あらしのよるに メイ ぬいぐるみ 座 S (詳細)
サンアロー
「『あらしのよるに』大好き」
アンセル・アダムズの作例集 (詳細)
アンセル・アダムズ(著)
「巨匠中の巨匠」
生誕100年記念 アンセル・アダムズ写真集成 (詳細)
Ansel Adams(原著), John Szarkowski(原著), 原信田 実(翻訳)
いろいろいろんな日 (詳細)
ドクター・スース(著), スティーブ・ジョンソン(著), ルー・ファンチャー(著), 石井 睦美(著), Dr. Seuss(著)
ミトン フィルムブック (詳細)
ミトン制作委員会(編集)
「映像の魅力、そのまま」「暖かい気持ち」「少女の夢は」「子犬のミトン」「雑誌の特集」
星の都 (詳細)
シド(アーティスト), マオ(その他), Sakura(その他), Akira Nishihara(その他), 笹路正徳(その他)
「シドは凄いよ。最高だよ。」「シド最高すぎる!!」「絶対に金額以上の価値が有る!」「レトロック好きにはたまらん一枚」「マジでシドにはまりますよ!!!」
白夜行 (集英社文庫) (詳細)
東野 圭吾(著)
「なんとも形容しがたい」「あなたにとって生きる意味はと問いかけたい」「面白い」「じっくりと読ませる悲劇」「読み取ることが大切。」
free (詳細)
リベラ(アーティスト), ベン・クローリー(アーティスト), ラウル・ニューマン(アーティスト), マイケル・ホーンキャッスル(アーティスト), ジョゼフ・プラット(アーティスト), クリストファー・ロブソン(アーティスト), アンソニー・チャドニー(アーティスト)
「神秘的。良い曲ばかりです。」「リベラが織なす奇跡のようなハーモニーの数々」「「千の風になって」の原詩」「心が病んでる方へ」「こんなBoys Choirを待っていた!」
アンダーグラウンド (詳細)
エミール・クストリッツァ(監督), ミキ・マノイロヴィチ(俳優), ラザル・リストフスキー(俳優)
「はちきれそうなテンション」「愛する祖国、失ったものへのリズミカルなレクイエム」「アンダーグラウンド」「サントラも大好き」「最高!!」
モンスターの眠り (詳細)
エンキ ビラル(著), Enki Bilal(原著), 貴田 奈津子(翻訳)
「退廃的な美しさ」「ビジュアルだけじゃない!」
クラバート (詳細)
オトフリート=プロイスラー, ヘルベルト=ホルツィング, 中村 浩三
「心に残る名作」「プロイスラーの名作」「死の空気を吹き払う、雪解け川の響きにも似た「自由」の響き」「魔法の有限性、生きることの難しさ。」「これは大人が読んでもいいと思う。」
異邦人 (新潮文庫) (詳細)
カミュ(著)
「異邦人…。」「生きることへの違和感に素直に生きる男の話」「凝縮力をもった名作」「白い以上に白い、と語ることは虚偽である」「名作たる所以」
● 気になる本
● シドコレクション
● 映画館
● BD(ベーデー)
● 中学生はこれを読め!第3回本屋のオヤジのおせっかい - 6/20
● ワシの欲しい本
● 好きなV音楽♪
● シドリスト
● V-ROCK漬け
● お勧め音楽・映像
・「『あらしのよるに』大好き」
このお話、絵本の絵柄で4才の子供には受け付けてもらえなかったんです。でも、映画化されてアニメになったら大人気V(^O^)Vあべさんごめんなさい。
ぬいぐるみを持ってセリフを喋る子供はかわいいです(*^^*)ガブのぬいぐるみも迷わず注文しました。
・「巨匠中の巨匠」
ブレッソン、キャパ、フランク、スミスなど好きな写真家を上げるときりがないけれどその中でも僕が一番好きな写真家がこのアンセル・アダムズである、彼はキャパやスミスのように自分の命にもかかわるような現場で撮影していた報道写真家ではないまたブレッソンやフランクのように決定的瞬間だとか人物のスナップ写真において名をはせたのではなく、風景という限りなく大きな被写体に向かうことによって名声を勝ち得た。ヨセミテ国立公園を撮り続け、住まいまでそこに移した。」
彼の写真はまさに風景写真の究極と言っていいだろう。これが僕たちが生きる地球なのか?と思わせる、スケールの大きいその一枚一枚は見ているものに大きな力を与えてくれる。この写真集もそんな魅力的な写真を堪能できる。アダムズ自身の撮影コメントもありうれしい。
たくさんの巨匠たちがいるが僕としては前にあげた人たちは名人である。アンセル・アダムズこそが真の巨匠である。
・「映像の魅力、そのまま」
『ミトン』を劇場で観てから購入しました。スクリーンで観た女の子の笑顔が本の中でも見ることが出来て、嬉しかったです。そしてミトン(女の子が抱いている赤い子犬)の表情がとても豊かで感動しました。私が生まれるずっと前(1967年 旧ソ連公開)に作られたというのに、クオリティが高く、今も色あせていないのに驚かされました。子どもには新鮮に大人には懐かしく感じる、ちょっぴり切なくて優しくなれる物語でした。
コメントを高畑勲や櫻井和寿、奈良美智、桜沢エリカ、東野翠れんなどが寄せていて読み応えもあります。ミトンのあみぐるみの作り方も載っていて、ちょっと挑戦してみたくなりました。 同時公開されている『ママ』『レター』の紹介も載っているので、映画を観た後の復習には最適です。また映像をまだ観ていない方にも絵本のように楽しめると思います。
・「暖かい気持ち」
この本は、最近人気を集めてきているチェブラーシカの監督で、ロマン・カチャーノフの作品のフィルムブックです。私はまだ映画を見れないので、この本を読んだのですが、見ていてワクワクして、早く映画を見たい気にさせてくれます。少し色あせたような写真が、見ていて、不思議なのですが、ノスタルジックな気分にさせてくれます。映画を見た人でも、この本を読めば、きっと好きな場面を思い出して、ワクワクしてくるのではないでしょうか?映画を見ていない人でも、このシーンはこういう展開に繋がるのかな?と空想できたりして、楽しいと思います。
・「少女の夢は」
犬が飼いたい、と思う女の子。母親に反対されて・・・自分のミトン(手袋)を犬に見立てていると・・・
ミトンが犬の競技会に参加したり、女の子とミトンの暖かいつながりがほほえましくて・・・これからDVDも見ようとおもいます。
・「子犬のミトン」
なんだかあったかくて懐かしくって読み終わった後ほんわかした気持ちになります。ミトンがとっても可愛らしくて子供と何度も読んじゃいました。絵を見ているだけでも和めますよ♪
・「雑誌の特集」
映画を絵本にしたようなものを期待して購入したのですが作品と全く関係ない「雑誌のモデル兼フォトグラファー」や「売れっ子モデル兼デザイナー」、「スタイリスト」などのカラー写真付きのコラムやエッセイ、コメントなどが作品のど真ん中に多数ありかなり興ざめでした。本棚に保存する本というよりは読み捨てる雑誌の様でがっかりしました。
作品はすごく素敵なだけに残念です。
●星の都
・「シドは凄いよ。最高だよ。」
とにかくビックリしました。「Sweet?」の時点でも彼らの成長ぶりというか、変わりように驚かされましたが、また更にビックリさせられました。まだ「憐哀」のイメージが強い所為でしょうか?タイトルの通り、色々な曲が入ってて絶対に飽きさせません。むしろ「もっと聴きたかったけど、もう終わっちゃった」感が残りました。お馴染みのアダルティーな曲は勿論、やけに青春を感じる曲・心温まる曲・かなりロックな曲・・・とにかく素晴らしいです。拍手。絶対に買って損はないと思います。
個人的に「依存の庭」がすごく好きです。
・「シド最高すぎる!!」
正直今までV系は毛嫌いしていたのですが大好きなL'Arc-en-Cielと同じ事務所と言う事で聞いて見た所… やられました!!完成度は高いわ歌は上手いわ演奏はいいわで最高です!!昔の音源は手に入らないものも多いけど絶対興味沸きますよ!! 懐かしさも感じられるのに今風な感じもするとてもいいアルバムだと思います。 アリバイ好き!!
・「絶対に金額以上の価値が有る!」
単刀直入に言いますが、『シドはやばい!』です。バンドとしての音…1,シドは個人で見ても、バンドとして見ても良い音が出せるバンドです!Vo.マオにゃんの歌唱力は人並外れた“魅力”があります。喜怒哀楽、強弱がしっかりついていて彼の聞くものに対するメッセージが胸に強く伝わってきます。G.しんぢ君の何でも弾き熟してしまう技術には圧巻です☆技術だけでなく、音色も最高!彼のギターソロは音量を大にして聞く価値あり!B.明希さんとD.ゆうや君の息のピッタリ合ったリズムは 思わず体を揺さ振ってしまう筈!2,歌詞の良さシドの歌詞は全てマオにゃんが書いているのですが、どの楽曲の歌詞もすごく好きです。彼にしか出来ない、独特な歌詞の書き方ですね。3,曲の良さどの楽曲も歌詞と曲がよく噛み合っている!噛み合わない曲なんて何一つない!しんぢ君、御恵明希さん、ゆうや君の演奏家としてだけでなく、作曲家としての魅力に脱帽。
このアルバムは、ポップス性が強いので、どの年代の方にでも聞きやすいアルバムとなっていると思います。アレンジにSakuraさんが加わっているだけあって、すごく音がいい事は勿論、このアルバムを聞く事でシドの素晴らしさが解る一枚です
・「レトロック好きにはたまらん一枚」
最初の「林檎飴」「アリバイ」の2つでやられました。今風の上手な演奏で、レトロな歌謡曲風の歌を唄うとこんなにもステキにブレンドされるんですね。その2曲以降は割とポップな感じですが「はじめ良ければおわり良し」。他も全然聴いちゃいます。今から他のアルバムも全て買ってきまっす。
・「マジでシドにはまりますよ!!!」
このアルバムはポップって感じの曲もあり感動する曲もあってむっちゃいい感じです!!!マオにゃんの詩も曲も全ていいです!!初めてシドの曲を聴く方はこのアルバムから入ってみては?
・「なんとも形容しがたい」
桐原亮司と西本雪穂。二人が小学生から大人になる十九年間の物語。高度成長末期からバブル経済の時代まで。彼らが歩む人生の周囲では、次々に不幸になる人々がいる。人々を絶望の泥沼に蹴落としながら、雪穂は睡蓮のように美しく咲き誇っていくのだ。 二人の主人公と読者の間には、レースのカーテンのような物が揺らめいていて、その姿ははっきり見えない。 特異な小説である。主人公二人の心だけが、一切描写されていないのだ。その周辺でもがく人々の主観を介してしか、亮司と雪穂に辿りつけない。
テレビドラマに引き込まれて、一気に読破した。過去にドラマ化不可能などという形容の小説は幾多もあった。しかし、本当に不可能な小説に出会ったのは初めてであった。 亮司と雪穂という主人公の人生には、殺人事件、レイプ、失踪、ハッカー犯罪などの事件が溢れている。最後のピースがはまった時、それらが純粋な魂から溢れ出た「果てしない悪意」だと読者は知る。 この小説と、放送が開始されたTVドラマとは、全てが違う作品になっていくだろう。小説だけの読者は、雪穂たちから、究極の悪意の快感を覚える。TVドラマだけの視聴者は、絶対的な純愛に感動するだろうからだ。そして両方を知った者は、鏡のように全てが正反対の、原作とTVドラマの特異なコントラストにくらくらと酔う。 小説とTVドラマが意図的に乖離せざるおえない作品。 昔、映画の「風と共に去りぬ」観た。その後に原作を読み、映画版のできの悪い模造品に感じた。これとは対照的に、百夜行は原作と映像作品が別個に独立した作品となっていた。両方とも鑑賞される事を強くお勧めします。
・「あなたにとって生きる意味はと問いかけたい」
たぶん主人公というべきなのであろう雪穂の人生。その雪穂の人生の要所要所で怒る奇怪な事件。そのほとんどは謎のままになっていくが,必ず残る雪穂への奇妙な疑念。その疑念を追い続けるベテラン刑事。雪穂が階段を駆け上がるように見事に人生の成功者になっていく陰で,もう1人の主人公とあえて言わせてもらう桐原亮司の影。影は決して表には出てこない。長い人生を影のままで生き続けようとする亮司の心を縛り付けている強いものはいったいなんなのか。誰もがもっている心の中の小さく暗い渦を,ずっと回し続けている雪穂と,その渦にまったく手を触れないよう生き続けている亮司。雪穂の光と亮司の影が実に対象的に描かれている。その雪穂に最後まで迫ろうとした刑事とその雪穂を最後まで守ろうとした亮司の最後。かわいそうな被害者からやがて重要参考人として刑事にマークされるまで,少しづつ謎がとけていくかのように進む内容は,長編なのに一気に最後まで読み続けさせられる作品。ただ一言言わせてもらえば,そこまで読まさせておいて終わり方はこれでいいの?それともやはりこれで終わりでなく,今回はここで終わりということ??
・「面白い」
悲惨なストーリー、主人公の心情描写のなさ、登場人物の多さ、最悪のラスト、などかなり読みずらいはずの小説。けどちゃんと面白かったってことがこの小説の凄さだと思います。なかでも主人公雪穂と亮司が絡んでる場面がなく、心情描写もない、やはりこれがこの小説の面白ろさです。小説ならではじゃないですか。自分で想像するから、出来るから面白いのです。めちゃめちゃ想像しやすく書いてくれてます。僕はラストを読み終えて解釈したことは、雪穂は亮司でさえもただ利用してただけやったんか、でした。そう解釈したらゾクゾクしてきて寒気がして、怖くて布団から出れなくなりました。やばいこの女ほんまに怖すぎる…って。 僕はこの東野圭吾って人を物を作る人として大好きになりました。 雪穂はどこまでもとんでもない女であって欲しい。 だって作り話やねんから。そっちの方が絶対面白いでしょ。
・「じっくりと読ませる悲劇」
仕事の合間を縫って、2日間ほどで読み終えました。最近この本を手にした多くの方と同様、私もドラマを見て、関心を持った一人です。 (売り切れの書店ばかりで大変でした)
読み終えて、真っ先に思ったのは、「ドラマを見る前に読めばよかった」という後悔でした。
ドラマの最初のシーンが本のラストにあたり、更に徐々に浮かび上がってくる二人の関係が、ドラマの初回で既に描かれてしまい、読みながら考えていく楽しみが減ってしまいました。また、読みながら俳優さんたちの顔が浮かんできて…(苦笑)
雪穂と亮司のふたりを決して同じ場面に出さず、出来事と周囲の人間の発言だけでつながりを浮かび出させていく…笹垣の口を通して描かれる解釈すら真実なのか?
あくまで最後は読者それぞれで彼らの人生を考えろ、というのが作者の狙いなのでしょうか。
確かに雪穂には人間の「情」というものが微塵も感じられません。心を失った彼女が、分身である亮司まで失ってしまった。美しいただの抜け殻であり、これから先の彼女の人生は、延々と続く悲劇でしかないでしょう。
全く救いがない物語ではありますが、救いのない悲劇をここまで描ききったことは見事としか言いようがないと思います。
最後に、この本とドラマは、全く別物として、それぞれ楽しんだほうがいいと思います。
・「読み取ることが大切。」
書評を読んでから小説を購入し、読みました。主人公の二人からの細かな視点は、この小説に必要では無い、と私は感じました。
なぜなら、たくさんの登場人物たちの複雑に絡み合った関係。過去の事件の真相を探る上で知りえる情報。二人の台詞。事細かに描かれており、たくさんの章があって大変だとは思いますがそれらをしっかり読み取ることで、二人の関係や想いを感じることは、できるからです。
この小説に、「雪穂はこう思った」「亮司は雪穂に対してこうこうこういう気持ちだった。」なんて視点があったら、野暮だしおもしろくはありません。
それから、ネタバレになるので詳しくは書けないけれど、二人がそれぞれ違うシチュエーションで、違う相手に向かって言う、同じ意味の言葉があります。それが唯一、二人の関係を示すものとなるのではないでしょうか。
この小説を読み終わったとき、私は村上龍氏の「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだときと同じような気持ちになりました。生きるため、自分を守るため、誰かを守るためのエネルギー。様々な策略が感じさせるダークな部分。そういう点が共通してるのではないでしょうか。
素晴らしい小説だと思います。
小説の内容とは無関係だけど、文庫本は上下に分けて欲しかった。。。あのページ数の文庫本は手に持って読むのに向いてません。
●free
・「神秘的。良い曲ばかりです。」
ボーイソプラノというとクラシック曲を歌うウィーン少年合唱団をイメージするかもしれないですが、リベラは違います。
・「リベラが織なす奇跡のようなハーモニーの数々」
このリベラというボーイズ・クワイヤの透明感溢れる歌声にはまりました。ボーイソプラノ特有のノン・ビブラートで硬質の声は、人生において少年期の限られた時代しか持ち得ない宝物のような一瞬の輝きを持っています。人の歌声はもともと「癒し」という側面を持っていますが、少年達が織なす奇跡のようなハーモニーは、様々な俗世の悩みを遠くへ追いやる特効薬のような存在なのかもしれません。
1曲目の「生まれくる日」は、冒頭のユニゾンからハーモニーに移った瞬間、音がパッと青空に散ったかのような広がりを見せてくれました。2曲目の「スティ・ウィズ・ミー」ソロと合唱の掛け合いが見事で、イギリスの伝統的な音楽をベースに現代的なサウンドがおおっているような音楽でした。
3曲目の「ヴォーカ・メ」の、ボーイズ・クワイヤの織なす密集和音の連続は、少年達の持っている音楽的特徴を生かした楽曲です。ペルゴレージのスタヴァト・マーテルを彷彿とするような雰囲気を全編に湛えていました。イギリスの教会の聖歌隊の歴史と伝統を感じることが出来ました。
5曲目の「アヴェ・ヴェルム」の中世的なサウンドは、イギリス民謡のベースでもあり、不思議な香りのする曲ですね。合唱王国イギリスの伝統をここでも確認した思いです。
イギリスが生んだ作曲家ホルストの「木星」から「誓い~ジュピター~」というカバー曲が生まれました。平原綾香の大ヒットでこの原曲が一躍注目されましたが、ここでも、ステキな「ジュピター」を聴くことが出来ました。
とても親しみやすい現代合唱の側面と、ヒーリング・ミュージックという側面を持っていますが、大人の持っているあざとい感情を捨て去り、音楽として昇華したものが、リベラの透明感あふれるサウンドの本質なのでしょうね。
・「「千の風になって」の原詩」
ご存知の方もいらっしゃると思いますが「千の風になって」のリベラバージョンが、このアルバムの『いつもあなたのそばにいるから(Do not stand at my grave and weep)』です。私はNHKハイビジョン特集『千の風になって』を見て初めてこの曲を知りました。その中で、親しい人を亡くした人の心をリベラの済んだ歌声が癒していました。そして大切な人との別れも、絶望や悲しみだけではないという事を教えてくれた気がします。
作詞者不詳のこの詞について調べながら、曲を聴いてみるといいかもしれませんね。
・「心が病んでる方へ」
最近よく眠れないし、ヒーリング系のCDやグッズばかり買ってしまうので病んでるのだろうか??と思っていたのですが、このCDが治してくれました♪エンジェルヴォイセズにも惹かれたのですが、「トワイライト」が好きなのでこちらを購入しました。サラブライトマンにはガッカリだったので 私にはボーイズソプラノが良かったみたいです。イライラしたり眠れなかったりする疲れた方へ特にお勧め!好みは人それぞれでしょうが、一日何度聴いても飽きません。しかもサラ系キンキン声では無理だった音量大でも気持ちよく聴けます。これでもうヒーリングものを買わないで済みそうです(^^)文句なく満点です!
・「こんなBoys Choirを待っていた!」
いやはや、こんな合唱団を待っていた!自分も合唱(女声・混声)をやってきて、少年少女合唱もいくつかCDを持っているが、ひとくくりに「天使の歌声」とされてしまうことには違和感を感じていた。有名なウィーン少年合唱団は、確かに美しいが型通りで、何度も繰り返し聞きたいと思わないのだが、リベラは何度も聞いてぜんぜん飽きない。
リベラを「クラシック」だと思って聴くと、アレっと思ってしまう人もいるかもしれない。既に出ているボーイズエアクワイヤのこれぞクラシックという張りのある発声とは、また異質の、儚く切ないソロが魅力だ。また、LIBERA(自由)の魅力は名前通り、それぞれの子どもたちが、自由奔放にのびのびと歌いながら極上のハーモニーを奏でている。時には、伝統的なクラシックの発声としてはタブーである、ささやくような歌声で語りかけてくる(そういう点で伝統的な合唱を求めている方は聴かないほうがよいかもしれない)。「リベラ」は「クラシック」でも「ポップス」でも、まして「ヒーリング音楽」でもない。「リベラ」は「リベラ」だとしか言いようがない。
リベラは所謂「プロフェッショナル」ではない(これはプロデュースした本人も言っていることだが)。リベラに参加している子どもたちは音楽エリートではなく、近隣に住んでいる普通の子どもたちだ(もちろん歌が下手なわけではない)。しかし、彼らの歌声は「プロ」には決して出せない身も心も洗われるような自然の声の美しさなのだ。
そして、みんなが歌うことを楽しんでいること、歌が好きだ、という気持ちが声を通して伝わってくるのは、聴いていて何より嬉しい。逆説的だが、観客ではなく自分の内に向かうような、歌う楽しさそのものを身体全体で表現しているような声だからこそ、訴えかけてくるものがある。
それは、楽譜にあわせて声を作るのではなく、声にあわせて楽譜を作るという、歌い手としては極上の環境によるものもあるだろう。ブライズマン氏の作曲・編曲の素晴らしさは言うまでもない。
ボーイズクワイヤではないが、ハンガリーのカンテムス少年少女合唱団もオススメ。
・「はちきれそうなテンション」
この映画にはホントに色々なものが詰まっています。何の気なしに観始めましたが最後には惹きこまれていました。ユーゴの民族紛争の中を生きる人々のドラマなのですが、ただの記録映画のようなものではありません。そこには人間の強さ、弱さ、可笑しさ、悲しさ等普遍的なものが薄められることなく原液のままに独特のユーモアとテンポの良い音楽に乗って、今にもはちきれそうなテンションで詰め込まれています。暇潰しに観たりすると打ちのめされます。観る時は是非腰を据えて観て頂きたいです。この監督の映画に共通しているのですが観終わった後、非常に人間の尊厳を感じさせてくれる素晴らしい映画です。またこの映画は、音楽が非常に素晴らしいです。見事に作品にはまっていると思いました。この映画を通してこの手の音楽に興味を持った方も多いのでは?
・「愛する祖国、失ったものへのリズミカルなレクイエム」
ゴラン・ブレゴビッチの軽快な音楽にのせて、旧ユーゴを等身大で、ありのままにそしてシニカルに描くエミール・クストリッチァ監督の最高傑作といっても過言ではない作品。
富み、権力そして戦争の儚さ、無意味さを軽快に風刺しながも、何があってもどんなに醜くても、捨てきれず、愛さずにはいられない祖国への慈しみとプライドをユーモラスに描く、クストリッチァ監督の今はなき祖国「ユーゴスラビア社会主義共和国」へのレクイエムとも言える作品である。
・「アンダーグラウンド」
古いビデオを整理していて偶然観はじめたが、長い映画にもかかわらず最後まで身動きせずに見切ってしまった。心や頭が感動するを超えて、なんだか、身体の具合がおかしい。それほどの力を持った映画だ。
『アンダーグラウンド』はユーゴスラヴィアを舞台に、第二次大戦から九十年代の民族紛争までを扱っている。一種の歴史映画にちがいないが、実際のフィルムも的確に差し挟まれドキュメンタリー的な要素も見出せる。そればかりかこの映画においてはありとあらゆる要素が混在し同居している。コメディの滑稽、男女のロマンス、アイロニー、悲惨、迫真、それでいて無駄に思われる場面が全く無いなんて。そして、あの騒がしい音楽と止まらないダンス。
いかなる戦時下であっても酒をあおり、結婚を祝い、やり過ぎと言えるまで踊り続ける彼らの姿から、大きな戦争や対立があたかも派手な乱痴気騒ぎの一つに過ぎないような錯覚が生まれてくる。方法としての馬鹿騒ぎ。一方で、愛人のために人を殺す、友人を裏切る、嘘を積み重ねるなど、一度踊りだしたらぶっ倒れるまで踊り続けずにはいられない人間の愚かさも浮かび上がる。
今回観かえしてみて、ナターリアが物語を加速させる役割を担っているどころか、数々の対立を激化している張本人であることに改めて気が付いた。何のメタファーかはともかく、彼女の政治意識の欠如が敵国への感情を助長させ、仲間同士の対立を結果的には育んでいる。しかし、だからこそこの映画で最も愛らしくもあるのだが。
そして、この映画で隠れてアクセントになり、ハイライトされていたのは、実は、地下生活であの強烈な主人公たちにも負けないくらいはしゃぎまわる子どもたちの存在ではないだろうか。最後の島の祝祭的なシーンは、天国でも地獄でもない、これからその(あの)国で育つ、子どもたちの記憶の中の光景なのだから。
・「サントラも大好き」
冒頭のナレーション、おとぎ話の「昔々ある所に」と同じに聞き流していたのですが、ラストで同じ言葉が流れた時、今観てきた中身がずどーん!!と落っこちてきて胸が苦しくなり、映画が終わるや一目散に家に帰ってブラ外しました。ナターリヤのセーラーカラーの服と帽子可愛かったな、とかのどうでもいい感想も含め色々色んな事が渦巻いて、飽和したのか涙がだくだく出ました。なんか凄いの観た、と思いました。
・「最高!!」
今まで見た映画で一番好きだと思います。ユーゴで怒った悲劇を皮肉にもユーモアとして映画にするところが最高。クストリッツァ監督にしかなしえない映画だと思います。ヨーロッパではかなり話題になった映画で、この映画をきっかけに彼は映画を撮ることを辞めると宣言したのですが、撤回してくれてよかったです。他の作品もみてください。
・「退廃的な美しさ」
個人的にはニコポルよりも映像作品的なこっちの方が好きです。主人公の生誕まで遡る記憶と、進行してゆく時間軸の交錯が趣き深い。真の巨悪、そして運命的な再会。続きがでてほしいような、これで終わってもいいような不思議な余韻を感じました。
・「ビジュアルだけじゃない!」
旧ユーゴスラヴィアの理論家スラヴォイ・ジジェクによれば、先のユーゴ紛争は、それぞれの国が自らを「東洋的野蛮」に対して「ヨーロッパ文明」を守る境界線として位置付ける争いだったそうです。同じく旧ユーゴ出身のエンキ・ビラルの描く『モンスターの眠り』の3人の主人公は、戦闘中のサラエボに生まれ、30年後の未来ではそれぞれ境界線上の人生を送っています。イスラム教徒の名を持ちながら、アナーキーに徹するアミール。イスラエル紛争を解決した(という設定の)政治家を義父に持つ天文学者レイラ。NIKEという無国籍な名を持つ記憶のスペシャリスト=未だ「歴史」の中に生きている、ナイク。3人はオプスキュランティス・オーダーという謎の組織の台頭により、運命を引き合わせていきます。「伝統」の完全保存を目的とするオプスキュランティズム=反啓蒙主義は近代世界が内包する分裂や矛盾を隠蔽し、統一性の幻想を捏造する考え方に結びつきます。これに立ち向かうにはいかなる境界線を死守し、あるいは破棄していかねばならないのでしょうか?コジェーヴが「歴史以後」の生き方として挙げた「アメリカ的消費生活」でも「日本的スノビズム」でもない、フランス+東欧的な第3のモデルをこの3部作(予)が示してくれるかもしれません。彼ら3人はジジェクのいう境界線の「外部」に生まれ、そのエッジに沿って未来に生きているのですから。
ビラル作品はビジュアルのみならず、鋭い洞察力に支えられた深遠なストーリーにも魅力があります。是非邦訳版で読んでみて下さい。フォントまでこだわったフランス版を同時に購入するのもいいと思います(日本語のフォントも、もう少し厳選して欲しい...)。サブテキストとして坂口 尚の『石の花』をお薦めします。
・「心に残る名作」
表向きは水車小屋の見習い職人、実際は水車小屋を営む魔法使いの弟子になるという秘密めいた設定のため、魔法を覚えていくファンタジックなストーリーに"死"の禍禍しさと緊迫感が終始つきまといます。一見便利で何不自由の無い暮らしは命と引き換えの極限とも言えるものでもあったのです。
主人公は友情や愛を見い出すことにより、自分にとって本当に必要なものが何であるのか見極めて、決断を下せる強さを手に入れるのです。
この本を手にしたのは15年以上も前になりますが、今でも時々読み返したくなる貴重な作品です。
・「プロイスラーの名作」
「大泥棒ホッツェンプロッツ」や「小さいお化け」などどちらかというとほのぼの、わくわくするようなイメージのプロイスラー作品。しかし、「クラバート」は少しばかり趣向を異にしています。もちろんホッツェンプロッツなども児童文学の珠玉の名作ですが、「クラバート」もプロイスラーの1つの頂点を示していると言えるでしょう。 あらすじを追うと”身寄りのない少年が魔法の学校に入って…”とまるで『ハリー・ポッターシリーズみたいな感じ?』と思われる方もいるかもしれませんが、舞台はドイツの鬱蒼とした沼地。この設定が最大限に生かされており、物語のテイストは180度違います。 ”魔法”という力を手にすることはどのような意味を持つのか、その対価として失われて行くものはなんなのか。この物語では、魔法はただ夢にあふれた素敵な力として描かれてはいません。人の弱さを象徴するものであり、また、因果によって人を縛るものでもあります。クラバートをはじめ、魔法に関わった(しまった)人々の宿命から目が離せません。
巻末の解説によればもともとこの話はドイツ・ラウディッツ地方の伝説として伝わっていたものだったとか。プロイスラーは少年のころこの話を読み強烈な印象を受けたそうですが、もとの伝説とプロイスラー版「クラバート」ではストーリー(とくにラストにかけて)が違います。そのあたりはどうしてなのかを考えるのも面白いかも?
・「死の空気を吹き払う、雪解け川の響きにも似た「自由」の響き」
チェコ、ドイツ、ポーランドの国境沿いにあるラウジッツ地方。本書は、ボヘミア地方の北に位置するラウジッツ地方の伝説を下敷きにして、作者が描き上げた「魔法使いの弟子」クラバートの物語です。
今回再読して、とりわけ心に残ったのは、クラバートが魔法使いの親方の弟子になって三年目、それまでの閉ざされたものから開かれたものへと物語の空気が変わる、その鮮やかさでした。黒々とした闇の中に、一条の光がすっと差し込んだかと思うと、劇的に変化していく物語の色合い。雪解けとともに、長い冬がついに終わり、みるみる春の彩りを増していくような物語の風合い。初めはかすかだった雪解けの川の流れが、「三年目」の章に至って、ぐんぐんと力強く、終盤へと駆け下っていくところ。そこに、とても感銘を受けました。
ご存知の方も多いでしょうが、この「クラバート」の物語、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の印象的なエピソードとしても使われているんですよね。映画を見た方なら、きっと、「ああ、この場面がそうなんだね」と気づくことでしょう。
原題は、KRABAT 1971年の作品。
著者の作品では、『大どろぼうホッツェンプロッツ』シリーズ、『小さい魔女』などを、子供の頃、とても面白く読みましたけれど、一番感銘を受けた作品といえば、大人になってから読んだこの『クラバート』です。今回再読して、あらためて、物語の魔法の力に打たれました。中村浩三氏の訳文も、こなれていて読みやすいものでした。
・「魔法の有限性、生きることの難しさ。」
宮崎駿が影響を受けたと言われる一冊ですが、それだけの実力のある素晴らしい一冊であったと思います。その世界観は、宮崎駿氏の作品にも影響がやはり色濃く見え、宮崎アニメの大ファンであるならば、必読の書の一つであると言えます。
私は本書の上手さ、素晴らしさは「人間」と「魔法」の描き方のうまさにあると思います。何よりも、近年「魔法」的なものが横行し、夢や希望、果てには欲望さえも魔法の力で解決できてしまうアニメなどとは違い、「魔法」という非現実的なものを、現実の世界とうまく調和させながら描いている事です。現実の世界は魔法のように素晴らしい力が溢れてはいますが、それは無限のものでないことは、子どもを読者の対象とした時にも夢や希望といった可能性の広がりのあるものとは別に、伝えるべき事柄であると思います。 また、人間(登場人物)の描き方も、良い面ばかりを強調して描くのではなく、人の短所や欠点までも描きつつ、主人公(クラバート)に、それを一人の人間として認めさせている人間観を持たせていることも一つの上手さであると思います。単純に勧善懲悪なヒューマニスッティックな物語に留まらないすごみ、迫力が本書にはありました。
様々な賞に輝くだけの実力をもった一読の価値のある本です。口承によって伝わった物語をここまでに発展させたプロイスラーの筆力は、手放しで賞賛できるだけのものがありました。
・「これは大人が読んでもいいと思う。」
これねぇ、いいっすよ実に。ネタバレしない程度に言えば、筋は少年が働いていく中で、様々な出来事を通して大人になっていくという物語なんですけど、主人公は勿論のこと、少年の周囲の人物(水車小屋で働く同僚達)が、あまり細かく人物描写されている訳でもないのになんかすごく人間味があって魅力的なんですよ。またセリフの一つ一つに無駄が無い!実のある言葉が、飾り気はないが美しい響きをもって心に迫ります。そして最後のクライマックスが…すごい。 …魔法物、とかそういうジャンルを超えて、小学生の頃、こんなに『納得した』物語は始めてだと思いました。大人になった今もたまに取り出して読みます。ここに出てくる『親方』が何故恐いのか?それは自分の中にある闇を見ることだとか色々思ったりします。 ドイツの古い民話ベースなんで、最初は暗い雰囲気なのですが、最初さえ乗り切れば、あとはぐいぐい読めると思います。最初を乗り切って、読まれることをオススメします。めったにない1冊だと思うからです。
・「異邦人…。」
カミュ自身、「異邦人」の英語版に寄せた序文で、次のように語っている。
「お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかにないということである。ムルソーがなぜ演技をしなかったのか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ」
これが答えなのである。若いうち、特に青少年期にこの本を読めば、なぜムルソーがこれほどまで無関心でいられるのか、おそらくわからない。だが、成長する過程での長い時間と経験こそが、カミュの言わんとしたことを理解する手助けとなるのである。
私も去年身内を亡くしたが、どれだけ絆の深いものでさえ、その死に直面してしまうと意外に淡白に感じられるものだ。葬儀や火葬、お通夜など、肉親の死であるというのに、冷徹かつ客観的に眺めている自分の姿がある。これは何も感受性に乏しくなったということではない。これが人間というものなのだ。
その場所でのお悔みや親戚縁者の慰めなど、その場にいた私にとっては何の意味もなさぬものだった。それが泣きじゃくった司祭の姿を通してみればわかるだろう。神の祝福も懺悔も、ただの芝居にすぎぬことを。だからこそムルソーをいらだたせる。
ただ淡々と進む別れと過去の思い出を頭の中で反芻し、そして自分なりに解釈を付けて死者を送り出す。だが、その情景は曖昧で繊細なものなのだ。ムルソーの、一見すれば主体性がないかのような受動的に見える思考や振る舞いも、それを如実に物語っている。そして、いずれは私もそのように送られることだろう。
殺人を犯したのは「太陽のせい」と語った。しかしそう語る彼をだれが嘲笑うことができよう。地球上に降り注ぐ強烈な日の光こそが、彼が彼足りえる原動力となっていたのだから。
・「生きることへの違和感に素直に生きる男の話」
異邦人を読んでいると、あることに気が付く。どこか、世界とムルソーとの間に隔たりがあるように思われるのだ。ムルソーは身に起こる多くのことに対し無関心である。ただ、淡々と目の前の問題に対処をしているだけだ。その代わり、彼は些細な自分の嗜好にとても実直である。彼は、よく眠り、よく食べ、よくタバコを吸う。隣人の恋のトラブルに対し興味を抱き、老人の小さな孤独の物語に同情をする。太陽に心地よさを感じ、そして、恋人との情事を喜ぶ。しかし、恋人が彼に自分を愛しているか。と聞かれると彼はわからない、と言い、結婚を求められてもお決まりの文句、<Cela m'etait egal.(どちらでも同じさ)>と受け流してしまう。彼は自分の人生に対する関心に欠けている。
シャンピニーは「異教徒の英雄論」の中で主張する。一方に、偽善的慣習や約束事によって成り立つ社会や宗教の「芝居的世界」があり、これはアンチ・ピュシス(反自然)でり、また一方では本来的な自発性に属するピュシスの世界があり、ムルソーはそれに従って生きている。「芝居的世界」を受け入れることを拒否するムルソーはそのために異邦人とみなされ、罪人の烙印を押されて死刑を宣言される。
物語のクライマックスであり一番の盛り上がりの部分である、アラブ人殺人の場面はあえて語らず、他のレヴュアの方に任せようと思う。フランス語の原文で読むとねちねちと皮膚に張り付いてくるような文体がこの場面の緊!張感をひしひしと高める。
私はカミュの特徴はその精緻な描写だと思う。読者は物語の始まりの部分からその孤独な老婆たちの描写に驚かされることであろう。この本は私がフランス語で読んだはじめての本であるが、フランス語で読むとまた、違った面白さが発見できると思う。作品自体そう長くはないし、フランス語も簡単なので試してみる価値はあると思う。
・「凝縮力をもった名作」
所謂古典的名作と言われる作品には、そう呼ばれるだけの内容がある。カミュの「異邦人」は、中学生の頃読んでみたのだがさっぱりわからなかった記憶がある。あれから20年以上たった今読むとさすがにわかる。不条理に生きることの窮屈さが身にしみた年齢になったからだろうか。私も主人公同様20年ほど前に母親を無くしたが、長いこと一緒に住んでいなかったこともあって、あまり悲しくなく、葬式でも涙の一滴も出なかった。人間などそんなもので、自分の肉親の死よりも、飼い犬の死のほうが悲しかったりするものだ。主人公にとって、神や死後の神の祝福などは何の意味も持たない。死ねば死にきりなのだ。それを全うして生きられる人間は強い。翻訳もなかなか格調高いが、もうすこしこなれた日本語に出来るような気がする。
・「白い以上に白い、と語ることは虚偽である」
白を黒と言うことはもちろん虚偽だが、白い以上に白い、と語ることも虚偽である。ムルソーは、私たちの言う意味で、母親や恋人を愛していないのではない。ただ、愛している以上に愛している、と口にすることを拒否しているだけだ。ムルソーは、過激なほどに、誠実に生きようとしている。
ムルソーは社長にパリ行きをすすめられるが、関心を示さない。彼にははじめから世間的な出世や野心などないのだろう。でもこれは私には、白くない以上に白くない、と語っているように見える。
カミュは貧民階級の出身である。幼い頃に父親を亡くし、母親は耳が遠くて文字を読むことはおろか日常会話にも不自由した。この母親に代わって子供たちを育てた祖母は、教育のためにムチを使った。カミュ少年は幼い頃から我桊??することを覚えさせられた。ーーただ貧しいだけで後ろめたい思いをすることを、貧しさを知らない人たちにどう伝えればいいのだろう、とカミュはどこかで言っている。
この、やがて時代を代表することになる感受性豊かな少年は、自分には世間並みの希望を持つことさえも禁じられていることを知っていた。イソップの有名なキツネは、高くて手の届かないところにあるブドウをスッパイのだ、と言う。カミュ少年は、手に入らないものは最初から欲しくなかったのだ、と考えることに慣れていた。
「言葉」には限界がある。つまり、言葉にすればすべて嘘になる現実がある。白くない以上に白くない、と語ることは、白い以上に白い、と語ることと同様、虚偽、である。だが、詩人たちはこの白を伝えるために言葉を捜し、画家たちはその色をキャンバスに移すために絵具を混ぜる。
天才とは嘘をつくことがもっとも苦痛な種族だ、と定義した人がいる。
・「名作たる所以」
この作品の全ての内容は、カバーの後ろに書いてある作品の内容紹介にまとまっていると言っていい。しかも、この本の訳はお世辞にも読みやすいとは言えない。先の展開が知れていて、ついでに読みにくい本を読み進めていくのは、なかなか骨が折れることだった。しかも、僕はこの主人公の行動を全く理解出来なかった。まさしくそれこそはこの本のテーマの「不条理」だったわけだが、論理的に理解できない行動を書くことに意味があるのだろうかと疑問に思いながら読み進めていった。しかしこの本の最後の最後、僕は自分の考えが浅はかだったことを知った。最後に主人公のムルソーが明らかにしていく心中の告白。それが語られたとき、ムルソーの今までの行動が彼なりの理念によって一貫されたものだったということが明らかになり、そしてその時が僕の中でこの作品が一気に名作になった瞬間でもあった。彼の一見奇妙な行動と言動。それらはたしかに理解しにくいものだが、一つの真理とも言えるような説得力を持っているものだったのだ。彼の行動と理念を自分なりに理解した今も、それらを参考にして生きてみようなどとは微塵も思わないが、一度は触れておいても良いかもしれない。名作たる所以がわかるだろうから。
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