ジムノペディ~サティ/ピアノ作品集 (詳細)
ルグラン(ミシェル)(アーティスト), サティ(作曲)
「解釈について」「ミッシェルルグランのピアノでサティを聴く」「サティmeetsルグラン」「紛れもなくサティです」
3つのジムノペディ~サティ・ピアノ作品集 (詳細)
ロジェ(パスカル)(アーティスト), サティ(作曲)
「音楽のアールデコ」「ロジェの演奏が抜群」「20年たったらまたおいで!」「雨上がりのグノシェンヌ」「サティのワールドは先が読めない」
ベスト・オブ・サティ (詳細)
チッコリーニ(アルド)(アーティスト), サティ(作曲)
「いいとことり」
ベスト・オブ・サティ(2) (詳細)
チッコリーニ(アルド)(アーティスト), サティ(作曲)
「空間が色づくような名演」
サティ:パラード(管弦楽曲集) (詳細)
オーリアコンブ(ルイ)(アーティスト), サティ(作曲), ドビュッシー(その他), パリ音楽院管弦楽団(演奏)
サティ:ピアノ作品集(1) (詳細)
高橋悠治(アーティスト), サティ(作曲)
「高橋悠治のサティ」「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
サティ:ピアノ作品集(2) (詳細)
高橋悠治(アーティスト), サティ(作曲), 水野佳子(演奏)
「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
サティ:ピアノ作品集(3) (詳細)
高橋悠治(アーティスト), サティ(作曲), プラネス(アラン)(演奏), 岡崎耕治(演奏), 村井祐児(演奏)
「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
ジムノペディ~サティ作品集 (詳細)
佐渡裕(アーティスト), サティ(作曲), コンセール・ラムルー管弦楽団(演奏)
「聞きやすいです。」「癒されます♪」
サティ:ジムノペディ (詳細)
レーウ(ラインベルト・デ)(アーティスト), サティ(作曲)
「音の深く重たいサティー」
R;K works サティ・ピアノ・アルバム (詳細)
エリック・サティ(アーティスト)
「浸透しつつ流れる11曲」「ゆっくり満たされる」「おどろくほど緻密な小品集です。」
Integrale de l'Oeuvre Pour Piano (詳細)
Barbier Jean Joel(アーティスト)
・「解釈について」
人によって好みの弾き方(または、聴こえ方)があると思います。ミシェル・ルグランは曲をどのように味わえば最高の、響きをもたらすのかを知っているかのように、とても心地よく、音を奏でてくれます。
曲によって早かったり、遅かったり・・・。そうする事によって、聴いている側は音を味わったり、ハラハラしたり時には驚いたりします。サティの曲を「こんなにドラマチックに演奏できちゃうわけ?」と、少しビックリしました。
ジムノペディはかなりゆっくり、味わい深く消化していっている感じがしました。それにこのCDは【ジャック・イン・ザ・ボックス】が収録されていて「この曲、弾ける(弾く)人いるんだ」と、他ではあまり聴けない曲が聴けて、とっても良かったです。
・「ミッシェルルグランのピアノでサティを聴く」
自身もJAZZ畑、ポピュラー畑では作曲者としての評価を確立しておりいくつかの曲はスタンダード化しているのだが、そうした才人が自分なりの解釈をかなりの許容度で可能にするサティの作品集を演奏している。結果、非常に気の利いたアルバムに仕上がったと思う。音も良いし、空間にたゆたう響きも緊張と緩和のバランスが取れていてなかなか見事。ピアノ好きにはもとより、最初にサティの作品を聴くのならこの盤から、とお薦めできそう。とっつき易さ=やはりポピュラー畑に重心のある人の解釈ということだろう。
・「サティmeetsルグラン」
音がはっきりと響いていて、スリルもある。サティの演奏盤のなかでも、ポピュラーミュージックの大作曲家の演奏だけに、かなり良い解釈だと思う。
・「紛れもなくサティです」
このCDですが、なんとミシェル・ルグランがエリック・サティを演奏するという素晴らしい企画。ルグランというと、数々の映画音楽を手がけ、サティのミニマル的な音楽とは逆方向のような気もしますが、これが聴いてみると、実に自然で何の気負いもなく、とてもリラックスできる内容なんです。
しかもこの解説はピチカートの小西康陽という、何だかよく分からない人選。まあルグラン→小西は分かるんですが、小西とサティは、かなりかけ離れている気がします。ジャケも今ひとつな感じなんですけど、内容はいいということで、紹介してみました。
・「音楽のアールデコ」
サティを「ヒーリング音楽」と評価する人が多いですが、聴き手に優しい「ヒーリング音楽」「イージーリスニング」「ラウンジ」の類ではありません。好き嫌いが分かれるのも無理はありません。私は「音楽のアールデコ」だと思います。直線と幾何学模様で構成されるアールデコは、クールで無機質なのに、ユーモアと叙情性が有るところが魅力ですが、サティにもそれを感じます。普通のクラシックは感傷的過ぎるし、現代音楽はあまりにも理性的・構築的で叙情性が無さ過ぎる。私にとってサティはとてもバランスが良いです。
パスカル・ロジェの演奏は、技術は何も文句の付け様が無く、詩情豊かに弾いています。
サティが好きな人は必聴。サティは好きじゃなくても、パスカル・ロジェの演奏を聴くだけでも価値が有ります。
アンビエントやエレクトロニカ、ジャズのファンにもお薦めです。
・「ロジェの演奏が抜群」
パスカル・ロジェのサティ・アルバムはこれと他に、3つある。これはその中でもまずはじめの聴いたらよさそうなアルバムだ。録音状態が良いです。また、とてもねばりがあり、繊細で、力強い演奏です。このアルバムが気に入ったなら、他のアルバムを買うのも良いのではないでしょうか。一応、書いておきます。「エリック・サティ:ピアノ曲集『諧謔の時代』」と「エリック・サティ:スポーツと気晴らし」と「エリック・サティ:4手のためのピアノ作品集」です。
・「20年たったらまたおいで!」
サティについて 何かを語ることには勇気がいる。人それぞれで 思い入れが全く違うような気がするからだ。
一時期、そう 1980年代半ばに サティは 日本で ブームだった。映画や芝居などには 必ずといってよいほどサティが使われていたものだ。ポルノ映画ですら サティがかかったと言う。 ジムノぺディやグノシエンヌなどは ちょっと陳腐に聞こえたほどである。それほど サティに溢れた時代があった。
それから20年たった。
今サティを聴いていて思うことは 20年前には 何も聴けていなかったのではないかということである。今でも「癒しの音楽」とも紹介されるらしいが その割にはシュールな音楽なのだと思う。そう見えないのは「白い音楽」と評された サティの悪巧みなのかもしれない。
今なお 聴けていないものが沢山含まれている。更に20年を待たなくてはならないのか。
・「雨上がりのグノシェンヌ」
1985年のことだったと思うが、パスカル・ロジェの来日公演を聴きに行った。ベートーベンのソナタとサティの小品集を組み合わせたプログラムで、当日は雨が降っていた。仕事の都合で遅刻し、ベートーベンを聴き損なった私は、後半のサティだけを聴いた。あのころはサティ・ブームで、ことさらに無表情な演奏を好む向きもあったが、ロジェは自然な抑揚をつけ、情感のこもった演奏を聴かせていた。グノシェンヌ第5番の主題など、弾むような愉悦感があった。曲目が終わると、一人の女性が、ステージにかけより、彼に花束をプレゼントした。彼女は握手を求めて手を差し出したが、彼はサッとその手を取り、甲にキスをした。その動作がごく自然だったので、「さすがフランスの男は違ったものだわい」と感心してしまった。会場から外に出ると雨が上がっていた。水たまりをよけながら、何やら楽しい気分で歩いたのを覚えている。
・「サティのワールドは先が読めない」
サティ 嫌われ者しかし天才的な音楽感覚を持ったこのお方の最高傑作がこのジムノペディこの曲は何回も聴いていても飽きません 何回も聴いているとまた違うものが見えてくるサティの人間性が溢れた曲 このサティは実は世界一長い曲を作った張本人でもあります「ヴェクサシオン」という曲です CD化はされておらず演奏された人も聴いた人もごくわずかそれもそのはずなんとこの「ヴェクサシオン」18時間もある超大作です しかもめっちゃ気持ち悪くて不気味な曲あれを一時間、2時間も聴けば間違いなく精神が崩壊します
・「いいとことり」
どこかできいた事があるようなサティの名曲があつめられています。優しい、心がやすまる和むような曲ばかりなので、ほとんど毎日どれかを聞いていますが、あきません。 題名はちょっとぎょっとするので、純粋に音を楽しんだ後に、解説や題名をみたほうがよいのでは。
・「空間が色づくような名演」
アルド・チッコリーニはもっともっと評価されていいピアニストだと思う。なんといっても弾いて、選んでいる曲がいつも素晴らしい。その典型がサティだろう。エリック・サティが、今これほど人気が定着したことの一番の貢献者はなんといってもアルド・チッコーリニだし、日本では高橋悠治・アキ兄妹だ。
弾きだしてからまさに空間が色づくような名演である。むしろインテリアの一部のような音楽だ。無視も意識もできる音楽。これぞブライアン・イーノ言うところのアンビェント・ミュージックの起源と思える。
これから音楽を聴いていく子供たちにも勧めたい。
・「高橋悠治のサティ」
デジタル録音の先駆者日本コロムビアがかってアナログディスクで出していた演奏で、 1976 年の録音ながらデジタル録音( PCM 録音)。“このディスクにはところによりピアニシモの部分に微少なノイズがありますが、 1970 年代のデジタル録音のためオリジナル・テープにあるものです。ご了承ください。”との表記があるが、気にするほどのことはない。いかにも高橋悠治らしいサティだ。“ジュ・トゥ・ヴ”など、もっとロマンチックに演奏されることが多いと思うが、高橋悠治は心地よいぶっきらぼうさで弾き切っている。私は非常に良いと思うが、ロマンチックな抑揚や瞑想的な癒しを求める人には合わないだろう。
・「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
エリック・サティ(1866~1925)が現在のようにコマーシャルにまで多く用いられ、生活に浸透して行った『演奏者』としての最高の功労者はと言えば日本ではあまり評価が高いとは思われないアルド・チッコリーニだろうし、日本における最大の功労者は間違いなく高橋悠治・アキ兄妹だろう。
1980年2月、ニューヨーク州立大学バッファロー校に付属していたセンター・オブ・ザ・クリエイティブ・アンド・パフォーミング・アーツ(創造的演奏芸術センター)のメンバーであった高橋アキは、このセンターのディレクターであった作曲家モートン・フェルドマンからそこでのリサイタルにメシアン・クセナキスの曲とともにサティの『5つのノクチュルヌ』を所望された。高橋アキは、渋谷にあったジャンジャンで足掛け3年間『エリック・サティ連続演奏会』を行っていてほとんど全曲を日本でおそらく初めて知らしめていたのだ。時にジョン・ケージが大きくエリック・サティに傾倒していて、ケージと30年来の友人であったフェルドマンがサティ*ケージ*高橋アキの3つを繋いだと考えられる。
その時兄高橋悠治はサティの音楽をより、音楽論的に作品分析を行っている。例えば最も有名なサティの曲『ジムノペディ第3番』は、メロディーをMとし、前奏・間奏・後奏をLとして小節数を数えると次のような図式になる。L4M9M7M7/L3M10/L2__M6M7/L5かくて主旋律から伴奏和音が予想できず、あらゆる虚飾の剥ぎ取られた純な音が抽出され、音楽が生成されていく。
美しいサティの音楽がサロンに埋もれることなく、全曲を漏れなく今この耳に聴けると言う奇跡を起こした人、それが高橋悠治とアキだ。
・「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
エリック・サティ(1866~1925)が現在のようにコマーシャルにまで多く用いられ、生活に浸透して行った『演奏者』としての最高の功労者はと言えば日本ではあまり評価が高いとは思われないアルド・チッコリーニだろうし、日本における最大の功労者は間違いなく高橋悠治・アキ兄妹だろう。
1980年2月、ニューヨーク州立大学バッファロー校に付属していたセンター・オブ・ザ・クリエイティブ・アンド・パフォーミング・アーツ(創造的演奏芸術センター)のメンバーであった高橋アキは、このセンターのディレクターであった作曲家モートン・フェルドマンからそこでのリサイタルにメシアン・クセナキスの曲とともにサティの『5つのノクチュルヌ』を所望された。高橋アキは、渋谷にあったジャンジャンで足掛け3年間『エリック・サティ連続演奏会』を行っていてほとんど全曲を日本でおそらく初めて知らしめていたのだ。時にジョン・ケージが大きくエリック・サティに傾倒していて、ケージと30年来の友人であったフェルドマンがサティ*ケージ*高橋アキの3つを繋いだと考えられる。
その時兄高橋悠治はサティの音楽をより、音楽論的に作品分析を行っている。例えば最も有名なサティの曲『ジムノペディ第3番』は、メロディーをMとし、前奏・間奏・後奏をLとして小節数を数えると次のような図式になる。L4M9M7M7/L3M10/L2__M6M7/L5かくて主旋律から伴奏和音が予想できず、あらゆる虚飾の剥ぎ取られた純な音が抽出され、音楽が生成されていく。
美しいサティの音楽がサロンに埋もれることなく、全曲を漏れなく今この耳に聴けると言う奇跡を起こした人、それが高橋悠治とアキだ。
・「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
エリック・サティ(1866~1925)が現在のようにコマーシャルにまで多く用いられ、生活に浸透して行った『演奏者』としての最高の功労者はと言えば日本ではあまり評価が高いとは思われないアルド・チッコリーニだろうし、日本における最大の功労者は間違いなく高橋悠治・アキ兄妹だろう。
1980年2月、ニューヨーク州立大学バッファロー校に付属していたセンター・オブ・ザ・クリエイティブ・アンド・パフォーミング・アーツ(創造的演奏芸術センター)のメンバーであった高橋アキは、このセンターのディレクターであった作曲家モートン・フェルドマンからそこでのリサイタルにメシアン・クセナキスの曲とともにサティの『5つのノクチュルヌ』を所望された。高橋アキは、渋谷にあったジャンジャンで足掛け3年間『エリック・サティ連続演奏会』を行っていてほとんど全曲を日本でおそらく初めて知らしめていたのだ。時にジョン・ケージが大きくエリック・サティに傾倒していて、ケージと30年来の友人であったフェルドマンがサティ*ケージ*高橋アキの3つを繋いだと考えられる。
その時兄高橋悠治はサティの音楽をより、音楽論的に作品分析を行っている。例えば最も有名なサティの曲『ジムノペディ第3番』は、メロディーをMとし、前奏・間奏・後奏をLとして小節数を数えると次のような図式になる。L4M9M7M7/L3M10/L2__M6M7/L5かくて主旋律から伴奏和音が予想できず、あらゆる虚飾の剥ぎ取られた純な音が抽出され、音楽が生成されていく。
美しいサティの音楽がサロンに埋もれることなく、全曲を漏れなく今この耳に聴けると言う奇跡を起こした人、それが高橋悠治とアキだ。
・「聞きやすいです。」
サティというとボクはピアノ曲しか知らなかったのですが、オーケストレーションされているとまた気分がちがいますね。ラムルー管の響きの柔らかさも好きです。特に、クラリネットやオーボエなどの木管の音色が気に入りました。
・「癒されます♪」
1曲目から想像を裏切られました (いい意味で)!サティといえば、イージーリスニング的なイメージしかなかったので、まずジムノペディで流れるようなオーケストラの演奏に圧倒されました。ハープの音色や包み込むような弦楽器の音色がとてもステキです。ほかにも聴いたことのある曲や楽しい曲、気軽に聴ける曲がたくさん入ってるので、盛り沢山な感じでした。いろんな曲に挑戦されてる佐渡さんの才能を感じさせられるアルバムでした♪
・「音の深く重たいサティー」
まずしょっぱなから、テンポのとてももったりした演奏にとまどってしまうが、この演奏者は、一音一音の意味を確かめ確かめして弾いているのだ、ということがわかる。ここには音の軽やかな流麗さはないが、かわりに音の深く重たい〈意味化〉とでもいうべきものがある。この演奏を是とするか非とするかは、人によって分かれるところだろうと思うが、私はこうした演奏がひとつぐらいあってもいいと思うし、軽やかに流れすぎるサティーや、音の無意味化されたサティーに不満をもつリスナーには、うってつけといえる。ただ、私としては、ここまでしなくても、もう少し中庸の側に位置する演奏を求めたい気持ちがある。
・「浸透しつつ流れる11曲」
これを聞いて知りました。あれもこれも、聞いたことがあったけど、サティっていうんだ・・・と。
この中には11曲と、今回の総合プロデューサーЯ・Kの詩のようなエッセイがついています。演奏しているのは、ARTISTS:PASCAL ROGE パスカル・ロジェと、ALAN MARKS アラン・マークス。同じ曲でも、アルバムによって、それぞれテンポ・解釈が違っているみたいですね。わたしはこれで十分です。
本を読むときや、寝る前、リピートでかけっぱなしにしていても、なかなか飽きないのは何故でしょうか。
特に、寝る前の11曲目。もし、『穏やかな死』というものがあるのなら、こんな曲が降ってくるのかもしれない・・・と、密やかに思っているのです。
・「ゆっくり満たされる」
特に意識してこういうのを聴くことはないんですが、サティだけは昔から好きでふと聴きたくなったので買いました。 このアルバムの総合プロデューサーЯ・Kのエッセイの中で「サティの音には、我々が求めるものが半分入っています。」というフレーズがあるんですが、まさにその通りと思わされるくらい心の底あたりから満たされるんですよね。 時間をゆったりと感じたいときに聴きたいなと思うアルバムです。
・「おどろくほど緻密な小品集です。」
装丁のおしゃれさがウリなのかどうかわからないけれど、今また出してきて手に取るとあまりぴんと来ないかんじ。プロデュースしたひとが何物なのかも良く知らない。けれど豊富に収められた作品のひとつひとつはとても丁寧に作られていて、それぞれのノスタルジックなもの、個人的な感慨、わ~っと湧きあがってきて
涙することもあった。サティは決して癒しやアルファ派だのの安っぽい特盤に含まれて欲しくないなと思う。だけれど、こんな丁寧なアルバムなら大事にしまっておきたい。
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