』と『おちゃらけな会話』を除く。そこには極めて純度が高まった純水のような新しい森ワールドが出来上がる。この高純度森ワールドの登場人物たちは、純化されつくした生死を語り、空を飛び回る。秒単位で自分の思考と視点を捉え、その時の感情を自分なりに表現する。そういった『刹那』がこの作品にはあると思う。
それは実は『僕ら』を高純化させれば奥の方に残るもの。僕らのどこかの部分としての『キルドレ』を読んでいるのかもしれない。それを描ききった本作こそ森博嗣の現時点の最高傑作だと思う。
・「森博嗣が理解できる本」
森博嗣氏はミステリ作家ですが、この本をジャンルで分けるならばミステリではありません。でも、1番森博嗣という人が出ている作品だと言って間違いないと思います。これを最高傑作と言ったら、これ以降にこれより優れた作品がないということになってしまうので、そうは言いません。でも、最高傑作に限りなく近い作品だと言って良いと思います。
文章、装丁すべてにおいて、ため息の出る一冊です。
・「空って良いな〜。これが率直な感想♪」
数ある森先生の小説の中でも異色な作品です。他の作品は「爽快感」、「疾走感」という感じは皆無なものが多い(褒め言葉です)のですが、この「スカイ・クロラ」は非常に「凛」とした印象を感じました。それは所謂「青春の爽やかさ」といったものではありません。寧ろ、「虚しさ」や「空虚感」といったもののように感じました。
●アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) (ハヤカワ文庫 SF (229))
・「人間には最後に、何が残るのだろう」
核戦争後の地球。そこを捨てて火星に逃げ出していく地球人たち。人間には最後に何が残されるのだろうか。作者はそれを「共感」とし、共感の究極を宗教に求めた。マーサーの行為はイエスの十字架への道をなぞっているし、彼の発言は「見よ、世の終わりまで、あなた方とともにいる」というイエスの発言を焼きなおしている。
浅倉氏の訳は小気味良く、村上春樹氏が、自分の初期の文体を作る上で、滋養になったひとつと明言しているだけに、とてもリズムが良い。誰もが読むべき、映画以上の傑作だ。
・「アンドロイドは眠れない」
リドリースコットの名作『ブレードランナー』の原作であり、SF界、異端の巨匠PKディックの代表作。映画の世界(Rスコットの暗いジメジメした世界)とは、また違った乾いた世界。テーマは『共感』。人間が人間らしくあるために一番大切な能力は共感する力である。と優しく語り掛けてくれる。ラストで主人公の奥さんが見せる温かさに、ほろりとしてしまうのであった。初めて読んでから20年。時折読み返しては、しみじみしております。
・「生命とは何か?」
この本の解説などを読むと、「人間とは何か?」というのがこの小説のテーマだと言います。でもよく読んでみると、むしろ「生命とは何か?」といった方がしっくりきます。
ディックは明らかに「他者との共感」が、人間とアンドロイドの違いであることを示していますが、他者とはここの登場人物たちを見る限り、動物や(なんとアンドロイドまで)含めた「生命」であるようです。「生命の大切さ」などというお説教じみた内容ではなく、生命が死に絶えた世界の中での、「生命への狂おしいまでの愛」が切実と伝わってくる本です。
例えば、あるアンドロイドがクモの足を面白がって切ってしまいます。そのことに激しく衝撃を受ける登場人物がいます。しかし現実の我々はなんとこのアンドロイドに近いことでしょうか。繰り返される動物実験や虐待、犯罪やテロが毎日起こる今の世の中で、「他者との共感」とはまるで白々しいギャグじゃありませんか。
それをディックも分っていたのか、作中「他者との共感」を現実化させるSF的道具であるマーサー教が、アンドロイドたちによってインチキだと暴露されます。人間が持っている「他者との共感」能力など嘘である、と証明することによって、「他者との共感」ができないアンドロイドは人間の価値を否定するのです。その意味でアンドロイドが勝利します。
でも最後に作者の祈りが描かれます。絶望した主人公のリック・デッカードはインチキであったはずのマーサーと、最後に一体になる体験をします。それでも「共感」はあったのです。そしてそこで見つける絶滅したはずのヒキガエル。絶滅したと思っていた種を見つけた時の激しい人間の喜び。そのヒキガエルにもまだ話しの続きがあるのですが、そのまま感動的で美しいハッピーエンドへと終結していきます。
作者ディックの論で言えば、現代の我々は生命のないアンドロイドなのに違いありません。もしなんとか人間でいたい、生きていると信じたいと思ったら、まずこの本を読んで身につまされるところこから、始めたらいいと思います。
・「人間とアンドロイドの闘争」
どなたも、この風変わりなタイトルに興味を抱くだろう。私自身、「electric sheep」は何らかを意味するイディオムだろうかと疑問を抱いて辞書を引いてしまった。残念ながら、electric sheep は「電気羊」に相異ならない訳で、これはもはや地球に生物が生物として生存するだけの資源が十分でない時代に創造された人間のペットのことである。主人公のペットが電気羊という訳だ。
主人公は警官で、その仕事はアンドロイドの発見と駆逐だ。いくつかのアンドロイドは人間の従者としての地位を逃れ、違法に行動する。そんなアンドロイドを駆逐するのが主人公の仕事である。
主人公は大のアンドロイド嫌いで、人間に瓜ふたつであるアンドロイドを進んで駆逐しようしている。しかし、そんな彼もやがてアンドロイドの人間味に触れ、自らの価値観が変化しようとしていることに気づく。彼の持論である「アンドロイドはペットを飼いたいという気持ちにはならない」はもはや通用しなくなる。
もう一つ忘れてはいけないのは作品に登場する「chicken head」だ。chicken head は放射能汚染によって軽度のハンディキャップをおう人間の代名詞と設定されているようだ。作品の重要な登場人物として一人のchicken head がいる。彼は主人公が追っているアンドロイドをかくまう事になる。その過程で彼は主人公とは異なり、アンドロイドと人間の深い溝に遭遇する。
作者がこの二人の主人公を対比的に描いたのは何故なんだろうか。
・「アンドロイドはもはや架空の存在ではない」
この小説は、「現代」や「人間」あるいは「生命」から「神」にまで至る広範なテーマを投げ込んだ「哲学小説」です。本作品の中でアンドロイドと人間の違いはただ「共感能力」があるかどうかだけですが、既に人間の「共感能力」さえも危機に瀕している、といった状況設定がなされています。これが極端に言えば「私は人間かアンドロイドか?」といった思考を読む側にさえ迫って止まない迫力となっています。小説の舞台は近未来ですが、私たちの時代、特に現代の日本は、既にこの小説における「アンドロイド」化をかなりな部分で遂げつつあるように思えてなりません。「簡単な理由での人殺し」もそうだし、「二次元少女にしか恋できない症候群」もそう、また「満員電車での鬱積した殺意」などもこの国の「共感能力欠如」、「アンドロイド化」の象徴だと思えます。とにかく、現代について考えさせられる小説。娯楽としても読めますが、非常に奥の深い「SF文学」です。
・「とても面白かったです。」
まず、一つ言いたいのが、村上春樹の小説はリアリストの人や、全てが理屈で説明できないと納得が出来ない人にはオススメできない、ということです。
村上氏の著作を批判する人は、必ず「思わせぶりなことを書いて気取っているだけだ」みたいな事を言いますが、不思議なことは不思議なこととして、そのまま楽しめる人間でないと、この人の小説を楽しむことはできないと思います。
私は、村上さんの本は全て読んでいますが、この『海辺のカフカ』は、『ねじまき鳥クロニクル』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』並みの、傑作小説だと思いました。
何度読んでも、別の側面が見えてくる、素晴らしい小説です。 キャラクターたちも、生き生きとしていて楽しいです。とくに、ナカタさんとホシノちゃんのコンビがユーモラスです。 難しい解釈なんかできなくても、十分楽しめると思います。
「少年カフカ」という作者とファンのメール集(ムック)もあわせてお読みになると、なお良いかも知れません。
・「私は好きだけど」
大昔に「ハードボイルドワンダーランド」という作品があった。ピンク装束のなんとも色っぽいお姉さんと、骨の音を聞くのが仕事のお兄さんがでていたが、最後には収束して、私はとても面白いと思った。当時としては☆5つだった。が、「ハードボイルドワンダーランド」に関しては、「なにこれ」という人も多かった。この本も多分評価が分かれるだろうなと思う。でも私は☆5つ。「ハードボイルドワンダーランド」と同じように最後に一つになって、納得できたときは嬉しかった。詳しく書きたいけれど、それを書いたら愉しめなくなるので書けないのが残念です。
村上ワールドを面白いと感じた人なら愉しめると思うよ。
・「無理はない」
レビューや読書感想のようなものを見ると、よく目にする意見。 「この話には無理がある」 「あまりに現実味がない」 これらの意見は文学、殊に小説において妥当な意見と言えるのだろうか?これらの意見の矛先は「設定」に向けられている。確かに小説における「設定」は物語に大きな影響を及ぼすものであるが、小説とは「設定」の上に成り立つものが大事なのではないだろうか? 「海辺のカフカ」についてもそのような意見が多く見られる。 「還暦に近い村上春樹が中学生の物語を書くことには無理がある」こんな感じ。 そんなことは当たり前である。村上さんは昔中学生であった。すなわち今は中学生ではない。そして、昔の中学生は今の中学生ではない。 そんなことを言い始めたら、村上さんは五十後半の主人公の話しか創り出せないではないか? それよりも主人公を中学生にした村上さんの冒険心(?)と、どうして中学生でなければならなかったのかを考えるほうがよっぽど文学に対しての意見としては妥当であるし、的を射るものだと思う。 それに僕にはそれほど無理な設定ではないと思えるし・・・。 まあ、意見は人それぞれあるものだから仕様がないところですけど・・・。そんな意見ばかりじゃ作家がかわいそうだ。
・「自分の存在意義に自信が持てない人へ」
主人公は15歳の少年。家庭の中に居場所がありません。「世界でいちばんタフな15歳の少年」にならねばならない、と彼は考え、旅に出る。家出をするのです。そこから物語が始まる。
リアルさを重んじる人には気に入らないかもしれない。この小説は暗示的な幻想に満ちているからです。主要な人物は奇妙な人ばかりです。猫と話をする老人が出てくる。神か仏かわからない謎の人物もチョイ役で顔を出します。夢と現実の交錯も起きる。死後の世界も出てくる。幻想的な事件がいくつも起こる。何かが何かを象徴し、暗示する。
この小説が扱うのは、思春期のさまざまな課題です。そこから人間一般の大きな問題について、読者に考えさせます。人は何のために生きるのか。自分が存在することに何の意義があるのか。主人公は見失います。実を言うと、僕も見失っていました。もう何年も、それがわからずに悩み、苦しんでいました。僕のようなものが存在する必要があるだろうか。誰が歓迎するだろうか。自分で自分をくだらない人間だと思う。主人公とともに存在意義を問い続けていました。そして一応の答えは出ました。正しいのかどうかはわからない。しかし僕は強く影響を受け、少しずつ変わってきています。
・「作者と読者で完成させる物語」
自我の物語として大変面白く読みました。
客観的にストーリーを楽しむ読み方をしてもある程度楽しめますが、それだけだと物足りなく感じる人もいるだろうと思うし、何よりもったいないと思います。
書評には謎が残ったままという意見も見られますが、もしそれらの答えが用意されていたとしたら、この本を読む楽しみは半減するでしょう。読者が自らの中にその答えを見出すべく、作者は魅力的な舞台設定を用意してくれている、と解釈するのが適切と感じます。
この作品は、読者自身の物語を喚起する「触媒」として優れていると思います。
また、登場人物達のキャラクターが生き生きとしていて、古くからの知り合いであるかのように親近感を抱かせずにはいません。
100人いれば100通りの読み方ができ、何度も楽しめる、非常に奥深い作品です。
●ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
・「著者の長編八作目」
国境の南、太陽の西 の後の作品であり、スプートニクの恋人の前の作品にあたる。第一部のみ、雑誌で連載されたものであるが、全体の空気を通して作調の変化は感じられなかった。又、著者はこの作品により読売文学賞を受賞している
ねじまき鳥クロニクルは現在発売されているアメリカでの村上春樹ベスト、海辺のカフカを除けば、アメリカ人に”村上春樹”と言われれば浮かぶタイトルである。
ひとつに、この作品の主人公は(大局的に捉えた)アメリカ人としてのアイデンティティを体現したような存在でもありうるから、そのように彼らに印象づけたのではないだろうか。
基本的に主人公は弱さを出すことが無い。感性が鋭く、筋道を立てて考えることができ、しかし、それがあるにもかかわらず流れに身を任せる事も忘れていない。極めて実務的な人間である。
この物語は、”僕”がマルタという登場人物に言ったが如く「まるで禅のような話」に、そのような性格の主人公が人の手を、または場所の力を借りて、捉えどころの無い流れに挑んでいく話…という風に私は読んだ
日本文学は人物の深みを掘り下げていく事が少なくないが、この作品は人物ではなく、時代でもなく、人間の存在でもなく、なにようか言い表せない世界を掘り下げていく。
驚くことに、そういった物語でありながら、話の筋は霧散せず、それぞれの複線や、ストーリーの流れは、理屈や構成だけで捉えても合点のいくように編まれている。それだけでも十分に興味深く、考えさせられる。
時間のあるときに、じっくり読むと自分の世界を深く変えられたような気分になる小説である
・「記号という性質。反応という希望?」
村上春樹さんの作品にはじめて出会ったのがこの作品で一番好きです。全作品を読んでるわけではありませんが。ただ他の作品をいくつか読んでみて、どうも村上さんてひとつの大きな形の定まらないテーマをずっと追っていていろんな角度から表現しよう表現したいと試みてるような印象を受けました。
謎が多いし、全体的になにをいいたいのかよくわかりません。箇所的になんでここでこの話が?ていうのもよくありました。この作品を研究してる人っていっぱいいるんでしょうね。わたしはネット上で公開していたある分析文を読ませていただいて系統的な理解をすこし深めることができました。でもあの見方もひとつの見方でありこの作品はきっといろんな読み方・感じ方ができる可能性を含んでるんだと思います。
個人的に精神が不安定な時期に読んだせいもありますが。衣服・食事・住居に対する意識を強く感じさせられました。その物や行為を通して自分を感じること支えること表現すること。時間的な縦軸と社会的な横軸にクロスされてる意識と身体。それにまつわって良くも悪くも受け継がれていくもの。
さりげない科白にはっとさせられることが多かったです。
・「複雑に交錯する村上ワールド」
岡田亨は30歳で、勤めていた法律事務所を辞め失業中。飼い猫は家出をしていて、出版社に勤めている妻のクミコは最近帰りが遅い。そんなところへ、知らない女から奇妙な電話が掛かってきて、それから僕の人生は不思議な方向へと流れ出す。
変えようのない「運命」と自己の「意思」が、場面・人物を違えて何度も錯綜し衝突する、つづれ織りのような小説です。違う場面で繰り返し出てくるキーワードがいくつもあって、一見関係ないお話たちが交錯して一つにつながっていきます。私は豊富なメタファーの向こうに、氏が「書く」という行為に至った魂の遍歴のようなものを読み取ったような気がします。実は私小説的な意味合いが強い作品なのではないかと思っています。
3部作なので読む前は長く感じますが、私はぐいぐいと小説世界に引き込まれていって読み終わるまで出てくることができませんでした。傑作です。
・「とまらない」
私が村上春樹にはまるきっかけになった本。この小説を読むと、まったくの別世界に引き込まれる。どことなく、掴み所のないお話なのに、読むことをやめることができない。単行本だと、いかにも分厚い長編、という印象なのにいっきに最後まで読んでしまう。そして、読み終わって、また、最初から読みなおしたくなる。不思議な魅力のある小説だと思った。
・「RPGをしているようだ」
長く,複雑な物語。しかし,筆者の他の作品とは違い「妻を取り返す」という明確な目的があるのでその分,読み進めるのが楽しい。そして,心に深く生きつづける作品である。
占い師に会ったり,バットを手にしたりRPGをしているような気持ちになる。
テーマの見解はいろいろ分かれるだろうが私はこの作品を通して「孤独との向き合い方」
のような物を学んだ気がした。
・「どっぷりと・・・ゆっくりと・・・ぐちゃぐちゃと・・・な世界観。」
本当におもしろかった。第一部はやや衝撃的な文章も盛り込まれていましたが、第二部ではゆっくり流れる時間というか、粘着質な時間というか、何か時間の「流れ」が私には感じられました。感じ方は人それぞれなので、なんとも言えませんが、この意味で「クロニクル(年代記)」という題名の時間的な縦の動きが意味がなんとなくわかったような気がします。全集の解題で作者が、題名が先に決まり内容が決定された、歴史的な色合いの濃い物語になったと述べている通りであります。
多分、物語の大筋を他人に口頭で説明しようとすれば、本作品はつまらないものとなってしまうような気がします。その世界観は読んだ人にしかわからないでしょう。そういう作品です。誰もが作者の世界にどっぷりと浸かってしまうと述べている通り、私も本当にそのような気持ちで本書を読み終えました。
またどこにでもありそうな日常的な風景や様子に付随して、この物語で語られる「気」というか「オーラ」というか霊的で呪術的な部分が本書の魅力であるように感じられます。日常にはありえない部分を盛り込む事によって、世界に真実味を与えているのではないでしょうか。「嘘に少しの真実を盛り込む事によって、嘘はより強化される」といった印象です。
長編ですが、一気に読めてしまう迫力が備わっています。次作でも何も考えずにその世界にどっぷり浸かってゆこうと思います。なぜこんなにもはまってしまえるのか不思議なくらいです・・・。
・「参りました」
最初は穏やかに読んでいたはずなのに、いつの間にかどっぷりとはまってしまっていました。深い精神世界に入り込んだような、そういう息苦しさを少し感じましたが、すごい作品です。
・「流されていく感」
ねじまき鳥クロニクルの第二部。一部では、よくわからなくて戸惑いのままに流されてきて、この第二部では、やはりわからない部分が多いままではあるけれど、物語の流れに流されることがなんだか心地よくなってきます。村上春樹の世界にどっぷり浸かっちゃう感じです。
物語は、だんだんと見えてくる部分がでてきたと思うと、さらに謎のような人や物たちがでてきたり・・・はらはらどきどきというのではないけれど、飽きません。ゆったりした中に、どこか闇が潜んでいる感じは、独特です。
・「筆舌につくしがたい」
僕の村上春樹デビューがこの作品でした(大学の講義で「風の歌を聴け」を読んだが、あれは読書とはいえない)。僕がどうこうと言える作品ではありません。「ワタナベノボル」とは?「井戸」?「猫の失踪」?「ノモンハン事件」?「動物園」?と考えるところはいくらでもある。しかし、この作品が傑作であることは掛け値なしに保障できることです。
この小説にはジョン・アーヴィングの「熊を放つ」(村上春樹氏が翻訳)の要素が多く取り込まれている気がする。テーマとしては別のところにあるようだが・・・。 謎に満ち、メタファーの富んだ村上ワールドを思う存分堪能できる作品であることは確かです
・「心の奥深く」
気付いていなくても,誰にも心の傷はあるだろう。闇の奥から微かな光が見えてくるように傷に手を当て、自らの足で、心の奥の難題にゆっくりふらふらとねじまき鳥の声を頼りに向かってゆく。自分は一体何を望むのだろう。愛したと思ったおまえは誰なのか。いつのまにかクロニクルの不思議な世界をどこか自らの体験としてたどっている。どうしても最後まで読まずにいられない。
・「がんばれホシノくん☆」
楽天的で、出たとこ勝負。仕事を無断欠勤してまで風変わりなナカタさんに付き合うホシノくん。彼の愛らしさから目が話せない。ホシノくんに自分を重ねていると、小説を読みながら、私もホシノくんと同じように、「ナカタさんの目を通してものを見られる」ようになったような気がする。ほんのちょっとだけだけどね。彼は自分で言うほど頭悪くないと思うよ。彼が「人生なんてどう転んでもクソみたいなものなんだ」と言うのを聞くと、これからの人生程よく、リラックスして生きていけそうな気がする。ありがとう。ホシノくんからこの小説で得たものは大きかったよ。勿論田村カフカくんから得たこともある。
人それぞれ胸に響くポイントは異なるかもしれないけれど、きっと皆何かを得られる。それだけ仕掛けの多く施された小説。読む価値はある。
ところで、村上氏の小説には必ず、手をたたいてそうそう!と思えるたとえが出てくる。今回の私のヒットは「趣味の雪かき」byホシノくん。分かる!!
・「ロマンティックで切なく苦しい哲学的な名作!」
私はかなり好きです。かなり引き込まれてしまい、ページ数が少なくなっていくと、読み終えるのが寂しくて何度も本を閉じてしまいました。読み終えた後は、それこそ魂を半分持っていかれたように呆然とし、涙がこぼれてきました。
「ナカタさん」と「佐伯さん」の繋がりなんて大した問題じゃないのです。あちらの世界に一歩足を踏み入れた人にしか見えない、分からないものがあり、それを知った人達の繋がりの話なのでは?(大島さんと星野さんはあちらの世界には行っていませんが…)
露骨な性的描写との批判の声もありましたが、私は逆に、それらのシーンが切なくて、エロさはそれほど感じませんでした。切なさ・哀しさ・温かさの方が強かったです。続かない関係だということは誰もが(本人達も読者も)分かっていて、でも求めずにはいられない…。エロくないです切ないです。
佐伯さんが、ナカタさんによって苦しみから解放され、思い出の中に(もとあるべき場所)に帰っていくシーンは、私にとって一番印象的で忘れられない感動の一コマです。涙があふれて仕方ありませんでした。
私にとっては大切な作品のひとつになりましたが、評価がわかれているのを見ると、きっと合う合わないがあるのでしょう。が、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を好きな方は、この作品も好きになるのでは、と思います。長々と失礼致しました。(ちなみに初めて書き込みをしました)
・「下巻も納得の五つ星!」
この少年は断固として15歳なんかじゃないな。語り口もやってることも感じていることも、聴いてる音楽や、(部活と関係なく)黙々と身体作ってるとこも全然15歳じゃない。確実に壮年期のオッサンだ。
それでも彼は15歳なのだ。だから悲しいのだ。
結局、自分の心と身体が完全に一致して生きてる人なんてそうそういないのかもしれません。でも普段は一致してないことにすら気づかず日々の仕事に忙殺されているのが私達なんだと思います。例えばホシノちゃんみたいに。
上下巻通して大好きだったナカタさん、あなたの生きた意味はちょっと地球レベルじゃ計れない何かなんでしょうね。そうとでも思っておかないと、泣けてくるのです。
・「冗長性の回避」
この小説を理解することは非常に困難だと感じました。何を伝えたくて、何故このような話の展開をし、何故このような表現を用いるのだろうか、という疑問を持ちながら読み進めていきましたが、途中でやめました。 というのも、村上春樹は他者によりよく伝わるような言葉を選択するのではなく、自分にとって適切な言葉を「過程」を越えて、つかみとって表現しているのだと感じたからです。つまり論理的に、緻密に構成されたストーリーというわけではなく感覚に依拠する側面が大きいのだと思いました。作中で、「象徴性と意味性はべつのものだからね。−−−芸術家とは、冗長性を回避する資格を持つ人々のことだ」という言葉がありますが、自分はこの小説自体にそのことを強く感じました。 しかしながら、論理性の面でも現実と虚構が混同していく展開はあくまで自然で、村上春樹の文筆力のすごさを改めて感じました。 歴史に残る作品であると思います。
・「とっても素敵」
主人公が自分を損なわれてしまうなにかから必死に逃げる、とってもどドキドキして、上下巻を3日で読破してしまいました。とてもリアリストかとおもえばファンタジー、「お化け」みたいな具象なわかりやすい怖さもあるけれど、カラスと呼ばれる少年と主人公との、必死でとらわれたくないと逃げる描写は焦燥のような気持ちが一番怖かった。ひさしぶりに寝る間も惜しんで読みつくしたいとおもう本に出会いました。
・「前兆、繋がり、謎」
賛否両論に分かれる小説であることは明確ですね。春樹さんの読者に結末を委ねるスタイル、好きです。解明されていない謎があるけど、それは解明しても意味ないのかもしれない。
3部作を全部読んで感じたのは「繋がり」がテーマのひとつではないかということ。すべてが後で時間をかけて繋がっていく。加納マルタはもしかしてクミコの姉とリンクしていて、クレタはクミコとリンクしていて、間宮中尉は顔のない男=虚ろな人間とリンクしていて、ボリスは綿谷ノボルと、間宮中尉は岡田トオルとリンクしてるように感じた。コルシカはなぜかクレタの子供で、間宮中尉と暮らしているらしいし、なぜか岡田夫婦の将来の子供もコルシカの名に・・・。「繋がり」はあちらの世界とこちらの世界を繋ぐ井戸でもある。今、僕は一読してこんなことを考えている。
・「歴史との関係性、暴力という本能、静かな終息」
この物語は、家出した妻を取り戻したいといういたって単純なものです。しかし、過去と現在という時間軸と、登場人物と歴史的事実という関係性を通じて、物語が複雑に多様に構成されています。同時に、歴史を語ることによって、人間が本能的に持っている暴力を描写することで、人間を描ききった力作となっています。
どれだけの不可思議な人物が、現象が描かれたでしょう。第1部、2部の現象や事物は、すべて第3部の謎解きにつながっていく伏線であり、最後の「闘い」のための序章だったのです。もちろん、これまでに描かれた数々の暴力も、「闘い」を描くためのお膳立てだったと考えられます。
最終ページ近くに、主人公と妻との思い出が綴られています。
この物語の原点を思い出させてく!れることによって、この複雑な物語を静かに終わらせることができたのだと思います。
・「渾身の力作ではないでしょうか?」
約10年ぶりに読み返しました。作者渾身の力作だと、いま思います。作者独特の節回しで、パラレルな世界にひそみ、そしてこの世界にも繋がり、顕在する、暗く暴力的なものと最後まで逃げずに戦っています。ねじまき鳥の声を聞き、井戸を潜り、ノモンハンを抜け、最後にたどりつくクライマックスは作者の作品の中でも独特なものでは無いでしょうか、主人公のセリフに背中が痺れました。この作品を通り抜け、海辺のカフカにいたるまで随分と時間がたっているのだな、と再確認しました。でもそれは当然のように必要な時間だったのでしょう。長い3部作ですが、一気に読ませます、すごくおもしろかった。
・「深い!怖い!」
自分の語彙力の無さを痛感しつつ感想をひとつ。なんて入り組んで深くて、威圧感にあふれ、読者の心を乱す物語だろう。自分の前から消えた妻を必死に探す主人公。その失踪の“本当の”理由を知りたい、そして彼女の抱える恐怖から彼女を解き放ってあげたいと切望し、そのために必死にもがき続ける。
第二次大戦や猫のこと、知り合った少女による日常に対する哲学的考察などが入り混じり、周りに起きる不可解な出来事を組み合わせ意味を繋げた結果、ついに彼は妻の抱えた恐ろしい問題と対決することになる。人間の奥に潜む、熱くいやらしく恐ろしい部分がじわじわと描かれ、読み始めたら一気に引き込まれてしまった。
疲れたから途中で読むのを休む、なんてこともできなくなるほど面白いです。!一読の価値ありすぎ!
・「全てを知っている。」
村上春樹さんの本を初めて読みました。私は特にこの作者に興味を持ってなかったのですが、たまたま家に泥棒かささぎ編があったのです。(たぶん兄が買ったもの)始めはとりあえずと軽い気持ちで読め始めたのですが、次第にねじまき鳥さんが愛おしくなってきたんです。まるで笠原メイと同じように彼と対話しているようでした。(それはきっと笠原メイと年も近いせいでしょう。)このお話は決して単純ではなく、理解する事が難しい出来事の連続です。私の世界からはとても遠い非現実的すぎる話であると共に、私にとても近い話でもあるように感じました。そして、いつの間にか、私もあの世界の住人となりあの井戸に入ってみたいと思うようになったんです。完璧な暗闇の底に自分が身を置くとどうなったしまうんでしょう。私もあの光にたどり着く事ができるのかな。とか考えたりします。結局のところ、ねじまき鳥さんに起きた出来事は、現実のものだったんでしょう。現実であるという事は夢であるという事。そう捉えればこのお話は、すんなりと私の中に入っていくように思うのです。そんなに意味不明と嫌わずに素直にこの世界を受け入れてみて下さい。
・「この本に出会って生き方が変わった」
昔から他の人とは違う生き方をしたいと漠然と思っていました。そんな時に出会ったのがこの本「かもめのジョナサン」です。
かもめのジョナサンは生きる事の意味、生き方を教えてくれました。他の人とは違う生き方でもいいんじゃないか。自分の気持ちを押さえてまでやりたい事を我慢して周りの人に合わせて適当に生きていても、つまらない人生を送るだけ。他人とは違っていても自分らしく自分の進みたい道を行く方が生きる価値、生きる喜びを感じる事が出来る。
そして私はジョナサンのように自分の道を進んでいます。今の私の生き方は他の人から見れば、ちょっと変わった人だと思われる事もあります。でも今の生き方を選んで良かったと思うし、満足しています。すべてはこの本のおかげです。
・「大人になってからもう一度読んでみました」
もう随分とむかし・・・書店の片隅で見つけたこの本を子供向けのおとぎ話かな?と思って読んだ記憶があります。
この物語の主人公の名前はジョナサン・リビングストン・・・・
「飛ぶ」ということ、その航空技術の向上に情熱を燃やす「変てこなカモメ」である。大人になったある日、この本を読み返す機会があり、単なる子供向けの物語ではなくとても奥の深い話だということに気がつきました。
・・・そして、この変てこなカモメは最終的に光り輝く姿に化し神の領域へ達します。うーん・・・・す、すばらしい。
日々を単純に生きるだけの人生では駄目なんだ!カモメさんに教えられた思いです。リチャード・バック最高!
・「精神は肉体に縛られない」
大変感動しました。
本自体が薄いものだが、本文も短く(挿絵の写真の部分が多く、モノクロで味があってこれも大変良い)読むのに1時間ぐらいもあれば読めてしまう、大変読みやすい本です。しかしその中に、人生について多くのことを学び、勇気付けられる要素が入っています。
主人公のジョナサンは、飛ぶというかもめの本来与えられた能力を高めるために、常に自己の限界に挑戦し続け、はじめは技術の限界を越え、やがて肉体の限界、そして精神の限界、やがて愛の限界を超えていく。そして、悟りの世界にも似た境地に達していく。
その間のジョナサンは、驕るでもなくただひたすら純粋に自己との戦いに向かっていく。そして、最後には心の解放と、愛の解放を成し遂げていく。そして自己を高めながら、同時に若いかもめを指導していくが、若い彼らはジョナサンとの違いを技術的な違いと思っているが、到達した境地の違いは、精神の悟りの違いだ。
日々の雑多な生活の心配事に、心煩わすことの多いものですが、この純粋な精神の果てに愛の境地に至ったジョナサンの生きかたに、心惹かれます。そしてこの短い物語から、小さいけれど確かな勇気をもらえる気がしました。
・「ぐんぐん読めます。」
題名だけは昔から知っていましたが、つい最近、本棚で見つけ、読んでみました。ぐんぐん読めます。周りに馴染めなかったり、自分の世界に壁を感じたり、孤独な気持ちを抱いていたり、同じ場所にずっといたり、そんな人にお薦めです。
自分でどしどし世界を切り開いていけるひとや、環境を目まぐるしく変化させるのが好きな人には、仲間の話を読んでいるような気持ちになるかもしれません。
・「シンプルで暗示的で見方によって色が変わるもの」
高校時代 失恋した際に読んでいたので良く覚えていた。高校での失恋というのは 20年以上経った今考えてみると 麻疹に罹ったようなものだが それでも「麻疹に」罹っている時は熱が出たり おなかが痛かったりするのも事実である。
20年振りに読んでみると 当たり前ながら 印象もだいぶ違う。高校時代には 「ジョナサンが飛ぶ」ということ自体を 「人生どのように生きるべきか」という いささか青臭いテーマとして読み込み それに失恋というフレーバーが加わり いささか感傷的な一冊であった。 それが40歳を過ぎた子持ちの中年が再読してみると 「ジョナサンが飛ぶ」と言う事は あるときは自分が抱えている仕事、家庭を読み込んでしまうし 付け加わるフレーバーも 「人生を折り返しているであろうという一種の苦味を帯びた諦観」であったりするわけである。
言いたいのは 「カモメのジョナサン」という作品は 当時も今も全く変わっていないわけであり 変わったのは自分であるということだ。
これは本書に限るわけではないが 昔読んだ本を 「寝かせて」 再読することの一つの面白みである。ジョナサンではないが 一種の自己発見が出来る部分もある。その意味で シンプルで暗示的で見方によって色が変わるような本書は 誠に 五木寛之が言う通り 一種のロールシャッハテストである
前に読んだ方に 是非再読を勧めたい。
・「好きなことをやれ!」
僕自身が周囲の期待を自分のやりたいことと勘違いして、ちっとも楽しくないのにそれでも、「自分は正しいことをしてるから世の中の低俗なやつらよりよっぽど立派なんだ」、って思いながら暗い毎日を過ごしてた頃に出合った本でした。「こんだけがんばってる僕が周囲ののほほんとやってる奴にどうして負けちゃうんだろ?」って、悔しくてひがんでいたんだけど、そうだよねー、と納得したのが読後感。図抜けた人達ってのは結局楽しいからやらずにいられなくてやってるんで、他人から見ると「わぁ、大変そうだなぁ」と思うようなことを、本人は大変だなんてまったく思わずにやっている。一日中、暇があるとにこにこしながらやっている。そんな人達と勝負をしても勝てるわけないし、しかも自分も幸せじゃないってのは無駄だから、それだったら何をしてると自分は幸福なのか、どうやったら楽しいことをして生活していけるのか、そして、他人の成功を見て嫉妬しないですむためにはどういう状況にあることが必要なのか?そんなことを考えるきっかけになりました。確かに村上龍自身の思想は一杯入っていて、翻訳としての是非はともかく、元気が出てくる本です。下のは僕の心に残ってる言葉。
・思い切って手を離しさえすればいいんだ、流れはすくい上げてくれるよ。自由にしてくれる、手を離すんだ、それしかない。・あの娘は一度空から落ちて死んでるんだ、それを思い出させただけだ、だからもう落ちることないよって教えただけさ。・いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないということそれ一つだけである。・この世は全てはイリュージョンだ、何から何まで光と影が組織されて、像を結んでるだけなんだ、わかるかい?・限界、常にそれが問題である。君達自身の限界について議論せよ。そうすれば、君達は、限界そのものを手に入れることができる。・俺たちはイリュージョンからいろいろ学べるし、楽しむこともできるってわけさ。・君達が自己に忠実に話す時、そこに過去や未来は関わりがなく、真実が永遠に光り輝く。自己に忠実に話す、それのみが真実の正当な在り様なのである。・もし、君達が生きていれば、瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば、まだ使命は終わっていない。・あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。
・「世界は幻なんかじゃない」
世界は幻想だとこの本は言う。でも、読み終わった時、読む前よりも世界を強く実感できるようになっていることに気づく。土や風の匂い、焼ける太陽の熱さ、自分の身体を流れる血液の脈動なんかに、世界と、その中で生きている自分を、強く実感することができる。人は皆自由。この本サイコーですよ。
・「座右の銘」
この本に出会わなければ自分の人生が変わっていたのではというほど大切な本です。自分はどうあるべきなのか、他とどのように関わっていくべきなのかと悩んでいた時期に全てを教えてくれました。リチャード・バックの中でも一番お薦めで、私の人生を共にする一冊です。なんど読み返しても名作だと思う。
・「救世主は世界を救わないのです」
装丁を見たところで、これが救世主の成りかたについて書かれた小説だとは思えないだろう。救世主はヒコーキに乗って現れるのだ。ジャンル的にはニューエイジに属すると思うが、他の追随を許さない。これがベストだ。そして著者リチャード・バックのベストでもある。有名な「かもめのジョナサン」を読んで息苦しさを感じた人でも、これは大丈夫。生真面目で堅い著者も精一杯のエンタテイメントを提供している。イリノイあたりの夏の空気を吸った気分になれるだろう。青春の一冊。若い読者に勧めたい。旅先のポケットに忍ばせれば、センチメンタルは請け合いだ。旅プラス小説という愉しみを知らないあなたには、お勧めしよう。
・「リチャード・バックと村上 龍の最高傑作」
それぞれ両氏の最高傑作で、それぞれの両者がいたからこそ、また、日本語であるからこその完成度。それぞれの著作をその後もときおり読んでいるが、ここまでのモノは無い。
私が出合ったのは高校卒業から大学入学にかけての時期であったが、その時期または、もう少し前に出会っていても良かった。
すべてはイリュージョンであっても 良しと出きる 覚悟 を持つ事が出来る様になる物語。
・「たくさんの奇想天外と人間模様」
前半に「つめたいよるに」として9編、後半に「温かなお皿」として12編が、単純計算して1編あたり約10ページで収められている。そのどれもが読みやすく、読者は知らず知らずのうちに物語の世界に曳きこまれてゆく。
たくさんの奇想天外な世界と、人間の営みが織り成すさまざまな模様が、まさに「凝縮」されている感じ。前半は「夜」を題材としているだけあって、夢か現実か区別がつかないような不思議な世界が広がっている。後半は「お皿」ということで、料理や食事を通して、陰と陽、さまざまな人間模様にスポットがあてられている。
・「切なくなってみませんか?」
この小説には、不思議な魅力を持った話しがたくさん登場します。特に私が好きなのはデューク。主人公がとてもとても愛していた飼い犬のデュークが死んだ翌日、彼女はハンサムな男の子に出会うのだけれど、彼は一体何者なんだろう。想像が膨らみます。そして、最後に彼が言った言葉。私はここで、涙が出てきました。気になる方は、ぜひ。大人だけでなく、お子さんに読んであげるのにも、とても良い本だと思います。
・「子供、大人、生と死」
全ての作品が短編なのに、全てが心に残る作品でした。私は今までこんなステキな本と出逢った事がありません。老いや生命について書かれた作品が多いのですが、全然重くなく優しい気持ちで読むことが出来ました。
文章がすごく可愛らしくて優しい。でもそれだけじゃない何かがあります。たくさんの人に読んで欲しいです。「いつか、きっと昔」や「スイートラヴァーズ」が私は好きです。こんなに優しく人を好きになりたい。
・「あたたかいよるに」
「デューク」という一番好きな短編があります。死んだペットの犬が少年の姿になって、落ちこんでいる主人公に1日だけつきあうという話です。(最近ではデュークのみの絵本が出版されたようです)「ぼくもとても、愛していたよ」「それだけ言いにきたんだ。じゃあね。元気で」ポロポロ泣いてしまった短編は後にも先にもこれだけです。
・「すてき」
江國さんのぶんしょうが好ききらきらしてほわっとしたベールにかこまれているみたい文字が文字じゃないみたい
短編だからよみやすいです。読んでいるだけでしあわせになれる、あたたかいきもちになれる。ぜんぶだいすきだけど、「夏の少し前」が一番すき!
・「80年代だけど新しい」
村上春樹にしては珍しくミステリーっぽいこの作品。 『羊をめぐる冒険』もなかなかスピード感があったが、今作はそのミステリー感の影響でさらにスピード感のある作品となっている。
あんまり書くとネタバレになるので書かないが、今作のテーマは『死』と言っても良いと思う。
ある場面で主人公はこんなことをユキと言う不思議な少女に語りかける。
「人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に。」
良い台詞だ。
80年代後半に書かれたとは思えないくらい新しい。
一読の価値アリ。
・「4作品の中で一番面白く読みました」
「ダンスダンスダンス」は「風の歌を聴け」から始まる、ぼく(主人公)が活躍する第4作品目です。(タイトルだけではシリーズ第何作目か分かりませんので始めて購入する方は注意が必要です。)
本作では、タイトルが現すように、主人公(ぼく)はかなり積極的な動きをする。北海道、ハワイなどでの生活、また深い謎を解くためにも時には攻撃的なコミュニケーションをとる。それらは、ダンスを踊り続けるという羊男からのアドバイスにもよるのだろうが、ストーリーも奇想天外でこれまでの作品以上に奇想天外で楽しい。
個人的には、4作品の中で一番面白く読みました。
・「変容する村上春樹」
初期三部作の続きで最後の作。もちろん 今後村上が更なる続編を作る可能性は排除しないが おそらく 作らないと思っている。
村上にしては珍しく後書で 本書の主人公は 「原則として」三部作と同人物であると言っている。逆に言うと そう言わないと それが分からない読者が多いのではという村上の懸念かもしれない。 それほど 前の三つの作品との断層があるのだと言う事なのだと思う。
この作品では村上はひたすら「死」を扱っている。出てくる登場人物達は 現実からのやり直しを求めながらも どうしようもなく死に取り付かれて死んでいく。
本書を書いていた頃の村上は 40歳程度で 欧州で「常駐的旅行者」という立場で 放浪していた頃だ。そんな疲れと影が どこか本書に漂っている気もしてならない。
本書は評価としては分かれているようだ。むしろ 元々の村上ファンからは 幾分かマイナス評価を得ている趣もある。確かに 話がきちんと完結しておらず 答えを出さないというスタイルが本書あたりから 村上には出てきたような気がする。その点で 読んでいてもどかしさがある。 但し 初期三部作、特に 始めの二作に見られた村上のスタイリッシュな軽さの中に おりのようによどんでいたものが はっきりと主張され始めたという点では貴重な一作だと僕は考えている。ストーリーテリングの冴えも申し分ないと思うからだ。
・「踊り続ける意味」
自分は村上作品の中でこの「ダンス・ダンス・ダンス」が一番好きだ。一般的に失敗作といわれているにもかかわらず。高度資本主義社会で自分を見失ってしまった主人公、どうしようもない喪失感と孤独感をかかえながら、彼は踊り続ける(他者とかかわり続ける)ことで自分を回復しようと奮闘する。とにかく会話が洒脱で読んでいて楽しい。作者もきっと楽しく書くことができたんじゃないだろうか。魅力的な登場人物たちとドラマティックな展開は難しい解釈以前に、ぐいぐい物語に引き込んでくれる。
タイトルからもいえるようにとても音楽的要素の濃い小説だと思う。作品中には実に多くのミュージシャンの名前が出てくる。「トーキング・ヘッズ」、「デュランデュラン」、「ジェネシス」・・・これらの名前はその時代を強く意識させる役割を担いながら、作品に彩りを添えているように思う。小説のラストシーンで「僕」がささやく希望に満ちた言葉はどこか穏やかな読後感を与えてくれるものだ。
・「踊るんだよ、音楽が続く限り」
久しぶりに本書を手に取った。本書に描かれている、いわゆる「前回のバブル」の意匠は色褪せ、既にレトロの領域に入ってはいるものの、主人公の「僕」の年齢を超えた今、その喪失感と疎外感は痛いほどリアルであらためて村上文学の奥深さを実感した。
昔はリアルな設定の中の「羊男」といった断絶の意匠がSF的としてどうにも馴染めなかったものだが、突然の訃報といった日常の断絶を何回か経験した今ではどうにも抗えぬ世界の真実としてこの上もなくリアルに感じる。
・「再読するほどに味わいが出てくる作品です」
この「羊をめぐる冒険」では、「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」では詳しく描かれなかった、主人公「ぼく」と友人「鼠」の性格や特徴が詳細に書かれ、物語としても引き込まれる仕立てとなっています。
まるで、音楽を聴くかのように、小説の言葉がはいってきます。
羊探しの旅のなかで発見する、様々な出来事。それぞれが紡ぎあい小説を、深く味わいのあるものに仕立てています。
・「荒ぶる羊」
この「羊」はヘッセの描く荒野の「狼」だと思う。日常とは別の次元に人を高めもすれば突き落しもするもの。聖痕を与えるもの。偉大な宗教開祖や革命家、凶悪な独裁者に共通するもの。三島由紀夫や全共闘の学生達に憑依したもの。「荒ぶる神」のようなもの。「先生」の祖先はこのアイヌの羊飼い青年なのだろう。
・「奇妙で、おもしろい。そして、せつない。」
と、いうのは糸井重里のマザー3のコピーですが、まさにこれが本作を言い当てている言葉と言えるでしょう。
上巻では、“奇妙で、おもしろい”小説でしたが、下巻にはいると“そして、せつない”が加わります。
ネタバレになってしまうので、詳しくは言いませんが、ラストは涙なしには、読めませんでした。
・「切ない。」
はっきり言って、最初読んだ時は結末の意外さに衝撃を受けました。「風の歌を聴け」との矛盾が多少あるのが残念ですが、それを考慮しても素晴らしい作品だと思います。
・「村上ワールドの発展」
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」に続く、「僕」三部作の終焉。これらの三つの作品を見てみると、よく言われている「村上ワールド」の軌跡が見て取れます。段階的に村上春樹の特徴とも言える、異界との接触というものが確立されていきます。(初めて村上さんの作品を読むのならこの3作から入るのをお勧めします。) 「羊をめぐる冒険」はそういった点で、村上春樹の方向性をしっかりと決めた作品なのではないでしょうか?純文学でありながら、ファンタジー的な要素を盛り込んでいくという。そして、多くのメタファーと示唆に富んだ作品へと進む村上春樹の傑作であると僕は思います。 そして、その方向は「羊を~」の続編「ダンス・ダンス・ダンス」である形でのゴールを迎えているような感じです。 しかし、この「羊をめぐる冒険」での「羊男」や「いるかホテル」など象徴的な存在を巧くメタフォリカルに書き出す力には圧倒されます。 文学は解釈のしようだということもありますが、多くの人を楽しませ、考えさせる村上春樹と言う作家は現在の文学界にはなくてはならない存在なのでしょう。
・「愛すべき登場人物たち」
とにかく登場人物が魅力的!時々ふっと羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スターとホテルの精みたいな女の子に会いたくなる。まるでおもちゃ箱!村上作品の中で個人的には上巻とあわせてナンバー1の作品。初めて読んだときから10年近くたってるけれど何度読み返したか分からない私にとっては宝物みたいな1冊。基本的には全3部作からの再生の物語だがミステリーの要素もあって一気に読ませる。デビュー作から出てきたこのちょっと不器用な主人公にこういう完結編を作ってくれた事もうれしい。で、この後この人どうしちゃうんだ?って終わり方が多い村上作品の中でこういうハッピーな終わり方は珍しいと思う。ノルウェイともねじまき鳥とも違う村上ワールド、体験してみませんか?
・「個人的な話で恐縮ですが」
僕のネットでの知人が、先日交通事故で亡くなりました。年齢は17才。学校になじめず、高校には通っていなかったけれど、BIGになるんだ!というのが口癖の、おもしろい奴でした。
そんな時だからでしょうか、本作の主人公が、P.213において、お葬式の後にユキに語る以下の言葉が心に染み入りました。
“「人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人