メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書) (詳細)
ノーム チョムスキー(著), Noam Chomsky(原著), 鈴木 主税(翻訳)
「民主主義社会に生きるものとして一読すべき本」「「華氏911」を見た後にいかがでしょう」「名論文『メディア・コントロール』が邦訳された」「メディアによって隠された真実の探求。」「火星人の視線」
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (詳細)
エドワード・W. サイード(著), Edward W. Said(原著), 大橋 洋一(翻訳)
「知識人のあり方を通して自己のあり方を問う」「あなたの生き方を問う一冊」「我々自身が真実を語るために」「読み甲斐のある知識人論」「日本に知識人はいるか?」
漱石文明論集 (岩波文庫) (詳細)
夏目 漱石(著), 三好 行雄(編集)
「漱石の先見の明には驚かされる」「小説より」「真の意味での自己本位とは....」
知の技法―東京大学教養学部「基礎演習」テキスト (詳細)
小林 康夫(編集), 船曳 建夫(編集)
「息の長い本」「あとがきが一番面白かった」「肩のこらないよい本です。」「知のエッセンス」「「認識の技術」とは」
バカの壁 (新潮新書) (詳細)
養老 孟司(著)
「最後まで読みました。」「おもしろい視点」「本書の評価は、意外にバランスがとれている。」「これ以降の氏の著作は」「バカの壁の意味をまず知ろう!」
ジェネレーションY―日本を変える新たな世代 (詳細)
日本経済新聞社(編集), 日経=(編集), 日本経済新聞=(編集)
「同世代の感想。」「面白い」「面白い!と思う。」
カリスマ受験講師の「考える力」をつける本―記憶力・読解力から論理力まで、最大の効果を生む勉強法! (詳細)
出口 汪(著)
「勉強がおもしろくなる一冊」「資格取得・受験勉強に応用できる!」「内容はおもしろいが・・・」「どこにでもある本」
カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法―「自分の頭」がもっと賢く使える! (知的生きかた文庫) (詳細)
出口 汪(著)
「意外に役立つ」「論理的思考の入門書」
ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書) (詳細)
鬼界 彰夫(著)
「初級者からより突っ込んで学びたい人に最適!」「ウィトゲンシュタインの一生の思考の成果を冷静に観察」「興奮!」「たまに考えるくらいで哲学者と自称するのはおこがましい、ということがよくわかった」「後期思想を知るなら」
レトリック感覚 (講談社学術文庫) (詳細)
佐藤 信夫(著)
「言語表現の限りない可能性」「言葉を生きたものにするために」「だからことばはおもしろい」「小説家志望者にお薦め。」「すばらしい!」
● 新書・文庫
● 購入予定リスト
● いろいろ2
● 自分用メモ
● Avram Noam Chomsky, Ph.D. (1928-)
● 購入予定(本)1
● 学問・知識人論
●メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
・「民主主義社会に生きるものとして一読すべき本」
高名な知識人であるノームチョムスキーが自国(アメリカ)の政策を通して現代の西側における民主主義を自身の視点で語っている。著書に出てくる事柄はアメリカ主体のもので、アメリカの民主主義の矛盾を暴いているが、日本も同様の政治体制を採用している点からすれば人事ではない。
本の後半に収められている対談での締めくくりに彼の放った一言が心に残った。「他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいてアメリカ人はなんてひどいことするんだといっているのは簡単です。日本の人たちが今しなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか」
150ページ程度の薄い本だが、その内容を理解すれば、大きな価値になる。もっとたくさんの事実を求めて色々な本を読みたくなるのではないだろうか。彼の狙いはそこかもしれないと思った。読み終えて、自分自身を振り返ったとき、自分は偽善者の仲間でないと言える人はいるだろうか?
・「「華氏911」を見た後にいかがでしょう」
「華氏911」を見てアメリカの政治に興味を持った方におすすめです。チョムスキーはマイケルムーアが映像でやったことをずっと言葉でやり続けています。見て見ぬふりのできない彼はベトナム戦争から一貫してアメリカ政府の欺瞞を暴いてきました。本書ではアメリカ政府が標榜する民主主義がいかに怪しげなものかをわかりやすく説明し、彼らが一方的に吐き出す情報を鵜呑みにすることの危険を説いています。読む人の視野を広げ、考えることを促します。彼は自分の意見を主張するのではなく、何らかの汚い目的のために覆い隠されている情報を鋭い知性でもって世の中にさらけ出して、さあ見えないところでこういうことも起こっていますがどうですかと考えさせるのです。訳文も見事で読みやすく、情報が命の現代にはかなり身近な書物になりうると思います。
・「名論文『メディア・コントロール』が邦訳された」
『メディア・コントロール』は、スポンサー・政府・メディア・知識人が一体となって、“民主主義社会”における世論の合意を捏造していく過程を豊富な事例にもとづいて論証している。このカラクリのなかで、判断を誤らないためにはどうすればよいか。 「正しい知識をもつこと」 「二重思考に陥らないこと」
「知的誠実さと行動する勇気をもつこと」チョムスキーは一貫してこのことを訴えている。彼独特のアイロニカルな論調ではあるが、最近のイラク戦争をめぐるデタラメに接した直後であるだけに、読後感はとても爽やかである。
・「メディアによって隠された真実の探求。」
チョムスキーは本書で、アメリカを中心とした世界主要各国のメディアを使った世論工作、組織的宣伝活動について、厳しい指摘を投げかけています。そこには、戦争やテロの真の姿が、これらの活動によって覆い隠されているという事実があるからです。一般の知識人は、知っていても決して表沙汰にはしないこれらの事実を、チョムスキーが公然と主張している様子からは、彼の真実を追い求める信念の強さを感じることが出来ます。
この本を読んでいて思い出すのは「勝者が歴史を作る。」という言葉です。多大な犠牲者を出す敗戦国のことではなく、戦争に勝った立場の国を中心として歴史は後世に残されていく。極端に言うと前者を悪玉、後者を善玉にしてしまい、その背景にある善玉にとって不都合な事柄は全て闇に葬りさられてしまうというこの言葉は、現在ではそのままアメリカに当てはめることが出来るのではないかと、この本を読んで思いました。
また、本書の最後にある作家辺見庸氏とのインタビューも非常に読み応えがあり、国際社会情勢に少しでも関心のある人にはぜひお勧めの一冊です。
・「火星人の視線」
「メディアと教育制度を完全に掌握していさえすれば、あとは学者がおとなしくしている限り、どんな説でも世間に流布させることができる」(「メディア・コントロール」より)
思想家としてのチョムスキーを知るための入門書というべき存在。わかりやすいし、読みやすい。
ふだんはあまり気づかなくても、少し考えてみれば「あれ、おかしくないか?」と思うことはたくさんある。当たり前だと思っている思考の枠から、少し抜け出してみる。自分で考えて、声を出す。チョムスキーが言いたいのは、そんなごくごく普通のことなのだと思う。
違う目線で世界を見ることは、これからの情報化社会ではますます必要になってくるだろう。「火星人の視点」で日本を、世界を見てみることの重要性が、この本では一貫して説かれている。
・「知識人のあり方を通して自己のあり方を問う」
私とこの本の出会いのきっかけは、数年前にとある大学教授が退官にともなう記念に実施された最終講義にさかのぼる。その教授は、その最後の姿を見届けようと集まった教授や生徒を前にして、ご自身の生い立ちや研究とその成果を語り、講義の最後にこの本に触れ、この内容にいかに触発されたのか、そして退官後はこの本を基準として「周辺的知識人」になるために日本を飛び出して生活するつもりだと、具体的な人生設計までをも語っておられた。そして「是非みなさんも読んでいただきたい」と勧められ、講義は閉じられた。
その教授を知識人とするなら、私なんかはもちろん「知識人」と呼称されるに到底及ばない存在である。しかし、この本が投げかける数々の問いは、鋭く自分につきささったのも事実であるし、「知識人」と自認しなくても、これを通読した多くの人もそのような感覚を得たのではと思う。そして悩む。知識人はいかに存在し、誰をどのように表象するべきなのか、誰に向かって主張を訴え続けるべきなのか。特に、自国の犯罪行為には目をつぶって、他国の犯罪行為に対しては糾弾し断罪するというある意味「国際的な習慣」には、疑問をぶつけずに納得してしまっていいのか、「どこの国でもそれをしてるし、それが世界のやり方ではないのか、それが現実だ」として簡単に結論づけてしまっていいのか、との問いは「知識人」であるかあるまいかに関わらず非常に重くのしかかる。そしてそれは何も国際関係にこだわらなくても、普段の生活、社会、メディアといったマスのあり方にも限りなくリンクしているはずである。そして最終的に自己のあり方として直に問われることはいうまでもない。
大著「オリエンタリズム」を読み終えたときは、その迫力に圧倒され、歴史の積み重ねがもたらして突きつけた難題にある種の「絶望感」を抱いてしまった。それに比べてこの本はページ数も少なく読みやすいので、まずサイード入門編として手に取ることを万人にお勧めできる。それと同時に、自身の思考がどこかに迷いこんだときに、何か「原点」を照らしだしてくれるような書ではないかと思う。
・「あなたの生き方を問う一冊」
サイードは本書の中で知識人のあるべき姿を語っている。だが、これはむしろ私たちひとりひとりに自らのあり方や生き方を問うているのだと考えたほうがいい。たとえば、彼は何度となく「弱者の側、満足に代弁=表象されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか」と選択を迫る。ずばりストレートに、そして、きわめて真剣に。私にはそれがサイードという個人の生き方を端的に表しているように思えてならない。そんな彼だからこそ、たとえば「もし敵による不当な侵略行為を非難するならば、自国の政府が弱小国家を侵略した場合にも、ひるまず非難の声を上げられるようになっていなければならない」というこの上なく単純明快で、しかも力強い主張が生まれてくるのだろう。本書で読むべきはこのような圧倒的に魅力的な個人である。若い人たちは大いに励まされるんじゃないか。
・「我々自身が真実を語るために」
本書ののタイトルは『知識人とは何か』だが,英文タイトルは Representations of the Intellectual である.the Intellectual とは知識人を指すが,問題は Representations だ.ハードカバーの「訳者あとがき」にもあるが,この語は多義的で,表現,描写,代表,説明,主張などの意味がある.つまり本書のタイトルは「知識人についての描写」や「知識人についての説明」という意味だけでなく,「知識人が表現すべきこと」や「知識人が代表すべきもの」という意味も含まれていると考えるべきだ.すなわち本書は,著者による,理想知識人像のスケッチであると同時に,著者が考える知識人の本来的使命をも伝えているのである.
本書に依れば,知識人の原動力として必要なのは,利益や褒賞ではなく愛好精神と興味によって突き動かされ,自由に観念・価値を追求せんとするアマチュアリズムである.もちろん専門能力はあるにこしたことはないが,それに縛られては本末転倒だ.サイードはそのようなアマチュアリズムの好例として,言語学者ながら,政治学者顔負けの論陣を張るノーム・チョムスキーを挙げる.また本書に依れば,知識人は「権力に対して真実を語」(本書四章章題より)らなければならない.そのためには物事をcoolに眺める視点が必要だ.比喩的に言えば「国家と伝統から離れ」ることであり,熱狂的愛国者のように,考えることを止めてしまわぬため,いわば「知的亡命」者として在る必要があるということだ.
我々個人個人が,真実を語る知識人であることを見失わなぬためにも,本書を教戒の言葉として噛み締めるべきである.
・「読み甲斐のある知識人論」
「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」
表紙カバーにあるこの要約は、本書に書かれている内容を見出し的によくまとめている。
とりわけ、「知識人」を「アマチュア」と定義し、「専門家」と対置させるというあたり(第4章・第5章)は、読み手の意表を突きつつ、サイードらしい議論が展開されていて読み応えがある。
BBCでの連続講演を収めた本であるだけに、比較的簡潔で読みやすい。サイードという、議論の内容以上に知名度のある人物の言わんとしていることを知るには、いい手がかりとなるだろう。
・「日本に知識人はいるか?」
土日の朝の番組で、知識人と称する人たちが、事情通のことをとうとうと述べる事がおおいが、果たして本当に彼らは知識人なんだろうか。
作者、サイード氏はパレスチナ人でキリスト教徒である。現在アメリカに住みアメリカのパレスチナ政策へ批判を続けている。彼の基本的なスタンスは、正しいと思う事を大衆に伝える事であり、それはたまたま体制側に寄っていてもまたは対立関係であっても、信じた事を伝えるべきであるとしている。そして、仮に体制から弾圧があったとしても、知識人はそれによって知識人としての価値を高めると主張する。果たして、先の事情通の人たちは、この覚悟が出来ているだろうか。そして、政治家の代弁者、ウケ狙いのただの文句屋になっていないだろうか。知識人はそんな安物ではいけないのだ。そんな事を考えさせる本である。
・「漱石の先見の明には驚かされる」
明治時代の大インテリ(政府から派遣されて留学したのはご存知の通り)である漱石が、「文明開化」に対する抵抗感などを語っている。漱石の生きた時代、次々に輸入されてくる文化によって、人々は否応なしに急激な変化の波に呑み込まれた。漱石は、これから先、この変化のスピードはどんどん早くなり、生きにくい世の中にますますなっていくだろうと語る。これを読み、今の時代の忙しなさは、明治時代と地続きであることを知った。「私の個人主義」なども収録されている。 主に、「漱石の講演」が収められているため、読みやすい。
・「小説より」
実は小説よりも好きかもしれない。特に好きなのは明治三十四年三月二十一日の日記。
「未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行へ。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となって現はるべし。」
すごい。日記とは思えない。日記ってとても個人的なことを綴るものだから、これが漱石の素顔なんだと思う。作家として、人としての誠実さに感動する。
・「真の意味での自己本位とは....」
「今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。」このことに気付いた漱石はこの後大変”強くなった”と語っています。他人には気付かれない自分の中の煩悶に悩み、苦しみ続け、葛藤の末にたどり着いた彼の境地。これから社会へ出る人にぜひ勧めたい一冊です。
・「息の長い本」
出版された当時は「10年もすれば全く時代遅れになって使命を終えることを目指した?」はずの本書が十年以上現役でいることにまずうれしくも驚いた。
時間がたっても知的刺激は衰えていない(と私は思う)。歳をとって読み返したらとてもつまらなかった,という感想を持つ人は,成長した人だと思います。学校というのはそれほど変化にとんだ場ではありません。箱は同じで,毎年フレッシュな人が入り,それで若さをかろうじて保っているような,そんな微妙な場なのです。新たにこの本を手にする人が刺激を受けられるならそれでいいではありませんか。
・「あとがきが一番面白かった」
本書は、いわゆる各分野の研究者が、自分の研究のダイジェストを書いていて、色んな講義をまとめて受けてる感じがします。それぞれが興味深いテーマを講義しているのですが、途中までは本としてのまとまりがないなぁと思って読んでいました。それがあとがきで一気に氷解。そういう意図でこのような構成になっていたのかと納得しました。一番面白かったのはあとがきかも。
これから大学で学ぶ人には是非このあとがきだけでも読んで欲しい。学び方のコツが分かります。後は興味によって目次を眺めるだけでも良いし、興味のある分野だけ読むのも良い読み方も良いと思います。
・「肩のこらないよい本です。」
社会人入試を目指しているときに求めた本でした。モノゴトを考えるにはさまざまな方法があることがわかりました。講師から講義を受けているような印象を受けました。自分とはまったく違う価値観をもっているひとがいることを知ること。表面だけではわからない細部にこめられた意味をさぐることで絵の見方が変わること。史実を伝えていくうちに、現実とは違うものが付加されてしまう怖さなど。確かにほかのレビューにもあるように、統一したものはありませんが、それでいいのだと思います。さまざまな技法を現したものなのですから。
・「知のエッセンス」
東大教官の研究エッセンスとものの見方。本書には、後半に発表の技術的なことが書かれている。研究という場のエッセンスは、十分味わえ、研究の入り口を知るにはとてもよい読み物だと思う。教官ごとに温度差のある文章ではあるが、大学の初学年には程よい本になっている。本書を教科書として読む東大生には気の毒だが、一般の読者には十分楽しめる。
・「「認識の技術」とは」
当時話題になった、東京大学教養学部の「基礎演習」で使用されていた(されている?)テキスト。「知」の作法を学ぶための本。
私の読んだ時期が悪いせいかもしれないが(既卒)、各要素の連関性がわからず結論として何を指摘したかったのかがつかめなかった。ものごとには「このような理解の仕方もあるよ」ということを雑多に紹介しているように感じる。
とはいえ、大学1年生にとってはそれでも面白い発見があるのかもしれない。特に本書の中核である第U部では様々な「認識の技術」が紹介されているが、「フィールドワーク」による私たちの常識の打破や、たった数行の文章から本文全体のテーマを読み取る「解釈」は、学問の奥深さを私たちに教えてくれる。
それだけに、第U部の各項目の整合性に編者はもっと気を払ってもらいたかった。例えば、「構造」「比較」「関係」は、明らかに部分的な内容の一致を含んでいるが、これらは包含関係にあるのか、それとも独立したものとして捉えられるのか。また「統計」による分析と「モデル」による分析は並列して良いものか。できうることならば、ここで挙げられた「認識の技術」の実践的な活用方法について、もう一歩踏み込んで欲しい。
「知」の技術・作法を学ぶという姿勢に疑問を感じないわけではない。そこには「知」の矮小化が潜んでいないかという危惧がある。しかし、そのような問題をひとまず脇に置いておけば、大学で学ぶべき『知』とは何かについて知るための手頃な入門書であることは疑いない。「『賞味期限』がせいぜい数年」であると筆者が断っているが、現在でもまだまだ利用価値のある一冊である。(新版が出ているようであるが、評者はまだ読んでいないためコメントは差し控えたい)
・「最後まで読みました。」
この本にはいろいろな捉え方ができる本だと思います。信じきってしまうのもよし、反面教師とするもよし。ただ内容が気に入らなくても、最後までしっかり読もう、と思える本でした。それは確かです。
私個人としては、「いちいち読んだ本によって生き方を変えるんじゃない」というメッセージが裏に隠されているのではないか、と勝手に解釈しました。
・「おもしろい視点」
否定的な意見がずいぶん多いですね。私はこの本を読んで大変刺激を受けました。こんな見方もある。こんな世界観がある。読んでいるうちにワクワクしてきてすぐに読み終えてしまいました。 「読まないほうがいい」というレビューを見て読まない事にした人がいたらこれこそ「バカの壁」ですし、そうさせた方も「バカの壁」。
著者の言いたい事を自分の経験とリンクさせながら素直に感じながら読めば、得るものは沢山あると確信しています。
・「本書の評価は、意外にバランスがとれている。」
本書のレビューは、酷評一辺倒の投稿が続くという、一種の一元論的傾向に陥ると、決まって評価するレビューが投稿され、バランスが取れるようになっています。つまり、本書に警告された、「寛容さ」の喪失は防がれる方向に働いているのです。意外にこの国の国民はバランス感覚があるのかもしれません。
一方、もし評価一辺倒だったら、本書の価値が本当は分からないのに、分かったふりをする人が増加し、逆に本当の価値が曖昧なまま終わってしまったことでしょう。
この意味でも本書は再読し、違った角度から、その意味するところを見直してみることが必要でしょう。
・「これ以降の氏の著作は」
よくよく考えて慎重に購入するようになりました(笑 というより、昨今の新書全般にいえることだとも思いますが。何でも良いから、その線で書いてください、なんて出版社に頼まれても、気安く書いてはいけませんよ。さておき、この本の内容は、これまで氏が書いて来られた内容と重複しています。きっと、それら過去の内容を「分かり易く、一般受けするように」つまみ出して書かれたのだとは思うけど、酷評にもあるように、かえってわかりにくくなっているように思います。だけど、言いたいことは解りますし、共感も得ました。だけどだけど・・・・やっぱりすんなりと解ることが出來る文章ではありませんでした・・・・唯脳論、臨床哲学、などの方が、ずっと解りやすかったのは、やはり新書という形式、受けねらい(他者によるものだとしても)、などの所為かもしれませんね。がっかりした方、過去の氏の著作をお薦めします。★数は、ご苦労様の意味で。
・「バカの壁の意味をまず知ろう!」
この本は、「バカの壁」の意味がわからないと、途中で何を言っているのかわからなくなります。まず、始めと終わりの部分を読んでから、真ん中あたりを読んだほうが良いと思います。
・「同世代の感想。」
Y世代についてよくかけていると思う。比較してはいけないけど、10代のぜんぶみたいに10代のステロタイプを単に書き連ねているのではなく、私たちの世代についてのステロタイプが全部が全部そうではないという記述が嬉しかった。
・「面白い」
この本を読んで一番に感じたのは、人を『くくる』ことはできないということでした。 ただ、この本が星4つなのは、この本によって、このYジェネレーションでくくられる時代の特徴を理解できると思うからです。 私自身はY世代よりも少々年上ですが、現代ほど急速に科学技術や人間の移動、文化の共有がなされている時代はなかった。 その長短を考える上で、その流れを知る上で、最上の入門書であると思います。 なんと言っても、読みやすいです。 ぜひお勧めの一冊です。
・「面白い!と思う。」
内容はY世代の人を例にあげて、この世代の特徴を紹介しているものだ。自分がこのY世代ということもあって共感することも多かった。自分の子供の気持ちが分からないというような親世代の人にとって学ぶことも多いだろう。ただ、具体例が多く内容は薄かったような。
●カリスマ受験講師の「考える力」をつける本―記憶力・読解力から論理力まで、最大の効果を生む勉強法!
・「勉強がおもしろくなる一冊」
この本を読んで論理的に考える事の重要さがわかりました。大学受験を目指している方ならきっと今までの自分の勉強方法を違う視点で見ることができると思います。「考える力」関連の本はいろいろ出版されていますが、この本は受験勉強を通して論理学をわかりやすく説明した本だと思います。
・「資格取得・受験勉強に応用できる!」
さすがは、受験国語のカリスマ・・出口先生の著書ですね。特に巻末の最強の勉強ノウハウがとても役立つと思います。記憶力・論理力がいかに大切か?これをわかりやすく解説したのがこの1冊です。
・「内容はおもしろいが・・・」
本書は確かに面白く、「なるほど!」と思わされる箇所がたくさんあるが、実際に考える力をつけることができるかは、甚だ疑問である。
国語の先生なので、ある程度はやむを得ないが、読書をして、その要約ノートを作ることを勧めているのはいかがなものだろうか。
まず社会人であれば、そこまでやる時間の確保が難しい
し、持続させるモチベーションの維持にも厳しいものを感じる。
大学受験生も同様で、大量の暗記を必要とする立場の人間が、悠長に要約ノートなど作成する気になるだろうか?
発想はおもしろいが、現実的でない部分に不満を感じた。
・「どこにでもある本」
この本のタイトル「カリスマ受験講師」と書かれているの目が引かれ買いましたが、書いてある内容はどこにでもあるような内容です。とくに、斬新な考え方ってものもなくほかの勉強法の本のほうが丁寧に書かれてるかなと思うぐらいでした。
●カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法―「自分の頭」がもっと賢く使える! (知的生きかた文庫)
・「意外に役立つ」
ロジカル・シンキングを身に付けようと躍起になって論理の本を読み漁っていたときに出会った1冊。意外や意外、簡単に論理の説明がしてあるではないか。シンプルなたった5つくらいの法則が頭に入って、それからプレゼンテーションや口頭での説明が論理的にできるようになりました。オススメです。
・「論理的思考の入門書」
軽快に読み進める面白い本です。著者は論理的思考法の重要性を非常に分かりやすく説明しています。「論理的思考」というとどうしても堅苦しくドライになりがちですが、本書はそんなことありません。少しオーバー過ぎる位説明が感情的で、まさに「カリスマ受験講師」による説明です。しかし、論理的思考の説明にもっと説明を取ってほしかった。また、最初の部分に著者の宣伝とも受け止められる部分が少し多すぎる。「論理的思考とはどういうものか?」に興味がある人にぴったりの本です。
●ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書)
・「初級者からより突っ込んで学びたい人に最適!」
この本の独自性は主に二つあります。
一つは最近になって可能になったウィトゲンシュタインの膨大な草稿を参照した点です。公刊された著作は草稿と統一的に理解しなくては、到底理解できないと鬼界氏は主張します。
二つ目は、ウィトゲンシュタインの思想を、いくつかの主題的な問い(言語、論理、私など)の深化の過程として捉えたという点です。
鬼界氏独自の比喩や概念を補助線として使い、ウィトゲンシュタインの思考の中核的な部分をえぐりだしていきます。ですから興味深くても本筋ではないトピックはばっさりとカットされ、集中的に考察されたのは「論考」「探究」「確実性の問題」で、青色本などは概観されるのみです。
この本では過去の論者の諸解釈を包括する解釈が多いのも特徴です。つまり、それぞれの諸解釈はウィトゲンシュタインのある要素を強調したために分かれたのだ、ということが納得できるような視点が多いように思いました
しかし確実性の問題などは、鬼界氏の補助線の
ウェイトが多くて、鬼界氏とウィトゲンシュタインの思考が混合した、独自の語りになっています。容易に理解できない、優れた問題提起です。
この本はウィトゲンシュタインがどんな人か知りたい、人には、理解しづらいでしょう。しかし、ある程度知識があり、いろんな解釈も知っているが、本当のところはどうだろう、くらいの中級レベルを目指す
方にはとても合っていると思いました。(自分がそうなので)
また、この本で示された観点を他の哲学者と対比させるのも興味深いと思われます。(特に探究の考察はヒューバート・ドレイファスのハイデガー解釈と重ねたら興味深そうに思えます。)
・「ウィトゲンシュタインの一生の思考の成果を冷静に観察」
ウィトゲンシュタインの一生の思考の成果を冷静に観察したものであると感じた。とかく専門家は自分の専門に対しては主観が入りやすく、自分の著書の中で先行理論と自らの考察を主観的に混同することも多いが、この著者はウィトゲンシュタインの文献に即して記述しながらも、自らの考察を客観的に織り交ぜながら議論を進めていると思う。人間が一生かけて考えぬいたことを、このように時代別・思考の違いに即してに解体し、最終的に至った思考結果を示す書物がもっと増えてほしいものである。新書でこのような書物に出会えることは幸せなことであると思う。
・「興奮!」
ウィトゲンシュタインが、何を問題にし、どう考えたかを、年代順に読み解いていく本です。「論理哲学論考」「哲学探究」を、多くの手稿などをもとに、読み解いてきます。「論理哲学論考」だけでは、わかりにくい、ウィトゲンシュタインの思考の過程、問題意識などを、手稿などで補強しながら、解説してあります。
ウィトゲンシュタインは、読んだことのなかったですし、哲学にも素人ですが、わかりやすく書いてあり、わかった(ような)気になりました。
興奮しました。言語とは、こんなものなのか、世界とは、こんなものなのか・・・読んでてドキドキします。新しい地平が見えた気がしました。
読みごたえもあり、非常に満足です。
・「たまに考えるくらいで哲学者と自称するのはおこがましい、ということがよくわかった」
2000年になって、2万ページにおよぶウィトゲンシュタインの遺稿がCD-ROM版として出版された。これにより、これまでの出版物に書かれた彼の思想の意味が一層良く理解できるようになるとともに、彼の思考活動の方法が明らかになった。 本書は、ウィトゲンシュタインの遺稿をたどりながら、その思想の軌跡を紹介する。
読みどころのひとつは、もちろん私的確実性と超越確実性言明に至る彼の思想そのものだ。さすがにそこに至るまでの詳細な論理過程すべてを400ページほどの本の中に盛り込めてはいないが、それがどのようなものであるのかは私はこれまで以上にわかったような気になっている。
読みどころのもう一つは、ウィトゲンシュタインが自分の思想を検討し組み上げていく過程だ。日常の中でいつ考え、どう思考結果をまとめていたのかを通じてすさまじいまでの哲学者としての生き方が伝わってくるように思う。
・「後期思想を知るなら」
「私はすばらしい人生を送ったと、皆に伝えてください」
ウィトゲンシュタインほど徹底して哲学者を貫いた人間はいないであろう。生と死のぎりぎりのところで、生涯思索し続けた人間である。
ウィトゲンシュタイン関連の著作ではほかに永井均氏や野矢茂樹氏の著作が私的にお勧めだが、特にこの鬼界氏の著作で注目すべきは難解と言われるウィトゲンシュタインの後期思想に関し実に判りやすくまとめてある点だ。「言語ゲーム論」は彼の思想において最も有名な術語であるが、今までピンとくるような明快な著作がなかった気がする。
初めてウィトゲンシュタインに触れる人に是非!と薦められる著作ではないが(難しい)、手にとって一読する価値は間違いなくある。
永井氏の著作から入って、野矢氏、鬼界氏の順に読んでいくのが彼の思想を理解するには善いかもしれない。
・「言語表現の限りない可能性」
古代ギリシアから近代ヨーロッパまで受け継がれた「伝統的」レトリックは、 1.相手を言い負かすための <説得> 効果 2.ことばを芸術的に飾るための <美的> 効果という2つの役わりを言語に与えるための技術学であった。
本書は「伝統的」レトリックの体系が見落としていた視点 <発見的認識の造形> に光を当て、直喩・隠喩・換喩・提喩・誇張法・列叙法・緩叙法といったフィギュール(言葉の「あや」)の解説とともに、レトリック第3の役わりを探る。
言葉の数には限りがある。辞書に載っている通りの意味で言葉を組み合わせることだけでは、物事や自分の気持ちのすべてを表すことは不可能だ。
わたしたちの認識を、できるだけありのままに表現するためのレトリック…言い換えれば限りある言葉の組み合わせに、限りない表現の可能性を与えるためのレトリック…それがレトリック第3の役わり <発見的認識の造形> である。
各フィギュールの解説は「浅すぎず・深すぎず」で、読み応えがあり、かつ、うるさくない。
また、解説に使われる例文が「解説のために作られた例文」ではなく「実際の文学作品からの引用」であり、退屈することがない。
レトリックを知る最初の一冊として、最適の書。
・「言葉を生きたものにするために」
「あの娘はまるで薔薇のようだ」は直喩、「あの娘は薔薇だ」は隠喩……ここまでは分かるけど、換喩とか提喩って何だ?という、レトリックに興味を持ち始めた人にお勧め。比喩の種類を詳しく説明した上で、隠喩を「白雪姫」型の比喩、換喩を「赤頭巾」型の比喩、提喩を「人魚姫」型または「ドン・ファン」型の比喩、と明快に示してくれている。
どの比喩の解説にも、根底に著者佐藤信夫氏の「人を言い負かすためだけではなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要なのだ」という信念があり、そのためにこの本は単なるレトリックの手引書と一線を画している。
全部読み終わって一息ついた次の瞬間、あなたの使う言葉には今までと違う生命力が宿っているかもしれない。
・「だからことばはおもしろい」
レトリック=「言葉のあや」について、実例を示し、その説明をして、日本語という言語でできる表現方法を説明した本です。その表現方法による効果の説明もあります。実例が幅広く、面白い。難しくなく、やさしすぎるわけでもなく、すらすら読むことができました。言葉のおもしろさを、おもしろい表現で教えてくれる本です。「である」調で書かれているのに、ときどき、「〜じゃないですか」「〜と思いませんか」と、読み手に質問する書かれ方が出てくるのが、読んでいて楽しくなってくる、うまい「言葉のあや」だと思いました。言葉の説明を言葉でする。言葉の面白さを言葉で説明し、さらに、読み手を楽しませる。だからことばはおもしろい。
・「小説家志望者にお薦め。」
巷に溢れる小説作法の本には、意外とこのレトリックに関して言及したものがない。小説を小説たらしめるポイントの一つはこのレトリックにあると思うのだが・・・。的確な比喩は間違いなく文章を豊かにする筈だし、日常生活で無意識に使っているこの重要な技法を体系的に理解し、使いこなせるようになるきっかけを本書は与えてくれると思う。
・「すばらしい!」
レトリックは伝統的に、「説得する表現の技術」と「芸術的表現の技術」として発展してきたようだ。単純に当てはめれば、法廷や議会において人々を感動させ、ある見解を受け入れさせるよう導く技術が前者であり、文学や詩において表現を工夫し、人々を感動させようとする技術が後者であるといえようか。
しかし、著者が注目しているレトリックの機能はこの二つではない(勿論これらの機能があることを前提としている)。著者が注目するもの、それは「発見的認識の造形」というレトリックの第三の機能である。
これは、言葉というものが、私たちの思想・考え・感情・思いを伝える道具としていかにも不十分なものであるという認識に基づいている。私たちが感じるものは、無限の様相を呈しており、それを有限の言葉を用いてあらわさなければならない。私という一個の人間が認識した一回限りの個別具体的なものを、言葉で人に伝えようとする。その過程がいかにも困難なものであるということは、日常的にも感じていることではないだろうか。その困難を乗り越え、自分の思いを何とか人に伝えようとする、そのためにレトリックがあるのだ。レトリックは、単に言葉を飾り華やかにすることで人を楽しませることのためだけにあるのではない。伝えたいことを伝えるためにこそレトリックが必要とされるのだ。
本書はそうした視点に立って、直喩・隠喩・換喩・提喩・誇張法・列叙法・緩叙法を取り上げ、日本や海外の文学などから豊富に例をとりながらかなり深いところまで考察を進めている。言語哲学(こういう言葉遣いがあるかどうか知らないが)といえる内容だ。とても面白い。かつ高度である。人間と言葉の不思議な関係を見る思いがするだろう。多くの人に薦めたい好著である。
ケータイからは、シンプルアマゾン(モバイル版)をご覧下さい。
シンプルアマゾンは、安心・安全のネットショッピングAmazon.co.jpの商品を紹介しています。
簡単アフィリエイト:あなたのAmazonアソシエイトIDをアドレスの最後に付けるだけで簡単キャッシュバック!(例:1sas.net/?yourid-22)一度IDを付ければ、シンプルアマゾン内の全商品が紹介料の対象になります。アソシエイトIDはこちらから登録可。