デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション(紙ジャケット仕様) (詳細)
デレク・ベイリー(アーティスト)
「ろ過された音の連続」
アブサン (詳細)
ジョン・ゾーン・ネイキッド・シティ(アーティスト)
「ゾーン愛好家上級篇ですな。」「このジャケットは!」「精神の鎮痛剤」
なしくずしの死(MORT A CREDIT) (詳細)
阿部薫(アーティスト)
「生前の代表作であり、ファン必携の作品。」「都市に生きる者のBGM」「美しき予兆」「サックスをやめたい人の音」
An Anthology of Noise & Electronic Music: Third A-Chronology, Vol. 3, 1952-2004 (詳細)
Masami (aka Merzbow) Akita(作曲), Justin Bennett(作曲), Michel Chion(作曲), Herbert / Beyer, Robert Eimert(作曲), Faust (group)(作曲), Scott (aka Lilith) Gibbons(作曲), CM von / Pauser, Erik (aka Phassus) Hausswolff(作曲), Zbigniew Karkowski(作曲), Erkki Kurenniemi(作曲), Hugh Le Caine(作曲), Rune Lindblad(作曲), Francisco Lopez(作曲), Ilhan Mimaroglu(作曲), Carsten (aka alva.noto) Nicolai(作曲), Bernard Parmegiani(作曲), Gunther Rabl(作曲), Peter (aka Pita) Rehberg(作曲), Michael Rother(作曲), Michael J. Schumacher(作曲), Fred (aka Laminar) Szymanski(作曲)
「メンツは渋いが今作も秀逸」
●デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション(紙ジャケット仕様)
・「ろ過された音の連続」
日本の新たな表現を求めた演奏家たちとのセッション。彼らだけの演奏も充分無駄なものが削ぎ落とされ、表現したいことのみに音を発しているがデレクベイリーが加わると音を出している全員がものすごい緊張感の中で演奏を行っている。まさにろ過された音の連続である。またデレクベイリーが加わると演奏者同士の接着剤になるらしく聴きやすく(人によって様々だが!)なる。
●アブサン
・「ゾーン愛好家上級篇ですな。」
なんだかよく分かるような、わかんないような。表現のしようがないとはこのことだ。蝿がプ~ンと飛んでるような音とか、物音とか。演奏があってもはっきりとした形式ではない。完全フリーなジャズのインプロ。ジョン・ゾーンが何者か知らずにこのアルバムから聴き始めると、多分きらいになる。(笑)
きくものに迎合する甘さなど一切持ち合わせていない、表現だけのための音楽。アバンギャルドの極北です。
・「このジャケットは!」
このジャケットだけで買ってしまいました。JohnZornはジャケットと中身が常に一致しています。このジャケットを見てピンとくる人がいれば是非聴いてみてください。
因みにアブサンとはフランスの詩人たちが好んで飲んだ安酒のこと。
・「精神の鎮痛剤」
とにかく暗くて陰鬱。「パリで詩人達に愛された酒、アブサンに捧げる幻想とデカダンス」という言葉が栞に書かれているが、はまりすぎ。まさに幻想、夢うつつ。そして見事なデカダンス(退廃美)。また「Heretic」や「Torture Garden」のような刺激は無いが、劇薬服用後の頭が持っていかれるような音で埋もれてる。
落ち着き過ぎたい、とことん音楽と戯れたい、そんな時に聴くアルバムとしてはうってつけだと思う。安心して聴けるが、いきなりこのアルバムに手を出すのはお勧めできない。
・「生前の代表作であり、ファン必携の作品。」
1975年10月、コジマ録音。1枚目は同名コンサートより抜粋。「マスターテープ不良のためレコードよりdcs-900B A・Dコンバータ、24ビットを使用して収録した」とあり、全編微細なスクラッチ・ノイズが入っている。収録時間が長いので、レコードはもともと音が良くなかった。それを割り引いて聴いて欲しい。此処にあるのは「彗星パルティータ」の様な、若き天才の迸る才能の煌めきではない。虚無という暗闇に飲み込まれまいと戦い、惰性という退廃に染まるまいと厳しく自己制御に打ち込む、荒行者の姿である(と僕は思っている)。その真摯な姿は胸を打つが、痛々しくて凝視し続けていられない(それは僕の甘さのせいだ)。聴く者に「聴くのなら最後まで付き合えよ」という覚悟を迫る演奏だ。そういう質的変化があると思う。なお、2枚目1曲目のソプラニーノのよる演奏の後半、哀愁を帯びた美しいメロディーが繰り返されるのが印象的。とにかく、薫ちゃんを聴こうとする人は、「彗星パルティータ」の次にこれをどうぞ。
・「都市に生きる者のBGM」
フリージャズは難解か?難解なものをわざわざ聴く必要は無い。難解になるのはそこに意味を見いだそうとするからだ。それも自分の経験と知識の範囲内で。それでは答えなど見つかるはずは無い。答えはいつも宙に舞っているとディランも言っていたではないか。今夜のデートはどこぞの小洒落たジャズクラブで「ジャズ」でも聴こうか・・・だなんてそんなのカッコいいか?「ポパイ」や「ホットドッグプレス」の時代は戻らない。東京の冬の風が冷たくなってきた。背中にゾクゾクと沁みてくる。そんな時こそハードボイルドなフリージャズが似合う。阿部の音は高層建築の間に吹き交うビル風だ。都会のエコーだ。フリージャズを難解なものとして遠ざけるな。都市に生きる者のBGMでいい。阿部薫、あんたカッコいいぞ!
・「美しき予兆」
阿部薫の音色は美しい。それは彼が晩年使用していたギターやハーモニカにおいても同様である。そこには物語はなく、純粋な行為としての音があるだけだった。このアルバムに記録されたアルトサックス、ソプラにーノによるインプロビゼーションは30年近くたった今もそのことを雄弁にかたっている。とはいえ、ソプラにーノ・インプロビゼーションに哀歌を感じてしまうのはいいすぎでしょうか。
・「サックスをやめたい人の音」
阿部薫は、きっと、本当は、サックスをやめたかったのだろう。自分は、彼の音をこのアルバムではじめて聞いたけれど、どうしても、そんな風にしか聞こえなかった。ロックにしろ、ジャズにしろ、やめる為にプレイしているミュージシャンは、アンダーグラウンドには少なからず居る。止めたければ止めればいいのにと思う人もいるのだろうが、ロックもジャズも自己矛盾を抱えない人には、成り立ち得ないものなのかもしれない。もし、そうなら、ここには本当のジャズの姿の一つがある。
●An Anthology of Noise & Electronic Music: Third A-Chronology, Vol. 3, 1952-2004
・「メンツは渋いが今作も秀逸」
広義での電子音楽を集めたコンピの第三集。 今作は「ノイズ」的なサウンドに焦点を当てているような節があります。メンツも渋いですが、音の方も渋めだと思います。第一集や第二集のような幅の広さは今作はお休みでしょうか。 ただ、「ノイズ」といっても「パワエレ」や「ハーシュ」といわれるようなやかましいものはあまりなく、「侘び寂び」を感じられるものが多いです。「非楽音」としての「ノイズ」、「録音技術」としての「電子音楽」がテーマのような気がします。 マニアは別として、なんとなくこういう音楽に興味を持たれている方には、「第一集→第二集→第三集」と聴き進めることをお薦めいたします。 今作での唯一の不満点としては、ブックレットが本体に糊付けされくっ付いてしまっていること。せっかくの気合の入ったブックレットが読みづらくて困ります。つくりとしてはブックレットが外れるようになっているようなので、私の購入時期の商品だけ糊付けが強すぎたのかもしれませんが…。 とりあえず、不満な点はこれぐらいしか見当たらないくらいの良質な作品です。この値段でこれだけの音源が聴けるのだから、ありがたい限りでございます。
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